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2005年2月28日

FSシャーパーにサラリーカットを要求

パッカーズは、$8.6ミリオンにも上るFSダレン・シャーパーのキャップ額を減額するため、彼にサラリーカットを要求していることが明らかになった。今年のシャーパーのベースサラリーは$3.4ミリオン、そして3月15日には$2.6ミリオンのロースターボーナスが発生する。合わせて$6ミリオンのところを、$2ミリオンほどにカットしたいと、トンプソン新GMは代理人のジョエル・シーゲルに伝えたようだ。

「最初の話し合いは、満足できるものじゃなかった。まあ、最初だからかもしれない。契約交渉というのは、最初はスローに始まるものだ。両者が合意できる点を見つけられれば、と願っている」とFSシャーパーは語っている。まだ29歳の中心選手に$4ミリオンの減俸を飲めというのはやや無理があり、トンプソンGMにとっては、「最初にまずふっかけてみた」という金額なのかもしれない。しかしこれが本気に近いとすると、3月15日までに交渉がまとまらない場合は解雇の可能性もある。

Notebook: RGリヴェラの動向

2005年2月27日

ハーラン社長 「ファーヴには決断を急がせない」

QBブレット・ファーヴが現役を続行するかの決断について、シャーマンHCはプレーオフ終了時に「できればFA期間が始まる3月2日までには知りたい」と本人に伝えたとのことだが、このたびボブ・ハーラン社長は、「期限は特に決めずに待ち、好きなだけ時間をかけて決めさせる」という姿勢を強調した。

「我々はブレットに、じっくり時間をかけるようにと言った。彼にはその資格がある。テッド(トンプソンGM)の気持ちもマイク(シャーマンHC)の気持ちも同じだ。我々は、ブレットに対してそれだけの借りがある。我々は彼の決断をせかしたりしない。彼はこのフランチャイズにそれだけの貢献をしてきたのだ。しかるべき時が来れば、彼は決めるだろう。この件について、我々は非常にゆったりと構えている。プレッシャーはない。パニックもない」

かんじんのファーヴの決断の行方についてハーラン社長は、「我々はどちらだと決めてかかるようなことはしたくない。なぜならブレット自身がまだどちらだとも言っていないからだ」とあくまで慎重。

いっぽう、ファーヴ本人と非常に近く、今も週に3、4回は会っている代理人バス・クックは、「私はどちらに賭けるとも言えないね。彼がどうするつもりか、全くわからないのだ。本当にどちらとも言えない」と語っている。「彼は奥さんと話し合って、結論を出すだろう。私にも少しは話すかもしれないが、現時点では、私にはどちらの兆候も見て取れない。おそらく、父親のアーヴィンが生きていたとしても、アーヴィンには相談しないのではないかと思う」

ファーヴの母親ボニータは、今週ESPNのインタビューに答え、「ブレットの判断は、(乳がんで闘病中の)妻ディアナの健康状態にかかっているだろう」といった趣旨の発言をしている。

妻ディアナが運営するチャリティ基金はクックが所有するビルにオフィスがあるため、クックは毎日ディアナと顔を合わせているとのこと。「彼女は無事にやっているよ。放射線治療を始めたが、元気でいる。放射線治療は6週から8週続く予定だと思う。彼女はゴルフ・トーナメントを運営し、チャリティ基金を運営している。ブレットと一緒に、毎日を忙しく過ごしている」とクックは説明する。ファーヴ一家は先日フロリダのディズニー・ワールドに出かけたという。

クックによると、今オフのファーヴはフットボール関連のケガの問題もなく、シャーマンHCの下でプレーすることをエンジョイし、トンプソン新GMのことも気に入っている、とのこと。「誰のキャリアにも、少し燃え尽きたりするようなことはあると思う。今でも彼は、どのクォーターバックにも負けないようなプレーができる。悪い試合もあったが、それは誰でもそうだ。パッカーズ側がブレットにゆっくり時間を与えて決めさせれば、きっとうまくいくと私は思う。チーム側としては、3ヶ月早く決めてくれれば、という気持ちもあるだろう。しかし誰も彼に決定の期限を押し付けたりはしていない」

クックによると、シャーマンHCとは時おり話をしているが、ファーヴの問題は話題に上っていないという。また、契約を見直したいという話もチーム側からは来ていないとのこと。

2005年2月26日

オフェンスのコーチ陣紹介 2

Larry Beightol - Offensive Line Coach

ラリー・ベクトルOLコーチは、ピッツバーグ出身の62歳。今のコーチ陣では最年長となる。カタウバ大(ノースカロライナ州)ではキャプテンとしてガードやLBをプレーし、卒業後はウィリアム&メリー大で教育学の修士号を取得。翌1968年からウィリアム&メリー大でOLコーチとしてキャリアをスタート。ノースカロライナ大、オーバーン大、アーカンソー大、ルイジアナ工科大(ヘッドコーチ)、ミズーリ大の各大学で主にOLコーチやオフェンシブコーディネーターを務めた。

1985年にはNFLへ。ファルコンズのOLコーチ(1985-1986)、バッカニアーズのOLコーチ(1987-1988)、チャージャーズのOC(1989)、ジェッツのOLコーチ(1990-1994)、オイラーズのOLコーチ(1995)、ドルフィンズのOLコーチ(1996-1998)を歴任。1999年にレイ・ローズHCの下でパッカーズのOLコーチとなり、シャーマンHC政権に変わってもチームに留まった。

NFL屈指と言われるパッカーズの強力OL陣を作った立役者。今の先発OL陣は全員がパッカーズにドラフト指名された選手だ。どちらかというと昔気質のコーチで、容赦なく選手を怒鳴り上げるいっぽう、外部に対しては徹底して選手をかばい通す優しさがある。スターターの育成だけでなく、ケガ人が続出した2002年にはCフラナガンをLTとして使ったり、ドラフト外ルーキーのRTバリーを先発出場させたりと、困難な状況を切り抜ける手腕も相当なもの。やや気難しく、誰とでも上手く行くタイプではないだけに、長くグリーンベイにいてくれるのはありがたい。

年齢の上に、ヒザがかなり悪い(キャンプではカートを使って見回ることも多い)こともあり、引退の時期も遠くないと本人は覚悟している。

James Campen - Assistant Offensive Line Coach

ジェームズ・キャンペンはカリフォルニア州出身の40歳。Cウィンタースの前にパッカーズの先発センターだった元選手だ。彼をテュレーン大に誘ったのは、当時OLコーチだったマイク・シャーマンHC。1986年にドラフト外でセインツ入り。1989年にパッカーズに移り、翌年にはついに先発センターに昇格。ケガのためウィンタースに先発の座を譲って引退するまで、通算42試合に先発した。1992年9月27日、初先発のファーヴにスナップしたセンターも彼だった。

引退後はカリフォルニアに戻って高校でヘッドコーチを務め、好成績を残した。2004年にパッカーズのアシスタントOLコーチに誘われ、初めてNFLのコーチとなる。今年が2年目。

James Franklin - Wide Receivers Coach

ジェームズ・フランクリン新WRコーチはペンシルベニア州出身の33歳。写真ではわかりにくいが黒人のコーチ。5年間にわたってWRコーチを務めたレイ・シャーマンの後任となる。ディビジョンIIのイースト・ストラウズバーグ大でQBとして活躍。卒業後は、ワシントン州立大、アイダホ州立大などを経て、2000年からメリーランド大のWRコーチに。2003年からはリクルーティング・コーディネーターも兼任し、優れた実績を挙げたとのこと。

Joe Philbin - Tight Ends /Asst. Offensive Line Coach

ジョー・フィルビンTEコーチはマサチューセッツ州出身の43歳。ワシントン&ジェファーソン大でタイトエンドとしてプレーしたあと、母校でコーチの道へ。ウォーチェスター工科大、国立商船大、アレゲニー大、オハイオ大、ノースイースタン大、ハーヴァード大、アイオワ大でOLコーチやオフェンシブ・コーディネーターを歴任した。

アイオワ大で、OGエリック・スタインバック、OTロバート・ギャラリーなど優れたOLを育てたのが認められ、2003年からパッカーズのアシスタントOLコーチに。2004年には、ジャゴジンスキーTEコーチの退団にともなってTEコーチに移った。アシスタントOLコーチの肩書きもまだ残っており、ジェームズ・キャンペンより職階は上。ベクトルOLコーチが引退すれば、後任はこのフィルビンだろうと見られている。

2005年2月25日

オフェンスのコーチ陣紹介 1

先日ディフェンスの新コーチ陣を紹介したので、今度は2日に分けてオフェンスのコーチを紹介。

Mike Sherman - Head Coach

マイク・シャーマンHCはマサチューセッツ州出身の50歳。少年時代からヴィンス・ロンバルディに憧れ、パッカーズのヘッドコーチとなるのが夢だった。東部出身、それにカトリックの信仰が篤いのもロンバルディと共通している。セントラル・コネチカット州立大で、地味な攻守ラインマンとしてプレーしたあと、高校で教師兼コーチとして、コーチのキャリアをスタートさせた。

1981年から、ピッツバーグ大、テュレーン大、ホーリークロス大、テキサスA&M、UCLAで主にOLコーチを務めた。そして1997年、パッカーズのアンディ・リードがTEコーチからQBコーチに移る際、友人のシャーマンを後任のTEコーチとしてホルムグレンHCに推薦したのがNFLへの入り口となった。1999年にはホルムグレンと共にシアトルへ移り、オフェンシブ・コーディネーターに昇格。翌年、グリーンベイのロン・ウルフGMとの面接で強い印象を与え、パッカーズの第13代ヘッドコーチに就任した。さらに翌年、ウルフの引退に伴ってGM職を兼任することに。

カリスマ性はなく、あえて言えば教師タイプ。ケミストリー重視のチーム作り。GMとしては温情主義が裏目に出ることもあった。問題はプレーオフだが、2年続けて負け越し状態から盛り返したのは、彼の粘り強さの表れとも言えそうだ。プレーオフを含めた通算成績は55勝31敗(.640)で、これを上回る現役HCはアンディ・リード(.717)、ビル・ベリチック(.697)、ビル・カウアー(.657)の3人。

Tom Rossley - Offensive Coordinator

トム・ロスリーOCは、オハイオ州出身の58歳。シンシナティ大でWRとして活躍した後、3つの高校でコーチをした。その後ライス大、シンシナティ大、CFLのモントリオール、USFLのサンアントニオ、ホーリークロス大、サザンメソジスト大などでWRコーチやOCを務めた。ホーリークロス大では彼がOC、シャーマンはOLコーチだった。1990年にはファルコンズのQBコーチ、ベアーズのWRコーチ、TEコーチ、チーフスのQBコーチを務め、2000年からパッカーズのOCとなった。

彼はシャーマンHCの盟友と言えるほど近い存在だ。ロスリーのプレーコールが批判された時もシャーマンHCはかばい通し、同様に彼のシャーマンへの忠誠心も強い。融通が利かず一本調子なプレーコールが批判されることも多く、ファンには人気がない。昨年10月には軽い心臓発作を起こし、そこからはずっとシャーマンHCがプレーコーラーを務めた。毎年オフには彼の解任論が出るが、今年は静か。シャーマンHCのプレーコールが全般的に良かったため、「シャーマンがコールするならロスリーがOCでもいいか」という雰囲気が広がっているせい。

Darrell Bevell - Quarterbacks Coach

ダレル・ベヴェルQBコーチはアリゾナ州出身、QBファーヴと同じ35歳。高校では父親がコーチだった。ノーザン・アリゾナ大からウィスコンシン大に編入し、スターQBとして4年間活躍した。1993年のローズボウル勝利にも貢献した。卒業後すぐに、ウェストマー大(アイオワ州)のQBコーチとしてコーチ修業を始めた。その後、コネティカット大のWRコーチを経て、パッカーズのアシスタントとなった。2003年にQBコーチに昇格(当時の記事参照)。

2004年シーズンは3rdダウンの作戦立案を担当していたらしい。その出来が非常に良かったため、次期オフェンシブ・コーディネーターの声も出てきている。

Edgar Bennett - Running Backs Coach

エドガー・ベネットRBコーチは、フロリダ州出身の35歳。フロリダ州立大でFBとして活躍し、1992年のドラフト4巡でパッカーズ入り。エースRBとして1996年のスーパーボウル制覇にも貢献した。アキレス腱断裂後にベアーズで2年間プレーして引退。2001年から古巣グリーンベイに戻り、"director of player development"の肩書きで、選手やその家族のためのアドバイザーを4年間務め、チームのケミストリー向上に貢献。今年ついにRBコーチに昇進した。

裏方をしていたこの4年間も実質的にはRBコーチのアシスタントも兼務し、練習やミーティング、大学選手のスカウティングにも参加していた。大ベテランのシルヴェスター・クルームやジョニー・ローランドの下で、自分は十分な経験を積んだ、と本人は張り切っている。昇進の直前には、パッカーズの殿堂入りも果たしている(記事参照)。

2005年2月24日

FA解禁日までの課題

今年は3月2日にFAが解禁される。実質ここからが新年度となり、各チームとも、新年度のサラリーキャップ額($85ミリオンほど)にサラリー総額(ただし上位51人だけでよい)が収まるよう、高給取りを解雇するなり契約を結び直すなり、3月1日いっぱいにやりくりを済ませておかなければならない。

主戦場はインディアナポリスに

この23日から3月1日まで、インディアナポリスでスカウティング・コンバインが開催される。330人以上のドラフト候補生が招待され、身体検査、さまざまな体力測定、フットボール関連のワークアウト、個別チームとの面接などを行う。NFL各チームとも、GMをはじめとして30人から40人以上のスタッフが現地に入るため、代理人たちもその間を飛び回ることになる。コンバインの期間中は、以下のような契約交渉やトレード交渉なども、このインディアナポリスが主戦場となる。

サラリーキャップのやりくり

パッカーズの場合、LGウォール(無茶な額なので、解雇か新契約の締結が必須)を解雇すれば当面キャップ内に収めることはできるが、それでは新戦力の補強もできず、ドラフト指名ルーキーとの契約にも足りない。

そこで注目されるのが、高給取りのFSダレン・シャーパーの契約をどうするか、という問題だ。$8.63ミリオンにもなるキャップ額(SSローマンのほぼ10倍)をなんとかできれば、それだけでキャップの空きをかなり作ることができる。彼を解雇した場合、$3.4ミリオンの余裕ができる。ただし、相方のセーフティにも補強が必要な現状で、両セーフティを新たに探すというのは戦力的なダメージが大きすぎる。それに今年解雇すると"dead money"(用語集参照)が$5ミリオン以上になってしまう。

そこでシャーパーとはサラリーカットまたは契約の見直しをすることでキャップに空きを作ることが有力視されている。晩年のSSリロイ・バトラーのように純粋なサラリーカットを飲んでくれれば言うことはないが、まだ29歳と年齢的にピークにあるシャーパーがそれを受け入れることは考えにくく、「解雇するぞ」と脅しをかけられるようなチーム戦力もない。となると、今年のロースターボーナス$2.6ミリオンを契約ボーナスに変えるような、小手先の契約見直しをするしかないかもしれない。

その他の契約見直しの候補は、QBファーヴ(キャップ額$11.73ミリオン)、LBディッグス($3.25ミリオン)あたりか。しかし引退間近のファーヴの契約見直しを行うことは、引退した時の"dead money"がより高額になることを意味し、「ファーヴ後」のチーム再建をスムーズに行うためにも、これはできるかぎり避けたいところ。純粋なサラリーカットを受け入れてくれれば言うことはないが、それは望み薄。

RFA選手へのオファー額決定

制限つきフリーエージェント(RFA)となる選手に3段階のうちどのオファーをするか、3月1日いっぱいまでに決定しなければならない。今年の場合、「特上」は$1.9ミリオン、「上」は$1.43ミリオン、「並」は$656,000ドルの3段階となっている(用語集参照)。高い額をオファーするほど拘束力は強く、他チームに引き抜かれる可能性は低くなる仕組みだ。

今年のパッカーズからRFAとなるのは、DEキャンプマン、RBダヴェンポート、OTバリー、QBノール、QBオサリバン、LBレノン、DEトゥルーラックの7人。問題はDEキャンプマンとRBダヴェンポートの2人だろう。

DEキャンプマンはスターターとしてまずまずの実績があり、ドラフト5巡指名だったため、「並」のオファーをしてしまうと、狙うチームは5巡指名権だけをパッカーズに譲渡すればよく(もちろん本人への契約オファーは別に必要だが)、比較的手を出しやすい状況にある。RBダヴェンポートも4巡指名だったので、彼を高く評価するチームがあれば、同様のリスクはある。ただし今年はドラフトでRBが豊作と言われているので、わざわざ指名権を犠牲にするチームはないかもしれない。確実に引き留めるには「上」のオファーをすればよいが、それぞれ$77万ドル余計にかかることになる。

2005年2月23日

TEフランクスをトランジションプレーヤーに指名

パッカーズは、TEババ・フランクスをトランジション・プレーヤーに指名した。トランジション指名選手のサラリーは、「ポジションごとのリーグ上位10人の平均額」と決められており、フランクスは$2.095ミリオンの1年契約となる。他チームからのオファーにフランクスがサインした場合、パッカーズは同等のオファーをすることで自動的に移籍を阻止できる。しかしそれをせずに移籍を許した場合、フランチャイズ指名と違って、移籍先チームから何の補償も受け取ることができない。(用語集参照

これで彼の処遇が決定というわけではなく、両者は今後も長期契約へ向けた交渉を続けていく予定だ。一昨年にDTハントをトランジション指名した時にも、3月に入ってから6年契約を結んでいる。

フランクスの代理人。「彼は非常に勝負強い選手だ。彼はそのブロッキングで、毎年の1000ydsラッシングに貢献してきた。逆に、あまり活用されなかった能力が、彼のレシービング・スキルだ。1000ydsレシーバーが2人もいれば、パスはフィールド全体には分配されないものだ。ババはもっとたくさんキャッチする機会があれば、と望んでいる。そのことは、今後の決断にも関わってくるだろう」

今年フリーエージェントとなる主なタイトエンド選手は、フランクスの他に、アンソニー・ベクト(NYJ)、チャド・ルイス(PHI)、ジャーメイン・ウィギンズ(MIN)、ケン・ディルガー(TB)、フレディー・ジョーンズ(ARI)、イテュラ・ミリ(SEA)、スティーブン・アレクサンダー(DET)。 このうち、ウィギンズ(71回)、ジョーンズ(45回)、アレクサンダー(41回)、ディルガー(39回)の4人はフランクス(34回)より多くのパスレセプション回数を記録している。

マイアミ大から2000年のドラフト1巡14位でパッカーズに入団したTEババ・フランクスは、これまで全試合に出場し、キャンプの練習さえほとんど休んだことがない。パスキャッチが非常に上手く、レッドゾーンでのターゲットになることが多いため、ヤーデージの割にタッチダウン数が多い。しかしエリートクラスと比べると、LBを抜き去るようなスピードがないのは明らかで、2004年は20yds以上のロングゲインがわずか3回しかなかった。

ブロッキングは毎年着実に向上を続けており、ミスも大幅に減り、信頼できるブロッカーへと成長してきた。Journal Sentinel紙の集計によると、ランが1yds以下しか出せなかった"bad run"のプレーにおいて、フランクスが原因となったのはシーズンわずか8.5回。2003年の19回から大きく減らし、LTクリフトンの6回に次ぐチーム2位の安定性だ。

2005年2月22日

ジェームズ・フランクリンがWRコーチに

退団したレイ・シャーマンの後任として、メリーランド大のジェームズ・フランクリンWRコーチが、パッカーズのWRコーチに就任することになった。これで攻・守・スペシャルチームのコーチが全員揃い、プレーオフ敗退後1ヶ月以上にわたって続けられてきた組閣作業がようやく終了したことになる。フランクリンはすでに日曜日にグリーンベイに移っており、月曜日から仕事を始めるとのこと。

ジェームズ・フランクリンはペンシルベニア州出身の33歳。パッカーズのポジションコーチの中では最も若い。ディビジョンIIのイースト・ストラウズバーグ大でQBとして活躍した彼は、卒業の翌年からコーチの道に進んだ。ワシントン州立大、アイダホ州立大などを経て、2000年からメリーランド大のWRコーチに就任。2003年からはリクルーティング・コーディネーターも兼任し、そちらでも優れた実績を挙げたとのこと。

今年はこれでコーチが7人(オフェンス2人・ディフェンス5人)も入れ替わったことになる。2000年のシャーマンHC政権初年度のコーチの中で、今も同じ職に留まっているのはトム・ロスリーOCとラリー・ベクトルOLコーチだけとなった。30代の若手が、ポジションコーチだけで以下の5人に増えた。ベヴェルQBコーチ(35歳)、ベネットRBコーチ(35歳)、フランクリンWRコーチ(33歳)、ナンDTコーチ(39歳)、ベイカー・セカンダリーコーチ(35歳)。

2005年2月21日

Notebook: コーチ人事もろもろ

2005年2月20日

ディフェンスコーチの陣容決まる

シャーマンHCは、ディフェンスのコーチ陣の配置を正式に発表した。以下の7人のうち、ダフナーとワシントンを除く5人が新任のコーチだ。また、スペシャルチームのコーチ陣にも変更が加えられ、コンサルタントのフランク・ノヴァック(スペシャルチーム担当)とヴィンス・トービンの退団も発表された。アシスタントDLコーチを4年間務めていたブラッド・ミラーは、スペシャルチームのアシスタントに移る。

「非常に優れたコーチの集まりだ。年齢の多様さも大事だと私は考えている。ベテランのコーチは、豊富な経験がある。若いコーチは、選手との間に入ってくれるのでやりやすいし、新しいアイディアももたらしてくれる」とジム・ベイツ新DCは語っている。

Jim Bates - Defensive Coordinator

ミシガン州出身のジム・ベイツDCは58歳のベテラン。ブラウンズではベリチックHCの下で、ドルフィンズではウォンシュテッドHCの下で優れた実績を残した。経歴については1月26日の記事を参照。DEコーチとDTコーチを分け、CBコーチとSコーチを分けたのは、ベイツの考えによるものだと思われる。

Bob Sanders - Defensive Line/Defensive Ends Coach

ボブ・サンダースは51歳。11年間在籍したフロリダ大ではDEやLBを担当し、アシスタントヘッドコーチも経験。2001年から4年間ドルフィンズでLBコーチを務め、非常に評価が高かった。これまでパッカーズは、DLコーチとアシスタントDLコーチの2人がディフェンスラインを指導してきたが、今年はサンダースが主にDEを担当し、ナンがDTを担当するという形らしい。

Robert Nunn - Defensive Tackles Coach

ロバート・ナンは39歳。サンダースと同じくベイツDCの元でアシスタントDLコーチを務め、2003年にはレッドスキンズでDLコーチに昇進。スパリアーHCの政権が解散すると、2004年にはドルフィンズに戻ってボランティア・アシスタントを務めていた。サンダースに"DLコーチ"に肩書きが付いているので、全くの同格ではなく、サンダースの配下ということになりそう。

Mark Duffner - Linebackers Coach

マーク・ダフナーLBコーチだけが、ディフェンスのコーチ陣の中で留任する。51歳。ホーリー・クロス大のヘッドコーチをしていた時にはマイク・シャーマンの上司だった。メリーランド大でもヘッドコーチを経験。ベンガルズではLBコーチを4年間、ディフェンシブ・コーディネーターを2年間務めた。

Joe Baker - Secondary/Safeties Coach

ジョー・ベイカーは35歳。ジャガーズではコフリンHCの下でアシスタントSTコーチ。ウィスコンシン大での1年を経て再びNFLに戻り、2000年からセインツへ。アシスタントSTコーチ、アシスタントDBコーチを経て、2003年からセカンダリー・コーチへ。昨年までは"ディフェンシブ・バック・コーチ"という職名だったが、"セカンダリー・コーチ"に変わるらしい。下記のワシントンがCBを担当し、こちらはセーフティを主に指導する。

Lionel Washington - Nickel Package/Cornerbacks Coach

ライオネル・ワシントンは44歳。6年にわたってアシスタントDBコーチを務め、ようやく少し昇進したことになる。1983年にドラフト4巡でカーディナルスに指名されて以来、NFLで15年間にわたってDBとして活躍した。プロ経験豊富とあって、選手からの信望がある。ニッケル・パッケージ担当のコーチを置くのは最近のNFLのトレンドらしい。オフェンスはベヴェルQBコーチが3rdダウンの作戦立案を担当するようなものか。

Charlie Jackson - Quality Control

チャーリー・ジャクソンはまだ28歳の若さ。空軍士官学校(Air Force Academy)でセーフティとして活躍した彼は、大尉としてロサンゼルス基地で2年間勤務。2002年からはUCLAでボランティア・アシスタントを務め、昨年は母校の空軍士官学校でアシスタントを務めていた。今回の"クォリティ・コントロール"という職名は、要するに一番下っ端のコーチ。

2005年2月19日

マイク・シャーマンHCの契約延長交渉

シャーマンHCの代理人ボブ・ラモンテによると、彼とトンプソンGMはすでに契約延長について電話による話し合いを続けており、来週にも、インディアナポリスでのスカウティング・コンバインの際に、直接会って話し合いをするかもしれない、とのこと。「私の唯一の目標は、彼にグリーンベイ・パッカーズのヘッドコーチを続けさせることだ。見通しは明るいと思うし、良い結果が出るだろう。この件については、ボブ・ハーラン社長は前向きだし、テッド(トンプソンGM)も前向きだし、マイク(シャーマンHC)も前向きだ」

シャーマンHCは2005年いっぱいで契約が切れる。さほどの不都合があるわけではないが、いわばレイム・ダックの状態で、新たなアシスタントコーチの招聘などに障害となるのでは、と心配する声もある。テッド・トンプソン新GMの就任以来、2人は非常によい関係を築いて仕事をしている様子だ。「私はグリーンベイ・パッカーズを愛している。できれば長くヘッドコーチを続けたいと思っている」とシャーマンHC。

シャーマンHCがGMを兼任していた昨年までは、彼の契約問題はボブ・ハーラン社長が責任を負っていた。しかしハーラン社長は、テッド・トンプソンにGMを任せた際に、ヘッドコーチの任免権も全て与えており、今後は自分は口を出さないと決めている。「それは完全にテッドの領分だ。彼は時間をかけてゆっくり進めたいと希望している。私も異存はない」

マイク・シャーマンHCの契約延長を今するかしないか、するとすれば何年契約にするか。結局はトンプソンGMがシャーマンHCをどのように評価しているかにかかってくる。来季序盤の戦いぶりを見てから、シーズン中に契約延長をするパターンも考えられる。新GMが「いずれは別のHCを」と感じている可能性もあるが、その場合でも、ヘッドコーチへの求心力(もうじきクビだと思えば誰も言うことを聞かなくなる)を保つために1年か2年の契約延長を与えることはありうる。

なお、契約が何年残っていようとヘッドコーチをクビにすることはできる。ただしその場合、残り年数分のサラリーをチーム側が支払ってやらなければならない。そのため、成績が振るわず、ヘッドコーチとオーナー側の亀裂も決定的となった場合でも、老練なコーチはわざと自分から辞めると言わず、チーム側から解雇させるように仕向けることが多い。

2005年2月18日

FBヘンダーソンのプロボウル日記 4

試合には負けてしまったから、すごく嬉しいというわけにはいかない。でも、今週のプロボウル体験でネガティブなことがあったとすれば、それぐらいだろう。試合が終る時には、ちょっとしたパーティのような雰囲気になった。それから全員でホテルに戻り、でっかいルアウ(ハワイ式宴会)を行った。美味しい食事がたくさん出て、雰囲気も最高で、このハワイでの素晴らしい1週間を申し分ない形で締めくくることができた。

印象に残っているプレーがいくつか。パントカバレッジでのファンブルフォースは、いい思い出になるだろう。ファンブルフォースできたのは、ハッスルプレーを続けたおかげだ。あのとき自分はアウトサイドをカバーしていたが、インサイドに踏み込んでネイト・クレメンツをヒットすることができた。僕がヒットしなくてもすぐに倒されていたはずだが、ボールを叩き出すことはできなかっただろう。

もう1つ、目立ったスペシャルチームプレーがあったが、それは悪い意味でだった。こちらがオンサイドキックをした時のミスで、プロボウル史上初のキックオフリターンTDを許してしまったのだ。RBティキ・バーバーと僕がポジションをしくじり、WRハインズ・ウォードが素晴らしい動きでボールをつかんで、タッチダウンにしてしまった。僕のラン・ブロッキングについては、急造のオフェンスチームだったことを考えれば、今季でもいい方だったと思う。

第4Qには僕がタッチダウンを決めているはずだったと、試合後にたくさんの電話を貰った。でもQBマイケル・ヴィックのプレーに文句を言うつもりはない。彼が左に走ってきた時、僕はエンドゾーンでワイドオープンだった。しかし、彼はパスを投げるリスクを冒さず、自分のアスレチック能力を使ってタッチダウンにしたのだ。彼は飛び込む際にSエド・リードからヒットを受けたから、もし投げていればそれを避けられた、ということは言える。しかし彼はその方が確実にタッチダウンが取れると思ったのだし、彼の能力ならフットボールフィールドで出来ないことはない。あのプレーがそれを示している。

他のパッカーズ選手の出来もとてもよかったと思う。アーマン(グリーン)とジャヴォン(ウォーカー)のスペシャルチームでの働きも素晴らしかった。彼らは今のグリーンベイではカバーチームに参加することはないが、以前にはそれぞれ経験がある。試合後に話をした時、アーマンは、「ウィル! おれタックルを決めたよ!」と喜んでいた。彼はとても楽しんでやっていたし、あの試合の中でも、あれはいいタックルだった。

アーマンのテイルバックとしての出番は、僕が望んだほどは多くなかった。ティキとウェストブルックは、僕のブロックやOLのブロックをよく読んで、すごくいい仕事をしたと思う。新しいオフェンスにあれほど早く慣れるのは、彼らの能力が高い証拠だ。もう少し一緒に練習できれば、もっと多くのビッグプレーを決めることができただろう。

この1週間の経験によって、僕はより自信をつけ、来年もまたプロボウルに出ようという意欲も強くなった。周りは全般に僕より若い選手ばかりだったが、自分は良いプレーができたと思うし、まだ若手と互角にやっていけると、来年もまたハワイに来れるのだと確認できたように思う。

2005年2月17日

パッカーズから19人がNFLヨーロッパへ

今年のパッカーズからは、NFL記録となる総勢19人がNFLヨーロッパに派遣されることになり、以下のように所属先が決まった。キャンプは2月25日にフロリダ州タンパでスタートし、シーズン開幕は4月2日。また、パンターとキッカーは3月初めのキッキング・キャンプを経てチームが決定するため、Pサンダーの所属先は未定。

下記の派遣選手の中で、昨季パッカーズの53人ロースターに入った経験があるのは、Gモーリー、WR/KRカイト、Pサンダーの3人。モーリーは昨年パッカーズ入りするまではタックルだったが、昨夏キャンプの内容から、左ガードの控えとなった。ガードでの実戦経験が乏しいため、ヨーロッパでの成長に期待がかかる。ドラフト3巡指名のPサンダーは、1年目は全く出場なし。練習と試合で出来に差がありすぎるため、実戦経験を積ませてから、キャンプでスターター争いをさせるのが狙いだろう。

現パッカーズでNFLヨーロッパ経験者の出世頭といえば、やはりRGマルコ・リヴェラ。プロ入り翌年にスコティッシュ・クレイモアズでプレーし、いまやプロボウル出場3回のスター選手へと成長した。他にも、ピダーソン、ノール、オサリバンの控えQBトリオ、TEベン・スティール、DTカレン・ジェンキンズ、LBパリス・レノンがNFLヨーロッパを経験し、その後パッカーズのロースター入りを果たしている。

<追記> TEスパーキー・ハミルトンとWRマイク・マーカーはその後解雇され、パッカーズからの派遣は17選手となった。Pサンダーはハンブルグへの所属が決定。WRサム・ブリーデンは最初ラインだったが、フランクフルトへ移った。WR/KRケルヴィン・カイトも、アムステルダムからフランクフルトへ。

19 Green Bay Packers players headed for NFL Europe
Name Pos. Ht. Wt. College Allocated Team
John Garrett LB 6-1 250 Baylor Amsterdam Admirals
Joe Hayes G 6-4 304 San Jose State Berlin Thunder
Mike Marker WR 6-0 195 Millikin Cologne Centurions
Wendell Williams S 6-1 215 Louisiana-Lafayette Cologne Centurions
Jamal Jones WR 6-0 214 North Carolina A&T Frankfurt Galaxy
Sam Breeden WR 6-4 206 Northwestern
Oklahoma St.
Frankfurt Galaxy
Kelvin Kight WR/KR 6-0 209 Florida Frankfurt Galaxy
Chonn Lacey S 6-1 217 Temple Frankfurt Galaxy
Seante Williams DE 6-6 252 Jacksonville State Frankfurt Galaxy
Nick McNeil LB 6-2 245 Western Carolina Hamburg Sea Devils
Shawn Morgan LB 6-2 235 Fayetteville State Hamburg Sea Devils
Art Smith S 6-1 204 Northeastern Hamburg Sea Devils
B.J. Sander P 6-4 217 Ohio State Hamburg Sea Devils
Chris Day CB 5-11 178 Grambling State Rhein Fire
Sparky Hamilton TE 6-4 244 Arkansas Rhein Fire
Scott McBrien QB 6-0 189 Maryland Rhein Fire
Steve Morley G 6-7 332 St. Mary's (Canada) Rhein Fire
Joe Quinn G 6-4 290 Minnesota Rhein Fire
Doug Sims DT 6-1 344 Hawaii Rhein Fire

2005年2月16日

元セインツのジョー・ベイカーがパッカーズに

過去5シーズンにわたってセインツのアシスタントコーチを務めてきたジョー・ベイカーが、パッカーズのコーチ陣に加わることになった。パッカーズからの正式発表はないが、ベイカーからセインツ側への報告はすでに済んでいる。じっさいセインツ公式サイトを見ると彼の名前が消されており、パッカーズへの移籍報道を裏付けている。どのポジションを担当するかはまだ不明だ。

ジョー・ベイカーは現在35歳。アイビーリーグのプリンストン大でWRとしてプレーし、卒業後の1992年にはワールドリーグ(現NFLE)のバーミンガム・ファイアで人事コーディネーターを務めた。1993年にはサムフォード大に移り、RBとWRを担当した。1994年、ジャクソンヴィル・ジャガーズ設立の準備段階からトム・コフリンHCのアシスタントを務め、1995年から19998年までアシスタントSTコーチ。1999年にはウィスコンシン大でアウトサイドLBコーチ、STコーチを務めた。2000年からはセインツでアシスタントSTコーチとなり、2002年にはアシスタントセカンダリーコーチに。2003年にセカンダリーコーチに昇進したが、グレッグ・ブラウンがセカンダリー/CBコーチという肩書きだったので、2人共同でDB陣を指揮したことになる。

パッカーズは、先日ボブ・サンダースとロバート・ナンと契約した時に、「全員が決まったときに具体的な配置を発表する」と説明している。

2005年2月14日

Notebook: TEフランクスをフランチャイズ指名か

2005年2月13日

FBヘンダーソンのプロボウル日記 3

練習は順調に進んだが、僕自身の練習量は、思ったよりも多い。他のポジションの連中は交代で休めるけど、自分はチーム唯一のフルバックだから。まあ僕が働き者だということはみんな知っているし、仕事が多いのは気にならない。新しいオフェンスにアジャストするのも難しくなかった。ファルコンズのスタッフが持ち込んだオフェンスはパッカーズのとよく似ている。多少用語は違うけど、パッシング・ゲームやパスプロテクションは、僕らのものとすごくよく似ている。

僕はスペシャルチームの全ユニットでプレーすることにもなっている。自分の得意分野でもあるから、これは嬉しい。NFCのチームメイトたちも、プロ入りしてすぐにスターターになったのではなく、スペシャルチーマーを経験したやつが多く、今もスペシャルチームでプレーする選手も多い。いいチームになると思う。

他チームから来た選手たちと一緒に練習して素晴らしいのは、普段は敵対している選手と親しんで、励ましあったりできることだ。ダンテ・カルペッパーとドノヴァン・マクナブは、腕を広げて僕をオフェンスに招き入れてくれた。練習でも、必ず僕のルートをチェックして、できるだけこちらに投げてくれる。

仲間の選手たちが僕のことをすごく尊敬してくれることには驚かされる。僕も同じように彼らを尊敬している。僕はキャリアを通じてブレットの後ろでプレーしてきたから、彼がいないのはなんとなく不思議な気分だ。でも同時に、ブレット以外の素晴らしいQBたちと一緒にプレーするのはどういうものか、今回知ることができる。

金曜日は、写真撮影の日だった。僕にとっては、練習や試合と同じぐらい楽しみにしていた日だ。伝統にのっとって、選手たちはプロボウルのユニフォームを身に着け、若くかわいいハワイ女性に囲まれて写真を撮る。本当に楽しいのは、このイベントには家族たちも参加できることだ。息子や妻や弟や妹や父や高校のコーチが、ただスタンドから見守るのではなく、下に降りてきて、他の選手たちと一緒に写真を撮り、この雰囲気を一緒に楽しむことができる。

ここに来る前には予想もしていなかったことだが、従弟のRBルディ・ジョンソン(CIN)がプロボウルに繰り上げ出場できることになった(カーティス・マーティン欠場のため)。僕と彼は2人とも、ヴァージニア州のトーマス・デール高校の出身。僕がプロ入りした年、高校で自分の背番号が永久欠番になるセレモニーに出席したが、当時高校1年だったルディは、その時の試合で一軍デビューを果たした。2人がともにプロボウル選手にまでなれたのは素晴らしいことだし、その高校のコーチがここにいて、喜びを分かち合ってくれるのだからなおさらだ。

2005年2月12日

ターナー・ギルがdirector of player developmentに

エドガー・ベネットのRBコーチ就任で空席となった"director of player development" に元ネブラスカ大のターナー・ギルが就任することになった。公私両面で選手とその家族の面倒を見るのが仕事で、選手とコーチとの橋渡し役でもある。新入団選手の部屋探しから、金銭面でのアドバイス、引退後への準備など、選手たちがプロ生活、グリーンベイ生活に適応していけるよう、さまざまな相談に乗る。また、ベネットのとき同様、オフェンスのアシスタントも兼ねるとのこと。

現在42歳のターナー・ギルは、テキサス州フォートワース出身。1981年から1983年まで、名門ネブラスカ大のエースQBとして大活躍し、通算28勝2敗の成績を収めた。1983年にはごくわずかの差でマイアミ大に敗れて全米王座を逃したが、彼はハイズマン賞の最終選考にまで残った。その後(オプションQBだったためか)NFLからはドラフト指名されず、CFLで2年間、野球のマイナーリーグで3年間プレーした。

1990年に母校ネブラスカ大でコーチ修行を始め、1991年にはサザンメソジスト大でWRコーチとなった。1992年からは12年間にわたって古巣ネブラスカ大でQBコーチを務め、2003年にはアシスタントヘッドコーチの肩書きも加わった。しかし昨年ビル・キャラハン(元OAK)がヘッドコーチとなると、ギルはWRコーチとなり、昨年12月に自ら辞任。その後、ニューメキシコ州立大とサム・ヒューストン州立大のヘッドコーチ職の面接を受けたが、オファーはされなかったとのこと。

ギルがCFLモントリオールでQBをした時のコーチが現在パッカーズのロスリーOC。サザンメソジスト大でWRコーチをした時にはロスリーはヘッドコーチだった。ここ数年、彼をパッカーズのWRコーチやRBコーチの候補として面接に呼ぼうとしたことが何度もあったが、彼はネブラスカに残るために断っている。彼はまた、高校選手を勧誘する、優れたリクルーターとしても知られている。

2005年2月11日

FBヘンダーソンのプロボウル日記 2

僕と家族は先週の木曜日にハワイ入りした。多くの選手たちは日曜日か月曜日に着くため、早過ぎた我々に盛大な歓迎はなく、数人のNFL関係者と挨拶しただけだった。金曜日、ジム・モーラHC(ファルコンズ)やチアリーダーとともに記者会見に出席。コーチ・モーラと知り合ういい機会だった。僕がチームプレーヤーであり、選手を代表して話せて喜んでいることを、彼は認めてくれたと思う。

日曜日、他のアメリカ人全てと同じように、スーパーボウル・パーティに行った。 しかし今回はこれまでのスーパーボウル観戦とは違った。パール・ハーバーの基地へ行き、海軍の人々と一緒に観戦できたのは大きな経験だった。本当の海軍軍人で、この国の安全のために常に命を危険にさらしている・・・彼らの前で話ができるだけで名誉に思うし、一緒に時間を過ごせたのは素晴らしかった。

RGマルコ・リヴェラと彼の家族が日曜の晩に到着。彼らと一緒に夕食をとり、月曜日はプールでくつろいで過ごした。ここではルーキーの僕を、いろいろなイベントに慣れるよう、マルコが仕込んでくれている。観光に関しては、ハワイの美しさを楽しむために遠出をする必要はあまりない。ホテルのバルコニーを歩くだけで、山が見え、海が見え、ハワイの美しい海岸線が見える。観光に出かける必要はない。窓のすぐ外に広がっているのだから。

やがて練習が始まって、フットボールフィールドに戻るのが楽しみだ。 シーズンが終ってもワークアウトを続けてきたから、体は全く緩んでいない。僕は毎年このようにしている。自分の最後の試合が終っても、スーパーボウルやプロボウルに出場するつもりでトレーニングを続けるのだ。僕は過去6年間、プロボウルの補欠に選出されていた。そしてようやく今年、そのワークアウトが実り、コーチ・モーラ率いるNFCチームの初練習に参加する準備はできている。

練習の雰囲気を、僕は楽しむつもりだ。話では、ごく軽いフォーメーションチェックのようなもので、速いペースの通常のNFL練習とは全然違うらしい。それでも細部への注意は必要だし、日曜日の本番まで、学ぶべきことはあるだろう。ファルコンズのスタッフがコーチをすることでありがたいのは、ウェストコーストオフェンスを使ってくれることだ。これまでグリーンベイで経験してきたオフェンスと似ているから、僕はプレーブックを勉強する必要があまりない。

2005年2月10日

ディフェンスのアシスタントコーチが2人決定

パッカーズは、ともに元ドルフィンズのボブ・サンダースロバート・ナンを、ディフェンスのアシスタントコーチとして起用することを発表した。ただし、両コーチの具体的なポジションは未定で、全員が決まってから発表する、とのこと。現時点でのディフェンスの空席はDLコーチとDBコーチなので、新規採用の2人の担当が決まらないというのはやや奇妙だが、ダフナーLBコーチの配置替えまたは解雇があるるのか、それとも、DEコーチとDTコーチを分けるなど、ポストを新設することがあるのか。

ドルフィンズでの4年間、LBコーチとして優れた実績を残したボブ・サンダース(51歳)は、その前は11年にわたってフロリダ大でコーチをしていた。DLコーチとしてジェヴォン・カースやケヴィン・カーターを育て、アシスタントヘッドコーチも経験している。

ロバート・ナン(39歳)も同じくベイツDCの元でアシスタントDLコーチを務め、2003年にはレッドスキンズでDLコーチに昇進。スパリアーHCの政権が解散すると、2004年にはドルフィンズに戻ってボランティア・アシスタントを務めていた。

2人のどちらかが新しいDLコーチに就任することは確実視されているが、DBコーチについてはまだわからない。アシスタントDBコーチのライオネル・ワシントンが昇進する可能性は?と聞かれたシャーマンHCは、「彼も候補の1人なのは確かだ」と答えている。

なお、パッカーズのアシスタントDLコーチを務めてきたブラッド・ミラーは、ブロンコスのDLコーチ職の面接を受けている。シャーマンHCは彼をDLコーチに昇進させるつもりはないようで、もし彼がブロンコスから採用されれば、また1人ディフェンスのコーチが抜けることになる。

2005年2月 9日

ジム・ベイツ新DCの記者会見から

2週間ほど経ってしまったが、ジム・ベイツ新DCの、就任直後の電話による記者会見から。

ディフェンスのフィロソフィーについて

最も大事なのは、堅実で、基礎のしっかりしたチームを作ることだ。優秀なテクニックを持ち、オープンフィールドタックルに優れ、フットボールに群がる(ギャング・タックリングのこと)チームだ。約束しよう、基礎、テクニック、タックルに集まること、そしてタックルのしっかりしたチームにすることを。

選手との関係について

私は非常に情熱的にコーチする。 コーチの側が選手の進歩を助けようと真摯に努力しているとわかれば、選手の方もコーチを助けてくれる。全面的な敬意が生まれるのだ。私はこれまで、どのチームでもそれを勝ち得てきたと思う。マイアミ・ドルフィンズの全ての選手たちとも、そのような関係が築けたと思っている。

LBバーネットのコンバートはあるのか

彼はカレッジの時には、3つのポジション全てがこなせるように見えた。ドルフィンズで彼を指名するとしたら、MLBザック・トーマスがいたから、ウィークサイドとしてだっただろう。しかし(ドラフトの準備の際に)テープで見た限り、ドルフィンズの4-3ディフェンスでなら、どこでもできない場所はないように思った。LB陣のどこに補強が必要かは、これから調べていかなければわからない。

グリーンベイの陣容を見ると、(DLの)中央にしっかりしたビッグ・ガイたちがいる。私が5年間一緒にやってきたザック・トーマスは、試合前の金曜にチェックしたらわずか223ポンドだった。小さすぎる、と人々はいうかもしれないが、いまどき大型で素晴らしいLBを探すのは大変なのだ。ペイトリオッツは珍しくLBのサイズに恵まれているが。毎年ドラフト候補選手を調べていても、体重250ポンドのLBで40yds走を4.7秒や4.6秒で走る選手などそういないのだ。だから我々はスピードとアスレティシズムに頼り、フロントラインにはビッグ・ガイを並べ、優秀なDEたちにプレーさせた。LBについては非常にフレキシブルだった。

パッカーズを選んだ理由について

(パッカーズの素晴らしい伝統やシャーマンHCの手腕を称賛したあと)  自分の力を証明しようとハングリーな若い選手がディフェンスに多いこと。それにウィスコンシンでは釣りも楽しめる(湖が非常に多い)。スズキなどを釣るのが私は大好きなのだ。妻の家族もウィスコンシンにいるし。パッカーズの他にも5つの候補があったが、グリーンベイでのチャンスに勝るものはなかった。

いつかまたNFLでヘッドコーチをやりたいか

もちろんだ。(ドルフィンズでの暫定HCの経験は)これまでの人生になかったほど楽しむことができた。マイアミ・ドルフィンズでの最後の7週間は、あの選手たちとともに、忘れられない思い出になった。17人もの選手がインジャリー・リザーブ入りし、残りの選手たちではどうにもならない、とウチは見限られていた。しかし選手たちはそれをはね返してハードにプレーし、練習し、集まって結束した。目標を持ってプレーしていた。彼らのことは決して忘れない。あの経験は決して忘れることなく、これからも大事にするだろう。もしまたヘッドコーチをするチャンスが来たら、私はきっと飛びつくだろう。

選手たちをモーティベートすることについて

これまでどのチームでも、私はそのような役割を担い、選手たちはより頑張ってプレーしてくれた。パッカーズでも、それを引き出していくつもりだ。我々は選手の素晴らしいプレーや、最高の努力を引き出し、ファンを楽しませる。グリーンベイではファンがより近くで見守っているから、彼らがグリーンベイ・パッカーズのディフェンスを見るのを誇りに思うようにするつもりだ。それは約束しよう。

パッカーズのディフェンスを向上させるという挑戦について

NFLでは、10試合勝つというのは大変なことだ。もしディフェンスが向上し、若手選手がより結束して、よりハードに、堅実なタックルなどしっかりしたテクニックでプレーすれば・・・12、13、14勝できない理由はない。

2005年2月 8日

FBヘンダーソンのプロボウル日記 1

プロボウルに初出場するFBウィリアム・ヘンダーソンが、パッカーズ公式サイトにプロボウル日記を掲載しています。第1回は、これからハワイに出発するという2月3日(木)の分。一部を紹介します。

NFL全体が、いや国じゅうが、この日曜日のジャクソンヴィルでのスーパーボウルに向けて準備を進めている。私も楽しみにしているのはもちろんだが、さらに楽しみなのは、自分がプレーする、その次の日曜日のプロボウルのことだ。家族と私はこれから空港へ向かい、ハワイへと飛び立とうとしている。旅行の準備について言えば、今が興奮のピークといったところ。

昨夜はまる一晩かけて、必要なものを忘れないよう、荷造りのチェックをした。2歳の息子は、この2、3日というもの、飛行機に乗る話ばかりしている。家族の興奮のレベルはものすごく高く、僕にはそのことが嬉しい。僕自身の試合への興奮は、来週選手が揃って、ユニフォームを身に着けてからのことになるだろう。

シーズン末にプロボウル初出場のニュースが来てからというもの、チームメイトやリーグ中の選手たちから、お祝いの言葉をたくさん貰った。プロボウル出場の栄誉をチームメイトたちがこれほど喜んでくれたことに、僕は心底感動した。素晴らしい気分だった。そして試合の日が近づき、だんだん実感が沸いてきた。

ハワイには以前にも行ったことがあるが、この旅行は、これまで経験した旅行の中でも最も楽しいものだ。プロボウル週間には行ったことがない。だから全ての行事を楽しみにしている。僕はこれまで、本当に自分がファンや選手やコーチから選ばれるまでは、プロボウルには行くまいと自分に言い聞かせてきた。この数年、僕が選ばれるべきだった、とチームメイトのみんながコメントしてくれたが、僕にとっては、実際に選ばれるまでは行く資格がない。それを目指してできる限りの努力を続けるだけだ。

初めてのプロボウルについて、チームメイトからいろいろとアドバイスを貰った。ババ(フランクス)、アーマン(グリーン)、マルコ(リヴェラ)は出場経験があるから、どんなことがあるのか僕は聞いて回った。どこを訪れるべきか、何をするべきか、彼らはこまごまと教えてくれた。それから、プロボウルのチームメイトにルームナンバーを教えてはいけない、ということも教わった。今回僕はルーキーで、たぶんイタズラを仕掛けられるだろうから。

プロボウルウィークで僕が楽しみにしているのは、出場選手がプロボウル・ジャージーを着て出席する大きな記者会見で、自分もユニフォームを着て写真を撮ることだ。素晴らしいハイライトの1つになるに違いない。それから、同じターヒールズ(ノースカロライナ大)出身の選手たちと写真を撮るのも楽しみだ。アルジ・クランプラー(ファルコンズTE)、ドレ・ブライ(ライオンズCB)、ジュリアス・ペッパーズ(パンサーズDE)。僕らはノースカロライナ大を代表して出場でき、母校を誇りに思っている。

この特別な1週間を、チームメイトや家族と分かち合えるのが本当に楽しみだ。今日(2月3日)には僕と妻と2歳の息子がハワイに向かって発ち、来週になればもっと多くの家族たちが合流してくる。一番上の兄は、新しい仕事を始めたばかりなので来られないが、また次の機会があるだろう、と言ってくれた。高校の時のコーチと奥さんも来てくれる。

きっと素晴らしい1週間になるだろう。全てを味わうのが本当に楽しみだ。

2005年2月 7日

故フリッツ・ポラードがNFLの殿堂入り

1920年代のNFL草創期にRBとして活躍し、黒人初のNFL選手、そして黒人初のヘッドコーチとなった故フリッツ・ポラードが、NFLの殿堂入りをすることになった。今年殿堂入りに選ばれたのは、このポラードに加え、故ベニー・フリードマン(1920年代から30年代にかけて活躍したQB)、ダン・マリーノ(QB)、スティーヴ・ヤング(QB)の4人。

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ニューヨーク州の自宅で
1975年撮影

フレデリック・ダグラス・"フリッツ"・ポラードは1894年に生まれ、アイビーリーグのブラウン大でクォーターバックとして活躍し、オールアメリカンにも選ばれた。1920年にNFLの前身American Professional Football Association (2年後にNFLと改名)が発足すると、オハイオ州のアクロン・プロズのスターRBとして8勝0敗3分の優勝に貢献。翌1921年にはヘッドコーチも兼任した。

1922年にミルウォーキー・バジャーズがNFL加盟を果たすと、RB兼ヘッドコーチとして招かれて活躍し、東部から来たスターとして地元の注目を集めた。しかし翌年にはウィスコンシンを去り、インディアナ州のハモンド・プロズ(NFL)、ギルバートン・カダマウンツ(独立チーム)、アクロン・プロズ(NFL)、プロヴィデンス・スティームローラー(NFL)などを渡り歩いた。1928年には、全員黒人のシカゴ・ブラックホークス(独立チーム)を組織し、1932年までヘッドコーチを務めた。1986年没。

1920年代のNFLの草創期、黒人選手は数も少なく、決して暖かく迎えられてはいなかったが、禁止されていたわけではなかった。しかし1933年までに、NFL選手は全て白人となっていた。このような非公式の黒人締め出しは1945年まで続いた(球団によってはずっと後まで)

ポラードのような歴史的存在がこれまで殿堂入りしなかったのは、黒人選手を締め出してきた過去を持つオーナーやコーチが、選考する側の人々に影響(圧力?)を与えてきたからではないか、とシカゴ・トリビューン紙のドン・ピアソン記者(今回の選考委員会の一員でもある)は述べている。「黒人初のNFL選手で、初のNFLヘッドコーチであったことは、歴史的意義があったと私は思う。彼は、選手であり、コーチであり、多大な貢献をした人物でもあった」

2005年2月 6日

パッカーズと今年のスーパーボウル

2005年2月 5日

2005年 パッカーズFA選手リスト

今オフ、パッカーズからFAとなる選手は下の表の通り。無制限フリーエージェント(UFA)は、どことでも好きに契約できる通常のフリーエージェントのこと。いっぽう制限つきフリーエージェント(RFA)はいろいろと制約があって移籍は難しく、古巣と1年契約をして来年UFAとなるのが一般的なパターンだ。詳しくは用語集を参考のこと。

2005年のサラリーキャップ額はまだ確定していないが、2004年より$5ミリオンほど増えて、$85.5ミリオンほどになる見込みだ。

今年のFA期間は3月2日にスタート。キャップを超過しそうなチームはその前日までに、高給取りを解雇するなり契約を結び直すなり、やりくりしておかなければならない。自前の選手との再契約交渉も、3月1日までなら競争相手が参入してこないので、いわば独占交渉ができる。自信がある選手は「FA市場を試したい」と言って3月2日になるのを待てばいいが、FA市場で思ったより人気が出ず、かえって値段が下がってしまうリスクもなくはない。

下表のLGマイク・ウォールは本当は契約がまだ残っているのでFAではないが、今年のベースサラリーが$5ミリオン、ロースターボーナスが$6ミリオンという非現実な額となっており、今年彼がUFAとなるのは、契約を結んだ3年前から両者納得ずみ。引き留めるためにはFA期間スタートまでに新たな契約を結ばなくてはキャップに収まらないし、その交渉が不調に終れば3月1日までに解雇しなければならない。

パッカーズのキャップの余裕は(LGウォールを解雇すれば)$3ミリオンほどあるので、3月1日までにキャップに収めようと慌てふためく必要はないが、ルーキーを含め必要十分な額には程遠い。自前の大物FA3人、LGウォールRGリヴェラTEフランクスの3人全員と再契約するのは無理な話だが、昨日取り上げたようにFSシャーパーの契約を工夫すれば、なんとか3人のうち2人を引き留められるかもしれない。

なお、QBファーヴが本当に引退した場合、キャップには$7ミリオンほどの空きが新たにできるはずなので、有力QBを獲得する余力はありそうだ。

Green Bay Packers 2005 Free Agents
Name Pos FA区分 Age 備考
Mike Wahle OG UFA 27 まだ27歳と若く、左タックルの代役が務まるほどのスピードとクイックネスがある。今年のFA市場のガードの目玉になりそう
Marco Rivera OG UFA 32 遅咲きの苦労人だが、すでにプロボウル選出3回。ケガに強い究極のタフガイ。年齢はネック
Bubba Franks TE UFA 27 プロボウル3回。今年のFA市場ではトップのTEだが、エリート級にはスピードが足りない。しかしそれ以外は欠点なし
Hannibal Navies LB UFA 27 パッカーズで2年間、ストロングサイドLBとして先発し、可もなし不可もなし。スピードはあるが、ブロッカーの波に飲まれやすい
Bhawoh Jue S UFA 25 失望の2001年組。CBは失格、Sもそこそこ。Sならまだ伸びシロはあるかもしれないが
David Martin TE UFA 25 入団時は期待された、WRからの転向TEだったが伸び悩み。スピードはフランクスより上だが不安定でケガも多い
Doug Pederson QB UFA 37 QBファーヴの親友で実質アシスタントQBコーチ。本人は現役続行に色気
Brad Bedell OT UFA 27 控え左タックルだが、実際はLGウォールが2番手LTだった
Torrance Marshall LB UFA 27 失望の2001年組。サイズもアスレチック能力もあるが、頭が悪く反応も鈍い。スペシャルチーム要員
Bryan Barker P UFA 40 実績ある大ベテランパンター。飛距離不足は明白で、来季も彼に頼るようでは情けない
         
Craig Nall QB RFA 25 来季に向けてオサリバンと2番手争い。しかし「ファーヴ後」を任せられるQBかは疑問符
J.T. O'Sullivan QB RFA 25 今季序盤に獲得したばかりでまだ未知数。上記のノールとの争いに注目
Najeh Davenport RB RFA 25 デカくてパワフルな2番手RB。通算で平均5.1ydsはすごい。しかしケガが多く、シーズンを通してスターターが務まるのかどうか。パスキャッチは不安定
Kevin Barry OT RFA 25 控えの右タックル。エクストラTEとして使われる場面も多い。ポテンシャルは認められているが、右ガードへのコンバート実験は今のところ上手くいっていない
Aaron Kampman DE RFA 25 頭脳とハードワークでストロングサイドを守る先発左DE。練習・研究の虫
R-Kal Truluck DE RFA 30 開幕前に5巡・6巡指名権との交換で獲得したパスラッシャーだったが、期待はずれ
Paris Lenon LB RFA 27 XFLとNFLEを経験した苦労人。控えLBとしてはトップで、3つのLBどこでもこなす

2005年2月 4日

FSダレン・シャーパーの処遇は

2001年春に6年$30ミリオンの長期契約を結んだFSダレン・シャーパーは、2006年いっぱいまで契約が残っている。しかし2005年の彼のキャップ額は$8.633ミリオンにも上るため、ペイカットから解雇まで含めて、シャーパーの処遇をどうするかが今オフのパッカーズの大きな課題だ。彼の代理人もパッカーズ側もノーコメントとしているが、情報筋によると、両者による話し合いが近いうちに行われる予定とのこと。

2005年のキャップ額$8.633ミリオンの内訳は、ベースサラリーが$3.4ミリオン、ロースターボーナス(3月15日に発生)が$2.6ミリオン、 契約ボーナスの2005年の計上分が$2.633ミリオン。彼を解雇した場合、ベースサラリーとロースターボーナスは当然消える。そのかわり契約ボーナスの未消化分を全て(この場合は2年分)2005年のキャップに一括計上しなければならない。そうすると、シャーパーを解雇することによって、$3.4ミリオンほどキャップに余裕ができることになる。

まだチーム側からペイカットの話は来ていないが、今年のキャップ額が高すぎ、下げる必要があることは理解している、とシャーパー本人は言う。当然のことながらペイカットは望まない彼は、「僕はパッカーとして引退したいし、それを実現するのは彼らの側だ。今年のサラリーの一部を契約ボーナスとし、契約延長することで金額を下げることができる。彼らにはキャップの余裕ができるし、僕は5年の契約延長ができる。これが一番易しい方法だ」

契約のやりくり以前に、シャーパーの実力が金額に見合ったものか?という大きな問題がある。今季はヒザのケガを押しての出場が多く、満足なプレー内容でなかったのは衆目の一致するところだが、それ以外にもフィールド上での読みや、リーダーシップの能力を疑問視する声は大きくなっている。もうじき30歳になる選手に、どれだけの投資をしていいものか。

今年はトンプソン新GMとジム・ベイツ新DCの就任で、彼への評価が大きく変わる可能性もある。高額サラリーの価値なし、ともし彼らが判断すれば、「ペイカットを受け入れなければ解雇」と強硬な態度に出るかもしれない。「僕はシーズンのほとんどをケガしていたし、それでもインターセプト数とタッチダウン数はチーム最多だった。元気でプレーできれば、その2倍は稼げる。ヒザのケガから復帰した時も、無理しながらのプレーだった。僕としては『並』のシーズンだっかもしれないが、それでも十分貢献できた」とシャーパーは語っている。

2005年2月 3日

Notebook: ドライバーがファーヴ引退を予想

2005年2月 2日

新GMテッド・トンプソン

「彼にとってはフットボールが全てだ。フットボールを食べ、フットボールを眠り、フットボールを生きる。妻はなく、子供もいない。友人と会うために1年に1回テキサスを旅行するだけ。100%フットボールだ。彼は持てる限りの力をグリーンベイ・パッカーズに注ぎ込むだろう」と親しい友人は証言する。新たにパッカーズのゼネラルマネージャーに就任したテッド・トンプソンについての人物評は、こういったものばかりだ。

テキサス北東部の牧場主の息子としてテッド・トンプソンは育った。父ジミー・トンプソンは、その父の急死のため、大学を諦めて牧場を継ぎ、次第に土地を大きくしてきた。テッドは子供の時は牧草の刈り入れや牛の餌やりを手伝わされたが、一家が近くの街に住まいを移してからは、夏休み以外は手伝わずに済むようになった。時間のできた彼は高校時代、フットボール、バスケ、野球、ゴルフで活躍し、サザンメソジスト大に進むことになった。

「いつでもあの子はとても優しい子で、誰とでも上手くやっていける。誰ともトラブルを起こしたことがない」と父ジミーは言う。父が言うとおり、彼は子供の時から控えめで、礼儀正しくフレンドリーで、話すよりも聞き役に回ることを好む。「私の育て方が厳しすぎたのでなければいいが。私は常識に従ってあの子を育てた。いい子だった」

彼がサザンメソジスト大2年生の時、ディフェンシブコーディネーターだったのが、後にオイラーズで名将となるバム・フィリップスだった。先発アウトサイドLBだったトンプソンは、相手TEの動きをキーとするのではなく、相手バックフィールドを見ることで、次々と好プレーを決めていった。「私は彼をコーチすることをやめた。彼は自分の方法で、しかも正しく、やってのけたんだ。いい選手だったよ」

トンプソンは大学を出るときドラフト指名されず、ヒューストン・オイラーズにドラフト外入団した。ヘッドコーチ兼GMとなっていたバム・フィリップスに誘われたのだ。現役10年間で先発はわずか8試合。彼は主に控えLB、そしてスペシャルチーマーとして、細く長くチームに貢献した。アスレチック能力でもサイズでも劣っていた彼が10年間もプレーできたのは、ハードワークと、頭の良さのおかげだ。

10年でわずか1試合しか欠場しなかった彼のタフネスとともに、彼の"フットボールIQ"のよさを、多くの人が証言している。「ヤツはどのLBが負傷しても、すぐに代わって入り、ちゃんと務めることができた。どのスキームでも、どのディフェンスでも、誰が何をすべきかを、チームの誰よりもよく知っていたと思う。全員のスタント、全員の責任を知り尽くしていた。スペシャルチームでも、誰が何をすべきかを全て知っていた」とバム・フィリップス。

器用なトンプソンは、1980年には緊急時のキッカーまで務めたことがある。同点のPATを蹴る直前になってキッカーがケガで蹴れないと言い出し、フィリップスHCは大慌てでトンプソンをフィールドに送り出さなければならなかった。しかし彼は見事にキックを決め、合計4回のPATを成功させて試合を終えた。地味なキャリアの中で、彼がスポットライトを浴びた数少ない試合だった。

1984年までプレーして現役を退いた時、コーチの道に進みたかったが望んだような仕事がなく、彼はヒューストンで7年間、フィナンシャルプランナーの仕事をした。しかし1992年、パッカーズのロン・ウルフ新GMから声がかかった。オイラーズ時代のチームメイトで大親友のマイク・ラインフェルト(パッカーズやシーホークスのフロントで活躍し、最近でもあちこちのGM候補)がロン・ウルフに推薦してくれたのだ。推薦したラインフェルトはヒヤヒヤしながら親友を見守ったが、十分以上にウルフのお眼鏡にかない、今に至るトンプソンのキャリアがスタートした。

大学を出るときに恋人との結婚を断念し、フットボールのキャリアを追い求めた彼はいまだに独身。スカウトの世界に入ってからはますます仕事漬けだ。ゴルフは上手いが、仕事関係でしか今はあまりする時がない。「フットボール以外の彼の興味? 何もないと私は思うな」と語るのはシーホークスのプロ人事部長ウィル・ルイス。

そんなトンプソンが楽しみにしているのは、毎年7月に休暇を取り、2週間ほど故郷テキサスを訪れることだ。彼は現役を引退して以来毎年かならず、恩師バム・フィリップス元HCの南テキサスの牧場で、何日か過ごすことにしている。親友同士でもある彼らは一緒に牧場の作業をしながら、今でもフットボールの話ばかりしているのだという。「あいつはおしゃべりでは全くない。しかし仕事のことは知り尽くしている。彼ほどフットボールを愛しているやつは他にいないよ」とフィリップスは言う。