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2005年6月30日

ルーキー・シンポジウム

毎年恒例、今年で9回目となるNFLルーキー・シンポジウムが、フロリダ州パームビーチで26日から開催されている。255名のドラフト指名選手全員がリゾートホテルで缶詰にされ、1日12時間にわたってさまざまな講習を受ける。欠席者には罰金が科せられる。就寝点呼もしっかり行われ、許可なく外出することは認められない。衣類まで全てNFLの指定。

講義の内容は非常に多岐にわたるが、フィールド外、私生活に関するものが多い。ステロイド等禁止薬物、ドラッグ、アルコール、エイズ予防、女性問題、暴力沙汰、メディアとの付き合い方、金銭問題、家族の問題、NFL後の人生に備えること。ルーキーたちがまっとうな人生を歩めるよう、NFLは$60万ドル以上をかけてこのシンポジウムを開催している。

初日は、NFLコミッショナーからのビデオ・メッセージを全員で拝聴するところからスタート。常に正しい選択をすること、契約を守り、法を犯さず、ドラッグやステロイドに手を出さないこと、そして検査をごまかさないこと。いわば、校長先生からの訓示のようなものだ。そして選手会代表ジーン・アップショーからのビデオ・メッセージを観たあと、元WRクリス・カーターが登場。特にイーグルス時代に犯したさまざまな過ちについて、経験を話した。

昨年入団したばかりの2年目選手たちも登場する。WRラリー・フィッツジェラルド(ARI)、CBデアンジェロ・ホール(ATL)、Sマイケル・ボウルウェア(SEA)などが壇上に立ち、ルーキーが直面するさまざまな状況について話した。例えば金銭面。親族や友人が次から次へと経済的援助を求めてくる時、どうやってノーと言うか、どうやって一線をひくか。税金の問題。代理人に任せきりにせず、契約交渉の進捗を自分でしっかり把握することの重要性。チーム内で頼りになるベテランを探して相談相手になってもらうこと。ただし、優れた人物を慎重に選ぶこと。

フィールド上の話題は、大学とNFLのレベルの差を実感した体験談。CBホールはプレシーズンゲームでWRランディ・モスにぶち抜かれた時のショックを話し、SボウルウェアはキャンプでRBショーン・アレキサンダーにフェイクで翻弄された時にレベルの高さを痛感したと話している。

その他にも、現役コーチや引退選手、各分野の専門家が講師となり、ビデオを見たり時には寸劇を使って講義を進めていく。このルーキー・シンポジウムは水曜日まで4日間続き、中には地元の少年たちへのフットボール・クリニックも含まれている。

2005年6月29日

復活を期すOGマット・オドワイヤー

いまオフェンスで最も熾烈なスターター争いは、右ガードだ。今年FA移籍してきたOGマット・オドワイヤーは、ルーガマーらと僅差の接戦を繰り広げている。通算105試合もの先発経験を持つオドワイヤーだが、今春のFA市場では高い評価が得られず、パッカーズとベテラン最低額の1年契約を結ぶしかなかった。過去2年連続で大きなケガをしてしまい、かつての力は残っていない、と見られてしまったからだ。

パワフルなドライブ・ブロッキングが自慢のオドワイヤーは、現在32歳。ノースウェスタン大から1995年のドラフト2巡指名でジェッツ入りし、2年目からスターターに定着、ジェッツとベンガルズでの7年間で102試合に先発出場した。しかし2003年には足のケガでわずか先発1試合、翌2004年にFA移籍したバッカニアーズでは胸筋を断裂してしまい、1試合も先発できずじまいだった。

「去年FAになる時、僕は足を痛めていて、動けず、踏ん張ることができなかった。『ああ、ヤツはパワーを失った』と見られてしまった。しっかり踏ん張ることもできない状態では、力が落ちたと見られるのも当然だ。移籍したバッカニアーズではアテにしてもらっていて、ミニキャンプの頃はスターターになれそうな感じだった。なのに6月に胸筋を断裂してしまった。すごく残念に思っている。バッカニアーズではよくしてもらったのに、結果が出せなかった」

「(今春のFA市場でも)僕はもう終った、と見る人が多かったのだと思う。そう思わせておけばいい。成功を続けてきた優れたオフェンシブラインの一部になるチャンスを、僕はもらったんだ。(ケガした箇所も)すごく調子がいいし、スターターになる準備はできている」とオドワイヤー。一昨年の足のケガからはもう100%回復し、昨年の胸筋断裂も、90%は回復したと彼は言う。「今は自分でも驚くほど体調がいい。この2年間にはなかったことだ。胸筋も強さが戻ってきている。心肺機能が元通りになれば、タフになれると思う」

先発両ガードを失ったパッカーズが彼をワークアウトに呼んだのは今年3月半ばのこと。そこで、ケガさえ治れば十分やれる、とパッカーズ首脳は判断した。アシスタントOLコーチのジェームズ・キャンペンは、「すごく良いワークアウトを見せてくれた。彼はフィジカルな選手で、(トレーニングキャンプで)パッドを着けて練習を始めれば、それが見て取れるはずだ。それが彼の本領だからね」

2005年6月28日

B.J.サンダーはここまで順調

NFLヨーロッパから帰国したB.J.サンダーはミニキャンプ最終日に合流し、ライバルのブルックス・バーナードやブライス・ベネコスを明らかに上回るパントを蹴った。しかしこの2人に勝つだけでは十分ではない。Pサンダーの出来が芳しくなければ、チーム側がベテランのパンターを呼ぶのは確実だからだ。「公開の競争だからね。僕が争っているのはチームメイトの2人だけじゃない。リーグ全体のパンターと争っているんだ」

NFLヨーロッパでの経験についてボナメイゴSTコーチは、「文句なしに素晴らしかった、とは言わない。しかし、しっかりしたパフォーマンスだった。一番大きいのは、試合の経験を積めたことだ。試合での状況をシミュレートすることなどできない。1週間かけて準備し、試合前のウォームアップ、試合中にはいつ1stダウンが取れるかも分からない。だから特にパンターにとっては、試合中ずっと準備ができていなければならない。精神面の訓練だ」

ヨーロッパでは食事が合わないために10ポンドも体重が落ちたとサンダーは言う。フレッシュなキック力を保たなければならないパンターにとって、疲労が蓄積したままシーズンを迎えるのは最悪の状況だ。「このまま行って12月に疲れ果ててしまうなら、それでも何とかやっていく他ない。でも今のところは、すごく体調はいいよ」

チームに合流したサンダーは、さっそくKロングウェルのホルダーとしても練習をこなし、他のホルダー候補よりも出来はよかったようだ。「彼に必要なのは、シーズン開幕までにフレッシュ・レッグを取り戻すこと。頭の中をクリアにしてキャンプに参加し、しっかりとボールを蹴ることだ」というのがロングウェルからのアドバイスだ。ドラフト外入団ながら1年目からずっと正キッカーの座を保っているこの先輩は、自信をしっかり持つことが何よりも大事だと強調する。「昨年のことはもう終ったこととして忘れることが必要だ。これから(自分のように)9年間スターターを務めるか、毎年どこかでスターター争いの列に並ぶか、そこが分かれ目になる」

2005年6月27日

ドラフト指名選手紹介 11: OGウィリアム・ウィティカー

7巡32位 OG ウィリアム・ウィティカー William Whitticker
Michigan State Senior 6-5(196cm) 336lb(152kg) 40yds/5.36秒 1982年8月2日生

経歴 : インディアナ州マリオン出身。 高校では3年間、先発OTとして活躍し、有力ラインマンとして注目を浴びる。ミシガン州立大に進み、レッドシャツを経た1年目から早くも先発に定着。ガードだけでなくセンターも経験したようだ。しかし2年目には、コーチの交代もあり、先発の座を失った。3年目は控えで過ごし、4年目の昨季にようやくスターターに復活した。

Strengths : 素晴らしいサイズがあり、その割りにクイックネスや瞬発力もある。ランブロックはパワフル。手の使い方が上手く、嫌らしいプレーができる。ガードだけでなく、センターやタックルも経験があり、ヴァーサタイル。

Weakness : 体重過多の問題を常に抱えており、体重が重いときはクイックネスも鈍ってしまう。第二列(LB)へと向かう動きはあまりスムーズでない。ボディバランスはいまひとつ。テクニックや判断力を磨く必要がある。パワフルなランブロックと比べるとパスプロテクションは向上の余地あり。

メンタル面 : 性格は良いと言われているが、それ以外はよくわからない。

健康面 : シーズン最後のラスベガス・ボウルでヒザの内側側副靭帯(MCL)を断裂してしまい、十分なワークアウトはドラフト直前になるまでできなかった。"Pro Day"でワークアウトをした時も状態はまだ90%で、そのためにドラフト指名順位が下がった、と本人は残念そう。大学ではケガのために欠場したのは1試合のみ。

パッカーズにとって : ウィティカーの本職である右ガードは、RGマルコ・リヴェラが抜けたばかりなのでちょうどよい。6月のミニキャンプでは、右ガードだけでなく右タックルもプレーさせてみたようだ。2回のミニキャンプでの評判はまずまずよかった。

OL陣のロースター枠は通常9人、多い年で10人。両先発が抜けたガードは競争が激しく、ウィティカーがロースター入りするにはよほど頑張らなければならない。ダメだった場合はプラクティス・スクワッド入りが濃厚だ。

etc. : ランボーフィールドでプレーするのがずっと夢で、もし指名されなくてもドラフト外でパッカーズに入るつもりだった、とのこと。契約はすでに済ませてある。総額$1.607 ミリオンの4年契約で、契約ボーナスは$41,000ドル。

2005年6月25日

WRテレンス・マーフィ

今年のルーキーの中で最も評判が良いのが、2巡指名のWRテレンス・マーフィだ。落球が非常に少なく、体から遠いボールもしっかり捕れる。ガッチリした体を上手く使って競り合いに強い、というのがミニキャンプを見た記者たちの感想だ。「彼は良いプレーをしているし、我々が予想していたよりも先を行っている」とシャーマンHC。予想していたよりも、というのは、ルーキーWRがプロの複雑なオフェンスに馴染むのに時間がかかることを踏まえてのコメントだ。

40yds走4.39秒、垂直跳び41インチなど、数字で測れる部分はトップクラスだったが、テキサスA&Mではオプション攻撃が主体だったため、自分は多くのチームから過小評価された、とマーフィは考えている。「自分にできる、いろいろな細かいことが、見過ごされていたと僕は思う。でもグリーンベイはそれを見逃さず、2巡で指名してくれた。こうしてここにいられることに感謝している」

ドラフトから2ヶ月が経ち、パッカーズのコーチたちが高く評価するのは、マーフィのメンタル面だ。テキサスA&M出身で2巡指名といえばWRファーガソンと全く同じだが、入団時のファーガソンはまだ精神的に未熟で、一人前のプロに成長したのは3年目あたりだった。それと比べるとマーフィの成熟度はかなり上だ。フランクリン新WRコーチは、「最も際立っているのは、信じられないほど真摯な態度だ。フィールド上でだけでなくウェイトルームでもミーティングでも優れた選手でいたい、という意思を持った数少ない選手だね。彼は素晴らしいキャッチ力と、素晴らしいwork ethicを持っている」とべた褒めしている。

「彼はとても頭のいい子だ。コーチとしても教えがいがある。だから、(プロのオフェンスを習得することは)心配はしていない。ウチのオフェンスを着実に覚えてきているし、とてもいい仕事をしてる」とフランクリンWRコーチは評価する。マーフィ自身は、「そう、確かに複雑だね。僕はウェストコーストオフェンスは未経験で、いくつかの基本的なルートしかないオプション攻撃をやっていたから。覚えなきゃいけないことは多いけど、先輩の選手から学んでいるところだ。ドナルド・ドライバーたちベテランが僕を助けてくれてるんだ」

2005年6月24日

Notebook: 大学アイスホッケー開催が決定

2005年6月23日

CBジョーイ・トーマスが先発争いをリード

パッドも着けないミニキャンプでは選手の力は測り難いと言われるが、そんな中でも最も優劣が分かりやすいのが、CB対WRのプレーだ。今年は2年目のCBジョーイ・トーマスとCBアマド・キャロルが先発の座を争っているが、2回のミニキャンプを終え、トーマスがリードしている。キャロルは昨季第6週からスターターに昇格したのに対し、トーマスは終盤になってやっとニッケルバックに定着した。しかし今、1stチームでプレーするのはトーマスの方だ。

このライバル2人は、昨年9月には口論からつかみ合いの大喧嘩を演じたこともある。「お前の出番が多いのは1巡指名だからだ」とトーマスがキャロルに言い放ったのが、どうやら発端だったらしい。「去年のことは去年のこと。何が起きたにせよ、僕らにはもう終ったことだ。去年のあの状況については、それ以上のコメントはない」とトーマスは語る。「今年に関しては、どのポジション争いもワイドオープンだとコーチたちが言ってくれている。これは間違いなくポジティブなことだ」

ドラフト指名時は、トーマスは鼻っ柱が強すぎて人格面でのリスクあり、と言われていた。しかし今は、カッとなりやすくコーチの言うことを素直に受け入れないキャロルの方が問題児気味で、トーマスは「いい子」の役回りになっている。今月のミニキャンプ2日目、ホールディング癖が治らないキャロルにジム・ベイツDCの怒りが爆発した直後から、トーマスがほとんど1stチームでプレーしている。

コーチ陣はどちらが優勢かはコメントしていないが、キャロル本人は、「彼がスターターだと思うよ。そうすべきだ。彼は素晴らしいプレーをしてる。すごく波に乗っていて、いいプレーができてる。だから現時点では、彼が1stチームに入るべきだ。オフシーズンの間も彼はずっとここに残り、必死で頑張ってきた。トレーニングキャンプでは、僕は最初からやり直さなきゃならない」と劣勢を認めている。ベイツDCもトーマスの成長について、「私が就任して初めてワークアウトを見て以来、ジョーイは大きな進歩をした。人間的にも成熟してきたし、プレーぶりも安定している。とても安定してるよ」

ジム・ベイツ新DCのシステムでは、両CBにはマンカバレッジでのバンプ&ランが求められる。「彼のシステムは、コーナー(バック)の良さを引き出すもので、だから彼の元でコーナーたちが成功を収めてきた、とも言えると思うんだよね。これはコーナーのためのシステムだよ。ウチには素晴らしいスキームがあり、そのスキームは僕の良さも引き出してくれる。いま僕は、このスキームの中で学び、成長しようとしているところだ」とトーマスは興奮気味に語っている。

「僕は、自分になれる限りの最高の選手になりたいし、もしそれが叶えば、人が言うようないろいろな目標は、自然に達成されると思っている。今は、去年と比べて、いい感じになっているのは確かだね。その結果としてスターターになれるのなら、それでいい。もしそうでなくても、ハードワークは必ず報われるものだし、僕としてはハードに頑張って成長し続けて行きたい」

2005年6月22日

Notebook: News-Chronicle紙が廃刊に

2005年6月21日

パッカーズの収入はNFL10位

株主総会を来月27日に控え、昨年度のグリーンベイ・パッカーズ会計報告が発表された。それによると、収入は前年度から11.7%アップして$200ミリオン、これは3年連続でNFL10位とのこと。税引後利益は$25.4ミリオンで10.9%のアップとなっている。

収益が極めて好調なのは、3年連続地区優勝もさることながら、やはり新ランボーフィールドの集客効果が大きい。アトリウム(パッカーズ・ホール・オブ・フェイム、スタジアム・ツアー、各種レストラン、イベント開催も含む)が昨年からフル稼働を始めたため、売り上げが$2.8ミリオンから$5.9ミリオンに跳ね上がった。また、プロショップ(NFL最大とのこと)も$1.8ミリオン増の$17.2ミリオンの売り上げを記録した。

グリーンベイ・パッカーズは市民株主による所有のため、苦しい時にポンと大金を支払ってくれるオーナーがいない。そこで頼りになるのは、チーム内に蓄えておく準備金、いざという時のための貯金だ。4年前には$35.6ミリオンだった準備金だが、好調な経営を反映して、$58ミリオン、$84ミリオン、そして今では$97.7ミリオンまで積み上げることができた。

このような準備金を必要とする状況は、早ければ2年後にも訪れる可能性がある。現在交渉中の新労使協約が2006年いっぱいまでに締結に至らない場合、2007年のNFLはサラリーキャップなしのシーズンとなってしまうからだ。

$97.7ミリオンにふくらんだ準備金を、このたびパッカーズは"Packers Franchise Preservation Fund" と名づけ、その用途に制限を設けることになった。将来にわたってフランチャイズをグリーンベイに留めるためには、パッカーズの競争力を保っていかなければならない。そのためにこの資金は、選手サラリーおよびフットボール関連にのみ支出されることになる。富裕なオーナーがいない潜在的な不利を抱えるパッカーズだが、オーナーが儲けを自分の懐に入れてしまうこともなく、利益を全てフットボールにつぎ込めるという有利さもある。

2005年6月20日

ドラフト指名選手紹介 10: LBカート・キャンベル

7巡31位 LB カート・キャンベル Kurt Campbell
Albany Senior 6-1(186cm) 230lb(104kg) 40yds/4.43秒 1982年7月30日生

経歴 : ジャマイカで生まれ、1995年に一家でフロリダに移ってきた。アメフト以外にもサッカーや陸上で活躍したが、高校3年でヒザの前十字靭帯を断裂し、そのせいで一部校から奨学金のオファーがなかった。ディビジョンI-AAのアルバニー大に進み、最初の2年間はCB。3年目からはセーフティや、4-4隊形のローバーをプレー。 同大学史上初のNFLドラフト指名選手となった。

Strengths : アスレチック能力は素晴らしい。4.4秒台というCB並みのスピード、垂直跳び42.5インチ、3コーン・ドリル6.99秒も申し分ない。肩幅が広く、全身の筋肉が発達している。クイックネスを活かして常にボールの近くにいる。しっかりラップアップしてタックルできる。ハードヒッター。マンカバレッジでレシーバーについていくこともできる。複数のポジションを経験し、ヴァーサタイル。頭がよい。

Weakness : そのスピードは直線的で、やや動きが硬く、方向転換がスムーズでない、という評価もある(ただしそれはDBとして使う場合、ということのようで、LBなら当てはまらないかも)。全般的にテクニックが足りず、嗅覚も物足りない。プレー判断がイマイチで、オーバーパスートすることがある。もっと素早くブロッカーを振り払う必要がある。ディビジョンI-AAでプレーしていたため、トップレベル相手の経験が不足している。

メンタル面 : チームキャプテンを務め、頭もいいようだ。この5月には情報科学の学位も取得したはず。

健康面 : キャリアを通じて、ケガの多さに悩まされてきた。高校ではヒザの前十字靭帯を断裂、大学2年では足首の捻挫で3試合欠場、3年では肩のケガで5試合しか出場できず。4年ではシーズン終盤にヒザを捻挫。一部校の選手も多数参加するオールスター戦の一つ、"Las Vegas All-American Classic"に招待されたが、そこでの練習で再びヒザを捻挫してしまった。

パッカーズにとって : パッカーズではウィークサイドLBとしてプレーさせる。荒削りだがスピードは抜群で、「ベイツDC好みの選手だ」とトンプソンGM。今年のパッカーズでは2人目のLB指名だが、5巡のポピンガはDE寄りのストロングサイドLB、こちらのキャンベルはSS寄りのウィークサイドLB。

LB陣のロースター枠は通常6人。5人の年もある。キャンベルの開幕ロースター入りは微妙なところで、ダメだった場合はプラクティス・スクワッドの有力候補となるだろう。

2005年6月18日

OGエイドリアン・クレム

今春ペイトリオッツからFA移籍してきたOGエイドリアン・クレムは、いまのところ先発左ガード争いで大きなリードを保ち、いくつかあるポジション争いのうちで唯一と言っていい「当選確実」を手にしている。だいいち、今年パッカーズが契約したFA選手の中で、それなりの契約ボーナスを払って複数年契約を結んだのは、彼だけしかいないのだ。

アスレチック能力が高く評価されるクレムに問題があるとすれば、それはケガの多さだけ。2000年の2巡(ベリチックHCにとって就任最初のピック)で指名されたものの、1年目はヒザとヒジのケガで11試合に欠場、先発は4試合。2年目はふくらはぎの筋断裂で全試合欠場。3年目だけは全試合に出場し、先発3試合。4年目は第3週に足首を痛め、インジャリーリザーブ入り。5年目の昨季も、序盤に足を骨折してインジャリーリザーブでシーズンを終えている。

再契約の話もあったが、移籍を選んだのは、フレッシュなスタートを切りたかったからだ。「妻に話したことは -- 彼女はマサチューセッツ出身なんだ -- 自分は何かを変えたい、どこか別の場所でやり直したい、ということだった。僕はベリチックHCの最初の指名選手ということで、プレッシャーも大きかった。僕がしたケガの多くは、ハードにトレーニングしなかったせいではない、ということをメディアは理解してくれなかったと思う。自分にはコントロールできないことで、フラストレーションのたまる状況だった」

ペイトリオッツでは3回もの優勝を経験したクレムだが、チーム独特の秘密主義が残念だったと彼は言う。「移籍してきて、ニューイングランドと全く違っていたのは、メディアに対してのケガ人情報の扱い方だ。あちらでは、メディアに何も伝えないんだ。僕がヒザの大きな手術を受けたのに、捻挫だとしか言わない。2年連続で足の骨折をして、最近のやつはとても稀な骨折だった。チームではそれが診断できず、ニューヨークまで行って手当てを受けた。そのことさえ、メディアには流れない。『彼は足をケガした』と言うだけだ。ケガした選手にとっては、よけいつらいことだ。チーム側がケガ人をロッカールームから隠すみたいなことをするから、メディアの目には触れず、自分からの説明をする機会がない」

幸い、昨年のケガからも順調に回復し、6月のミニキャンプにはフル参加できた。そのことはペイトリオッツのスタッフのおかげでもある、とクレムは感謝している。昨季、足を骨折した直後に契約延長のオファーをされ、クレムはそれを断ってFAとなる道を選んだが、それでもスタッフはしっかりと自分のケガを治してくれた。「あとは時間がたてばわかるよ。僕はスターターになれると予想してる。他の選手を軽く見たりはしていないが、僕は控えになるために来たわけじゃない。スターターの座はまだ決定したわけじゃないし、去年からいた選手はチームのオフェンスを僕よりよく知っている。僕としては追いかける立場だ。それでも、最終的には僕がスターターになると思っている」

2005年6月17日

今年もシャーマンHCがプレーコール

マイク・シャーマンHCは、昨季第6週以降、自らオフェンスのプレーコールを出して好成績を残した。そして、やはり今年も基本的には自分がコールしていくことを明言。「そのことは(ロスリーOCとは)あまり話し合っていない。彼がコールする試合もあるかもしれないが、昨季の終わりと同じようなやり方を、今年も続けていくつもりだ」とシャーマンHC。

昨季の第5週終了時、パッカーズは泥沼の4連敗で1勝4敗まで追い詰められていた。そのうえトム・ロスリーOCは心臓の軽い発作を起こして手術(記事参照)。「彼の負担を軽くするためさしあたっては自分がOCの代わりを務める」とシャーマンHCがプレーコールを出すようになった。するとチームは6連勝し、プレーオフ戦線への復帰に成功。「うまく行っていることを変える必要もなし」ということで、ロスリーOCが回復してもシャーマンHCがプレーコーラーのまま、シーズンを終えた。

6連勝中のオフェンスが平均439.3yds、33.7得点。最終的にシャーマンHCがコールした11試合で平均407yds、29.5得点と申し分ない数字だった。ロスリーOCがコールしていた序盤5試合も376ydsを稼いでいたが、得点に結びつかず19.8点。「私自身も楽しんだよ。オフェンスに能力があることはよく分かっていた。それに、(ターニングポイントとなった第6週の)@デトロイト戦は、チーム全体が再結集して息を吹き返す、またとないシチュエーションだった。どうしても勝たなければならず、選手たちは頑張って素晴らしいプレーをした。私が良いコールをしたというよりも、選手たちが良いプレーをしたのだ」とシャーマンHCは振り返る。

じっさい昨季のシャーマンHCのプレーコールは評判が良く、今年も続けるのは当然の判断だと見られている。ファンの間でも、「ロスリーOCに戻っちゃったらどうしよう」と心配する向きが多かった。上のボックスから指示を出すロスリーOCと比べ、サイドラインに戻ってすぐに綿密な打ち合わせができるのでやりやすい、とQBファーヴも証言している。そのぶんディフェンスへの注意がおろそかになるが、ジム・ベイツ新DCに全て任せてしまおう、という覚悟の表れなのかもしれない。

どちらが試合中のコールをしようとも、それはロスリーと自分が2人で作り上げたものだ、とシャーマンHCは常に強調している。2000年のパッカーズ就任以来、一心同体といっていいほど緊密な関係を保ってきた2人は、20年前のホーリークロス大以来の親友でもある。OCの失敗が槍玉に挙げられた時も、シャーマンHCはロスリーOCをかばい通してきた。プレーコール権を失うのはコーディネーターにとってはつらいはずだが、「試合に勝つためなら何でも、というのが私の気持ちだ」とロスリーOCは語っている。シャーマンHCは、「我々にとって最高のコールは、2003年のシアトル戦だった。5回のポゼッションで、5回連続タッチダウン。彼は良いプレーコーラーだ。彼の働きには極めて満足している」

2003年には2,558ydsラッシングで球団記録を塗り替え、2004年には4,550ydsでパスの球団記録を作った。「ある年に球団ラッシング記録を破り、翌年に球団パッシング記録を破る。こうした例は1988年の49ersが最後だったのではないかと思う。そうそうあることじゃない。これはオフェンスの素晴らしいバランスを示している。トムがオフェンシブコーディネーターであり、彼が良い仕事をしてバランスを保ってくれている」

2005年6月16日

WRケルヴィン・カイトら3選手を解雇

パッカーズは、NFLヨーロッパ派遣を終了したばかりの、WRケルヴィン・カイトLBショーン・モーガンDTダグ・シムズの3選手を解雇した。NFLヨーロッパ派遣選手は、開幕直前の最終ロースターカット期日までは、80人枠の例外扱いとしてロースターに残すことを許されているが、彼ら3人は「トレーニングキャンプに参加する必要なし」と早々と宣告されてしまったことになる。

WRケルヴィン・カイトは昨季の多くをパッカーズのプラクティス・スクワッドで過ごし、ケガでWR陣が手薄となった第6週ライオンズ戦にはロースターに昇格し、NFL初出場(キャッチなし)を果たした。今春はフランクフルト・ギャラクシーに所属したが、ケガのためにインジャリー・リザーブのままシーズンを終えている。LBショーン・モーガンはハンブルグ・シーデビルズに所属して35タックル・1サックを記録。DTダグ・シムズはライン・ファイアに所属して5タックルに終っている。

現在、13名のNFLヨーロッパ帰りの選手がロースターに残っているが、ケガで満足にプレーできなかった者も多く、今夏のトレーニングキャンプで勝ち残って最終ロースター入りの可能性がありそうなのは、Pサンダーぐらいか。昨年はDT/DEカレン・ジェンキンズ、2002年にはLBパリス・レノンが、ドラフト外入団からNFLヨーロッパ派遣を経てパッカーズのロースター入りを果たしたが、今年はドラフト指名ルーキーが11人もいることが、不利に働くかもしれない。

2005年6月15日

Junior Power Pack

パッカーズのキッズ・ファンクラブ、"Junior Power Pack"のためのフットボール・クリニックが先週の土曜日に開催され、900人近いチビッコファンたちが集まった。会場はパッカーズ選手が練習するのと同じレイ・ニチキ・フィールド。RBダヴェンポートやDTグレイディ・ジャクソンなどパッカーズ選手や、地元のSouthwest高校のフットボール部員がコーチ役となり、同高校の女子バスケット部員が子供たちの世話役を務めた。

たくさんの親御さんがフェンスの向こうから見つめる中、チビッコ・ファーヴやチビッコ・バジャ=ビアミラたちは、アジリティ・ドリルに挑戦したり、ダミーにタックルしたり、3ポイント・スタンスからの練習をしたり、パッカーズ選手とともにフィールドを駆け回り、楽しい週末を過ごしていた。(全写真

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どうやらストレッチを教わっている 選手と同じドリルを 女の子も負けてはいない
     
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あまりにも果敢なチャレンジ 選手たちのデカさに圧倒される図 地元高校のモヒカンの選手と

2005年6月14日

ドラフト指名選手紹介 9: WR/KRクレイグ・ブラッグ

6巡21位 WR/KR クレイグ・ブラッグ Craig Bragg
UCLA Senior 6-1(185cm) 196lb(88kg) 40yds/4.45秒 1982年3月15日生

経歴 : カリフォルニア州サンノゼ出身。高校ではWRとRBとリターナー、野球でも活躍した。UCLAに進み、レッドシャツを経た1年目からWR/KR/PRとして3試合に先発。2年目には全試合に先発して889yds、パントリターンでも平均16.0ydsと素晴らしい数字を残した。3年目にはキャリア最高の1065ydsを記録したが、4年目は肩の脱臼に苦しんでわずか483ydsに留まった。通算193レセプションはUCLA記録。4年連続でレセプション回数がチームトップだったのもUCLA初。

Strengths : サイズもスピードもまずまず。信頼のおける、安定したレシーバー。集中力があり、パスキャッチは上手い。肩越しのキャッチやフルスピードでのキャッチも安定している。クイックネスに優れ、滑らかな動きができる。マンカバレッジを相手とするのが得意で、ルート取りも進歩してきた。リターナー、特にパントリターナーとして素晴らしい実績がある。ブロッカーとしても良い。

Weakness : どの分野でも飛び抜けたところがなく、ややスケールが小さいかもしれない。NFLではディープスレットになれそうもない。ゾーンカバレッジが苦手で、フリーになる能力を磨く必要がある。サイドライン際のキャッチで足をインバウンズに残すことにもっと注意が必要。下記のように、ケガの懸念がある。

メンタル面 : ハードワーカーという他は、よくわからない。ワンダーリックテスト27点はWRとしては優秀な方。

健康面 : 昨季は肩の脱臼のために先発6試合に終わり、数字も大幅に落ちた。スカウティングコンバインでの40yds走の際にハムストリングを痛め、キャンパスでのワークアウトも万全ではなかった。3巡あたりの評価をされていた時期もあったが、ケガのためにドラフトでの順位が落ちたと本人は悔しがっている。入団後も、6月のミニキャンプではハムストリングを痛めて全くプレーできなかった。

パッカーズにとって : 要補強ポイントと思われていなかったWRを2人も指名したのは意外だったが、ウォーカーのホールドアウトが長引くようだと、この補強が吉と出る可能性もある。すでに2回のミニキャンプでかなり高い評価を得た2巡指名のWRマーフィと比べると、ブラッグはケガのためにかなり出遅れてしまった。パントリターナーとしての期待は大きく、開幕ロースター入りするためには、リターナーとして光るところを見せる必要がありそう。

WR陣のロースター枠は通常5人。多い年で6人。ウォーカー、ドライバー、ファーガソン、マーフィの4人まではロースター入り確定として、5番手・6番手の座をチャットマンやドラフト外のヴィンス・バトラーらと争うことになる。

etc. : 弟のダリンはノートルダム大の2年生で控えQBをしている。かつてMLBのヤンキースなどで活躍(通算1390安打・打率.290)したロベルト・ケリーは従兄。

2005年6月13日

QBアーロン・ロジャース

1巡指名ルーキーのQBアーロン・ロジャースは、まだフィールド上ではプロのオフェンス習得に苦しんでいるが、オフ・フィールドでは、すでに先輩たちのリスペクトを勝ち取りつつある。「過去の1巡指名ルーキーたちと比べて、彼は人の神経を逆撫でするようなことはない。トラッシュ・トークなどはせず、できる限りのことを学び取ろうとしている。長期的に見れば、こういったことは必ず彼のためになると思う」とCフラナガン。

ロジャースとロッカーが隣同士のKロングウェルは、「彼はすごく自信を持っているが、決してうぬぼれや自信過剰ではない。ちょうどよいバランスを保っていると言えるよ。だって、あのポジションは、自分に自信がなければプレーできないからね」と証言する。

先週火曜日の夜、ロジャースはオフェンスラインマン全員をディナーに招待して好評だった。普通に考えて、彼ら巨漢たちの腹を満たすだけでも大変なコストだ。 「ルーキーがどんなヤツか、誰だって知りたいものだからね。僕は別に媚びているわけじゃない。僕としては、自分が毎日しっかり働き、強いエゴを持たず、チームに溶け込もうとしている、といったことを知ってもらいたい。僕の出番が来た時のためにも、僕がどんなヤツか彼らは知っている必要がある」

ドラフト直後のミニキャンプでは、長ったらしいプレーコールをハドルでコールするだけでも苦労した。「しかし今では、"いいかみんな、こうして行こうじゃないか"という感じになっているよ。強引なのではなく、"僕が話すときには、しっかり聞くんだ"という感じだね。彼がいつスターターとしてプレーするかは分からないけど、その時のために今から尊敬を得ておく必要があるんだ」とOTブラッド・ベデル。

ロジャースは、ミニキャンプ後も3週間はグリーンベイに留まって、オフェンスの勉強を続ける予定だ。「ハドルにおける自分へのリスペクトとは、2つのことで決まってくると僕は思う。普段からどのように仲間を扱うか、そしてフィールド上でのパフォーマンス。僕がフィールドでの進歩を続け、仲間が僕のことをよく分かってくれるようになれば、お互いへのリスペクトが生まれてくると思う」

2005年6月12日

Notebook: QBマクブライエン解雇

2005年6月11日

Minicamp - Day 7: CBトーマスがややリードか

2005年6月10日

Minicamp - Day 6: ドッジボール大会

毎年6月のミニキャンプでは、マイク・シャーマンHCが抜き打ちのイベントを企画するのが恒例となっている。ペイントボール、ボーリング、ゴルフコンペ・・・。今年はなんとドッジボール大会だった。子供のころ以来という選手が多かったが、そこは競争心の強いプロアスリート、優勝を目指して熱い戦いが繰り広げられた。

2005年6月 9日

Minicamp - Day 5: CBキャロルにお叱り

2005年6月 8日

Minicamp - Day 4: 新人WRマーフィ好評

2005年6月 7日

ファーヴ主催のチャリティ・ソフトボール

今年で6回目を迎えた"Brett Favre Celebrity Softball Game"が、グリーンベイ南西のアップルトン市のFox Cities Stadiumで開催され、過去最多となる8,505人のファンが集まった。好天にも恵まれ、和気あいあいとしたファミリーイベントを、選手もファンも楽しんだ。(写真

2005年6月 5日

Minicamp - Day 3: 新人QBロジャース苦戦

2005年6月 4日

Minicamp - Day 2: ホルダーはどうする

2005年6月 3日

Minicamp - Day 1: DTハント無断欠席

2005年6月 2日

ディアナの気持ち

ブレット・ファーヴの妻ディアナは9ヶ月にわたる乳がんの治療を終え、(先日売却が決まった)グリーンベイの自宅から小さめの家に引っ越す作業の最中だ。荷物を箱に詰めたり、箱にメモを書いたりしながら、Press-Gazette紙のインタビューに答えている。「元気さのレベルはまだ完全に戻ったわけじゃないけど、あの病気をしたにしては、全般的にとても調子がいいと言えるでしょう」とディアナ。治療終了後の最初の検査は来週に予定されている。

いま彼女が思い出しているのは、この家に引っ越すことになった、9年前のいろいろな出来事だ。中学の頃からブレットと付き合っていたディアナは、大学時代に長女ブリタニーを産んだものの、時には互いに別の相手と付き合うなどして、結婚はせずに7年が経過していた。1996年の春、ブレットは鎮痛剤依存症を告白して自ら治療施設に入ることになった。「ブレットはあのリハビリ中に日記をつけていて、読むととても興味深いの。あの頃と比べて彼がどれほど成長したかと思うと、ほんとに信じられないぐらい」

その年、ファーヴ主催の第1回"Brett Favre Celebrity Golf Tournament"は、本人がリハビリ施設にいるため、代わってディアナがホスト役を務めることになった。そのようなつらい状況で、堂々と笑顔でいることは大変だったけれど、なんとかイベントは成功裡に終えることができた。こうして最も困難な時期を乗り越えた2人は、4ヶ月後に正式に結婚し、今の家に引っ越してきた。そして二度目のMVP獲得、スーパーボウル制覇。

「上のブリタニーは、引っ越してきたときは小学校2年生。いま5歳のブレレイはこの家にしか(グリーンベイでは)住んだことがない。とても美しいところだったし、きっと懐かしく思い出すことでしょう。でも、もう前に進む準備はできています」

今度の日曜日に開催されるファーヴ主催のチャリティ・ソフトボール大会では、自分もプレーすることを楽しみにしているとディアナは言う。「ブレットは、よいシーズンにしようとハードに頑張っています。私は少し心配があるのだけれど。新しい選手がとても多いし、オフェンシブラインのことも心配です。(夫の体を守るのだから)当然のことでしょう。でも私はポジティブに、みんな頑張って成長してくれると信じています」

キャリアの終わりに近づいたとはいえ、ファーヴの、いやファーヴ夫妻の勝利への意欲は決して衰えることはない。「たとえダーツであっても、負けるのはイヤ。その点で、ブレットと私は全く同じなの。私は勝ちたい、彼も勝ちたい。だから、なんらかの敗北があるたびに、家の中が少し意気消沈してしまう。彼もへこむし、私もへこむ。ウチは娘たちでさえ負けず嫌いなんです。ティー・ボールでさえ私は勝ちたい。ただのゲーム? そんなことではダメ。私たちは勝ちたい。もうそれだけ」

Notebook: QBファーヴは今回もミニキャンプ欠席

2005年6月 1日

レジー・ホワイトの92番が永久欠番に

パッカーズのボブ・ハーラン社長は、昨年12月に急死した偉大な名DE、レジー・ホワイトの背番号92を永久欠番とし、そのセレモニーをレギュラーシーズン第2週ブラウンズ戦のハーフタイムに行うと発表した。9月18日のセレモニーには、レジーの妻サラと息子ジェレミー、娘ジェコリアも出席し、ジェコリアは試合前の国歌も歌うことになっている。

「(使える番号がなくなるため)できるだけ永久欠番にはしないように」というNFLのお達しをパッカーズは比較的忠実に守ってきたため、レジー・ホワイトはわずか5人目の永久欠番ということになる。これまでの4人は、WRドン・ハトソン(1935-45)の14番、RBトニー・カナデオ(1941-52)の3番、QBバート・スター(1956-71)の15番、LBレイ・ニチキ(1958-72)の66番。言うまでもなく全員がNFLの殿堂入りを果たしており、レジー・ホワイトも来年には「引退後5年」の殿堂入り資格がクリアできる。

92番を永久欠番にするのは、レジーが死んだからでは決してないとハーラン社長は強調している。「昨年9月に彼と会い、05年シーズン中に永久欠番にしたい旨を伝えた。彼は非常に光栄に思ってくれた。スタジアムの北側を見上げ、『あそこに君の名前と背番号が掲げられる(写真参照)。 我々の歴史ではまだ4人しかいないのだ』 と私が言うと、彼は、『わかってる、よくわかってるよ』と言った。どれほど特別なことかは、よくわかってくれていた」

テネシー州チャタヌーガ出身のレジー・ホワイトは、 テネシー大からUSFLを経て1985年にイーグルスに入団。1987年には21サックを挙げるなど8年間で124サックを記録した。そして1993年、フリーエージェントとなった彼が選んだのが、10年もプレーオフから遠ざかっていたパッカーズだった。ホルムグレンHCの指導でオフェンスが力を付けていく中、ホワイトはディフェンスのリーダーとして(時にスカウトのようにFA選手を勧誘しつつ)、かつての負け犬チームを強豪へと育てていった。移籍4年目にしてついにスーパーボウル制覇を果たし、そこでの3サックもスーパーボウル記録として残っている。

1998年シーズンを最後に引退した後、2000年に復帰してパンサーズで1年だけプレーし、正式に引退した。15シーズンで通算198サック、NFL記録となる13年連続プロボウル選出も果たしている。そして2004年12月26日、43歳の若さで急死。 数年前から患っていたサルコイドーシスと睡眠時無呼吸症からくる呼吸困難が心臓発作を引き起こしたと見られている。

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