トレーニングコーチのロック・ガリクソンが、Professional Football Strength and Conditioning Coaches Society のコーチ・オブ・ザ・イヤーに選ばれた。NFLじゅうのトレーニングコーチが互選によって毎年えらぶ賞で、昨年のパッカーズが躍進したことに加え、ケガ人が少なく、若手が成長したことを評価されたようだ。大変な名誉ではあるものの、これはチームの成功の結果であり、自分だけの功績ではない、とガリクソンは語っている。
「この2年間はスターターにケガが少なかったが、それはこのトレーニングルームだけで成し遂げられたことではない。休養や回復を重視するスケジュールを(ヘッドコーチが)計画してきたこと。それにペッパー・バラスをはじめとするアスレチックトレーナーやメディカルスタッフが、ケガの履歴をよく考慮して計画を立ててくれること。それに用具担当のレッド・バティが適切な用具を毎日準備してきたこと。そういったこと全ての積み重ねの結果であって、スタッフ全員の功績だ」
現在52歳のロック・ガリクソンはこの道30年の大ベテランで、2006年1月にマッカーシー新HCに請われてパッカーズにやってきた。かつてセインツで同僚だったガリクソンをマッカーシーHCがわざわざ招聘したのは、ウェイトルームを改革するため。これまでマシン主体だったトレーニング方法を、ダンベルやバーベルなどのフリーウェイト主体に変えたのだ。
「3年目の今年がベストイヤーになると思っている。選手たちがこのやり方の有効性を心から信じ、落ち着いて取り組めるようになるまで時間がかかるものだ。今は、1年目・2年目選手が40人ほどやってきてトレーニングをしていて、出席率は申し分ない。彼らは非常に熱心で、先週オフシーズン・プログラムが始まったときも、私が注文をつけたのは 『ちょっとペースを落とせ。ミニキャンプまで9週間もあるのだし、第1週で全てやろうなどと思うな。プランに沿って徐々に進めていけば必ずうまくいく』 ということだけだった」
ガリクソンはセインツ時代の2000年にも、同協会の "Lifetime Achievement Award" を受賞したことがある。「あの時はまだ45歳で、功労賞には若すぎると自分では思ったが、認められるのは嬉しいものだ。この協会ではもう1つ、スーパーボウルの勝者に与えられる "Super Bowl Award" がある。まだ獲っていない私としては、それを受賞するのが最終目標ということになるね」
「僕らが育ったのは人口が少ない地域で、隣の家がすぐ横にあるわけじゃない。友達に声をかけて15分後に公園で遊ぼう、なんて無理さ。だから兄弟で遊ぶしかなかった」とブレット・ファーヴの弟ジェフは語る。負けず嫌いのファーヴ三兄弟は、常に全力で投げ、走り、石をぶつけ、タックルした。そして夕方になると、泥だらけで体中の傷から血を流しながら食卓に駆け戻ってきた。互いをからかい、ホームランやタッチダウンの数を自慢しながら。
次男ブレットがリトルリーグでピッチャーをしていたとき、剛速球がバッターのヘルメットを直撃したことがあった。次の打者は、打席に向かう途中で泣き出してしまった。また小学校の教師だったビリー・レイ・デボーは、5年生のブレットがフットボールで50ydsのパスを軽々と投げているのを見たという。「キャッチした子は、まるで弾丸のようだと言っていた」
後にNFLで伝説を作ることになるブレット・ファーヴだが、高校卒業まではフットボールよりも野球の方で力を発揮していた(その理由は明日)。すでに8年生(日本で言えば中学2年)の時点で高校生に混じって地区チームのレギュラーとなり、5年間フルに活躍したのだ。「8年生の時点で、チームでは僕に次ぐ実力だったよ」と長男スコットは語っている。フットボールチームと同様、こちらも父アーヴィン(2003年死去)が監督だった。
ある試合で彼は、第1打席でツーベース、第2打席でホームランを放ち、満塁で回ってきた第3打席で相手監督は敬遠を命じた。審判をしていたマイク・ロスは当時を振り返って言う。「その打席でバッテリーは3球続けて外にはずした。するとブレットが私を振り返って、『僕が敬遠を許すと思う?』 と言うので、『他に選択肢はないだろ』 と私は言ったんだ。そして4球目、彼は外の球に思い切り腕を伸ばし、ライトオーバーのツーベースを放ったんだ」
上級生になったブレットはショートを守り、セカンドはマット・ロートンというこちらも優秀な選手だった。「僕より2学年上のブレットは素晴らしい万能選手で、彼が高校を出るとき、MLBからドラフトされなかったので僕は心配になった。『もしこの人がメジャーリーグでプレーできないなら、この地域でプレーできる選手なんて1人もいないぞ』ってね。監督のアーヴのところに行って聞くと、『息子はサザンミシシッピ大でフットボールをするから』 とMLBのスカウトたちに断りを入れていたそうだ」
「彼は体がでかく長打力があった。それにQBとしてのプレーから想像できるように、キャノンアームの持ち主だった。動きもすごく速く、優秀な野球選手になるための素質はすべて持っていたよ。メジャーリーグでもきっと成功したに違いない」とマット・ロートンは語る。実際ロートンはメジャーリーグで外野手として長く活躍し(スタッツ)、二度もオールスターに選ばれている。
高校のフットボールチームでは、ファーヴ三兄弟はみなクォーターバックをプレーした。彼らが優れたアスリートだということもあるが、父アーヴィンがヘッドコーチをしていたからでもある。ひいきをしたのではなく、息子たちなら必ず練習に出てくるからだ。アシスタントコーチだったロッキー・ゴーディンは言う。「チームに18人か20人しかいない時期もあったから、もしQBが欠席だと、ろくに練習できなくなってしまう。『彼がヘッドコーチだから息子たちをQBにするのだ』 とアーヴィンが非難されたこともあった。しかし、息子たちならサボることはできないから、というアーヴィンの説明は筋が通っていた」
アーヴィン・ファーヴ、通称ビッグ・アーヴは、彼自身もサザンミシシッピ大の野球で活躍したアスリートだった。コーチとしては非常に厳格で、融通の利かない古いタイプ。息子の誰かがケガをしても、決してフィールドに駆け下りてくるようなことはするな、とつねづね妻ボニータに言い聞かせていた。「彼は海兵隊出身じゃないかと私はいつも思っていた。野太い声で角刈り。訓練係の鬼軍曹を思い出させる」と語るのは、昔からファーヴ家と付き合っているスティーヴ・ハース。
そのスティーヴ・ハースもビッグ・アーヴの君臨するフットボール部に入ったが、わずか1日しかもたなかった。「気温は95度(摂氏35℃)でも、走って走って走らされた。明日はランニングが減るのかとアーヴに聞いたら、『たぶん明日はもっと多いだろう』 と言われた。それで決心がついたよ」とハースは笑っている。三男ジェフは、「親父は誰に対しても厳しかったから、たくさんの選手をチームから追い払うことになった。たわ言には絶対我慢しなかった。それはたしかだね」
時には厳しすぎることもあったが、ビッグ・アーヴの伝説的タフネスがブレットに大きな影響を与えたのは間違いない。ブレットの親友の1人、クラーク・ハネガンは言う。「ある日アーヴが屋根の上で何か作業をしていたら、転落して頭からコンクリートの地面に突っ込んだ。放心状態でふらふら立ち上がると、血が顔面に流れ落ちている。それでもアーヴは病院に行かなかった。ほんとうだ、私はこの目で見たんだ。ブレットだって、もしケガをしたら氷を当てとけばそれで大丈夫、と思っている。それがアーヴの専売特許だったからね。脚が折れた? 氷でも当てときゃ大丈夫。ブレットのそうした部分のルーツはここにあるんだ」
高校時代のブレット・ファーヴについて、アシスタントコーチだったロッキー・ゴーディン。「ブレットの将来を予想できたか? とんでもない。たしかに彼が卒業するときには、『コンペティターとして、よきリーダーとして、君はわが校史上最高のクォーターバックだった』 と賛辞を送ったよ。しかし正確性の点では最高のQBとは言えなかった。パスをあまり投げないオフェンスではあったが、彼はとてもミスが多かった」
高校2年(日本で言うと高校1年)のフットボールシーズン、ブレットは伝染性単核球症のために全く試合に出られなかった。試合のある金曜になると必ず母ボニータに頼んで、医者に行って血液検査を受けた。そのたびに、まだプレーはできんよ、と医者に言われてがっかりして帰った。ボニータによると、フットボールの練習中に水のボトルを仲間と一緒に使ったせいで感染したのだとブレットは信じていて、今にいたるまで、他人のグラスからは決して飲もうとしないという。
病気では仕方がないので、二軍チームの連中を相手にパスを投げた。従弟のチャド・ファーヴは剛速球の被害に遭った下級生の1人だ。しばらくブレットのパスを受けたあとは、ショルダーパッドのレースの形に、胸に縦に二本線の痕が残ってしまったという。「二軍チームの僕ら数人が遊び半分でやっているところにブレットがきた。ディープに行け、ディープに行け、と叫ぶので、僕は走って走って走り続けた。一方のエンドゾーンから彼が投げたパスを、僕がなんとかキャッチすると、勢いで数歩走ったところがエンドゾーンだった。だから約90yds投げたことになる。大砲としか言いようがなかった」
ファーヴ兄弟の一員のようにして育った従兄のデヴィッド・ピーターソンが、当時のブレットのプレーぶりを振り返っている。「誰かが50yds先でワイドオープンになり、別のレシーバーがミドルで密着カバーされていたとする。ブレットはどちらに投げると思う? ディフェンスが16インチ(40cm)しか離れていないヤツの方に投げ込むんだ。今でもちょっとそんな感じだと思わないか?」
1970年代の初めにハンコック・ノース・セントラル高校のヘッドコーチとなったアーヴィン・ファーヴは、アラバマ大の伝説的ヘッドコーチ、ベア・ブライアントのコーチング・クリニックに出席したことがあった。そして、当時猛威をふるっていたアラバマ大のウィッシュボーン・オフェンスを自分のチームにも取り入れた。ビッグ・アーヴはベア・ブライアントと同じように、パスを軽視し、どうしても必要でない限り投げたがらなかった。息子たちは素晴らしい強肩に恵まれているのに、それに合わせたオフェンスを作ろうとはしなかった。
「 『お前たちならもっと投げれるだろう。なぜ投げない?』って人々からよく言われたものだ。親父はそんなことはしなかった。自分のオフェンスを信じ、息子たちの能力を見せ付けるようなことはしなかった」と三男スコットは振り返る。後にNFLで伝説を作る次男ブレットでさえ、1試合で5回以上投げることは稀だったのだ。彼に奨学金をオファーする大学がサザンミシシッピ大しかなかったのも、それが一番大きな理由だった。
ブレットのためにアーヴィンが母校サザンミシシッピ大に頼み、マーク・マクヘイルOLコーチが試合を観に来たことがある。その試合でブレットはチームを勝利に導いたものの、例によってパスは数回しか投げさせてもらえなかった。これでは大学に推薦できないと渋るマクヘイルに対し、来週来てくれれば必ずパスを増やしたオフェンスをするから、とアーヴィンは再度頼み込んだ。マクヘイルが翌週も観に行くと、ブレットは6回か7回パスを投げた。「アーヴにしてみれば、今日は投げまくった、という気持ちだったろうね」とマクヘイルは笑う。
またある日、ミシシッピ州立大でQBをプレーしていた長男スコットが里帰りして、サイドラインで観戦したことがあった。大量リードしたので、「なあ父さん、もう少しぐらいブレットに投げさせたら?」と気安く話しかけた。するとビッグ・アーヴは振り返って、「誰がこのチームをコーチしてると思ってるんだ? お前はそのケツを上げてスタンドに行って母さんと見てろ」と怒鳴りつけた。スコットは仕方なく弟ブレットに、「まあ、お前はお前で頑張れ」とでも言うしかなかった。
フットボールシーズンが終わると、アシスタントコーチのロッキー・ゴーディンの監督下で、ブレットたちは週に1回ほどタッチフットボールをプレーした。「一方をブレットが率い、もう一方を私が率いた。まるでスーパーボウルのような激しい争いになったものだ。雨が降ろうと寒くなろうと関係ない。どっちが勝ったか、いつも口論になった。ブレット最大の特徴、それは競争心の強さだった」とゴーディンは語る。
ブレットはオフシーズンのトレーニングにも極めて熱心だった。高校選手は1年中トレーニングなどしない時代だったが、彼は週に3回か4回はウェイトを上げていた。パスを投げる相手がいなければ、恋人のディアナ・タインズを動員した。今のファーヴ夫人だ。「女の子相手にブレットがあまりに強く投げるので、アーヴィンが家から飛び出して叱ったものでした。でもディアナは弱さを認めず、なんとか捕ろうとしていたわね」と母ボニータ。
ブレットは今でもしばしば里帰りしてくるが、NFLでの活躍を鼻にかけて大物ぶるようなことは全くない、と地元の人々は口を揃えている。兄弟や親友たちと一緒になってフットボールを投げ、従兄のデヴィッド・ピーターソンの指を痛めつけて大喜びしたりしている。近くでバーを経営しているスティーヴ・ハースは言う。「ブレットは少しも変わっていない。高校時代の思い出の中の彼とまったく同じだよ。当時もただのブレットだったし、今だってただのブレットさ」
ロング・スナッパーとして長年キッキングゲームを支えてきたロブ・デイヴィスが引退を発表した。昨年から報道されていたとおり、そのままパッカーズに残って Director of Player Development に就任する。トレーニングなど選手生活だけでなく、家族の生活、不動産探し、学業、引退後の人生設計など公私両面にわたるアドバイザーであり、チーム首脳と選手たちの橋渡し役でもある。現RBコーチのエドガー・ベネットが在職中の記事も参照。
LSロブ・デイヴィスはチーム最年長の39歳。ディビジョンIIのシッペンバーグ大を1992年に卒業し、ジェッツやCFLを経て4年目の1996年に初めてベアーズで正ロングスナッパーとなった。翌1997年開幕前に解雇されるとシーズン半ばにパッカーズに移り、以後11年間一度も欠場せず、NFLトップクラスの安定したロングスナップでキッキングゲームを支えてきた。167試合連続出場は、QBブレット・ファーヴ(255)、OTフォレスト・グレッグ(187)に次ぐ球団史上3位の記録だ。
デイヴィスは人格面でも申し分なく、若手スペシャルチーマーたちの兄貴分として慕われ、ロッカールームのリーダーの1人であり、選手会へのチーム代表でもある。Director Of Player Developmentの職は2001年から2004年までエドガー・ベネット(その後RBコーチ)、2005年が元LBのジョージ・クーンス(その後マーケット大の副体育局長)、2006年はターナー・ギル(その後バッファロー大HC)、そして昨年はプロ人事アシスタントのティム・テリーが代行となりデイヴィスがアシスタント。いずれデイヴィスが就任するのは既定路線だった。
引退の経緯について本人が語っている。「昨年開幕前に僕とマイク(マッカーシーHC)とテッド(トンプソンGM)の3人で話し合って、僕は Director of Player Development のアシスタントを兼ね、シーズン後に引退することで合意した。シーズンはとてもうまくいったし、もしチーム側がもう一度プレーしてくれと言ったなら僕はそうしただろう。しかし他のチームに移る気は全くなかった。彼らが僕のところへ来て 『君のキャリアを終わらせるつもりだ』 と言ったとき、こちらは即座に 『僕は次の仕事に就く用意はできている。球団内の仕事を検討してほしい』 と答えたんだ」
「もう気持ちの上での折り合いはついたよ。若いころ4回も解雇されたことを考えれば、こうして自分の意思で現役を退くことができるのは最高だ。この球団で第二のキャリアに移ることができるのは素晴らしい。球団は僕に敬意を払ってこの仕事を与えてくれたのだし、その期待に応えられるよう、これまで以上に力を尽くしたい。僕は長いあいだ特別なチームの一員でいられたし、そのことは今後も大事にしていきたい。よい思い出はたくさんあるけれど、次の段階へ進む準備はできている」
「ロブが新しい仕事へとさらに成長してくれることに、我々は期待を寄せている。彼は選手として非常に大きな貢献をしてくれたし、その献身と熱意は新しい仕事でも変わることはないと私は確信している。リーダーとして、よき相談相手として彼は常に尊敬を集めており、それは今後も続いていくだろう」とトンプソンGMは語っている。
39歳のデイヴィスと38歳のファーヴが引退することでチーム最年長は33歳のCBアル・ハリスとなり、NFL最年少だったパッカーズの平均年齢がさらに下がることになる。現在ロースターにいるロングスナッパーは先日契約したフランク・ギャフォードだけだが、少なくとももう1人は補強してキャンプで競争させることになりそうだ。デイヴィスはギャフォードについて、「問題なくやるだろうと思う。ブレットもQBについて同じように思っているはずだが、僕の後継になる選手には、僕と同じように高い意識を持って取り組んでほしい。幸運を祈っているよ」
FA加入のLBブランドン・チラーは即スターターなのかという質問に対してトンプソンGMは、「そのつもりで獲得したのではない。ブレイディ(ポピンガ)が我々のSAMバッカー(ストロングサイド)だ。ブランドンをブレイディと争わせ、どうなるかを見たい。我々は競争を増やそうと常に努力している。どちらを選ぶかはむしろ、キャンプでのプレーを見てコーチが決めることだ。4人(バーネット、ホーク、ポピンガ、チラー)がいることで、いろんなことができる」と語っている。
LBチラーについては、この2年間LBポピンガが苦労してきたパスカバレッジでの安定感をトンプソンGMは高く評価しているらしい。「彼はカバレッジが非常にいい。走れて、守備範囲も広い。よい選手だよ。我々は彼のことをUCLA時代から気に入っていた。ラムズでも特にこの2年間のプレーぶりがよかった。どんな結果が出るかは様子を見なければならないが、LB陣にとってよい補強になったと我々は考えている」
Journal Sentinel紙によると2年契約の内容は、インセンティブやエスカレーター条項(条件を満たすとサラリーが上がる)を含めると総額$6.3ミリオンであることが明らかになった。来年のキャップを安くするため契約ボーナスは$55万ドルと安く、今年のロースターボーナスが$1ミリオン。今年のベースサラリーが$1.1ミリオンで、来年が$1.35ミリオン。ワークアウトボーナスが$10万ドルずつ。
その上に、1試合出場するごとに$18,750ドルのボーナスが加えられ、16試合出場でちょうど$30万ドルとなる(来年も同様)。さらに、全ディフェンスの65%に出場すると今年と来年のサラリーが$25万ドルずつアップし、70%だと$50万ドルずつアップ。しかしニッケルやダイムなどパスシチュエーションでは出場しないはずなので、65%を達成できるとしたらバーネットかホークが欠場する場合だけかもしれない。
伝説的QBの後任を務めるQBアーロン・ロジャースについて、ジェイ・フィードラーとスティーヴ・マリウッチが語っている。
かつて同じような立場で苦労したジェイ・フィードラー。彼は偉大なQBダン・マリーノが引退した後のドルフィンズを率い、地味な内容ながら4シーズンで3回の二桁勝利を挙げた。たとえばエイクマン後のカウボーイズ等と比べれば大成功の部類で、そのフィードラーを先発から下げた後の4年間のドルフィンズQBは混迷を続けている。もし自分がロジャースの立場なら、伝説の男の後任を務めることについての記者からの質問には答えない、ブーイングを無視し、心構えについてのアドバイスにも耳を貸さない、と彼は言う。
「フィールドに出てただフットボールをプレーしろ、と僕ならロジャースに言うだろうね。彼が子供の頃からずっとしてきたことで、それを変えるべきじゃない。彼はフットボールを楽しむべきだ。彼はプロフェッショナルであるべきだ。そしていったんフィールドに入ったら、これはただのゲームであることを決して忘れてはならない。中学・高校・大学とずっとプレーしてきた経験に自信を持ち、その自信はプロになっても失うべきじゃない。プロ入り後の経験があまりないことは知っているが、どこに行ってもゲーム自体は同じことだ」
スティーヴ・マリウッチはパッカーズのQBコーチとしてファーヴを指導したが、49ersのヘッドコーチとしてもQBスティーヴ・ヤング引退後にQBジェフ・ガルシアを育て、二度プレーオフに進出している。
「あの時のガルシアは今のアーロンと似た境遇だと言えるだろうね。しかしご存知のように、グリーンベイは他のフランチャイズとは違う。彼はブレットだけでなく、バート・スターの後継者でもある。伝説的QBが2人いるんだ。バート・スターは誰よりも多く優勝(スーパーボウル2回を含むNFL制覇5回)を成し遂げている。アーロンもそれを知っている。頭のいい若者だ。バート・スターでもなく、ブレット・ファーヴでもなく、彼は自分の能力の中でできることをし、チームの勝利を助けなければならない。きっとその心構えはできているはずだ。時には素晴らしいプレーで人々を驚かせることもあるだろう。そして時には、彼がいかに若く未熟か、我々が思い知らされることもあるだろう」
「上位指名に値する優秀な選手だったかどうか、人々は確かめたがる。しかしアーロンがよいQBであることを私は疑わない。カリフォルニア大時代の彼が、全米チャンプのUSCをあと一歩まで追い詰めた試合を私は見ている。たしか二十数回連続でパス成功させたのだ(NCAAタイ記録の23回)。優秀なチームを相手に素晴らしいパフォーマンスだった。それと同じ兆しを、我々は昨年秋にダラスで見ることができた。ただ彼は健康でいなければいけない。ブレット・ファーヴを見てきた我々は、彼の丈夫さに甘やかされてきたからね。あれは飛び抜けた、非常に稀な耐久性だ。アーロンはなるべくケガをせず、フィールドに立ち続けなきゃいけない」
ブレット・ファーヴの母ボニータは、2003年に夫アーヴィンを失ったいまも、子供たちを育てたミシシッピ州キル(Kiln はキルと読む 地図へ)の家で暮らしている。次男ブレット夫妻の住む同州ハティスバーグは、ここから100kmほど内陸にある。ニューオーリンズから80km東にあるキルの家は2005年のハリケーン・カトリーナによって全壊に近い被害を受け、大規模な改修をしなければならなかった。ペンキで汚れた手で記者を出迎えた彼女は、いったん身なりを整えてから、息子の引退に関するインタビューに応じた。
高校のコーチと結婚したせいで、自分は数え切れないほどの試合を応援してきたとボニータは言う。3人の息子も娘も、みな運動が得意でいろいろなスポーツで活躍した。 「残念なのは、これまで観戦した全記録を取らなかったこと。だって子供が生まれる前から、夫はコーチをしていたから。それから子供たちのフットボール、ベースボール、バスケットボール、ゴルフ・・・。 『ひとつ聞くが、お前はその入場料ぜんぶ払ってるのか』 と父が聞くから、『パスがもらえるのよ』 と答えたら、『よかった。でなけりゃ破産しちまうぞ』 だって」
ボニータは4人の子供を育てながら特殊学級の教師を務め、ブレットのガールフレンドだったディアナ(いまは妻)は、高校時代にボニータの教室で手伝いをしていた。ブレットが大学で特殊教育を専攻したのも、おそらく母の影響だろう。「まわりにいつも障害児がいるのが普通の生活だった」とブレットも振り返り、慈善活動のルーツがそこにあることを認めている。
「昔からずっと優秀な選手だと思ってはいたけれど、息子がまさかあれほどの存在になるとは、なんといったらいいか・・・。試合や記者会見をたくさん見ているのに、あれが自分の息子だという実感が沸かないんです。私たちにとっては、彼はただのブレット。ついさっきも彼から電話があって、ここの庭について話し合ったばかり」
「アーヴィンがコーチ(フットボールと野球の両方)だったので、息子たちはみなクォーターバックやピッチャーをやって、どれも活躍できた。だから、適切なタイミングで適切な場所にいることが何よりも大事だと、私は強く信じるようになったんです。ブレットがもしフロリダ州立やノートルダムに進んでいたら? ベンチから出てこられなかったかもしれない。才能が発見されずじまいだったかもしれない」
「USM(サザンミシシッピ大)では、まるでおとぎ話のようでした。見る見るうちに、17歳の息子が先発クォーターバックになってしまった。17歳の坊主が、21歳や22歳の先輩たちを率いている。あの子には、常にリーダーシップの能力が備わっていました」
順風満帆だったUSM時代のブレットにとって、最大の危機は大学4年の夏に訪れた。ハイズマン賞候補とさえ言われていた1990年7月、自宅近くの田舎道で大きな自損事故を起こし、もう少しで命を落とすところだったのだ。「一緒に救急車に乗り込んだ私に、『ママ、オレまたフットボールできるのかな』 って何度も何度も聞くんです。『様子を見るしかないよ』 と言い続けるしかありませんでした」
小腸を30インチ(約76cm)も切り取る手術を受け、選手生命さえ危ぶまれたブレット。しかし事故からわずか6週間後の9月8日、名門アラバマ大戦でチームを逆転勝利に導き、息子は大きな伝説を作った。「ひどい状態を見てきただけに、彼がアラバマ戦でフィールドに出てきたのを見ただけで、私は卒倒しそうでした。ヒットされたときには、もう見ていられなかった。あれほどの事故から復活するのだから、やっぱり鉄人なのでしょうね」
生まれ持っての丈夫さに加え、もう1つの特徴は頑固さだと母ボニータは言う。「昔からずっと頑固でした。お前は○○ができない、なんて絶対言ってはだめ。必ずやって見せてしまうから。とにかく負けず嫌いで、娘たちとチェッカーをするときでさえ、彼は勝つためにプレーする」
ファーヴ家は何十年にもわたって子供たちのスポーツ中心に回ってきたので、ブレットが引退したといっても、まだ家族みな実感が沸かないという。「とにかく、あまりにも長いこと私たちの生活の一部だったので・・・。これから何をしたらいいの?」としばらく絶句してから、ボニータは孫たちのことを思い出した。とくに三男ジェフの息子ディランは昨秋、高校2年生ながらQBとして3092yds、36TDの活躍で南ミシシッピの記録を作り、地元ではちょっとした話題となったのだ。「私たちは高校スポーツを応援して、あとはUSMを見るでしょうね。そしてもちろんパッカーズも」
ファミリーが筋金入りのパッカーズファンであるのは、息子がパッカーズでプレーしたからだけでなく、グリーンベイのコミュニティ全体が彼らにとって大事な存在となったからだという。「こんな時代だというのに、キャリアを通して1つのチームでプレーできた・・・。グリーンベイはブレットにとってまさにパーフェクト・フィットでした。私たちはブレットに言っているの。まるでパズルみたいに、ファミリーと街とチーム、そういったもの全てが彼にフィットしていると」
「彼の最も立派な特質は、決して変わらないことです。常にブレット・ファーヴのまま、ルーツを見失うことがなかった。他の人たちがスーツにネクタイでも彼は気にしない。デンバーでのことだったか、コーチ・マッカーシーが、『ブレットがジーンズからカーペンター・パンツにドレスアップしたぞ』 と言ってみなで笑ったことがありましたっけ。それがブレットなんです」
RBライアン・グラントはExclusive-rights Free Agent(EFA 用語集参照)となっているが、これはいわば年季奉公の身分で、移籍の自由はないに等しい。しかし昨季は低迷するRB陣の救世主となり、来季もエースRBとして大きな期待を球団から寄せられていて、選手としての価値とサラリー(プロ2年目は$37万ドル)の開きがあまりにも大きいのは事実だ。こうした例は多くはないが、ドラフト外入団の選手が大活躍した場合にこのようなねじれ現象が起きてしまう。
そこで彼の代理人は、「EFAとしてのオファーにはサインしない。しかし(ホールドアウトはせず)、オフシーズンプログラムやミニキャンプ等には全て出席する」と言明し、契約交渉を求めていく意思を明らかにした。「何らかの解決策を見出せると、私は楽観している。交渉プロセスはまだ始まっていないが、グリーンベイの話をいろいろ聞くと、チーム側は手持ちの選手を(サラリー面で)とても大事にしてくれているからだ。だからライアンは、今ここに来てオフシーズンプログラムに参加している。彼がキャリア最後までグリーンベイで過ごすためには、パッカーズにとっても本人にとっても今が絶好の機会なのだ」
グラント側がどの程度の契約を望んでいるかは不明で、あまり高望みをしているなら、交渉がこじれる可能性もある。同じようにドラフト外入団だったRBウィリー・パーカー(PIT)が2006年夏に総額$13.6ミリオンの4年契約を結んだ例があるが、これはNFL2年目に大活躍した後のことで、1年目は186ydsラッシングだったので単純な比較はしにくい。いっぽうパッカーズ側は、2年以上契約の残っている選手も契約を見直して昇給させる例が最近は増えているが、1年しか働いていない選手をどう評価するかは微妙なところ。キャップの余裕は$35ミリオンもあるので、今年はグラント以外にもWRジェニングスやDTジョリーなど、若手選手との契約延長を前倒しで行うことが予想されている。
誰もが予想していたことだが、パッカーズはブレット・ファーヴの背番号4を永久欠番とし、2008年シーズン中にセレモニーを行うことを明らかにした。具体的なことは未定で、来月前半にNFLから来季スケジュールが発表されたら、その後でファーヴと話し合って都合のよい日を決めたい、とマーク・マーフィ社長は話している。
「考えるまでもないことだった。パッカーズだけでなくリーグ全体に対するブレットの貢献の大きさを考えれば、永久欠番とすることは極めて容易な決断だった。どこかホームゲームの中で式を行うことを考えているが(一般にハーフタイムのことが多い)、詳しいことはまだ決めていない。スケジュールが発表されたら、どのように彼を讃えることが最善の方法か、みなで話し合って決めることになるだろう」
永久欠番をやりすぎると番号が足りなくなってしまうため、なるべく避けるようNFLは各球団に勧告しており、パッカーズではWRドン・ハトソン(背番号14)、RBトニー・カナデオ(3)、QBバート・スター(15)、LBレイ・ニチキ(66)、DEレジー・ホワイト(92)に続いて、これが6つ目の永久欠番。ランボーフィールド北側スタンド上部に掲げられている(3年前のレジー・ホワイトの時の設置作業写真)5人の横に、ファーヴも加わることになる。
元ラムズのLBブランドン・チラーがパッカーズとの契約にサインし、パッカーズはようやく今年初のフリーエージェント選手獲得となった。総額$5.4ミリオンの2年契約で、うち$1ミリオンのインセンティブが含まれているとのこと。ブレイディ・ポピンガが務めてきたストロングサイドLBのアップグレードを今年のパッカーズは目指しており、表向きはスターター確定ではないものの、今夏はチラーが先発争いをリードすることになりそうだ。
FA解禁から半月以上が経って有力選手はあらかた市場から消え、残る選手の中ではチラーがベストプレイヤーというESPN記事が数日前に出たばかり。パッカーズ、ラムズ、カーディナルスの3球団がかなり熱心に彼を誘っており、あとは本人の決断待ち、という状態がこのところ続いていた。パッカーズ以外でもっと高い金額もオファーされていたが、勝利を求めていた本人がパッカーズを選んだ、と代理人は語っている。
LBブランドン・チラーはサンディエゴに近いカリフォルニア州カールスバッド出身。UCLAの中心選手として活躍したあと2004年のドラフト4巡指名でラムズに入団、2年目の終盤からデクスター・コークリーに代わってスターターとなった。21歳でプロ入りしたためまだ25歳で、通算41試合に先発し、プロ4年間で1試合しか欠場していない。大学時代にはLBスペンサー・ヘイヴナーの2年先輩であり、カリフォルニア大のQBアーロン・ロジャースとも対戦しているはず。
6フィート3(191cm)の上背に加えてまずまずのスピードとクイックネスがあり、ポイントオブアタックでの強さもある。頭がよく嗅覚に優れる。3つのポジションを全てこなせるが、ストロングサイドが最も適していると見られている。パスカバレッジではやや動きが硬く、直線的なプレーで真価を発揮するタイプ。そういった評判からすると、ポピンガ(サイズも40yds走のタイムもほぼ同じ)を賢くしたような選手ということか。
チラーは父親がインド系(母親は白人)で、NFL史上3人目のインド系選手らしい。2005年7月にインドのマンモハン・シン首相が訪米した際には、父と一緒にホワイトハウスの大統領晩餐会にも招待されている。
FA戦線も一段落したところで、今年の第1回モックドラフト集。先発RB探しが焦点だった昨年のパッカーズはRBマーショーン・リンチ(現BUF)指名予想が圧倒的多数だったが、今年はCB指名予想が多い。今年はどこといってスターターを必要としていないため、先発コンビが高齢となったCBを獲って世代交代に備えるべき、ということだろう。なおNFL.comでは、各球団の地元紙記者が順に指名していく合同モックドラフトを開催していて興味深い。(週に5球団ずつなのでまだ序盤)
フリーエージェントとなっていたLBトレイシー・ホワイトがパッカーズと再契約した。Journal Sentinel紙によると、契約ボーナス$25万ドル含む総額$1.8ミリオンの2年契約とのこと。昨季は両アウトサイドLBの控えを務めたが、それよりもスペシャルチーマーとして優秀な選手で、昨季は3ターンオーバーに貢献している。金額は小さいが昨年再契約した時の$2万5000ドルと比べれば、ちょうど10倍の契約ボーナスとなった。
珍しく選手本人が以下の経緯を説明している。まずブロンコスから契約ボーナス$50万ドル級のオファーがあったが、ブロンコスがLBニコ・クータヴィデスと契約したためご破算に。次に、パッカーズの最初のオファーよりもわずかに高い金額をスティーラーズからオファーされたが、パッカーズが金額を上げたため契約がまとまったとのこと。
先月パッカーズから解雇されたTEババ・フランクスはジェッツと契約。$1.7ミリオンの1年契約のようだ。ジェッツといえば同じ2000年ドラフト1巡27位でTEアンソニー・ベクトを指名したが(フランクスは1巡14位)、ベクトはすでに3年前にジェッツを去っている。
この月曜からパッカーズのオフシーズン・プログラムが始まり、1年目・2年目選手のほとんどが参加する。3年目以上の選手は2週間遅れで今月31日にスタート。若手選手たちはこのオフシーズン・プログラムを経て飛躍することが多く、昨年のパッカーズも、WRジェニングス、DTジョリー、SSビグビー、CBトラモン・ウィリアムズといった選手たちがここで大きく成長した。外部からの補強ではなく「内側からの成長」を口癖にしているマイク・マッカーシーHCにとって、この時期の若手育成は非常に重要なもので、NFLヨーロッパ派遣に消極的だったのもそれが理由だ。
「オフシーズン・プログラムは我々のチームにとってカギとなる要素であり、目標を達成するためのスタート地点だ。コーチにとっては、各選手に合わせたペースで教えることができるよい機会なのだ。経験の浅い若手の方が、さまざまな教育を受けることによる成長の幅は大きいだろうが、中堅以上の選手たちも進歩できる」とマッカーシーHC。昨年のLBバーネットの躍進も、春のオフシーズン・プログラムから始まっていたという。
春のうちから体作りやポジションごとのトレーニングを積んでおけば、ミニキャンプやOTAでは新オフェンスやディフェンスのインストールに注力でき、肝心のトレーニングキャンプではロースター争いや試合の準備に集中できる、というドミノ効果が生まれるとマッカーシーHCは言う。「5月のミニキャンプではインストールがより速いペースで進み、そのおかげでトレーニングキャンプでは事実上それを反復練習するだけだ。その時点で勉強することはあまりなく、ポジション争いやチームとしてのまとまりに重点を置くことができる」
オフリーズン・プログラムには労使協約によって厳しい制限があり、ウェイトトレーニングに加えてポジションコーチとの1対1の指導を受けられるが、コンタクト練習は許されず、決して参加を強制してはならない(これは建前で、実績のない若手は拒否などできないのが実情)。それ以外にも、練習は週4日まで、オフシーズンの間に14週間まで、フィールドに出てよいのは1日90分まで、といった制限がある。給料は今年の場合1日$120ドルと定められている。
スペシャルチームは2年連続NFL総合最下位から7位に躍進を果たし、チームの成功に大きく貢献した。特にPジョン・ライアン(ネット25位→10位)の成長とカバレッジユニット(キックオフ7位・パント4位)の活躍が目ざましく、ディフェンスのフィールドポジションを大いに助けた。キッカーのメイソン・クロスビーは、荒天に悩まされたものの新人としては合格点。
パントリターンでは、CBトラモン・ウィリアムズとCBウィル・ブラックモンがそれぞれタッチダウンを決める活躍を見せ、ようやくCBウッドソンのケガを心配しながら見守る必要がなくなった。ただしキックオフリターンは22位と相変わらずパッとせず、来季はもっと爆発力がほしいところ。
今オフに入って若手パンターと契約したものの、パンター・キッカーとも昨季と同じコンビで来季を迎える可能性が高い。ロングスナッパーのロブ・デイヴィスは39歳とあって、チーム側は世代交代を望んでいるようだ。今年はスペシャルチーム関連のドラフト指名はなさそうで、リターナー兼任の選手を指名する必要性も、過去数年と比べると低いかもしれない。FA市場では、キックオフリターナーとして実績のあるWRタブ・ペリー(CIN)に、チームは強い興味を示している。
6巡指名入団から、Kデイヴ・レイナーとの熾烈な争いを制して正キッカーの座を勝ち取ると、開幕戦でいきなり53ydsと終了直前の決勝FGを成功させてヒーローとなった。シーズン141得点はNFL1位。NFL全体のFG成功率が向上したので、成功率80.5%は低い方に入ってしまうが、寒冷地球団のしかも新人キッカーとしてはよくやったと高く評価されている。なぜかFG失敗のほとんどが左にひっかけたものだった。
もともと飛距離があるうえプレッシャーに強そうなので、正キッカーとして長く活躍してくれると期待したい。あとは悪天候のホームゲームでの成功率を向上させたいところ。前年のKレイナーと同じくキックオフの飛距離は大きな武器で、エンドゾーンまで飛ばないキックも滞空時間が長く、カバレッジユニットの好成績に結びついた。タッチバック数も平均滞空時間もNFL6位。
NFL2年目を終えたカナダ人パンター。大パントがあるかわりシャンクもある、という不安定さが1年目は目立ったものの、2年目はステップ改造が奏功してミスが大幅に減った。相手のリターンを差し引いたネット成績が向上したのも、滞空時間が長くなったおかげ。FGの際のホルダーとしてもミスが少なく、非常に優秀なホルダーに成長してきた、という声もある。
台風並の横風に悩まされた@シカゴ戦で二度もパントブロックを喫したのは汚点だが、スナップも悪く、彼のせいにするのは酷、という見方が一般的。今オフのパッカーズは、昨夏のキャンプに参加してまずまずの内容だったPライアン・ドアティと再契約したが、ライアンの立場は昨年よりも安泰だろう。
1997年から活躍してきたロングスナッパーも、いまやチーム最年長の39歳。過去9年間はカバレッジユニットで毎年平均5.1タックルを挙げてきたが、昨年は1つもタックルを記録できなかった。パントブロックを二度も許した@シカゴ戦はキャリア最悪のゲームだったが、それ以外は安定した内容だった。ロッカールームでのリーダーシップにも定評がある。
ここ数年は1年契約だったので今年もフリーエージェント。チームは25歳のLSトーマス・ギャフォードと契約したのに、デイヴィスとはまだ再契約していない。現役続行を望んでいる彼に対しての、事実上の引退勧告なのかもしれない。引退を選んだ場合、(現在アシスタントを兼ねている)Director of Player Development に就任し、選手たちの私生活を含めたアドバイザー役となることがほぼ規定路線となっている。
2006年と同様、第12週ライオンズ戦まではCBチャールズ・ウッドソンが務め、平均8.1ydsは真ん中より少し下の数字。しかしウッドソンの負傷をきっかけに、CBトラモン・ウィリアムズ(94ydsTD含む平均19.7yds)とCBウィル・ブラックモン(57ydsTD含む平均13.3yds)がビッグプレーを繰り出して、チーム平均がNFL7位の10.3ydsにジャンプアップした。ブラックモンが足のケガから順調に回復すれば彼が来季のエース候補、ウィリアムズが2番手候補か。
CBトラモン・ウィリアムズが30回平均22.8yds、WRコーレン・ロビンソンが25回平均23.8ydsで、チーム平均21.8ydsはNFL22位。スペシャルチームの中ではイマイチな部門だった。来季どうなるかは予想がつかないが、ブラックモンは大学ではPRよりむしろKRで大きな実績を残し、昨年開幕前に骨折するまでは1番手だったので、来季はもう一度チャンスが与えられるだろう。RBブランドン・ジャクソンやRBデショーン・ウィンなど控えRBたちも候補になりそう。
LBニック・バーネットは昨年6月に起こした事件で起訴されていたが、このたび検察側と司法取引が成立した。2件の治安紊乱の軽罪について検察は起訴猶予処分とし、犯罪記録も残らない。起訴猶予の条件として、バーネットが7月2日まで不法行為を行わず、アンガー・マネジメント(怒りの感情コントロール)のコースを受講し、$500ドルの罰金プラス訴訟費用を負担すること。
訴えによると、バーネットはアップルトンのバーでのいさかいの中で、2人の女性のドリンクを手から叩き落し、携帯電話を壁に投げつけた。45分後に両者のトラブルが再燃し、その女性の1人にバーネットがドリンクを投げつけ、地面に突き倒した、とされている。今回合意した条件を満たせば正式に起訴取り下げとなり、満たさなかった場合、公判が再開されることになる。アンガー・マネジメント受講を命じられるのはこういった事件によくあるが、弁護士によると、バーネットは昨年秋にNFLが用意した講座を受講したので、その条件はすでにクリア済みとのこと。
心配なのはNFLからの処分だが、相手に身体的被害がなくバーネットが初犯であること、起訴猶予であって有罪判決ではない、といった事情を考慮して、処分があったとしても罰金で済むものと見られている。
2002年にリロイ・バトラーが引退して以来ずっと課題だったストロングセーフティにアタリ・ビグビーが台頭し、開幕から全試合に先発出場した。大きな反則を繰り返すなどシーズン中盤には不安定なプレーぶりが目についたが、終盤には再び調子を上げてビッグプレーを連発。来季に向けてほぼスターターの座を確保したものとみられている。
いっぽう先発フリーセーフティのニック・コリンズは、スターター3年目の今年もプレーぶりはピリッとせず、「いるのかいないのかわからない」と評される始末。3巡ルーキーのアーロン・ラウスの方がビッグプレー能力を見せており、わずか3試合の代役スターターとはいえ、将来性のありそうなところをアピールした。今夏のキャンプではコリンズにラウスが挑戦することになりそうだ。
チーム内では決してレベルの高いユニットではないが、今オフは積極的に補強に動く様子はない。今年のFAはセーフティが不作のせいか、FA市場が始まって以来、「パッカーズが興味」と報道された選手がこれまで1人もいない。ビグビーがさらに成長し、コリンズをラウスがプッシュすれば十分、とチーム側が考えていると推察できる。ドラフト上位指名がないとは言い切れないが、CBなどと比べると優先度は高くないので、あるとすれば中位以降か。
2005年のドラフト外入団から、NFLヨーロッパやプラクティス・スクワッドを経てついにスターターの座を勝ち取った。強烈なハードヒッターでビッグプレーが多く、5INTもターンオーバープレー(INTおよびファンブルフォース・リカバー)9回もチーム最多。いっぽうミスタックル15回も、許したTDパス5回もそれぞれチーム最多。スクリメージ近くでのプレーを得意とし、スピードのあるレシーバーのカバレッジには難がある。
反則8回は過去16年のパッカーズのセーフティで最多。経験を積んでフットボールの頭脳を向上させることも重要だが、精神的な未熟さを解消することも必要だろう。
先発3年目ながら非常に地味なプレー内容で、2巡指名選手としては期待はずれといわざるをえない。プレーオフを含めた15試合で一度もターンオーバープレーがなかった。キャッチングが下手で、INTチャンスでのキャッチミスが今季チーム最多の3回、プロ3年間で8回もあった。タックリング(ミスタックル9回)はそれなりに向上し、反則もわずか1回。
今夏のキャンプではラウスとの先発争いが予想され、コリンズにとっては非常に大事なシーズンになりそうだ。5年契約だったので、2009年一杯まで契約は残っている。
昨年のドラフト3巡指名。前半は出番がなかったものの、コリンズが欠場した3試合に先発出場して重要な働きを見せた。Journal Sentinel紙によるとチームの計19INTの中で技術的に非常に難しいものが7つあり、そのうち2つがラウスだった。身長6フィート4(193cm)の長身でフィジカルなプレーをするが、オープンフィールドのタックリングに不安定さがある。今年はコリンズと先発争いをしたいところ。
2006年ドラフト5巡でジャイアンツに入団し、開幕前に解雇されてパッカーズに。2年目の昨年は4番手セーフティとして全試合に出場したが、実質スペシャルチームのみだった。今年もロースター枠ぎりぎりを争うことになりそう。
ドラフト6巡指名から2年目は、プレシーズン最終戦で肩を負傷してしまい、インジャリーリザーブでシーズンを終えた。肩の大きな手術から順調に回復すれば、今年も4番手セーフティを争うことになりそうだが、先発をプッシュするポテンシャルがあるかというと疑問。
毎年恒例のファン参加イベント、第4回"Packers Fan Fest"が2日間にわたってランボーフィールドのアトリウムで開催され、抽選でえらばれた3500人(ただし$85)のファンが、選手・元選手・球団関係者との交流を楽しんだ。サイン会には長蛇の列ができ、普段のスタジアムツアーで見られないロッカールーム見学も売り物のひとつだ。
全米メディアがつめかけた注目の引退記者会見は、ランボーフィールド内ながら普段の会見場よりも広いホールで行われ、パッカーズ公式サイトおよびNFL公式サイトでも生中継された。マッカーシーHCやトンプソンGMなど球団関係者、それに妻ディアナもテーブルの脇に姿を見せている。
やがて現れたファーヴは、いつものとおりくたびれたジーンズに淡いブルーのシャツ、といういでたち。質疑応答に先立ってファーヴは原稿なしでスピーチを始めたものの、すぐに涙がこみ上げて言葉にならない。頬を涙がつたい、何度も何度も大きなため息をついて気持ちを整えながら、以下の引退表明を行った。
僕がここに来た理由はみなさんご存知のことと思う。僕はNFLおよびグリーンベイ・パッカーズから、正式に引退する。・・・感情的にはならないと約束して来たんだけど・・・可笑しいよね、何百人もの選手が引退する姿を見てきて・・・自分は用意ができていると思ったのに・・・。僕は多くのことを神に恵まれてきた。能力、素晴らしい家族。ここでどのように謝辞を述べるべきか、今朝グリーンベイまで飛ぶ間にいろいろな考えが浮かんだけれど、自分の能力を使う機会を与えられ、そのチャンスをモノにするすることができたのは神のおかげで、そのことに感謝している。
同じように、僕に機会を与えてくれたパッカーズにお礼を言いたいと思う。支払ってくれた1ペニーたりとも・・・無駄にはさせなかったと僕は思いたい。金や名声や記録など、僕にとって重要だったことは一度もない。"僕"の業績ではなく、"僕ら"の業績なんだ。一緒にプレーした仲間たち、たくさんのチームメイト。僕にとって大事なのは自分でなく、他の人たちだった。たまたま自分のプレーするポジションが注目を集めてしまうだけだ。パッカーズとの間には素晴らしい関係を築くことができた。僕が球団を大事にしているように、球団やファンも僕のことを大事に思ってくれたらと思う。
誰もチャンスをくれなかったときにチャンスをくれた、ロン・ウルフとマイク・ホルムグレンに感謝せずにはいられない。それにまた、マイク・マッカーシー、テッド・トンプソン、ボブ・ハーラン、QBコーチのトム・クレメンツ、ダレル・ビーヴェル、アンディ・リード、スティーヴ・マリウッチ、マイク・シャーマン、レイ・ローズ、トム・ロスリー、他にもたくさんの名前を挙げることができる。僕が望んだとおり、いやそれ以上の年月を過ごすことができた。準備ができていると思ってはいても、去っていくのはやはりつらい。引退の理由について、いろいろと取り沙汰されていることは知っている。パッカーズが十分なことをしたとかしなかったとか。テッドやマイクが僕に残るよう十分に説得したとかしなかったとか。そういったことは僕の引退とは何も関係がない。自分の心から出たことだ。
僕は自分の持てる力すべてを、この球団、そしてフットボールに捧げてきた。そして、これ以上何も残っていない。 もうこれで終わりだ。まだプレーできる力があるのはわかっている。しかしもうプレーする気持ちになれない。結局のところはそれに尽きる。他の理由を探り出そうとしたり、ああしていればどうなったか、とか、彼が現役復帰するかどうか、とか詮索する向きもあるだろう。しかし大事なのは、僕にとって素晴らしいキャリアであり、それがもう終わったということだ。僕がプレーするやり方は1つしかない。100%の力でプレーすることだ。
(試合の)日曜がやってくれば、自分の決断が本当に正しかったのかと思うこともあるだろう。日曜にはきっとそうなると思う。ああすればよかった、こうすべきだったと僕は言うに違いない。数多の選手たちの引退会見のように 『現役生活を恋しく思うことなどない』 などとは、僕は言わない。きっと思うに違いないから。しかし、僕が与えられるものはもう何もないと思う。日曜の3時間だけならいいとしても、フットボールにおいてはそれではダメだ。プレーを続けるには、自分の全てを捧げなければならず、これまで僕はずっとそうしてきた。
自分のキャリアを振り返って、後悔はない。何ひとつ後悔はない。たしかに、もっと試合に勝てたらよかった、今年スーパーボウルに行けたらよかった、インターセプトが少なければよかった、タッチダウンがもっと多ければよかった、そういうことはあるにしても、後悔は何もない。自分のやり方で僕はプレーした。僕が知っている唯一のやり方で。
ファンへの感謝の気持ちを述べておかなければならない。僕が笑い僕の家族が笑えば、彼らも一緒に笑ってくれた。僕が泣けば、彼らも一緒に泣いてくれた。僕が歓声を上げれば、彼らも歓声を上げてくれた。僕がインターセプトを投げれば、まあこれは・・・ね。この街は僕に完璧にフィットしていた。サザンミシシッピの、ハンコック郡から来た南部の少年が、他の子たちと同じように大きな夢を抱えて、ここでプレーした。プレーするのにこれ以上の場所はない。
自分がNFL史上最高の選手の1人に数えられ、この球団ではレジー・ホワイト、バート・スター、ポール・ホーナング、ウィリー・デイヴィス、ウィリー・ウッド、ハーブ・アダリー、ジム・テイラー、レイ・ニチキ、ヴィンス・ロンバルディといった人々と同列に語られるのは、大変な名誉だと思っている。これがどれほど特別な名誉であるか、自分がどれほど感謝しているか、全ての人々が理解してくれたらと願っている。そしてことわざにもあるように、どんな素晴らしいことにも必ず終わりが・・・終わりが訪れる。
しかし、どんな将来が自分を待っているか、僕は楽しみにしている。ディアナと2人の娘、ブリタニーとブリレイ。ディアナと家族がそばで僕を支え、(ウィスコンシンとミシシッピを)行ったり来たり、何度も転校したり、いろいろな不都合に耐えてくれたことに、心から感謝している。みなさんいろいろ質問があるだろうから、できる限り答えようと思う。たくさんの疑問に答え、心から話そうと思う。
以下の質疑応答が始まってようやく、涙を流さず普通に話せる状態になった。
昨年と一昨年は、もう自分は疲れ果てたと思っても、しばらく経って、僕は帰ってきた。しかし、今回は戻るべきではないと、何かが僕に告げたんだ。やはり時間はかかった。もう一度言うが、正しい判断だったかどうか、僕は何度も振り返って考えてみた。しかし僕の今の状況は非常にユニークなものだ。プロ17年間の中でも上等なシーズンを過ごし、チームも素晴らしい年で、全てがよくなっていきそうで、チームも僕の現役続行を望んでいて、僕もまだ(能力的に)プレーでき、たいていの人が僕が現役続行を予想し、また望んでくれている。NFL18年目にもなるのに、これは非常にユニークな状況だよ。しかし来季の自分やチームに(素晴らしい結果になるとの)保証は何もない、僕にはそれがよくわかる。
これはタフな仕事で、昨年も一昨年も、自分が現役を続けるかどうか自問したのは、僕が十分高いレベルでプレーできていなかったからだ。世間も僕の力を疑問視した。ただ、自分が全てを打ち込めるかどうかについては疑問を感じなかった。能力が残っているか自問してみただけだ。しかし今年は、初めてのことではないが、ストレスの部分がより顕著になってきていた。重荷は大きい。それはこれまでずっとそうだったが、年を重ねるごとに、より意識するようになった。このリーグで勝つことが、高いレベルでプレーすることがいかに大変か、より意識するようになった。僕はもうその挑戦を続けていけない。プレーはできても、もうその挑戦には耐えられない。日曜に出勤して3時間プレーするだけじゃダメなんだ。それが可能なら、もっと多くの人たちがより長くやっているだろう。僕はあまりにプライドが大きく、自分に多くを期待する。そして、自分が100%の力で打ち込めないのなら、僕はプレーできないんだ。
フィールドを去る際にはそれほど考えなかった。あのゲームそしてシーズンについて、違った結末を望んだのは当然のことだ。しかし1プレー、1ゲーム、1シーズンで僕への評価が決まるわけじゃない。試合終了時点で、今後自分がどうするかはわからなかったし、わかってたのは、しばらく離れて考えなきゃならない、ということだけだ。いい時にやめなきゃダメだとか、こういう辞め方をしろ、ああいう辞め方をしろ、などと毎年聞かされてきた。僕は、いい時にやめる。本当だ。他人の考えはどうでもいい。
素晴らしいキャリアだったし、もう一度言うが、何も悔いはない。キャリアを振り返って、敗戦も悪いプレーも浮き沈みも、全てが僕にとって大切な思い出だ。自分たちが常に完璧だったなどと思うのは、僕は嫌いだ。成功に至るまでどれだけ困難だったか軽視することになるからだ。たくさんの敗戦や悪いプレーがあったけれど、だからこそデンバー戦の最後のプレー(82ydsのサヨナラTDパス)のようなことがより美しい思い出になる。
ミニキャンプ、トレーニングキャンプ、それにオフシーズンの個人的なトレーニング、どれもみな大変なことだ。しかし、来季に向けて準備することならたぶん可能だっただろう。誰にとってもきつい仕事だが、それは今回の決断にあまり影響を与えなかった。それよりもシーズン中の精神的な緊張だ。マイク(マッカーシーHC)がよく知っているが、僕は試合前日夜8時半までここに残ってフィルムを見た。あそこまで準備したのは昨年が初めてだった。試合後数時間経って家に帰ると、勝利を楽しむ間もなく、コンピュータを取り出して次の対戦相手のフィルムを見た。いつかはリラックスして楽しまなければならないのに、僕は自分があまり楽しめていないことに気がついた。勝つことは楽しいけれど、もう少しはリラックスして勝利を楽しめなければ。そのことが、自分にとって何よりも大きかった。
彼と話はするだろう。マイクとも話すだろう。しかしチームにはちゃんとコーチがいて、僕が17年活躍したからといって専門家になれるわけじゃない。自分のうまくいったやり方が、他の選手にも有効とは限らない。自分の立場を笠に着て、いつまでもチームにへばりついてるようなヤツにはなりたくない。むこうとしてはこちらにノーと言いにくいんだから。僕が生涯グリーンベイ・パッカーか? もちろんだ。だからといって、しょっちゅう出入りして自分の意見を言ったりすることはない。
パッカーズにも、そしてアーロンにも、成功を祈っている。彼には才能があると思うし、素晴らしい仕事をすると思う。彼がブレットから学ぶべきだという話をこの3年間よく聞いたが、どういう意味か僕にはわからない。彼は彼であって、彼のやり方を貫くべきなんだ。プレー以外のこと、特定の状況でどのように対処するか、チームメイトとの関係などについては、僕から学び取っていてほしいと思う。
もともと僕は声に出していろいろ言うタイプのリーダーではないし、それはずっと変わらない。僕はいつもプレーを楽しみ、みなとゲラゲラと笑ったりすることが好きだった。しかし最近はそれが減ってきたことに自分でも気がついた。その意味では、自分が昔ほどよいチームメイトでなくなったのかもしれない。そのことも、今回の決断に多少の影響があった。
来季のことは考える気にもなれないんだ。試合はもちろん見るだろう。でもチームに関わっていくかといえば、いつもジョークのネタにしていたように名誉コイントスとか、そんな時はここに戻ってくることもあるだろうけどね。しかしアドバイスしに来るようなことはないと思う。
(質問が終わらないうちに) 何もない。何もないよ。昨夜ロン・ウルフにも「これからどうするつもりだ」と聞かれたけど、何もないと答えた。何かやりたいことが見つかるまでは、それだけだ。
誰だって、人から好かれ褒められたいと望むものだ。さっき言ったように、自分のプレーのし方、フットボールへの取り組み方、そういったことを評価されたいと思う。僕はスタッツ好きだったことはないし、高校でウィッシュボーンやウィングTをやっていたことや、セーフティとして大学に入ったことも、スタッツへの無関心に影響しているのだろう。そのことはみんながよく知っていると思う。自分が保持している記録のことはちゃんと知っているよ。僕が思うには、記録というのは破られるためにあるもので、そのために記録をつけているんだ。次の選手が記録を破ったときに、テレビ的に役に立つだろう。
でも僕は、自分は記録よりも大きなものを残したと思いたい。もしスタッツでしか覚えていてもらえないなら、それは僕のやり方が何か間違っていたことになる。僕はもっと大きなものを残したと心から信じている。人に僕を好きにさせたり僕を褒めさせたりはできないけれど、人々によい影響を与えることができたと思いたい。彼のプレーぶりはこのようだった、彼はこれほど楽しんだ、と思ってもらえることが僕には重要だ。フットボールはただのゲームであって、僕は誰に無理強いされたのでもない、自分からプレーしたんだ。いつも言っているように、もらった金は添え物にすぎないし、僕のプレーぶりには何の関係もない。
そうだな、イエスでノーだ。275試合続いてきたが、いつかは終わらなきゃいけない。「まだプレーできたのに」と言う人は、僕も含めて、必ずいるだろう。でも僕は、「あいつは長くやりすぎた」と言われる選手になりたくない。いつそうなるか誰にもわからないだろう? あちこち悪いところがあるとはいえ、今はおおむね健康だ。自分のキャリアで僕自身が最も感心するのは、これほど多くのゲームに出場したことだ。連続であろうとなかろうと、これほど多くのゲームでプレーしたのは驚くべきことだ。「おおむね健康」であるうちに去ったほうがいい。キャリアに関しては本当に素晴らしかったし、想像していた以上だった。記録を残すことができたのはあれほど多くプレーしたからこそだし、もう何も証明すべきことは残っていない。本当に何もない。去年だって、証明すべきことなんて何もなかった。連続出場に大きな誇りを持ってはいるけれど、それが終わることはそれほどつらくなかった。僕にとってより大切なのは、自分のやり方で、100%の力でプレーすることだ。自分にもうそれができないと認めるよりもね。
ディアナが先に来ていて、僕は1人でグリーンベイに飛んだんだけど・・・たくさんのことが頭に思い浮かんだ。朝起きて、ブリレイを小学校まで送った。いつもどおり遅刻でね(笑)。そこまでは普段どおりだった。心の底では、あと数時間で自分はもうグリーンベイ・パッカーでなくなるとわかっていたけれど。とてもつらい気持ちだった。ブリレイは理解してくれていたけど、僕は表には出さなかった。でも会見が近づくほど、喉にひっかかったものがバスケットボール大にふくらんでくる感じだった。
あまりにたくさんの思いが・・・僕はこうして話すのが好きじゃないしね。言いたいことをメモに書くことも考えた。言い残したことがないようにしたい、ふさわしいことを言いたい、誠心誠意話したい、それに、立派な形で去りたかった。そういったことを考えれば考えるほど、気持ちがつらくなった。今は少々ほっとしている部分もあると認めるよ。それなりにスムーズにできたから。でもつらい1日だ。ジェフ(ブランブ広報部長)とはいろいろな形を検討した。僕がここに来てちゃんと区切りをつけることを彼は望み、パッカーズも僕がここに来ることを望んでいた。僕一人で決めるなら、もう少し後で会見することにしただろう。遅らせれば、人々もこの件を忘れてしまっただろうから。でもまあ、こうして終わって嬉しいよ。つらかったし、これからもつらいだろう。今日はものすごく大変だった。でも自分は正しい道を選んだと信じている。
それは人それぞれだと思う。これまでにも、直接間接にかかわらずそうしたアドバイスを聞いた。できる限り長くプレーしろ、辞めろと言われるまでやれと。僕も長くやっていれば、そういうハメになっただろう。僕の状況は他人とは違っている。275試合プレーできる選手は多くないし、僕のようなキャリアを築ける選手も多くはない。ああしろこうしろとアドバイスするのは簡単だ。僕のような状況になった人は多くないし、そのことに僕は感謝している。しかし他人の立場から見ることに僕は用心しなくちゃいけない。ランボーフィールドでTDパスを投げるのと同じ体験をした人を見つけられるか? そうは思えない。スーパーボウルでプレーするのと同じ経験をした人を見つけられるか? 探してみようとさえ思わない。
さっきも言ったように、今後のプランは何もない。この場所は僕のキャリアにとって特別なところだし、他の何かでそれを埋め合わせできるなどと思うほど僕も馬鹿じゃない。こんな経験は他ではできないとよくわかっている。だから探してみようとさえ思わないんだ。それでも人生は続いていくし、何かやることは見つけるだろう。しかし、自分はもう人々の期待に、自分自身の期待に応えなくてよいと思うだけで、しばらくは満足だね。よく言われるように、夕日に向かって去っていくだけ。人生で一度ぐらい、ゆっくりリラックスして楽しむよ。ディアナの言葉を借りると、「バックミラーからではなく、フロントガラスを通して人生を見る」ってこと。まったくそのとおりで、とても重要なことだ。一緒に仕事した仲間やコーチがよく知っているように、僕は高校以来プレーしたほとんどの試合のほとんどのプレーを復唱できる。だから、過去を振り返って「あそこでこうしていたらだって? その試合のことはよく覚えていない」ってことがない。でも僕は、やり直したくてもできない失敗をいろいろとしてきた。今日から先は、フロントガラスから物事を見られたらいいと思っている。
僕の履歴については、よく報道されてきたとおりだ。僕は公衆の面前で暮らしているも同然だったけれど、それは構わない。もしもう一度やり直せと言われても、僕はここグリーンベイでやるだろう。グリーンベイの人たちは本当に素晴らしかった。みなさんの前だからそう言っているわけじゃない。まるで地元の人間のように僕らはサポートしてもらえた。素晴らしい16年間だった。引退を明らかにして、自分が死ぬってどういうものかよくわかったよ(笑)。昨夜テレビを観ていて、「まるで僕が死んだみたいじゃないか」と思ったからね。僕をへのさまざまな賛辞をならべ、過去の名試合の数々。
そういったありがたい番組を見ると、僕もずいぶん成長したものだと思うよ。昔のインタビューなどを見ると、当時は自分では何もかも分かっているつもりだったけど、まるで分かっちゃいなかった。しかし幸運にも僕は、たくさんの障害を乗り越えることができた。僕にフットボールの能力があることが大きかった。そのおかげで僕は今こうしてここにいる。フットボールのキャリアを通して、僕はよりよい人間に成長することができた。より好ましい人間にね。そしてフットボールのスキルが多少下がってきても、人間的な部分で補うことができた。フィールド上でのことと同じぐらいに、そういった成長を僕は誇りに思っている。
ブレット : 彼女に話はさせないと約束して来たんだけどな。
ディアナ : マイクの前にはあまり来たくなかったのですが・・・。コミュニティの一員として、慈善活動に加わることができたのはとてもありがたいことでした。ここのみなさんはみな本当に協力的で、我々の活動に感謝もしてくれています。ここ(ウィスコンシン)での慈善活動は何らかの形で続けていきたいと思ってはいますが、これまでほどの規模ではなくなるでしょう。
ブレット : 僕らは1年間休むつもりなんだ。
ディアナ : 全てのイベントを1年間休むつもりでいます。ですから毎年6月に開催していたチャリティ・ソフトボールゲームも行いません。たくさんの人々ががっかりされることは承知していますが、正直言って、私たちはいま本当に疲れているのです。
今週たくさんの報道がされていることは知っているが、事実ではない。信じてほしい。僕は自分でもこの決断に何度も疑問を投げかけてみた。そして正しい決断だと信じている。チーム側がそれを変える余地は残っていない。つらい決断だった。過去2年だって、世間からは「ようやく彼が決断を下した」と言われたが、本当につらかったんだ。決断を下したからといって、自分がそれに疑いを抱くことがないとは思わない。でもそれが人生というものだ。こういった決断を強いられたことがない人には、どれだけ大変か説明のしようがない。でも僕は決断を下し、それで満足するしかない。
「今年はとても楽しめているようだね」と多くの人が言ってくれた。それもそのとおりなんだ。でもあれが1週間のうち3時間のことに過ぎず、僕も普通の人々と変わらない、ということは理解されていない。自分に対して僕自身も球団も大きな期待をするし、それに応えようとずっと頑張ってきた。それに、ブレット・ファーヴに求められる期待というのはハンパなものじゃない。試合の中で厳しい状況になったとき、誰もが冗談のように、時にはマイク(マッカーシーHC)さえもが僕にむかって言うんだ。「さあブレット、君が本領を発揮すべき時が来た。我々を助け出してくれ」ってね。僕としては「また」と思ってしまう。「今ごろ14点リードならよかったのに」とね。
そういったことがつらくなってきた。成功もしたけど、どんどんつらくなってきた。来年再来年とそれが軽くなることはないと思う。これまでは軽くなることがなかったし、つらくなるばかりだ。現役を続けて、黙って我慢はできたかもしれないが、僕や家族やチームメイトがどれだけの代償を払うことになるのか。その中の誰かに悪影響が出てしまうかもしれない。すでに出ているのかもしれない。チームメイトの代弁をすることなどできないけれど、そういったことはすでに僕のプレーに影響が出ているかもしれない。たとえ1秒でもそういった疑問を感じ、1プレーでも影響が出たとしたら、それはもう去るべきときだ。プレッシャーやストレスがフィールドでの判断に影響を与えてるかどうかなんて、考えてはいられないからね。そんな疑問を少しでも感じ始めたら、たぶんそれが辞めどきなのだと思う。
引退選手によると、たしかにゲームのこともあるが、それよりも仲間のことだ、とみな口を揃えて言うね。ミーティングや練習がなくなってつらいという話はあまり聞かない。でも僕は、そういったこともある程度は惜しむ気持ちがある、数少ない1人かもしれない。ミーティングや練習中には、他の場所にいられたらと思うこともあったけどね。現役中は無理もない。ただこれまでに築いた友情関係は、選手の出入りはいろいろあったものの、本当に格別なものだ。一緒に苦労した仲間のことは、寂しく思うことだろう。
スポーツの中でもフットボールはユニークで、互いに頼り合わなければならないし、フィジカルなスポーツだ。だから精神的なやりがいも他のスポーツより大きい。ひいき目もあるだろうけど。どうやって次の相手を攻略するかミーティングでレシーバーたちと考えたり、デカいラインマンのケツをぴしゃりと叩いたり、そんなこともできなくなってしまう。そういったこと全てを懐かしく思い出すだろう。
さあ、それは別の人に聞くべきかもね。ただ時おり耳にしたことから想像すると、「彼は自分たちの仲間だ」と思ってくれるのだろう。実際そのとおりなんだ。たまたま普通とは違う職業、プロフットボールをプレーしているだけ。でも僕らは普通の人間で、みんなと同じような悲劇が僕らにも起きている。普通なら家族内で対処できることを、僕らが衆人環視の前でやっているだけなんだ。だから人々は、「ブレット・ファーヴやディアナ・ファーヴにも家族の悲劇は起きた。がんにも罹った」と身近に感じるのだろう。大金を稼いでいることやテレビに出ていることとは関係ない。言いたくはないが、そういった状況が今後変わることは正直ありがたい。しかしこれも人生だし、衆人環視の前でさまざまな苦難に対処しなければならなかったことも感謝している。それも自分たちの助けになったからだ。
僕が好意的に見られているのは、できる限り自分に誠実でいる、ということもあるだろう。ディアナの姉クリスティから聞いたところによると、今日の放送の中でマーシャル・フォークが「ブレットは何を着てくるだろう」と言ったらしいね。さあマーシャル、このとおりだ(笑)。これ以上ドレスアップすることなどできない。スーツを着ることも検討した。本当だよ。ひげを剃ることもね(笑)。しかし、ご覧のとおりだ。自分は変わらないことを願っているし、じっさい変わらないだろう。本物の人間、という点で人々が僕のことを理解してくれていたら嬉しい。
そしてそれが、僕のプレーのやり方でもあったんだ。スタンドで見ている人たちは、「もしプレーできたら、自分もあんな風にプレーしたい」と思ってくれていた。僕が知っているのはあのやり方だけだったから、そう思ってもらえるのはとても大事なことだ。僕が知っている着こなしはこれだけ。僕が知っている振る舞い方はこれだけ。人々はそれを認めてくれているのだと思う。
そのとおりだ。これは優秀なフットボールチームだから、来年の今ごろはティキ・バーバー(引退したとたんに優勝)のような目に遭っているかもしれない。しかしそういったリスクも付き物だ。僕はスーパーボウルには行ったし、素晴らしいチームでプレーする幸運にも恵まれた。もう一度言うが、後悔はしていないし、(来季自分やチームが活躍できる)保証は何もない。今できるのは予測でしかない。去年パッカーズが13勝すると予想した人は多くない。僕を含めてね。でも来季どうなるか保証はない。パッカーズには成功を続けてほしいと望んでいる。そしてもし成功しても、自分の判断が裏目に出た、などと思わないことを望むよ。そうならないと信じている。しかしこのチームは優勝に非常に近いし、そのせいで引退の決断がより難しくなったのはたしかだ。だってスーパーボウルは目の前だったからね。ただそれも昨季のことだ。
パッカーズは僕を望んでいたし、自分もまだ能力があることはわかっていた。ファンも愛してくれたと思う。メディアは家の前でキャンプも張っていた。そういったこと全てが素晴らしい。なのになぜ引退するのか? 難しい質問だし、難しい決断だ。しかし僕らが13勝3敗でスーパーボウル目前だったことには関係なく、自分は正しい決断を下したとやはり信じている。毎年毎年、僕は戻ってきて、できることは全てやってきた。もう一度スーパーボウルに勝てたらよかったとは思うけれど、失望はしていない。僕は精一杯の努力をした。ああしていたら、と後悔することは何もない。高校や大学の頃を振り返れば、もうちょっとマシにプレーできたのにと思うこともある。だって、ちゃんと分かってくる前に高校が終わってしまい、ちゃんと分かってくる前に大学も終わってしまったから。高校や大学の反省から、プロでは悔いが残らぬようにしようと17年間全力でやってきた。思い残すことはないと言えるよ。
もちろん、そのとおりだ。誰もがみなそうしたいと思うものだ。「自分もエルウェイのように辞めたい」という話をたくさん聞いた。ただエルウェイは僕とは違う。彼はウチを負かすまでスーパーボウルに勝ったことがなかった。僕らは今年3勝13敗になってしまう可能性もあって、僕は絶頂期に辞めたかった。反論する人たちもいるだろうが、僕のキャリアを見てほしい。そんな議論をするいわれはない。
僕がこれまでどれだけ恵まれていたか、よく知っているのは僕だけなのかもしれないね。通算何勝、何ヤード、何タッチダウン、何インターセプトといった記録で僕を讃えるけれど、そういったものは他の人たちのためのものだ。もう一度言うが、"僕ら"の業績なんだ。クォーターバックにばかり注目が集まるのはフェアでないと常に思ってきた。「彼は160勝した」などと言われるのはね。じゃあ他の選手たちはどうなったんだ? 僕はよい時に引退する。しっかり前を向き、あごを上げてね。それが僕のやり方、僕の辞め方だ。
古い映像の話に戻るけど、何も知らないのはかえってよいことだった。インタビュー映像は見ていてキツかったよ(笑)。僕には才能があった。実際うぬぼれていたほどではなかったけど、それなりに才能があった。ただ、何も分かっちゃいなかった。グリーンベイ・パッカーズのことは入団当時もよく知ってはいた。かつての名選手たちのことも、伝統のこともね。でも「それが何だ」と思っていた。「たいしたことはない」って。今と同じメンタリティで当時に戻ってやり直したとしたら、たぶん成功しなかっただろう。勝利がいかに難しいか準備がいかに大変か、今は分かってしまっているからね。いま振り返ると、当時の(生意気な)メンタリティが僕の助けになった。その映像を見るのはキツいけど。
みながよく知っているとおり、ここは類希なフランチャイズだ。プロスポーツにこんなフランチャイズはほとんど存在しない。それだけに、困難な仕事だ。他の職業を知らないから、どれほど困難か比べることはできないけど。クォーターバックだけでも大変な仕事だが、グリーンベイでクォーターバックをして成功するとなると、これはものすごく大変なことだ。しかし、それも不可能ではないと僕は証明できた。小さい頃はダラス・カウボーイになることを、スーパーボウルに勝ってロジャー・ストーバックのようになることを夢見ていた。たぶんウィスコンシンには、ブレット・ファーヴになることを夢見ている子供もいるだろう。キャリアを振り返ると、夢見たよりもずっと大きなことを成し遂げることができた。それができるなんて稀なことだ。他の夢見る少年たちと何も違わなかったんだから。
アーロン(ロジャース)には幸運を祈るよ。彼はきっと素晴らしい仕事をする。それも可能なんだ。後任を務めるのは大変だと言われているのは知ってる。しかし誰の後任でもない。ブレット・ファーヴのようにプレーする必要などないんだ。一緒なのは周りの選手やコーチだけだ。才能があってメンタル能力にも優れているからドラフトされたんだし、しっかり集中を保てばきっと大丈夫。いつの日か彼もここに座って、今の僕と同じ経験ができればいいと願っている。
そういったことを考えるのは、フットボールなどよりずっと重要なことだ。しかし我々はときにそれを見失ってしまう。ディアナと僕はこの間の日曜日、ミシシッピ州ガルフポートにいた。ロニー・ハーバートという名前はここにいる誰もご存知ないだろうが、あの湾岸地域では65年にわたって有名だった人物だ。僕の親父は夏になると地区の野球のコーチを28年間やっていたが、知的障害のあるロニーがバット・ボーイをやってくれていた。数年前ディアナがチャリティ・ディナーに彼を呼んで、僕を驚かせたこともあった。そのロニーが先週急死したんだ。長く、楽しい人生だった。彼ががっかりしたのを一度も見たことがなかった。「ロニーや"Make-A-Wish"の子供たちにあなたはよいことをした」と言われるけれど、実際は僕が彼らによくしてもらっているんだ。
僕にとってフットボールはいろいろな意味で素晴らしいものだが、それを通してたくさんの人々の人生に影響を与えることができた。自分がどれほど人々に影響を与えているかわかっていない、とディアナにいつも言われるけど、あまり意識したことはないんだ。僕が考えるのは自分のやり方でフットボールをすることだけ。それに伴ってくるものがあるなら、それは結構なことだ。金、コマーシャル、人々に手を差し伸べること、チャリティ、その他いろいろ。それも全てフットボールのおかげだと、よくわかっている。でもフットボールのおかげで、僕の方がたくさんの人々に影響を与えてもらっている。
数週間前にはフェニックスの小児病院を訪れた。とても、とてもつらいことだ。娘たち2人が健康に恵まれていることに感謝せずにはいられない。ときどき厄介なことはあるけれど、僕ら家族みな幸せに暮らすことができている。他の人々がみなそうだとは言えないからね。僕も完璧ではないし、これからもそうだ。今後もディアナや娘たちとモメることはあるだろう。しかし16年前とは人生観が大きく違っているのはたしかだ。フィールド外で僕らがしてきた活動には、大きな誇りを持っている。もっとできたか? たしかにそうだ。みながもっとやるべきか? そのとおりだ。しかし僕らは他の人々の人生にポジティブな影響を与えることができたし、そのことに感謝している。
故郷カリフォルニアで休暇を過ごしていた新先発QBアーロン・ロジャースに、ESPNが初めてインタビューに成功した。
「伝説的人物の代わりを務めることなんてできないし、その心構えはできている。自分にできるのは、自分がなれる最高のクォーターバックになる努力をすること。誰よりもハードワークを重ね、コーチやチームメイトに対する責任を果たすつもりだ。大きな挑戦であることはわかっているけど、僕は優れたチームメイトに囲まれているし、ブレットから3年間学ぶ機会があった。史上最高のクォーターバックからね」
「3年間も出番がなくて正直つらいときもあったけれど、ポジティブに考えるようにしている。ブレットがいてくれたおかげで、僕はフランチャイズを肩に背負うことなく、自分のペースで成長することができた。そのことは僕の進歩において大きな価値があると思う。しかし逆に言えば、自分はNFLにもう3年もいたのだから、甘く見てもらえる猶予期間などない、という面もある」
昨年WRグレッグ・ジェニングスも同様に語っていたが、ロジャースも入団1年目の2005年にはファーヴとの関係はどちらかというと疎遠だったという。「言うまでもないけど、チームが1巡でQBを指名するのは、(後任を考えているという)とても大きな宣言だからね。あの時点ではブレット自身はまだまだやれると考えていて、僕としてはとてもやりにくい状況だった。あの1年目は、僕らはただのチームメイトにすぎなかった」
4勝12敗シーズンを終えた2006年春、ヘッドコーチが交代し、非常に悩んだファーヴが現役続行を決めたのはようやく4月下旬のこと。一足先にマッカーシーHCの新しいオフェンスに慣れていたロジャースは、遅れてミニキャンプに合流したファーヴが新オフェンスを習得する手助けをした。そこから2人の関係は改善されていき、さまざまな話題を掘り下げて話すようになっていった。「ただのチームメイトから非常に親しい友人になることができた」
「2006年のミニキャンプ中、ある時ブレットが僕のところへ来て、メンタル・タフネスを向上させるためのいくつかのことを僕に教え励ましてくれたんだ。普段から自分のボディ・ランゲージや態度をよく考えることが大事なのだと言われた。みなが常に自分を見ているのだからと」
現地火曜午後、マイク・マッカーシーHCとテッド・トンプソンGMが肩を並べて記者会見を行った。2人がそろって黒を着ているのも偶然ではなさそうだ。
テッド・トンプソンGMが以下の声明を発表した。
「ブレット・ファーヴから我々に、NFLを引退するとの連絡があった。彼はNFL史上最高の選手の1人であり、彼自身の考えで現役を退くことができる。このようなことのできる選手は決して多くはない。
パッカーズは彼に対して極めて大きな恩義がある。彼は16年間にわたって、素晴らしい思い出をパッカーズファンに与えてくれた。中でもスーパーボウル優勝の思い出は、永遠に消えることがないだろう。ブレットがフィールドで成し遂げた業績の数々は、伝説として残るものだ。ほとんど全てのパス記録を塗り替え、連続先発出場記録も決して破られることはないだろう。
人柄、カリスマ、フットボールへの愛、といったブレット・ファーヴのたぐいまれな個性は、NFL史に残る存在として長く記憶されることだろう」
FOX Sportsのジェイ・グレイザー記者が、「ブレット・ファーヴが引退を決断し、球団側にもその意思を伝えた」と報じた(記事)。また Biloxi Sun Herald のアル・ジョーンズ記者も同じように伝えている(記事)。こちらは兄スコットからの話。ジョーンズ記者はファーヴ家の親しい友人で、昨年もファーヴは現役続行のスクープを彼に与えていることから、かなり確度の高い情報だろう。
ジェイ・グレイザー記者は一方で「ファーヴと球団側が発表するつもりかどうかは不明」とし、「思いがけない心境の変化がないかぎり、引退することになる」と表現している。
ESPNのクリス・モーテンセンもファーヴの代理人バス・クックから確認を取った。月曜夜にファーヴからマッカーシーHCに決断を伝えたとのこと。ただし火曜朝の時点で、ファーヴが記者会見を行う予定はない、とクックは語っている。
ESPNのクリス・モーテンセンのもとにファーヴ本人からボイス・メールが入ったとのこと。直前にモーテンセンは代理人バス・クックのコメントとして、「本人はもう1年やるつもりだった。球団側にはランディ・モス獲得を働きかけた。一昨年とは違って、トンプソンGMはファーヴに現役続行を強く働きかけなかった」という記事を書いていたので、それを否定するためと思われる。
「自分がまだプレーできることはわかっている。しかし僕は精神的に疲れた。とにかく疲れたんだ。妻のディアナとも話し合ったことだが、もし僕が現役続行を決断したとして、結果的に成功したと思えるのはスーパーボウルに勝ったときだけだろう。もしスーパーボウルに出てもそこで負けたとしたら、自分にとっては何よりも悪いことだ。だから、スーパーボウル制覇以外は全て不成功なんだ」
「(スーパーボウル敗退は)不成功とは言えないということは僕にもわかっている。しかし現役続行が正しい決断だったと思えるのはスーパーボウルに勝ったときだけで、正直言ってその確率となると難しいことだ。僕には荷が重いし、その挑戦をする気持ちにはなれなかった」
WRランディ・モスをはじめとするFA補強の問題が引退の理由ではないと強調。 「この決断はパッカーズが誰を獲ったとか獲らなかったとは関係がない。僕はトンプソンGMともマッカーシーHCとも仲良くやっている。彼らのこれまでの全ての決断に賛成するかと言えば、それはノーだ。しかし大事なのは、そういった事柄は僕の決断には影響を与えなかった、ということだ」
相手パス成功率の低さはNFL2位、QBレーティング6位と好成績を残したパス守備は、今年もハリスとウッドソンの高齢CBコンビが支えた。実績のない若手たちがニッケルバックを争ったが、3rdダウン成功率をNFL3位のわずか33%に抑えたのは、彼らなりに頑張って致命的なミスが少なかったからだろう。
33歳のハリスはリーグ屈指のプレスカバレッジ技術を誇り、ついに念願のプロボウル出場を果たしたが、プレー内容はすでに下降を始めたとの見方が少なくない。彼よりもウッドソンの方が高いレベルでプレーしたと評価されてはいるが、こちらももう31歳。合わせて64歳コンビの後継者育成がいよいよ急務となってきている。
控えには力の差のない若手4人が並んだため、彼らの能力を見極めるためCB6人体制でシーズンを過ごした。3番手以下の順位は毎週のように入れ替わり、開幕時はジャレット・ブッシュが3番手だったが、シーズン終了時はトラモン・ウィリアムズ。下位指名やドラフト外の選手ばかりにしてはよくやったと言えるシーズンだったが、彼らが将来スターターになれるかとなると心許ない。
というわけで、CBは今オフの最重要補強ポイント。FA市場では控えクラスしか手に入らないので、ドラフト上位で指名することになるだろう。さまざまなドラフト指名予想でも、パッカーズは1巡でCBを指名するとの予想が多い。
33歳にして初のプロボウル出場を果たしたが、これまで選ばれなかった彼へのご褒美のようなもので、決してベストシーズンではなかった。ビッグプレーを許した回数は過去数年で最多。2006年に8INTを挙げたウッドソンを恐れるため彼のサイドへのパス回数が増えた、という側面もありそうだが、衰えの兆しがあるのは否めない。ゾーンカバレッジとなるとやや不安定なので、チームの戦術が限られるという部分もある。
INT数こそ前年より減ったがプレー内容ではハリスを上回った、との評価が一般的。ビッグプレーを許したのは昨年と同じ8回だが、TDはわずか1回だけ。ハリスより26も多い70タックルを挙げ、ビッグプレー能力はDB陣で随一。欠場したカウボーイズ戦でパス守備が不振だったことは、彼の存在の大きさの表れだろう。
第12週に負傷した後はパントリターナーの仕事をウィリアムズやブラックモンに譲った。つま先やヒザを負傷しながらシーズンを乗り切ったが、緊急時を除いて今後はもうリターナーをさせないかもしれない。
ドラフト外入団から2年目、CB陣で最も大きな成長を見せた。シーズン中盤まではほとんど出番がなかったが、伸び悩んだブッシュとケガのブラックモンを追い抜いて終盤には3番手/ニッケルバックの座を確保した。精神的にタフでディープボールへの感覚がよく、荒削りな部分も経験を積んで成長しつつある。レギュラーシーズンで23回標的にされてパス成功10回・161yds・1TDは立派なもの。
パントリターナーとしては、第11週パンサーズ戦で相手のプーチ・パントを拾って94ydsリターンTDを挙げたビッグプレーがあったため、6回平均19.7ydsとものすごい数字に。キックオフリターナーとしては最長65ydsがあったものの、30回平均22.8ydsは可もなし不可もなしといったところ。
2006年のドラフト4巡指名から2年間ですでに4回も骨折している。1年目は足の骨折などで出場4試合、2年目も同じ足の骨折などで9試合しか出られず、プレーオフも足の問題で出場できなかった。チャンスをもらうとケガをするので、CBとしてよいのか悪いのかいまだにわからない。7回標的にされてパス成功1回・7yds。足の古傷がなかなか完治しないことは、球団内でいまだに懸念されているらしい。
いっぽうパントリターナーとしては素晴らしい働きを見せ、57ydsTDを含む平均13.3ydsは非常によい数字。タックラーをかわす動きや一瞬の加速に優れ、リターナーとしてのセンスはトラモン・ウィリアムズよりもずっと上のようだ。ケガさえなければ来季はパントリターナーの最有力候補だろう。
開幕から13週まで3番手/ニッケルバックを務めたが、シーズンが深まるごとに内容が悪化し、期待はずれのシーズンだった。ウッドソン欠場のカウボーイズ戦で先発出場したが、パスインターフェアとTD2回を許してトラモン・ウィリアムズに3番手の座を譲り、二度と取り返すことができなかった。サイズもスピードも十分だが、CBに必要な自信や決断力に欠け、肝心のボールへのプレーが悪い。ミスタックルも12回あった。
昨年唯一のFA加入選手として注目されたが、ニッケルバックの座を確保することもできず、古巣ジャイアンツ相手のNFC決勝ではアクティブ登録から外れてしまった。スピードがありアグレッシブにプレーするが、判断力が悪くすぐにレシーバーをつかんでしまう。21回標的にされてパス成功13回・146yds・1TD。スペシャルチームではまずまず貢献した。一年契約だったのですでにFAとなっているが、再契約の可能性は低そう。
惜しくもプロボウルには届かなかったものの、ミドルLBバーネットがキャリア最高のプレー内容でディフェンスを引っ張った。ウィークサイドのホークも順調に成長してソツのないプレーを見せたが、前年チーム首位だったタックル数ではバーネットに逆転され、1巡5位指名選手としては地味な働きしかしていないという見方も強い。
ストロングサイドのポピンガは徐々に欠点が解消されてきたものの、ややセンスに欠け不器用なのはどうしようもなく、先発LB陣のウィークポイントと言わざるをえない。今春はチーム側も、FA市場でポピンガの競争相手(またはアップグレードになる選手)を物色しているようだ。
先発3人が全試合出場したので問題が表面化しなかったものの、控えLB陣のレベルは低く、シーズン中にLBを5人しかロースターに残さなかったのはそのためだろう。ミドルLBの控えはデズモンド・ビショップとアブドゥル・ホッジがいるが、アウトサイドはかなり手薄。ドラフト上位指名は考えにくいが、中位以降でアウトサイドLBを指名する可能性は十分ある。
不動の先発ミドルLBとしてディフェンスのリーダーを務める。ホークの加入によってより思い切った動きができるようになり、プロボウル級の活躍でチームに貢献した。実際には230ポンドを切る軽量ミドルLBだがプレーぶりはフィジカル。ただアグレッシブになりすぎるのか20yds以上のビッグプレーを7回許し、ミスタックル14回と、シーズン終盤はパフォーマンスがやや下がった。
プロ入り2年間1試合も休まずウィークサイドで先発し、ハードワーカーぶりはチーム内でもDEキャンプマンと双璧。特にパスカバレッジの技術が向上し、20yds以上のビッグプレーを前年の7.5回から1.5回に減らした。安定感が増した一方で、サックやターンオーバーを生み出すようなビッグプレーが少なく、1巡5位指名にしては物足りない。しかし、働きが地味なのはチーム側が地味な役回りしか与えていないからだ、と同情的な声も少なくない。
先発ストロングサイドLBとして2年目を終えた。常に激しくプレーし、ツボにハマったときの迫力は相当なものだが、プレーぶりが直線的で器用さや柔軟さに欠ける。TE相手に苦労した2006年と比べればパスカバレッジが改善されてはきたものの、動きの硬さはどうしようもない。そろそろ能力の上限も見えてきたので、首脳陣は彼に代わるスターターを検討しているのかもしれない。
昨年のドラフト6巡指名でカリフォルニア大から入団。前年の3巡指名ホッジを退けて控えミドルLBの座を勝ち取り、シーズン中はスペシャルチーマーとしてまずまずの活躍を見せた。最終戦途中で退いたバーネットに代わってミドルLBに入り、なかなかよい働きを見せたようだ。直線スピードこそポピンガに劣るが頭がよく、今年はストロングサイドにも挑戦することになりそう。
シーホークス、ジャガーズそしてパッカーズでスペシャルチーマーとして活躍している。LBとしてはストロングサイドとウィークサイドの両方で控えを務めた。昨年は3月上旬にパッカーズと再契約したが、今年はまず他球団を訪問するようだ。スペシャルチームは他の若手で大丈夫そうなので、LBとしてもっと能力のありそうな選手を、と首脳陣は考えているのかもしれない。
2006年のドラフト3巡指名だが、入団直後から膝蓋腱炎に悩まされ、力を発揮できずにいる。昨夏もヒザ痛を抱えながらの控えMLB争いで新人ビショップに敗れ、インジャリーリザーブでシーズンを終えた。来季のロースターに残るにはかなりの頑張りを見せなければならない。
パッカーズは元ドルフィンズのOTジョー・トレドと契約した。トレドは2006年にワシントン大からドラフト4巡指名でドルフィンズに入団し、キャンプ半ばまでは右ガードでスターター争いをリードしたものの、プレシーズンゲームでヒザを負傷して1年目はインジャリーリザーブ。2年目もミニキャンプで足を負傷してPUPリストのままシーズンを終えた。ビル・パーセルズ率いる新政権による大量解雇の一環として2月11日に解雇されている。そのためFA解禁を待つ必要はなく、2日ほど前に契約していたようだ。
OTジョー・トレドはワシントン大では3年までタイトエンドをプレーして計17試合の先発経験があったが、4年目にタックルにコンバートされ、左右両サイドで3試合ずつプレーした。大学時代もケガが多く、全試合出場したのは大学1年目だけ。2年目は背中、3年目は鼠蹊部、4年目は足首を負傷して何試合かずつ欠場している。身長6フィート5強(196cm)の長身で体重は320ポンド(145kg)とかなり重い。アスレチックでかなり発展途上の選手のようだ。パッカーズがタックルとガードのどちらをやらせるつもりなのかは不明。