マイク・マッカーシーは1963年11月10日にピッツバーグで生まれた。同市近郊のビショップ・ボイル高校ではタイトエンドとラインバッカーをプレーし、野球・バスケ・ゴルフもプレーした。ベイカー大(カンザス州)ではTEとして活躍し、オール・カンファレンスに2回選出。1986年にはNAIAディビジョンIIでの全米準優勝にキャプテンとして貢献した。
卒業するとすぐに、フォートヘイズ州立大(カンザス州)で"Graduate assistant" としてコーチ修業を開始。1989年にピッツバーグ大に移り、ポール・ハケットHCの下でウェストコーストオフェンスを学んだことがNFLへの扉を開くことになった。QBコーチとしてQBアレックス・ヴァン・ペルト(マリーノの同大での通算記録を破った)などを指導したマッカーシーは、1993年にハケットとともにチーフスに移り、2年後にはQBコーチに昇格している。この間に、大ベテランのジョー・モンタナ、スティーヴ・ボノ、リッチ・ギャノン、エルヴィス・ガーバックといった先発QBたちと関わっている。
1998年いっぱいでチーフスのショッテンハイマー政権が終わるとマッカーシーも退団となり、パッカーズのレイ・ローズ新HCの下でQBコーチとなった。グリーンベイではファーヴの他にマット・ハッセルベック、アーロン・ブルックスの指導に関わり、特にハッセルベックには大きな影響を与えたと言われている。しかしレイ・ローズはわずか1年で解任され、コーチ全員が一斉に解雇。セインツで新ヘッドコーチとなったジム・ハスレットの下で初めてオフェンシブ・コーディネーターを務めることになった。
セインツに移ったマッカーシーは、パッカーズの3番手QBアーロン・ブルックスの獲得を推進した1人とも言われている。 その2000年には、シーズン後半に台頭したQBブルックスの活躍もあり、セインツは久々の地区優勝とプレーオフ1stラウンドに勝利。マッカーシー自身も、USA Today紙の選ぶ "NFC Assistant Coach of the Year" を受賞している。ドラフト外入団だったQBジェイク・デロームの育成にも貢献した。2004年限りでセインツとの契約が切れると、49ersに移ってマイク・ノーランHCの下でOCに就任。しかし攻撃の駒は少なく、トータルオフェンス最下位、ドラフト1位指名QBアレックス・スミス(9試合出場)のレーティングもわずか40.8と低迷した。
Mike McCarthy Coaching Career | |||
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Year | Team | Position | Head Coach |
1987-88 | Fort Hays State University | Graduate Assistant | John Vincent |
1989-91 | University of Pittsburgh | Quarterbacks coach | Paul Hackett |
1992 | University of Pittsburgh | Wide Receivers coach | Paul Hackett |
1993-94 | Kansas City Chiefs | Quality Control | Marty Schottenheimer |
1995-98 | Kansas City Chiefs | Quarterbacks coach | Marty Schottenheimer |
1999 | Green Bay Packers | Quarterbacks coach | Ray Rhodes |
2000-04 | New Orleans Saints | Offensive Coordinator | Jim Haslett |
2005 | 49ers | Offensive Coordinator | Mike Nolan |