過去の記事 2006年1月 全文表示  (リスト表示はこちら

2006年1月31日

ファーヴは引退に傾く?

オフシーズンに入って以来取材を避けていたブレット・ファーヴがESPNのクリス・モーテンセンのインタビューに応じ、引退に傾いている心の内を語った。「まだプレーできることは分かっている。まだプレーを愛している。でも、続けるにはそれだけではダメなんだ。もし今、無理やり結論を下せと言われたら、もう引退すると僕は言うだろう。できれば(7月末の)トレーニングキャンプまで待ちたい(笑)。でもチームのためには、来月には決めなければならないことは理解している」

「ある朝、目が覚めて、『引退なんてできない。バカ言うなよ。(フットボールの他に)何をするっていうんだ』と思うことがある。別の日には、『残り2分の勝負どころになって、俺はボールを欲しいか?』と自分に問うこともある。フィールドに戻ってプレーをする以上は、チームに対し自分の全てを捧げたいと思う。僕は常にそういうタイプの選手だったから。たとえば30点リードされて、マイク(シャーマン前HC)に『君を引っ込めるかどうか考えている』と言われたら、『イヤだ。ウチはこの試合に勝てる』と僕は言ったものだ。たとえ勝てなくても。僕は常にそのようにしてプレーしてきたけれど、今はそんな風にプレーできるか分からない」

「僕はフットボールを本当に愛しているし、自分の名誉も大事に思っている。だからこそ、そこそこの選手でいたくはない。優れた選手でいたいし、でも優れた選手でいるために十分な努力ができるか分からない。大事なのは、自分がどれだけ打ち込めるかだ。(いい加減な気持ちで)フィールドに戻って、シーズン3試合目かそこらで、『俺いったい何やってんだ?』なんて思うようじゃダメだ。GMに向かって、『自分は全てを捧げられるかどうか分からない』なんて言ったら、クビにしてくれと言うようなものだ」

2006年1月30日

マッカーシーHCがファーヴを語る

木曜日にブレット・ファーヴ邸を訪れたマイク・マッカーシーHCが、その手応えを振り返っている。「彼が引退問題を家族とともに考えようとしていることを、我々は尊重している。私もテッド(トンプソンGM)も彼に帰ってきてほしい、そのことは彼も分かってくれている」 「はっきりした目的を持って彼を訪れたわけではない。『やあ来たぞ、いつ帰ってきてくれるのか話そうじゃないか』なんて勢いではないんだ。この話題をそのように扱うのはよくないと思う。でも話し合いはとてもポジティブなものだった」

「最近のオフェンスと過去のオフェンスが話題になった。2人の男がフットボールについて、人生について、将来について話したということだ。彼が燃え尽きたように見えたか?そんなことはない。彼が(現役と引退の)どちらに傾いているとも言えないが」 「彼の関心は、勝ちたいということだ。細かいことは話題に上らなかった。『ウチはこうすべきだ、ああすべきだ』というようなことはなかった。話し合ったのは、このシーズンについてや、オフェンスのフィロソフィーについてだ」

どのようにファーヴを助けるのかについては、「ウェストコーストオフェンスの核となる信念に立ち戻らなければならない。これはQBが成功するよう作られているオフェンスだ。そしてQBが成功するためには、優れたランオフェンスほど重要なものはない。ランオフェンスによってパッシングゲームの道が開けるのだから。(ランが出ることによって)QBを窮地に陥らせずに済むのだ」とマッカーシーHCは語っている。ファーヴのトレードを考えるかと聞かれると、「私はそんな議論に関わったことは一度もない。彼は殿堂入りする選手だ。グリーンベイ・パッカーとして引退しなければならない」

就任以後の空き時間に今季のパッカーズのビデオを見直したというマッカーシーHCは、ファーヴはまだ高いレベルでプレーできることを確信したと言う。「私がこれまでの経験で覚えたことだが、どんなポジションであれ、選手を見るときはまず脚を見なければならない。(ファーヴの映像を見たとき)最初に目に飛び込んできたのは彼の脚の動きだ。(衰えていないことは)彼のドロップバックやブーツレグやキープパスの動きに表れている。『すごくいいじゃないか』と彼に言ったよ。とてもスリムだ。それに、肩の強さも十分であるのは明らかだ」

2006年1月29日

マッカーシーHCとトンプソンGMがファーヴ邸を訪問

シニア・ボウルのためアラバマに滞在中のマイク・マッカーシーHCとテッド・トンプソンGMが、ミシシッピ州ハティスバーグのブレット・ファーヴ邸を相次いで訪問したことが明らかになった。トンプソンGMによると、三者会談ではなく、トンプソンGMが今週初めに訪れ、マッカーシーHCは木曜日に訪れたのだという。ヘッドコーチ就任以来、マッカーシーがファーヴと直接会うのはこれが初めてのこと。

トンプソンGMは、「まだ高いレベルでプレーできるとブレットは信じている。そのことは私はこの訪問で確信できた。いいことだよ。じっさい彼にはできるんだからね。それに、もしそう思えないなら現役を続けないだろうし」と話し合いを振り返っている。「自分が必要とされてることは彼には分かっている。チームを向上させるため我々があらゆる努力をしていることを、これまでも彼に伝えてきた。ただ、ブレットは(チーム状態でなく)彼自身や家族のために最善だと思う決断をする、と私は思っている」

トンプソンGMは、シーズン終了後もファーヴとたびたび話し合いをしてきたという。「話題は本当にさまざまだ。フットボールのことはわずかに過ぎない。我々は非常にうまく行っていると思う。2人とも、古きよきサザン・ボーイズだからね」とテキサス出身のトンプソンGMは言う。数日後に訪れたマッカーシーHCは、彼のオフェンス哲学や、そのオフェンスにおけるクォーターバックのあり方について話したものと思われる。

ファーヴが引退問題に結論を出す期限をチーム側は設けてはいないが、FA期間が始まる3月初めまでには決めてくれるものとトンプソンGMは見ているようだ。「ブレットとディアナ(夫人)は、心が決まったときに決定を下すだろう。しかし、関係する誰もが、ある時点には決断をしなければならないことは理解しているものと思う」

Coaches Notebook: QBコーチはトム・クレメンツか

2006年1月28日

もう1人のDLコーチにカール・ヘアストン

パッカーズは、2人目のDL担当コーチとしてカール・"ビッグダディ"・ヘアストンの就任を発表した。ロバート・ナンDTコーチの残留はすでに決まっており、2人の職名・分担については後日発表とのことだが、ヘアストンの経歴からして彼がDEを担当することになりそうだ。今回のアシスタントコーチ陣には元NFL選手が多く、ベネットRBコーチ、ロビンソンWRコーチ、キャンペン・アシスタントOLコーチ、モスLBコーチ、ワシントンCBコーチ、そして今回のヘアストンの6人がいる。

現在53歳のカール・ヘアストンは、有力DEとしてNFLで15年活躍した元選手。1976年の7巡指名でヴァーミールHC率いるイーグルスに入団し、1980年シーズンにはスーパーボウル出場も果たしている。イーグルスで8年、ブラウンズで6年、カーディナルスで1年プレーし、先発184試合を含む224試合に出場、通算1141タックル、94サックの記録を残して1990年限りで現役を退いた。

1991年からカーディナルスとチーフスで4年間スカウトを務めたヘアストンは、1995年にショッテンハイマーHCの下でチーフスのDLコーチに就任。1997年には恩師ヴァーミールHCの誘いでラムズに移り、スーパーボウル制覇にも貢献した。2000年には彼の下でケヴィン・カーターとグラント・ウィストロムの2人が2ケタサックを記録している。2001年には再びヴァーミールHCの誘いでチーフスに戻り、先日までDLコーチを務めていた。

2006年1月27日

Coaches Notebook: QBコーチはローガンとクレメンツが有力 

2006年1月26日

Senior Bowl Week

カレッジの最重要オールスターゲーム、シニア・ボウルが今週末にアラバマ州モービルで開催される。月曜日から始まっているその練習を見るため、GMやヘッドコーチからアシスタントコーチやスカウトに至るまで、多いチームでは20人以上のスタッフがこの街に乗り込んでくる。名前の通り、4年目の選手ばかりでアーリー・エントリー選手は参加しないが、ドラフトに向けてスカウティング・コンバインと並ぶ大イベントなのは間違いない。この時期まではGMやスカウトたち人事部門がカレッジ・スカウティングの主役だが、このあたりからはコーチ陣も大きく関わってくることになる。

毎年スーパーボウルの前週に開催されるこの試合では、NFLチームがコーチングスタッフを提供することになっている。今年の場合、 "South" がマイク・ノーランHC以下49ersのスタッフ、 "North" がジェフ・フィッシャーHC以下タイタンズのスタッフ。両チームのコーチたちは、ミーティングも含めて選手を間近で観察できるのが役得といっていいだろう。

個々の力の差の大きい普段の試合とは違い、ここでは選手の質が高いレベルで揃うため、この練習の中でハイレベルな選手相手にどれだけやれるかが、ドラフト評価に大きな影響を与えることになる。例えば攻守ラインマンの1on1パスラッシュドリルで「○○が△△相手に歯が立たなかった」というようなことで大きく株が上がったり下がったりする。また、普段とは違うスキームを習得しなければならないため、学習能力を見るよい機会でもある。多くのドラフト関連サイトでは特集コーナーを作り、「今日は誰がどうだったか」を事細かにレポートしている。

練習フィールドで真剣勝負を繰り広げる選手たちを、厳しいプロの目が見つめる。アシスタントコーチに空きのあるNFLチームは、この場で選考を進めることもある。大学選手を抱える代理人たちも多数集まるため、契約延長交渉や見直し交渉を進めるにも便利な機会だ。このようにNFL関係者で大きな賑わいを見せるモービルの街だが、試合そのものはテレビで見ればそれで済むため、土曜日の練習が終われば引き上げてしまう関係者が多い。

このイベントでもう一つ重要なのは、月曜日に行われるWeigh-In つまり身長体重測定。大学のロースター上での表示は(プロ入り後もそうだが)サバを読んでいることが多くアテにならないが、このシニア・ボウルと2月末のスカウティング・コンバインでの測定では嘘がつけない。身長は8分の1インチ単位で測定される(今年のリスト)。たとえば昨年、ウィスコンシン大のRBアンソニー・デイヴィスは身長5フィート6インチ5/8しかないことがコンバインの測定で判明し、ドラフト指名が7巡まで下がってしまった(のち解雇)。

2006年1月25日

Coaches Notebook: ロバート・ナンとライオネル・ワシントンは残留

2006年1月24日

Coaches Notebook: シャーマンはHC再就職ならず

2006年1月22日

ボブ・サンダースが新DCに

ディフェンシブ・コーディネーター選考を進めていたマッカーシー新HCは、ボブ・サンダースDEコーチのコーディネーター昇格を発表した。ジェリー・グレイ(BUF)、ドニー・ヘンダーソン(NYJ)など実績のあるDC経験者も候補となっていたが、彼ならベイツ前DCの路線を継続できるという点が決め手になった形だ。現在52歳のサンダースは30年のコーチ経験を持つベテランだが、NFLでのコーディネーターはこれが初めて。

ボブ・サンダース新DCについて、マッカーシーHC。「私は一連の面接を始めるまで、ボブ・サンダースについては、昨年よい仕事をしたということ以外にあまり知らなかった。先週ボブと私は毎日会って数時間ずつ話をした。ディフェンスのフィロソフィーやスキームのことから、コーチングや個人的な事柄についても話し合った。フットボールの知識が豊富であることに加え、彼の人格面についても同じぐらい感銘を受けた。彼なら一緒にやってけると私は感じたし、ディフェンスを任せられる人物だと確信している」

デヴィッドソン大学(ノースカロライナ州)でLBとしてプレーしたサンダースは、3年ほど高校のコーチをしたあと、ジョージア工科大、イーストカロライナ大、リッチモンド大、デューク大で主にDLとLBのコーチを務めた。スティーヴ・スパリアーHCとともにデューク大からフロリダ大に移り、そこで11シーズンを過ごしている。2001年にはドルフィンズのLBコーチとなり、ジム・ベイツDCの下で強力ディフェンスの構築に貢献。昨年、ジム・ベイツとともにパッカーズに移ってDEを担当していた。

Bob Sanders Coaching Career
Year Team Position Head Coach
1978 Georgia Tech Asst. Defensive Line coach Pepper Rodgers
1980-82 East Carolina University Defensive Line /Linebackers Ed Emory
1983-84 University of Richmond Linebackers coach Dal Shealy
1985-88 Duke University Outside Linebackers
/Defensive Ends
Steve Spurrier
1989 Duke University Co-Defensive Coordinator
/Outside Linebackers
Steve Spurrier
1990 University of Florida Asst. Defensive Co-Coordinator Steve Spurrier
1991-93 University of Florida Asst. Defensive Coordinator
/Defensive Ends
Steve Spurrier
1994-97 University of Florida Asst. Defensive Coordinator
/Defensive Ends /Strong-side LBs
Steve Spurrier
1998 University of Florida Offensive Line coach Steve Spurrier
1999 University of Florida Asst. Head Coach
/Defensive Ends
/Strong-side Linebackers
Steve Spurrier
2000 University of Florida Asst. Defensive Coordinator
/Linebackers
Steve Spurrier
2001-04 Miami Dolphins Linebackers coach Dave Wannstedt
2005 Green Bay Packers Defensive Ends coach Mike Sherman

Notebook: ランボーフィールドで大学アイスホッケー

2006年1月21日

ウィンストン・モスがLBコーチに

元セインツのウィンストン・モス(40歳)が新LBコーチに就任することが発表された。マッカーシーHCがヘッドコーチ就任直後から非常に高く評価しており、DC就任の噂もあった人物。マイアミ大から1987年のドラフト2巡でNFL入りし、バッカニアーズで4年、レイダーズで4年、シーホークスで3年、合計146試合にLBとして先発出場している。引退の翌年からシーホークスでコーチのキャリアをスタートし、2000年シーズン途中からセインツのLBコーチを務めてきた。

彼はマイアミ大でジミー・ジョンソンHCのもと全米王座も経験しているが、マイアミ大では現スカウトのアロンゾ・ハイスミスがチームメイトだった。また、レイダーズ時代には現CBコーチのライオネル・ワシントン(残留の方向らしい)が同僚だった。ディフェンシブ・コーディネーターよりも先にLBコーチが決まるという不思議な事態についてウィンストン・モス本人は、「ボブ・サンダースが選ばれたら、セインツでのシステムと似ている。他の候補が選ばれても、私はフレキシブルでどのシステムにも適応できる」と語っている。

Coaches Notebook: ロック・ガリクソンがトレーニングコーチ

2006年1月20日

スペシャルチームコーチが決定

マイク・ストックがパッカーズの新スペシャルチームコーチに決定した。66歳の大ベテランで、コーチ歴42年ということは、マッカーシーHCが生まれた年からコーチをしていることになる。「彼はとても厳しい、ハイ・エナジー・ガイだ。魅力的な人で、非常に優れたフットボール・コーチ」とNFL関係者は評している。

ヘッドコーチを含めたカレッジでの長いキャリアのあとNFLに来たマイク・ストックは、4チームで13シーズンをスペシャルチームとして過ごしてきた。1987年にはベンガルズでスペシャルチームコーチ・オブ・ザ・イヤーに選ばれた(同業者による互選)。89年にはスーパーボウル出場も経験し、90年にはWRコーチ、91年にはTEコーチを担当した。

1992年からオハイオ州立大でWRコーチを務めたあと、95年から6年間はショッテンハイマーHCのチーフスでSTコーチを務め、この時期にマッカーシーHCと同僚だった。スペシャルチーム全ユニットを総合したランキングでは、1995年が4位、以後18位、2位、15位、24位、25位となっている(最後の2年はカニンガムHC)。

2001年には再びショッテンハイマーHCの誘いでレッドスキンズに移り、翌年スパリアーHCに交代しても彼は残留した。その間のSTランキングは17位、31位、19位。2004年にラムズに移ったがSTランキングではNFL最下位に終わり、1年限りで解雇されている。しかし、「スペシャルチーム軽視のマイク・マーツHCの下ではやむをえない成績」と同情する関係者もいる。その後ヒップの手術を受けるなど今季はNFLから離れ、昨年夏はチャージャーズのキャンプを手伝うなどしていたという。

Coaches Notebook: 新DCの候補

2006年1月19日

オフェンスのアシスタントコーチ6人が決定

マッカーシーHCは6人のアシスタントコーチの就任を発表した。6人のうち3人が残留組、3人がセインツや49ersでマッカーシーHCとはつながりのあった人物だ。マッカーシーHCはジャゴジンスキーOCとともに選考を進めてきたが、オフェンス側で未定なのは早くもQBコーチだけとなった。

ランオフェンス再建のために、カギとなるのはOLコーチだろう。先週金曜日、マッカーシーHCがラリー・ベクトルOLコーチに解雇を告げに行くと、ベクトルは落胆するよりも、後任にジョー・フィルビンの昇格を強く推薦してきたのだという。「誰に頼まれてもいないのに、ラリーは20分にわたって私にフィルビンを売り込んだんだ。『誰か考えているコーチはいるのか?』というから、『そうだ。でも彼に真っ先に面接の機会を与えるよ』と私は答えた」

ベクトル前OLコーチ。「コーチ・マッカーシーに、自分の推せる最高の人物を推薦した。ジョー(フィルビン)は一流のコーチになると思う。間違いないよ。確かに、初めてNFLのOLコーチになるのは容易じゃない。しかし彼はどこか他所から来たわけではなく、これまでもチームで重要な役割を果たしてきた。ぴったりだと思うよ。チームのラインマンたちをよく知っているし、これまでのウチのプロテクション・スキームをよく理解していた。これから導入しようとしているゾーン・スキームにも精通している。ゾーンブロックは、彼がいたアイオワ大のランニングゲームの源泉だったわけで、彼はそれを教えるのに長けていると思う」

◆ ◆ ◆

昨年までTEコーチ兼アシスタントOLコーチだったジョー・フィルビン(44歳)が新OLコーチに昇格する。カレッジ界で19年のOLコーチ経験を持ち、特にアイオワ大ではNFLで活躍する優れたOL選手を多数育てている。パッカーズに来た2003年から次期OLコーチと見なされており、自然な人事と言えそうだ。導入予定のゾーンブロッキングについては、HCとOCが面接で十分確認したものと思われる。

エドガー・ベネット(36歳)はそのままRBコーチに留任となった。90年代にパッカーズのエースRBとして活躍した彼はベアーズ移籍後にアキレス腱断裂で引退、いったんはフットボールを離れたが、2001年からグリーンベイに戻ってきた。"director of player development"の肩書きで、選手やその家族のためのアドバイザーを4年間務め(2002年の記事参照)、同時にRBコーチやSTコーチのアシスタントもしていた。昨年ついにRBコーチに昇進している。

WRコーチにはセインツのジミー・ロビンソン(53歳)。1976年から80年までWRとして主にジャイアンツでプレーし、ジャイアンツ・スタジアム完成後初のTDパスキャッチも記録している。母校ジョージア工科大で4年、ファルコンズで4年、コルツで4年、ジャイアンツで6年、そしてセインツで2年と、WRコーチ一筋で計20年。マッカーシーHCとは2004年にセインツで同僚だった。

TEコーチには49ersのベン・マカドゥーが就任する。今季はマッカーシーの下でアシスタントOLコーチを務め、2004年にもマッカーシーの下でセインツのオフェンシブ・アシスタントをしていた。NFLの前は、ミシガン州立大やピッツバーグ大などでコーチ経験がある。

アシスタントOLコーチはジェームズ・キャンペン(41歳)が留任。元パッカーズの先発センターだ。ドラフト外入団からスターターにまで出世し、ケガのためフランク・ウィンタースにその座を譲って引退するまで、通算48試合に先発出場した。1992年9月27日、初先発のファーヴにスナップしたのも彼だった。故郷の高校で5年間コーチをした後、2004年にパッカーズに来たばかりで、コーチ歴は浅い。

セインツのタイ・ノット(40歳)がオフェンスの"Quality Control"(つまり最も職階の低いアシスタント)に就任する。ノットはこれまでセインツでディフェンス側のアシスタントを務めていた。1992年にオレゴンの高校でコーチ修業を始めたころは、未成年向けの保護観察官をしたこともある。

2006年1月18日

Coaches Notebook: ジミー・ロビンソンがWRコーチに 

ジム・ベイツDCの退団が決定

マッカーシーHCとジム・ベイツは月曜の午後に記者会見を開き、ベイツの辞任を発表した。2人は土曜から月曜にかけて、2回の電話会談と2回の面談を行ってきたが、ベイツDCは迷った末にやはり退団と決めた。つい先日までヘッドコーチ職を争った間柄だけに、一緒では互いにやりづらいだろうという気持ちもあったようだ。

「彼の気持ちで決めたことでもなければ、私の気持ちで決めたことでもない。2人で決めたことだ」とマッカーシーHCは説明している。「自分とヘッドコーチ職を争ったような人物をスタッフに加えるなんてダメだ、という人がたくさんいた。しかし私はそうは思わなかった。ジムを尊敬していたからだ。彼は昨年素晴らしい仕事をしたと思ったし、一緒にやれるものと期待していた」

ジム・ベイツ。 「今回のマイク(マッカーシーHC)のような機会(ヘッドコーチ職)を手に入れたら、これまでに一緒にやってきたコーチのリストがあるわけだし、一緒にやりたいコーチがいるはずだ。これまでに観察したり関係を築いてきた人物を選ぶ機会を、私はマイクに与えたい。彼の邪魔をしたくはないし、自分が100%打ち込めないようならディフェンシブ・コーディネーターをしたくない」と語っている。

「マイクとの話し合いは非常に親密なもので、互いにとてもリラックスしていた。私は自分の意見を述べ、彼は彼の意見を述べた。彼は私にとてもよくしてくれた」 「確かに、ヘッドコーチになれなかったことにはとても失望した。しかしこの職業にはつきものだし、前に進まなければならない。マイクのことをどうこう言うわけでは決してない。私が望んだのと同じように、彼もあの仕事を望んだ。彼がチャンスをモノにし、私は2着だった。いや(3着以下でなく)2着であってほしいが(笑)」

「去年私が就任したとき、ディフェンスの選手たちはあまり自信を持てずにいた。われわれコーチは、ディフェンスの基礎を築き、テクニックや基本をしっかり身につけさせることを課題としてきた。低いところからスタートして、あのように高いところで終えられたことに、非常に誇りを感じている。いくつかの点で失望したかと言われれば、もちろんそうだ。あと何ゲームかは勝てたはずだし、望んだようにはターンオーバーが奪えなかった」

グリーンベイでの一番の思い出は何かと聞かれると、「ファンだ。彼らの情熱。(昨年3月の)ファン・フェストでは、それまでの生涯を合わせたより多くサインをした。毎日が素晴らしい経験だった。このフランチャイズでコーチできたのは大きな名誉だった。全てのコーチが一度はグリーンベイに来て、その情熱、人々、ファンを体験するべきだと思う。グリーンベイ・パッカーズの一員だったことは、これからも常に、私の最も豊かな思い出の一つであり続けることだろう」

2006年1月17日

ジェフ・ジャゴジンスキーが新OCに

マッカーシー新HCの就任から3日、最初に決定したアシスタントはやはりジェフ・ジャゴジンスキーOCだった。記者会見に登場したジャゴジンスキーは、今季低迷したラン攻撃の立て直しを強調した。QB育成経験の豊富なマッカーシーHCがパス攻撃を統括する見込みであるため、彼の役割はラン攻撃に重点を置いたものになるようだ。

ヘッドコーチに紹介されて壇上に上ったジャゴジンスキーは、「まず最初に、昨年報道された私の発言について公式に謝罪したい」と神妙に語った。発言の内容については詳述を避けたが、昨年2月に彼が「アトランタに移って、コーチングが楽しい。グリーンベイでは意見が聞いてもらえなかった」とシャーマンHC(当時)を強く批判した件であるのは明らかだ。

「ここは私のホームタウン、ホームステイトであり、パッカーズのファンとして育った。そこでコーディネーターになれるのは、まさに夢が叶ったという気持ちだ。私はグリーンベイ・パッカーズ・フットボールに強い愛情を持っている。歩けるようになった頃から、この州の誰もがそうであるようにだ。小さい頃、バート・スターのジャージを着て走り回っていた写真もある」

ファルコンズでのラン攻撃の実績に触れた彼は、「それが私の強みの1つだ。ラッシング・ゲームの知識がね」と自信を述べている。ファルコンズでは名OLコーチのアレックス・ギブス(現コンサルタント)から、ブロンコス黄金期の礎ともなったゾーンブロッキングスキームをじかに学ぶことができた。ゾーンブロッキングの導入についてジャゴジンスキーは、「このシステムはアトランタで、デンヴァーで実証済みだ。グリーンベイでもうまくいくことを証明できるだろう。そのことには非常に自信を持っている」

ジェフ・ジャゴジンスキーはマッカーシーHCと同じ42歳で、ミルウォーキー近郊で生まれ育った地元出身者。ウィスコンシン大ホワイトウォーター校で3年間先発フルバックとしてプレーし、卒業するとそのまま母校でコーチのキャリアをスタート。5つの大学で14年間にわたり、主にOLコーチを務めた。

1999年にレイ・ローズHCの下でパッカーズのTEコーチとなり、翌年にマイク・シャーマンHCに交代してもグリーンベイに残留した。2003年にはシャーマンやトム・ロスリーOCと何度か衝突してシーズン後に解雇され、エド・ドナテルDCとともにファルコンズに移った。2年目の今季はTEコーチからOLコーチに移っている。

TEコーチとしてはTEババ・フランクスやTEアルジ・クランプラーのプロボウル選出を助け、OLコーチとしても今季NFL1位のラッシング記録(1試合平均159.1yds・1回平均4.8yds)に貢献している。これまでコーディネーター経験はボストン・カレッジでの2年間だけで、NFLではもちろん初体験となる。

Jeff Jagodzinski Coaching Career
Year Team Position Head Coach
1985 University of Wisconsin - Whitewater Running Backs coach Bob Berezowitz
1986 Northern Illinois University Offensive Line coach Jerry Pettibone
1987-88 Louisiana State University Offensive Line coach Mike Archer
1989-91 East Carolina University Tight Ends coach Bill Lewis
1992-96 East Carolina University Offensive Line coach Steve Logan
1997-98 Boston College Offensive Coordinator
/Offensive Line coach
Tom O'Brien
1999-03 Green Bay Packers Tight Ends coach Mike Sherman
2004 Atlanta Falcons Tight Ends coach Jim Mora
2005 Atlanta Falcons Offensive Line coach Jim Mora

2006年1月16日

その他アシスタントコーチ候補の動向

ジム・ベイツDCの留任に向け、マッカーシーHCは直接話し合いをしたいと明言しているが、ベイツは気持ちの整理がつかないのかグリーンベイを離れており、(当初報道された)金曜日中には話し合いは持たれなかったようだ。これまでのところ、他チームのヘッドコーチ職の面接の話は聞こえてこない。

その他のポジションについてPress-Gazette紙が伝えるところによると、マッカーシーHCは元ビルズのQBアレックス・ヴァン=ペルトをQBコーチとして考えているとのこと。ピッツバーグ大時代にマッカーシー(QBコーチ)の下で活躍した彼は、NFLではほぼビルズ一筋で控えQBを務めて2003年限りで引退した。ビルズの地元でラジオ解説者となり、昨年春にはNFLヨーロッパのフランクフルトでQBコーチも経験。つい先日、バッファロー大のQBコーチに就任したばかりだ。

同じくPress-Gazette紙によると、マッカーシーHCがOLコーチとして考えているのは、USCのパット・ルーエルOLコーチらしい。こちらはコーチ歴30年以上のベテランで55歳。2001年から2年間はアシスタントOLコーチとしてパッカーズに在籍したことがある。

2006年1月15日

Coaches Notebook: コーチ6人を解雇

マイク・マッカーシー新HCは、ほとんどのアシスタント・コーチと面会した上で、6人のコーチの解雇を発表した。トム・ロスリーOC、ラリー・ベクトルOLコーチ、マイク・ダフナーLBコーチ、ジョー・ベイカー・セカンダリーコーチ、ジョン・ボナメイゴSTコーチ、バリー・ルービントレーニングコーチの6人だ。その他にもシャーマン前HCのアシスタントだったブルース・ワーウィック(director of football administration)、ウェイトルーム・アシスタントのヴィンス・ワークマンも解雇されている。

現在残っているコーチは公式サイトのとおりだが、このまま残ると決まったわけではなく、「月曜まで保留のまま待機するように」と告げられている。ベイツDCの去就が決まらないため、彼の人脈であるボブ・サンダースDEコーチやロバート・ナンDTコーチが残留しているが、ベイツ次第ではチームを去ることになりそう。

2006年1月14日

マイク・マッカーシー就任記者会見

Mike McCarthy Notebook

2006年1月13日

マイク・マッカーシー新HCの経歴

マイク・マッカーシーは1963年11月10日にピッツバーグで生まれた。同市近郊のビショップ・ボイル高校ではタイトエンドとラインバッカーをプレーし、野球・バスケ・ゴルフもプレーした。ベイカー大(カンザス州)ではTEとして活躍し、オール・カンファレンスに2回選出。1986年にはNAIAディビジョンIIでの全米準優勝にキャプテンとして貢献した。

卒業するとすぐに、フォートヘイズ州立大(カンザス州)で"Graduate assistant" としてコーチ修業を開始。1989年にピッツバーグ大に移り、ポール・ハケットHCの下でウェストコーストオフェンスを学んだことがNFLへの扉を開くことになった。QBコーチとしてQBアレックス・ヴァン・ペルト(マリーノの同大での通算記録を破った)などを指導したマッカーシーは、1993年にハケットとともにチーフスに移り、2年後にはQBコーチに昇格している。この間に、大ベテランのジョー・モンタナ、スティーヴ・ボノ、リッチ・ギャノン、エルヴィス・ガーバックといった先発QBたちと関わっている。

1998年いっぱいでチーフスのショッテンハイマー政権が終わるとマッカーシーも退団となり、パッカーズのレイ・ローズ新HCの下でQBコーチとなった。グリーンベイではファーヴの他にマット・ハッセルベック、アーロン・ブルックスの指導に関わり、特にハッセルベックには大きな影響を与えたと言われている。しかしレイ・ローズはわずか1年で解任され、コーチ全員が一斉に解雇。セインツで新ヘッドコーチとなったジム・ハスレットの下で初めてオフェンシブ・コーディネーターを務めることになった。

セインツに移ったマッカーシーは、パッカーズの3番手QBアーロン・ブルックスの獲得を推進した1人とも言われている。 その2000年には、シーズン後半に台頭したQBブルックスの活躍もあり、セインツは久々の地区優勝とプレーオフ1stラウンドに勝利。マッカーシー自身も、USA Today紙の選ぶ "NFC Assistant Coach of the Year" を受賞している。ドラフト外入団だったQBジェイク・デロームの育成にも貢献した。2004年限りでセインツとの契約が切れると、49ersに移ってマイク・ノーランHCの下でOCに就任。しかし攻撃の駒は少なく、トータルオフェンス最下位、ドラフト1位指名QBアレックス・スミス(9試合出場)のレーティングもわずか40.8と低迷した。

Mike McCarthy Coaching Career
Year Team Position Head Coach
1987-88 Fort Hays State University Graduate Assistant John Vincent
1989-91 University of Pittsburgh Quarterbacks coach Paul Hackett
1992 University of Pittsburgh Wide Receivers coach Paul Hackett
1993-94 Kansas City Chiefs Quality Control Marty Schottenheimer
1995-98 Kansas City Chiefs Quarterbacks coach Marty Schottenheimer
1999 Green Bay Packers Quarterbacks coach Ray Rhodes
2000-04 New Orleans Saints Offensive Coordinator Jim Haslett
2005 49ers Offensive Coordinator Mike Nolan

マイク・マッカーシーが新ヘッドコーチに就任

新ヘッドコーチに選ばれたマイク・マッカーシー(42歳)は、今年取り沙汰された候補の中ではあまり人気がなく、パッカーズ以外に面接の予定はなかった。ポール・ハケット門下の生粋のウェストコーストオフェンス人脈であり、(1999年に一緒に仕事をした)ファーヴの現役続行に、どちらかといえばプラスの影響を与えると見られている。またQBアーロン・ロジャースのためにも、彼の豊富なQB育成経験を買ったのかもしれない。

マッカーシーは1999年にパッカーズでテッド・トンプソンGMと、またチーフスに在籍した1997・98年には現GM補佐のジョン・シュナイダー(当時プロ人事部長)と、同球団で働いた経験がある。今回の面接だけでなく、かつてトンプソンGMやシュナイダーに強い印象を与えたことがヘッドコーチ就任につながったようだ。

Press-Gazette紙は情報筋の話として、マッカーシーはオフェンシブ・コーディネーターとして、ポール・ハケットジェフ・ジャゴジンスキーを希望、と報じている。ハケットはピッツバーグ大時代からのマッカーシーの師匠で、チーフスとジェッツでOCを経験、現在はバッカニアーズのQBコーチ。ジャゴジンスキーはかつてパッカーズのTEコーチで(2004年1月にシャーマン元HCから解雇)、現在はファルコンズでOLコーチを務めている。

オフェンス出身のヘッドコーチということで、心配なのはディフェンスのスタッフ選び。トンプソンGMはジム・ベイツDCを残したい意向、というのが大方の見方だが、マッカーシー本人に意中の人物があれば話は変わってくる。

ヘッドコーチ選びでも、ジム・ベイツは最有力候補の1人だったらしい。年齢的に最後のチャンスだったかもしれないベイツは、水曜午後にGM本人から落選を告げられて大きな失望感を示し、「ここで望みが叶うものと本当に感じていた。他のチームも興味を示してくれたが、私は積極的に動かなかった。今後は頑張ってみるつもりだ」と語っている。パッカーズとの契約はあと1年残っているが、DCとして残留させるためには、他チームのヘッドコーチになれなかった場合に限られる。

2006年1月12日

マイク・マッカーシーが新ヘッドコーチに決定!

7人の候補と面接してきたテッド・トンプソンGMは、パッカーズの第14代ヘッドコーチに49ersのマイク・マッカーシーOCを選んだ。現地水曜の夜から契約交渉に入っている模様で、木曜のうちには正式発表があるものと見られている。

Candidates Notebook: ジム・ベイツと面談

元CBデイヴ・ブラウンが急死

70年代から80年代にかけてシーホークスの先発CBとして活躍し、パッカーズにも在籍したデイヴ・ブラウンが、心臓発作のため急死した。52歳の若さだった。ミシガン大から1975年のドラフト1巡26位でスティーラーズに入団したブラウンは、翌年にエクスパンション・ドラフトでシーホークスへ。在籍11年間で50インターセプト(今でも球団記録)を挙げ、1984年にはオールプロにも選出されている。プロ13年目の1987年にパッカーズに移り、1989年まで先発右CBを務めて現役を退いた。

1992年にシーホークスの"Ring of Honor"(パッカーズ・ホール・オブ・フェイムのようなもの)に選ばれた彼は、その年から1998年まで古巣シーホークスでCBコーチを務め、最近はテキサス工科大でセカンダリー・コーチを務めていた。

シーホークスは今週末のレッドスキンズ戦の際に、全員で黙祷を行うことを発表している。

2006年1月11日

Candidates Notebook: ウェイド・フィリップスと面談

2006年1月10日

Candidates Notebook: マイク・マッカーシーと面談

2006年1月 9日

Candidates Notebook: ロン・リヴェラと面談

2006年1月 8日

Candidates Notebook: モーリス・カーソンと面談

2006年1月 7日

Candidates Notebook: ショーン・ペイトンと面談

2006年1月 6日

マイク・シャーマン最後の記者会見

ヘッドコーチ解任から2日、マイク・シャーマンがランボーフィールドの記者会見場で最後の会見を行った。いつもよりずっとリラックスした様子で明るく振舞い、ファンに感謝の意を述べ、この6年間を振り返った。壇上に現れたシャーマンは、「みなさんには携帯の電源を切ってもらいたい」とまずはジョークからスタート。数週間前、何度注意しても会見中に電話が鳴ることに腹を立て、彼が会見の途中で退席した事件を受けての小ネタだ。

「2000年1月、グリーンベイ・パッカーズ第13代ヘッドコーチになる機会を与えられたことに感謝している。この6年間は、私にとっても家族にとっても、とても特別なものだった。この素晴らしいフランチャイズのコーチとなり、その歴史の一部になれたことは大変名誉なことだ。その間に素晴らしい選手たちをコーチできたことは光栄なことであり、彼らと築いた関係は生涯続くことだろう。優れたフットボール・コーチたちと働けたことも幸運だった。彼らが成功に貢献してくれたことに感謝している。私の仕事を助けてくれたパッカーズ内のスタッフたちには大きな恩義を感じている」

「また、グリーンベイ・パッカーズ・ファンたちにも感謝したい。あなたたちのチームへの愛情は常に私を鼓舞してくれた。あなたたちを代表してフィールドに歩み出るとき、いつも私は非常に大きな責任を感じていた。試合に勝利してあのトンネルから出て行くときは素晴らしい気分で、幸せを感じたものだ。敗れたときは、失望し悲しかった。練習に向かうときやゲートから入るとき、また手紙やEメールや電話で、また勝利のあとに私が加わったテイルゲートパーティで、あなたがたと交わした会話を私は決して忘れることはないだろう。このフランチャイズに対するあなたたちの情熱こそが、このチームを特別なものにしているのだ。あなたたちこそが、グリーンベイ・パッカーズだ」

解任の理由について。 「私は尋ねたのだが、特に理由は言われなかった。テッド(トンプソンGM)は変化が必要な時だと感じたのだろうと思う。私のコーチングが理由かと聞くとそうではないと言う。忠誠心や方向性の問題かと聞くと決してそうではないと言う。私もその(GM)に座っていたから分かる。テッドはつらい決断をしなくてはならなかった。私はその結果には同意できないが、彼の判断は尊重する。それが彼の仕事だからだ」 「私が前GMだったことも気になっただろうし、自分が選んだコーチでないということもあっただろう。自分の選んだコーチが欲しいものだ」

チームの現状について。 「このチームは勝利に何が必要かを知っているし、どんなプレーが必要かも知っていると思う。今年もあれほどのケガがなければ10勝していたと信じている。このチームが上位争いから遠いとは私は思わない。よいドラフトをして、主力選手たちと再契約でき、ケガがなければ、来季のパッカーズは大丈夫だと思う」

在職の6年間について。 「この6年間について、後悔することは何もない。私は持てる力を全てこの仕事に注ぎ込んできた。チームが成し遂げたことに誇りを持っている。2000年に私が就任したとき、このチームは二度のスーパーボウルの後でもう下り坂だと言われていた。私はチームを再生できると思ったし、数々の勝利を手にしたことを誇りに思っている」

「このシーズンも私は楽しみにして、球団史上初の4年連続地区優勝を争えると期待していたが、それができなかったことに失望している。今季は力が及ばなかった。しかし今季のチームについては非常に誇りに思っている。選手としての、男としての、彼らを誇りに思っている。これまでコーチしたどの年のチームと比べても、勝るとも劣らない。苦難への対処、誠実さ、責任感、つらい時期をともに戦い抜いたやり方は、並外れたものだった。我々はコンスタントに勝てず、そのような時にはこれらのことはさほど意味をなさないことは分かっている。しかし彼らは試合に勝つために毎日ハードワークを続けた。プロフェッショナルとしてのあり方を分かっていた。勝ち方を分かっていた。彼らが非常によく困難に対処したことを、私は誇りに思っている。誠実に、責任を持って、最善を尽くすといった私が彼らに求めたことを、大部分は実行してくれた。そのことを誇りに思っている。日曜にコンスタントに勝利を挙げるという目標を達成できなかったことに我々が大きな失望を感じているという事実を変えられるわけではないが」

最後に。 「自分がグリーンベイ・パッカーズのヘッドコーチでなくなったことに落胆している。毎年今ごろには我々がいつもいる場所(プレーオフ)に復帰するため、来季に向けて仕事に戻ることを楽しみにしていた。6年間もこれほど愛してきた仕事を手放すのはつらいものだ。1つの方向に向かって努力を積み上げてきたのに、それを失ってしまうのだから。しかしそれが現実だ。私はグリーンベイ・パッカーズのヘッドコーチでいられて光栄だった。素晴らしいフランチャイズだ。私は一度たりともその責任を軽く考えたことはない。アシスタントコーチの2年とヘッドコーチの6年を合わせて8年間、ウィスコンシン州グリーンベイは私にとって、家族にとっての家だった。私たちにとって特別な場所だった。ここグリーンベイ、そしてウィスコンシン州には素晴らしい思い出がたくさんある。ここで私たちが関わった人々は、これからもずっと私たちの大切な一部だ。私は、そして家族も、人生の中のこの一章を大きな愛情を込めて振り返ることだろう。その思い出の一部になってくれた全ての人々に、私は心から感謝している」

2006年1月 5日

後任ヘッドコーチ候補の顔ぶれ

マイク・シャーマン解任直後から始まっている新ヘッドコーチ選びだが、非常に口の堅いテッド・トンプソンGMだけに情報は少ない。「オフェンス系の候補に傾いている」という情報や、「シャーマンに欠けていたエネルギッシュで外向的なタイプを望んでいる」という見方も多い。じっさい名前の挙がった候補者を見ると、NFLでのヘッドコーチ経験のない若いコーチがほとんど。Journal Sentinel紙のクリフ・クリストルは、トンプソンGMには「意中の人」は特になさそうだ、と書いているが、Press-Gazette紙のロブ・デモフスキーが得た内部情報(らしきもの)によると、1人か2人の最有力候補がいるとのこと。

なお、規定によりプレーオフ進出チームのコーチとの面接はバイウィークの1週目(つまり今週かスーパーボウルの前々週)にしか許されず、それ以外は各球団のシーズン終了を待つしかない。下記リストの中でプレーオフに進むのはティム・ルイス(NYG)、ロン・リヴェラ(CHI)、それにスティーラーズの2人。4人の中で今週バイウィークなのはベアーズのリヴェラだけで、他の候補との面接は早くても来週となる。

現在取り沙汰されている候補は以下のリストの通り。

Notebook: WR コーチはカンザス州立大へ

2006年1月 4日

Locker Room Notebook: 選手たちの反応

Brett Favre Notebook

2006年1月 3日

マイク・シャーマンHCを解任!

テッド・トンプソンGMは月曜朝10時半から記者会見を開き、マイク・シャーマンHCの解任を発表した。「こういった決定は常に難しいものだ。熟考が必要とされるし、驚きも伴う。しかし私は最終的に、我々は新しい方向に向かうことが必要との結論に達した」とトンプソンGM。今季の4勝12敗だけが解任の理由ではないと彼は語り、「チームの現状と、今後チームがどの方向に向かうべきかを考えた」と説明している。

マイク・シャーマンが2000年にヘッドコーチに就任して以来、6年間の通算成績は57勝39敗、勝率.593。 2002年から3年連続地区優勝、プレーオフ進出は4回で2勝4敗。負け越しシーズンわずか1回での解任となった。

すでにヘッドコーチが辞任/解任/引退または解任が決定的とされるチームは、GB、DET、MIN、STL、KC、HOUの6球団。他にも可能性のあるチームは複数あり、パッカーズは有力候補を先に奪われないよう速やかに後任選びを進める必要がある。一般的には、今年はヘッドコーチ職の空席数に対し有力候補が不足気味と見られている。候補についてトンプソンGMはコメントしなかったが、FOX SportsのJay Glazer記者は、さしあたってイーグルスのブラッド・チルドレスOCとジャイアンツのティム・ルイスDCの2人を挙げている。

Swan Song (or Not)

試合を終えたブレット・ファーヴは家族席のディアナ夫人に向かって手を上げ、スタンドを埋め尽くしたファンに手を振って挨拶してからロッカールームに引き上げてきた。いつものようにシャーマンHCがまとめのスピーチをしてからゲームボールをファーヴに手渡すと、輪の中央に来た彼に対し、選手たちから「スピーチ!スピーチ!」と声がかかった。

「みんなには、ただ愛してると言いたい。僕は来季どうするかまだ分からないけれど、みんなのことはとても大事に思っている。自分はフィールドで全力を出し切ったし、一緒に戦ってくれたみんなに感謝している」

目に涙を浮かべて声をつまらせ、何とか話し終えたファーヴは、ゲームボールを抱えて帰り支度をしようとしたが、仲間たちが離さなかった。選手たちは彼の周りに集まり、次々とファーヴとビッグ・ハグをしていった。まるで全員で抱き合うような形になった。

試合後の記者会見は行わなかったファーヴだが、チーム広報を通じていくつかコメントを残している。「(試合中の"One More Year!"コールは)僕にも聞こえていた。正直言うと少し恥ずかしかったけど、すごく感謝してる。厳しいシーズンの間であっても、僕らのファンはチームの支えであり続けてくれている。今日もそれは同じで、素晴らしい大観衆だった。みんな試合が終るまでずっとそこにいてくれた。今日はその応援に応えることができて僕たちはとても嬉しい」

Packers - Seahawks Notebook

2006年1月 2日

Packers 23 - 17 Seahawks

  1Q 2Q 3Q 4Q Total
Seahawks (13-3) 0 7 7 3 17
Packers (4-12) 6 7 7 3 23

気温は1℃、天気は曇り。序盤にパッカーズがFG2本でリードすると、あとはシーソーゲームに。RBアレグザンダーとQBハッセルベックは前半いっぱいで退くが、QBセネカ・ウォレスのTDパスで後半最初はシーホークスがリードする。しかしCBハリスのインターセプトから流れが変わり、"One More Year !"の大合唱の中でQBファーヴが逆転TDパスに成功。そこからはパッカーズのペースとなり、シアトルオフェンスの若さにもつけこんで何とかリードを守りきって、ファーヴの現役最後になるかもしれない試合を勝利で飾った。

第1Q、パッカーズは3回の3rdダウンを全てWRドライバーへのパスで成功させレッドゾーンに進むが、WRチャットマンのエンドアラウンドで7ydsロスし、26ydsFG成功で3点先制。シーホークスが3&アウトに終ると、パッカーズはRBヘロンのランとWRガードナーへの33ydsパスでレッドゾーンに進むが、今度もTDはならず32ydsFGで3点追加。シーホークスはFBストロングへの27ydsパスとRBアレグザンダーのランなどでレッドゾーンへ。

第2Q、ゴール前に進んだシーホークスはアレグザンダーが1ydsTDランを決めて逆転。パッカーズはキックオフリターナーのCBキャロルがファンブルロストでGB陣37のピンチに。しかしロスタックルで4thダウンとなり、ギャンブル敢行もサックで失敗に終わる。パッカーズはWRドライバーへの10ydsパスと相手反則でSEA陣に入り、パスインターフェアでレッドゾーンに進むと、RBヘロンが11ydsのTDランに成功。シーホークスはGBの反則で1stダウンを取るがパント。パッカーズもFBヘンダーソンへのパスで1stダウンを奪うがそこまで。前半残り2分07秒、シーホークスはRBアレグザンダーのランとWRイングラムへのパスでGB陣24に進むが、RBアレグザンダーがGB陣10までゲインしたところでファンブルロスト。

第3Q、シーホークスはQBハッセルベックに代わってQBセネカ・ウォレス、RBアレグザンダーに代わってRBモリスがプレー。WRハケットへの11ydsパス、RBモリスのラン、15ydsフェイスマスクでGB陣26に進み、最後はWRジュレヴィシャスにTDパスが通って逆転。GB陣21からのパッカーズは、WRドライバーへの11ydsパスと相手フェイスマスクでフィールド中央へ進むが結局パント。しかし最初のプレーでCBハリスがインターセプトし、SEA陣19のチャンスに。パッカーズは3rdダウン9からWRチャットマンにTDパスを通して再逆転。シーホークスは、WRハケットのイージーな落球で結局パント。パッカーズはいきなりWRドライバーへの59ydsパスでSEA陣5へ進むが、次のプレーでQBファーヴがサックされファンブルロスト。シーホークスも3rdダウンでサックを喰らい3&アウト。

第4Q、SEA陣34からのチャンスとなったパッカーズはラン中心にSEA陣10に進むがTDはならず、28ydsFG成功で9点差に。シーホークスはWRウォリックへの33ydsパスで一気にGB陣46に進むが後が続かずパント。GB陣12からのパッカーズは、1stダウンを1つ更新したところでインターセプトされGB陣35でのピンチに。しかし3rdダウンでサックが出て失点を逃れる。パッカーズは次も1つ1stダウンを更新してからパント。残り2分49秒、GB陣48からのシーホークスはRBモリスへの20ydsパスでGB陣29へ。しかしサックなどで1stダウンが続かず、44ydsFG成功で6点差に。オンサイドキックは失敗でGBボールに。残り1分38秒、ラン2回とニーダウンで試合終了。

2006年1月 1日

Notebook: FBヘンダーソンはあと3年やりたい

Packers Injury Report
Player Pos. Injury Status Notes
Samkon Gado RB Knee Out 欠場
Robert Ferguson WR Knee Questionable 欠場(IR入り)
Mike Flanagan C Hernia Questionable 微妙
Mike Hawkins CB Knee Questionable 微妙
William Whitticker G Concussion Questionable 出場予定
David Martin TE Concussion Probable 欠場の見込み
Seahawks Injury Report
Player Pos. Injury Status
Andre Dyson CB Ankle Out
John Howell S Hamstring Out
Marcus Trufant CB Back Doubtful
D.D. Lewis LB Knee Questionable
Joe Tafoya DE Hamstring Questionable
Chartric Darby DT Knee Probable
Bobby Engram WR Illness Probable
Darrell Jackson WR Knee Probable
Walter Jones T Back Probable
Probable
Questionable
Doubtful
Out
: 出場の可能性75%
: 出場の可能性50%
: 出場の可能性25%
: 欠場