グリーンベイ・パッカーズ ニュース

2005年6月 1日

レジー・ホワイトの92番が永久欠番に

パッカーズのボブ・ハーラン社長は、昨年12月に急死した偉大な名DE、レジー・ホワイトの背番号92を永久欠番とし、そのセレモニーをレギュラーシーズン第2週ブラウンズ戦のハーフタイムに行うと発表した。9月18日のセレモニーには、レジーの妻サラと息子ジェレミー、娘ジェコリアも出席し、ジェコリアは試合前の国歌も歌うことになっている。

「(使える番号がなくなるため)できるだけ永久欠番にはしないように」というNFLのお達しをパッカーズは比較的忠実に守ってきたため、レジー・ホワイトはわずか5人目の永久欠番ということになる。これまでの4人は、WRドン・ハトソン(1935-45)の14番、RBトニー・カナデオ(1941-52)の3番、QBバート・スター(1956-71)の15番、LBレイ・ニチキ(1958-72)の66番。言うまでもなく全員がNFLの殿堂入りを果たしており、レジー・ホワイトも来年には「引退後5年」の殿堂入り資格がクリアできる。

92番を永久欠番にするのは、レジーが死んだからでは決してないとハーラン社長は強調している。「昨年9月に彼と会い、05年シーズン中に永久欠番にしたい旨を伝えた。彼は非常に光栄に思ってくれた。スタジアムの北側を見上げ、『あそこに君の名前と背番号が掲げられる(写真参照)。 我々の歴史ではまだ4人しかいないのだ』 と私が言うと、彼は、『わかってる、よくわかってるよ』と言った。どれほど特別なことかは、よくわかってくれていた」

テネシー州チャタヌーガ出身のレジー・ホワイトは、 テネシー大からUSFLを経て1985年にイーグルスに入団。1987年には21サックを挙げるなど8年間で124サックを記録した。そして1993年、フリーエージェントとなった彼が選んだのが、10年もプレーオフから遠ざかっていたパッカーズだった。ホルムグレンHCの指導でオフェンスが力を付けていく中、ホワイトはディフェンスのリーダーとして(時にスカウトのようにFA選手を勧誘しつつ)、かつての負け犬チームを強豪へと育てていった。移籍4年目にしてついにスーパーボウル制覇を果たし、そこでの3サックもスーパーボウル記録として残っている。

1998年シーズンを最後に引退した後、2000年に復帰してパンサーズで1年だけプレーし、正式に引退した。15シーズンで通算198サック、NFL記録となる13年連続プロボウル選出も果たしている。そして2004年12月26日、43歳の若さで急死。 数年前から患っていたサルコイドーシスと睡眠時無呼吸症からくる呼吸困難が心臓発作を引き起こしたと見られている。

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