第1回"Packers Fan Fest"が、3月11日から13日まで、ランボーフィールドのアトリウムで開催される。いわば「ファンの集い」といった感じのファミリー・イベントで、パッカーズの現役選手・元選手・コーチなど、関係者の多くが参加し、Q&Aコーナー、サイン会、フォトセッション、子供向けのコーナーなど盛りだくさん。中でも目玉は最終日のスタジアム・ツアーで、普段のスタジアム・ツアーでは入ることのできない、選手のロッカールームを見ることができる。
チケットは3日間通しで$55ドル。Packers Hall of Fameの入場料(普段は大人$10ドル)もこの料金に含まれている。収益の一部は慈善事業に寄付されるとのこと。
「この企画は素晴らしいアイディアだと思う。3月というのは、シーズンが終って何週間も経ち、ドラフトまではまだ間がある、ファンにとってはすごく静かな時期だからね。ファンが集まってチームへの愛情を共有できる、素晴らしい週末になるだろう。僕もこのイベントのために戻ってくるのを楽しみにしている」とQBファーヴ。
この催しに参加する現役選手の顔ぶれは以下の通り。QBファーヴ、WRウォーカー、DEバジャ=ビアミラ、RBダヴェンポート、QBピダーソン、OTバリー、CBトーマス。元選手からは、QBバート・スター、RBポール・ホーナング、QBリン・ディッキー、Cラリー・マッカレン、DTギルバート・ブラウン。ボブ・ハーラン社長とロン・ウルフ元GMも参加する。これまでに二度にわたって参加選手が追加されており、まだ今後も増えることが予想される。
かつてエースランニングバックとして活躍したエドガー・ベネットが、新しいRBコーチとなることが発表された。彼は2001年の春から古巣グリーンベイに戻り、"director of player development" という肩書きで、選手やその家族を公私両面にわたってサポートしてきた。正式にはコーチの肩書きはなかったが、これまでの彼の仕事は実質的にはアシスタントRBコーチとアシスタントSTコーチを兼ね、試合中にはサイドラインでヘッドセットを着けていた。
「今の気分は、言葉ではうまく言い表せないほどだ。この1月は(パッカーズの殿堂入りも果たし)、僕は本当に恵まれている。いろいろなことを経験し、ついに出発点に戻った。僕はここでプロのキャリアをスタートさせた。今ここでコーチとなれるのは、夢が叶ったような感じだ」とベネットは喜びを語る。ロッカールームでインタビューを受けているとRBアーマン・グリーンが通りかかり、「僕たちはみんな喜んでるよ。コーチ」と祝福して抱き合った。選手たちはこれまでも「コーチ・ベネット」と呼んでいたが、これでようやく本当の「コーチ」となった。
セインツに移るローランド元RBコーチは、後任となるベネットについて、「彼なら、もう準備はできている。彼は全ての練習、全てのミーティングに参加してきた。マイク(シャーマンHC)が彼を指名したのは賢明な選択だ。彼はコーチの道に進もうと心を決めていた。私は彼を強く推薦したし、もしここでそれが叶わなければ、他のチームで実現できるよう私も努力しただろう」と語っている。
「この数年、RBたちをアシストしながら、彼はNFLでコーチとして成功できる力を常に示していた。私は毎年少しずつ彼のコーチの仕事を増やしていた。彼にはこの地位がぴったりだ。細部へのこだわりや、選手たちとの強い絆は、この仕事に役立っていくだろう」とシャーマンHCは語っている。大ベテランのRBコーチ2人の下で学んだ経験についてベネット本人は、「僕にとってはユニークな経験ができた。僕は常に鉛筆とノートを持ってメモを取り、いつかこの知識が役に立つと期待して、スポンジのように吸収した。コーチ・クルームやコーチ・ローランドにはとても世話になったし、彼らのようなコーチから学べたのは本当に幸運だった」
ベネットの経歴については今月23日の記事参照
いっぽうローランド元RBコーチは、セインツに移る決断について、「シャーマンHCは契約が1年しか残っておらず、契約延長があるかは私にはわからなかった。アシスタントとしては、常に自分の雇用の安全を気にしないわけにはいかない。セインツはより多い額をオファーしてくれたし、2年契約だった。容易な決断だった。もしマイクが契約延長をしていたら、私は残っただろう」と説明している。
家庭の事情からフロリダでの仕事を探していたレイ・シャーマンWRコーチだが、ドルフィンズ行きがダメになったため、タイタンズのWRコーチとなることを選んだ。2003年5月、彼のグリーンベイの自宅で、14歳の長男が銃の事故で死亡。家族はつらい思い出のあるグリーンベイを離れてフロリダで暮らし、レイ・シャーマンは単身赴任の状態だった。今後は全員でナッシュビルで暮らすとのこと。
シャーマンHCは、「レイ・シャーマンは私の就任当時からのスタッフで、5年にわたってチームを支えてきてくれた。これは彼にとって、キャリアの上でも家庭生活の上でも、大きなチャンスだ。彼がいなくなることは、選手たちにとっても、私自身にとっても、非常につらいことだ。彼の努力により、ウチのレシーバーたちは非常にレベルの高いユニットへと成長することができた。チームのリーダーへと成長し、私が誇りに思うような選手へと成長してきた」と賞賛している。
3シーズンにわたって3番手RBを務めているRBトニー・フィッシャーが、昨年12月に1年の契約延長をすませ、今春は制限つきフリーエージェント(RFA)にならずに済むことが明らかになった。契約ボーナスは$20万ドルで、ベースサラリーは$46万ドル。4年目選手の最低保証額よりも契約ボーナス分だけ上乗せされた形になる。
安いながらも契約延長させた理由は、元はといえば彼がドラフト外入団だったため。RFA選手(用語集参照)に対してパッカーズが最も安価なオファー(用語集参照)をしておいた場合、他チームへの移籍が決まると、その選手がドラフト指名された順位の指名権を移籍先チームから受け取るルールになっている。ところがRBフィッシャーの場合はドラフト外入団のため、もし引き留められずに移籍を許したら、相手チームからは何ももらえないのだ。
今春RFAとなるのは、NFL3年目を終え、契約が切れる選手たち。QBノール、 QBオサリバン、RBダヴェンポート、LBレノン、OTバリー、DEキャンプマン、DEトゥルーラックの7人だ。特にDEキャンプマン、RBダヴェンポートに対して、3段階のどのオファーをするのかが難しいところ。なまじ最初にケチったオファーをすると、一昨年のLBディッグスのように他チームからオファーされ、引き留めるためにかえって高くつくこともある。そうなる前に長期契約してしまう手もある。
ディフェンス改革に伴うコーチ陣の入れ替えが進んでいるが、ジョニー・ローランドRBコーチの退団も決まったようだ。これにより、DLコーチ、DBコーチ、RBコーチに空きができたことになる。新たなコーチ候補を含めて、動向を以下にまとめてみる。
ディフェンシブ・コーディネーター職を解任されたスロウィックは、ジム・ベイツ新DCの下で働く選択肢も提示されていたが、退団が決定的となった。ブロンコスのシャナハンHCからの誘いがあり、正式な話し合いはまだだが、スロウィックは心を決めているようだ。Press-Gazette紙もJournal Sentinel紙も、「ブロンコスにほぼ決定」というニュアンスで報道している。
2003年春には、同じくブロンコスが彼をDCとして獲得しようとしたが、パッカーズはアシスタント・ヘッドコーチという肩書き(とそれに伴う昇給)を加えることによって引き留めた経緯がある。
昨年、パッカーズに加わったばかりのローランドRBコーチ。Journal Sentinel紙によると、RBコーチに空きのできたセインツに移ることにすでに本人は同意した、とのこと。ローランドに近い情報筋は、彼とシャーマンHCの関係がうまくいっておらず、この移籍は両者にとって望ましいことかもしれない、と述べている。また別の情報筋は、彼のwork ethicについてパッカーズ側は不満を持っていた、とも語っている。
一番早く解任されたショッテンハイマーDBコーチだが、その日のうちにラムズのマーツHCから声がかかり、ラムズのDBコーチとなることが正式に発表されている。
家庭の事情でフロリダでの仕事を望んでいるレイ・シャーマンWRコーチだが、有力視されていたドルフィンズのセイバン新HCは、元ヴァイキングスのチャーリー・バゲットをWRコーチに選んだ。そのため、彼がパッカーズに残留する可能性はまだ残っている。
ディフェンスのどのポジションとなるかは不明だが、元ドルフィンズのボブ・サンダースがベイツについてパッカーズ入りすることが有力視されている。ドルフィンズで過去4年間にわたってLBコーチを務め、力量は高く評価されているようだ。ただし、パッカーズのLBコーチはマーク・ダフナーが留任する見込みで、とするとサンダースはDLコーチかDBコーチのどちらか、ということになる。
Journal Sentinel紙によると、DLコーチの有力候補。彼もドルフィンズではベイツDCの下で働いていた。2002年まではアシスタントDLコーチを務め、2003年にはレッドスキンズでDLコーチ。スパリアー政権が解散すると、昨年はマイアミに戻って"volunteer assistant"として働いていた。
Press-Gazette紙によると、DBコーチの最有力候補。レイ・ローズ政権の1999年から、パッカーズでアシスタントDBコーチを務めてきた。NFLでDBとして15年のプレー経験あり。昨年、「なぜ彼をDBコーチに昇進させないのか」というのが、CBマッケンジーの不満の種の一つだった。
ジム・ベイツDCが就任する少し前、アーカンソー大のトレーシー・ロッカーDLコーチや、ブラウンズのアンドレ・パターソンDLコーチにパッカーズ側は興味を示していたが、現在では上記のサンダースやナンの方がずっと有力になっているようだ。
昨年9月、スポーツバーの外で女性を暴行した罪で告発されたマーク・リリブリッジ(パッカーズの元プロ人事副部長)の件(10月の記事参照)について、本人と検察側との司法取引が成立し、投獄は避けられることになった。検察側は第二級の重い性的暴行罪から第四級(許可なく性的接触をした罪)に下げる代わりに、リリブリッジは罪を認め、保護観察処分と200時間の公共奉仕、被害者への謝罪の手紙を書くことが判事から言い渡された。
刑務所行きがなくなった理由については、犯罪歴がないこと、途中(キスの先)までは明らかに両者合意の上だったことが挙げられている。さらに判事は、「事件の結果として彼の職歴が大きな影響を受けた」ことを指摘している(つまり日本で言う社会的制裁)。じっさい彼はこの月曜日に、パッカーズに辞表を提出している。「彼はこの判決のために職を失ったのだ」と弁護士。
処分を受け入れたリリブリッジは、涙を流しながら、被害者女性と妻と家族に対する謝罪を行った。弁護士によると、パッカーズを辞めたリリブリッジは、NFLの他のチームでの仕事を探している。もし保護観察処分が他チームへの再就職の唯一の障害となる場合は、期間の短縮も考慮する、と判事は語ったとのこと。
「QBジム・マクマーンをボディスラムした男」として知られる元DEチャールズ・マーティンが、ヒューストンの病院で死去した。46歳だった。検視の結果はまだ出ていないが、腎臓病の合併症によるものだろう、と医師は語っている。
元DEチャールズ・マーティンは、フォレスト・グレッグHC時代の1984年から87年までパッカーズに在籍。1986年のベアーズ戦で、彼はパスを投げた直後のQBジム・マクマーンを思いっきり地面に叩きつけた。マクマーンは肩を壊し、残りシーズンを全て欠場。マーティンは退場となっただけでなく、2試合の出場停止処分を科せられた。彼はその後オイラーズに移り、さらにファルコンズでプレーして1988年に現役を終えている。
パッカーズは、元ドルフィンズDCのジム・ベイツをディフェンシブ・コーディネーターに迎えることを発表した。ベイツはドルフィンズでの5シーズン、一度もNFL10位以下に落ちたことのない優れたディフェンスを築き、今季はウォンシュテッドHCの辞任を受けて暫定HCも務めた。通算18回目の転職先となったグリーンベイでは、NFL最低クラスのディフェンスの再建という重責を担うことになる。
ボブ・スロウィック現DCについては、「ベイツのリーダーシップの元でコーチングスタッフとして戻る機会を与えられるが、最終決定はまだ」とチーム側は説明している。本人の気持ちしだいで、以前務めていたDBコーチを再び任せてもよい、ということなのだろうか。ベイツ自身は来週の月曜日から、グリーンベイでの仕事をスタートさせる予定となっている。
ジム・ベイツはミシガン州オックスフォード出身の58歳。テネシー大にウォークオン(奨学金なし)で入学し、LBとしてプレー。1968年、卒業してすぐに母校テネシー大でコーチ修行を始め、37年間にわたってキャリアを積んできた(下表)。7つの大学とUSFLとアリーナリーグを渡り歩いた彼は、ブラウンズのビル・ベリチックHCから声をかけられ、コーチ業23年目にしてNFL入りを果たした。ファルコンズのDCを1年限りで解雇されたあと、ベイツは再びベリチックHCの下に戻り、その後はカウボーイズで4年間を過ごした。そして2000年、ドルフィンズのウォンシュテッドHC体制の初年度からコーディネーターを務めてきた。
今季の大不振の責任を取ってシーズン途中でウォンシュテッドは辞任したが、暫定ヘッドコーチとなったベイツはチームをよくまとめ、王者ペイトリオッツ相手に大番狂わせを演じるなど、チームが最後まで諦めず戦ったことで、いっそうベイツの評価が高まることになった。先日はクリーヴランドのヘッドコーチ職の面接を受けたが、ブラウンズは現ペイトリオッツのロメオ・クレネルDCにほぼ決まりだと言われている。
今季のドルフィンズのディフェンス成績は、ヤーデージでNFL8位、パス2位、ラン31位、失点20位。失点の多さはオフェンス陣が与えたターンオーバーの多さ(NFL最悪の42個)によるところが大きかったのは間違いない。Press-Gazette紙によると、マイアミでの彼のディフェンスは、CBはプレスカバレッジが中心、しかしセーフティは2人ともディープに下がることが多く、特にブリッツを多用することはない、とのこと。
「これまで私が見た中で最高のDCの1人。彼は素晴らしいモーティベーターだ。まるで火の玉だ。決して静かでいることはないだろう。練習も、ミーティングも、エモーショナルなものになるだろう」と語るのは、かつてカウボーイズのフロント幹部だったラリー・レースウェル。また、セイバン新HCの獲得と引き換えにベイツを手放すことになったドルフィンズのエディー・ジョーンズ球団社長は、「パッカーズにとって素晴らしいコーチになることだろう。彼は非常に熱情的で、選手たちはものすごく彼を信頼している。彼はきっと優れた仕事をするだろうと思う」と賛辞を送っている。
なお、ベイツの妻ベヴァリーはウィスコンシン州プレインフィールド出身。長男ジェームズはフロリダ大のLBとして活躍し、ディフェンスのキャプテンとして1996年の全米王座に貢献。現在はスポーツキャスター。次男ジェレミーは、ライス大でQBとしてプレーしたあとコーチの道に進み、現在はバッカニアーズのアシスタントQBコーチを務めている。
Jim Bates Coaching Career | |||
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Year | Team | Position | 上司 |
1968 | University of Tennessee | Graduate assistant | Doug Dickey |
1969-71 | Sevier County (Tenn.) High School | Head coach | - |
1972 | University of Southern Mississippi | Freshman coach | P.W. Underwood |
1973 | Villanova University | Offensive line coach | Louis A. Ferry |
1974 | Villanova University | Linebackers coach | James C. Weaver |
1975-76 | Kansas State University | Linebackers coach | Ellis Rainsberger |
1977 | West Virginia University | Secondary coach | Frank Cignetti |
1978-79 | Texas Tech University | Secondary coach | Rex Dockery |
1980-83 | Texas Tech University | Defensive coordinator | Jerry Moore |
1984 | San Antonio Gunslingers (USFL) | Defensive coordinator | Gil Steinke |
1985 | San Antonio Gunslingers (USFL) | Head coach | - |
1986 | Arizona Outlaws (USFL) | Defensive coordinator | Frank Kush |
1988 | Detroit Drive (Arena League) | Assistant | Tim Marcum |
1989 | University of Tennessee | Linebackers coach | Johnny Majors |
1990 | University of Florida | Defensive coordinator /Secondary coach |
Steve Spurrier |
1991 | Cleveland Browns | Linebackers coach | Bill Belichick |
1992-93 | Cleveland Browns | Defensive end coach | Bill Belichick |
1994 | Atlanta Falcons | Defensive coordinator | June Jones |
1995 | Cleveland Browns | Secondary coach | Bill Belichick |
1996-97 | Dallas Cowboys | Linebackers coach | Barry Switzer |
1998-99 | Dallas Cowboys | Assistant head coach /Defensive line coach |
Chan Gailey |
2000-04 | Miami Dolphins | Defensive coordinator | Dave Wannstedt |
今回パッカーズの殿堂入りに選ばれた元QBドン・マコウスキーが、喜びを語り、グリーンベイでの良き思い出を振り返った。「正直言って、これは嬉しい驚きだよ。本当に驚いたし、慎ましく受け止めている。これは僕がプロアスリートとして受けた中で最も名誉なことだし、最も大事にしていく特別な賞だ」
「思い出深いゲームはたくさんあるけれど、その中でも最も印象的で、グリーンベイ・パッカーとして最も決定的な瞬間だったと言えるのは、シカゴ・ベアーズとの、"Instant Replay game"だね」とマコウスキーは振り返る。そう、パッカーズファンには今でも語り草となっている、あの1989年11月5日の "Instant Replay game" だ。
その日もパッカーズはベアーズに7-13とリードを許していた。しかし最後のドライブでQBマコウスキーは敵陣深くまでボールを進め、残り41秒、CHI陣14での4thダウンゴール。マコウスキーはレシーバーを探しながら右にロールし、エンドゾーンのWRスターリング・シャープに見事なパスを通した。56,556人の観衆は歓喜に沸きかえったが、無情にもイエローフラッグが飛んだ。QBが投げる瞬間にスクリメージラインを超えていた、というのだ。
しかし、4分間のオフィシャルレビューの末に判定は覆り、タッチダウンは有効。ルーキーのキッカー、クリス・ジャッキーがエクストラポイントを決め、パッカーズは1点差の逆転勝利を収めた。スタンドが沸くのも無理はない。パッカースはそれまで、宿敵ベアーズ相手に8連敗を喫していたのだ。
「逆転タッチダウンを取り消され、4分間のレビュー。そして審判が判定を覆し、あのプレーで試合に勝てた。今に至るまで、ランボーフィールド史上最も記憶されているゲームの一つなんだ。あの試合の一部であったことだけで誇らしいことだ。たとえあの1プレーだけだったとしても、パッカーズファンに忘れずにいてもらえるのは素晴らしいことだ」
「僕はグリーンベイを離れた後に2つのチームでプレーする機会があった。NFLでプレーを続けられたことは幸運だったけれど、グリーンベイのファンの、チームへのサポートや忠誠心は比類がない。あのようなチームでプレーできるのはとても幸運であり、名誉なことだ。今はそれが理解できる。自分がフットボールから引退し、全てが終って自分のキャリアを振り返った時、元選手として街に戻った時、今でも人々が暖かく迎えてくれて、自分のした活躍に感謝してくれる。あのファミリーの一部であることは、素晴らしい気分だし、素晴らしい名誉だ」
2004年レギュラーシーズンのパッカーズのスタッツをまとめてみました。今季前半終了時および昨季終了時と比べて見ると、変化がわかるはず。
オフェンス | ||||||||||||
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Total | 得点 | ラン | ラン(1回) | ランTD | パス | パス% | パスTD | INT | サック | 3Down% | 反則 | 反則(yd) |
397.3 | 26.5 | 119.2 | 4.3 | 9回 | 278.15 | 63.9% | 36回 | 19回 | 14回 | 47.3% | 116 | 950yds |
3位 | 5位 | 10位 | 11位 | 26位T | 3位 | 8位 | 3位 | 24位 | 1位T | 2位 | 19位 | 21位 |
昨季はQBファーヴの親指骨折に加えてラン攻撃が平均5.0ydsと絶好調で、ランとパスの順位が例年とは逆になりましたが、今年は元に戻った感があります。WR陣の成長で3rdダウン成功率が上がりビッグプレーも増えました。逆にラン攻撃はCフラナガンの戦線離脱でランブロッキングの力が大幅ダウンし、RB陣もケガがちで、昨年のような問答無用のドライブ力が影をひそめました。平均4.3ydsはそれでも立派ですが、ランTDの数が昨季のちょうど半分。ディフェンス陣の不甲斐なさが影響しているとはいえQBファーヴのインターセプト19回はやはり多いですし、反則が多いのも不安定な戦いぶりにつながりました。
この表には取り上げていませんが、ラン回数は昨年の507回から446回へと大幅減、逆にパス回数は473回からNFL1位の598回に急増してしまいました。ランが出ず、また反則が多いために3rdダウンロングに追い込まれる苦しいパターンが目立ちました。ディフェンスの失点の多さから、キャッチアップ・モードを強いられることが多かったのでやむをえない面もありますが、今季のラン・パスの比率は、シャーマンHCの方針からすれば不本意なところでしょう。
ディフェンス | ||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
Total | 失点 | ラン | ラン(1回) | ランTD | パス | パス% | パスTD | INT | サック | 3Down% | 反則 | 反則(yd) |
346.3 | 23.8 | 117.4 | 4.6 | 12回 | 228.9 | 60.6% | 33回 | 8回 | 40回 | 35.0% | 112 | 942yds |
25位 | 23位 | 14位 | 26位 | 13位T | 25位 | 18位 | 32位 | 31位 | 9位 | 9位 | 17位 | 20位 |
ほとんどの点で昨季より悪くなっているのは一目瞭然。ラン守備14位といっても平均4.6ydsで、相手としてはパスが出るのでランの必要がないといった感じ。TDパス数がNFL最多、インターセプトもわずか8回で31位。「リスク覚悟のアグレッシブなディフェンス」という開幕前のスローガンはどこへやら、完全に腰砕けになってしまいました。3rdダウン成功率を35%に抑えているのは立派ですが、3&アウトに抑えるドライブとあっさりTDを許すドライブとはっきり分かれる、ということなのでしょうか。サック数は最終週のベアーズ戦で大量9個を荒稼ぎしたためで、あまりアテにはなりません。(たとえば最終戦でサック3個だと仮定すると合計34個でNFL23位タイ)
ターンオーバー | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
Takeaways | Giveaways | DIFF | ||||
Total | Int | Fum | Total | Int | Fum | |
15 | 8 | 7 | 29 | 19 | 10 | -14 |
31位T | 31位 | 31位T | 18位T | 23位T | 8位T | 27位 |
ディフェンスのビッグプレー不足には目をおおうばかり。序盤の連敗を脱してからも、ターンオーバーレシオはいっこうに改善せず、後半8試合で奪ったインターセプトはわずか2個。ファンブルリカバーも最下位タイ。ターンオーバーレシオがマイナスでプレーオフに進出したのはパッカーズとラムズとブロンコスのみ。
ファンブルロスト数8位というのは、パスプロテクションがよく、QBファーヴのファンブルロストがわずか1回しかなかったのが効いています(その1回もRBグリーンへのエクスチェンジミスで、実際はグリーンの責任だったようです)。グリーンのファンブルは相変わらず多い(ファンブル7回、ロスト4回)のですが、今年もシーズン後半にはロストはわずか1回。
スペシャルチーム | ||||||||
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Kickoff | Punt | Kickoff Ret | Punt Ret | Field Goals | ||||
Avg. | Coverage | Avg. | Coverage | Net | 成功率 | 回数 | ||
58.6 | 20.2 | 40.1 | 8.9 | 33.4 | 21.7 | 7.7 | 85.7% | 24回 |
26位 | 10位 | 27位 | 20位 | 31位 | 14位 | 21位 | 6位T | 8位T |
大ベテランのPバーカーは悪い意味で安定し、ハングタイムもさほどないので、好リターンを許すこともたびたび。ただ、かなりの強風に両軍とも苦しんだ試合がありましたし、ブロックされるような失態は一度もなし。Kロングウェルのキックオフも飛距離は出ませんがコントロールで工夫し、カバレッジ10位に貢献しているようです。キックオフリターンはRBダヴェンポートとWRファーガソンがケガがちだったこともあり、可もなく不可もなし。パントリターンはチャットマンという専門のリターナーがいながら21位では、不満が残ります。なお、キックオフもパントも、リターンTDは一度もなく、リターンTDを許すこともありませんでした。
今季のNFLは上位キッカーたちが物凄い数字を残したので目立ちませんが、FG成功率85.7%を記録し、しかもゲームを決めるFGを4本全て成功させたKロングウェルは素晴らしいシーズンでした。
かつてそれぞれエースRB、エースQBとして活躍したエドガー・ベネットとドン・マコウスキーがパッカーズ・ホール・オブ・フェイム入りすることになった。殿堂入り式典は7月23日にランボーフィールドのアトリウムで行われる。
エドガー・ベネットはフロリダ州ジャクソンヴィル出身の35歳。フロリダ州立大から1992年のドラフト4巡でパッカーズ入り。大学時代はフルバックだった。プロ2年目にはスターターに昇格し、3年目の1995年には1,067ydsラッシングの活躍を見せた。パスキャッチも得意なオールラウンドRBで、1994年には78キャッチ546yds、1995年には61キャッチ648ydsを記録している。
スーパーボウルを制覇した1996年シーズンには、レヴェンズとともに強力RBコンビを形成し、ベネットが899yds、レヴェンズが566ydsと優勝に大きく貢献した。しかし1997年のプレシーズンにアキレス腱を断裂してしまい、リハビリのあと1998年春にベアーズに移籍。2年間で639ydsを走って引退した。NFL通算3,992ydsラッシング、21TD。パスレセプション284回2,245yds、10TD。
2001年4月からは再びグリーンベイに戻り、パッカーズの"director of player development"という肩書きで、選手やその家族たちのプロ生活・日常生活全般にわたる相談相手として、兄貴分のような立場でアドバイザーを務めている(2002年2月の記事参照)。また、練習や試合の時には、RBコーチやスペシャルチームのアシスタントとしても活躍。FA選手やドラフト候補選手との面接など、スカウトの仕事を手伝うこともあるという。将来はフロントを目指すかコーチになるか決めかねているようだが、チームのケミストリー向上への彼の貢献度は高く、シャーマンHCにしてみれば、「普通のアシスタントコーチにするのはもったいない」というところ。
ドン・マコウスキーは現在40歳。1987年のドラフト10巡指名でヴァージニア大からパッカーズ入り。リンディ・インファンテ新HCの元でプロ2年目のシーズン途中にはスターターの座をつかんだ。1989年が彼のキャリアのハイライトで、パス4,318yds、27TD、ラッシングでも358yds、5TDを記録し、17年ぶりの二桁勝利に貢献。プロボウルにも選ばれた。このシーズンだけで1点差勝利4回、3点差以内の勝利6回。 "Majkowski" という変わったスペルのために、"Majik Man"のニックネームで親しまれ、日本でも"マジック・マコウスキー"と喧伝されたせいか知名度は高かった。
体は小さいが、動けて、ややトリッキーなタイプのQB。しかし華奢な体つきのせいか、残念ながらケガが多く、全試合先発したのはこの1989年シーズンのみだった。1990年には肩、1991年にはハムストリングを痛め、2年で合計17試合しか先発できず。そして運命の1992年、第3週ベンガルズ戦で彼が足首を痛めて途中退場すると、代わったブレット・ファーヴが活躍して劇的な逆転勝ちを収めた。その翌週から今日に至るまで、ファーヴは全試合先発出場を続けている。
マコウスキーは翌1993年にコルツへ、さらに2年後にはライオンズに移籍して1996年まで現役を続けたが、1989年の輝きを取り戻すことはできなかった。パッカーズでの6年間で、パス1,607回、成功889回(55.3%)、10,870yds、56TD、56INT。
パッカーズは、カート・ショッテンハイマーDBコーチを解任した。まだチーム側から正式な発表はないが、非常に近い筋の複数の関係者が語った、と地元メディアがいっせいに報じていることから、マイク・シャーマンHCが彼を解任したのは確かだと思われる。昨年1月、当時のスロウィックDBコーチがDCに昇格したのに伴って招聘されたショッテンハイマーだが、パス守備大不振の責任を取って、在任わずか1年での辞任となった。
今季のパス守備は、球団記録の33TDパスを許し、相手QBのレーティングは101.5でNFL最下位。20yds以上のパスを65回も許している。数字だけでなく、タックルミスとアサインメントミスの多さ、CBキャロルとCBハリスの反則の多さなど、最後まで改善できなかった問題ばかり。彼の選手に対するややリラックスした接し方も、選手たちの進歩のなさにつながったようだ、と見る関係者もいる。今回の解任人事に異論を唱えるメディアはないようだ。
最も注目されるのはボブ・スロウィックDCの去就だが、まだ表立った動きはない。実績ある新ディフェンシブ・コーディネーターを招聘するためには、シャーマンHCの契約が残り1年で、宙ぶらりんとなっていることが障害となるだろう、という声もある。1年で解散する可能性が高い政権のために、わざわざ飛び込んでくる物好きはいないだろう、という見方だ。
家庭の事情からフロリダでの仕事を希望するレイ・シャーマンWRコーチが、ドルフィンズの面接を受けた。しかし、すでにヴァイキングスのスコット・リネハンOCが新OCに決定し、同じくヴァイキングスのチャーリー・バゲットWRコーチがドルフィンズのWRコーチとなることが有力視されている。レイ・シャーマンがパッカーズに残留する可能性はまだありそうだ。
2002年3月からGM直属の人事アナリストとして働いてきたジョン・シュナイダー(33歳)が、49ersの新GM候補と噂されている。現行フロントの多くと同じようにロン・ウルフ門下でキャリアをスタートさせた彼は、チーフス・シーホークス・レッドスキンズで副GMやGM補佐のような重要なポストをすでに経験ずみ。しかし、テッド・トンプソン新GMによると、まだ49ersから面接の許可は求められていない、とのこと。
20人のフリーエージェント選手との契約が発表された(下の表)。今季パッカーズのプラクティス・スクワッドを出たり入ったりした選手が多く、他もみな、これまでNFLチームと契約していなかった選手、いわゆる"Street Free Agent"と呼ばれる選手たちだ。
これら選手の多くが、今春のNFLヨーロッパに派遣されることになる。一般に、来季のロースターに残る確率は低いが、昨年のこの時期に同じように入団した選手(リスト)の中から、DT/DEカレン・ジェンキンズ、CBジェイソン・ホートンが開幕ロースター入り。他にも、RBウォルター・ウィリアムズやWRケルヴィン・カイトが、ケガ人が続出した時期に一時的なロースター昇格を果たしている。
今季のパッカーズは、先発陣より控え選手にケガ人が多かったせいか、シーズン中にプラクティス・スクワッドからロースターに昇格する選手が、異例なほど多かった。シーズン終了時にロースターに残っただけでも、FBヴォンテ・リーチ、WRアンドレ・サーマン、TEベン・スティール、TEショーン・マキュー、DTコリン・コール、LBスティーヴ・ジョシューと6人を数える。
"Street" Free Agent Signees | ||||
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Name | Pos. | College / Size | Age | Note |
Brooks Barnard | P | Maryland 6-3 / 194lbs |
25 | 一昨年ペイトリオッツで1試合出場経験あり |
Sam Breeden | WR | Northwestern
State 6-4 / 206lbs |
25 | 昨春ドラフト外入団し開幕前に解雇 |
Julius Curry | S | Michigan 6-0 / 204lbs |
25 | 昨夏キャンプ中に入団し、開幕前に解雇。プラクティス・スクワッド |
Chris Day | CB | Grambling 5-11 / 178lbs |
22 | 昨春ドラフト外入団。パッカーズでWRからCBにコンバート |
John Garrett | LB | Baylor 6-1 / 250lbs |
23 | 昨春ドラフト外でレイヴンズへ。大学4年時には10サックを記録 |
Sparky Hamilton | TE | Arkansas 6-4 / 244lbs |
23 | アリーナリーグも経験。大学ではWRだったが体重を増やしてTEに |
Joe Hayes | G | San Jose State 6-4 / 304lbs |
23 | 昨春ドラフト外入団し、開幕前に解雇 |
Atlas Herrion | G | Alabama 6-4 / 302lbs |
24 | 昨年パッカーズにドラフト外入団し、開幕前に解雇。プラクティス・スクワッド |
Jamal Jones | WR | North Carolina
A&T 6-0 / 214lbs |
23 | 昨年ドラフト外でラムズへ。解雇され、パッカーズのプラクティス・スクワッドへ |
Kelvin Kight | WR | Florida 6-0 / 209lbs |
22 | シーズン中、PSからロースターに昇格。パントリターナーも |
Chonn Lacey | S | Temple 6-1 / 217lbs |
25 | インドアリーグ出身 |
Mike Marker | WR | Millikin 6-0 / 195lbs |
23 | 今季終盤にパッカーズのプラクティス・スクワッドへ |
Scott McBrien | QB | Maryland 6-0 / 189lbs |
24 | 昨春ドラフト外入団し開幕前に解雇。小柄だがキャンプでの評判はよかった |
Nick McNeil | LB | Western Carolina 6-2 / 245lbs |
23 | 昨春スティーラーズにドラフト外入団。解雇され、シーズン季終盤にパッカーズのプラクティス・スクワッドへ。 |
Joe Quinn | G | Minnesota 6-4 / 290lbs |
24 | ウィスコンシン州出身。ヒザのケガのためこれまでNFLのチャンスなし |
Chris Robertson | RB | Houston 6-1 / 233lbs |
24 | 今季半ばにパッカーズのプラクティス・スクワッドへ |
Doug Sims | DT | Hawaii 6-1 / 344lbs |
25 | 2001年にドラフト外でシーホークス。その後、レッドスキンズ、チャージャーズ。2003年夏以来フットボールから離れていた |
Art Smith | S | Northeastern 6-1 / 204lbs |
23 | 昨季はレイダーズのプラクティス・スクワッド。今季終盤にパッカーズへ |
Seante Williams | DE | Jacksonville
State 6-6 / 252lbs |
23 | 昨夏ドラフト外で入団するが開幕前に解雇 |
Wendell Williams | S | Louisiana-Lafayette 6-1 / 215lbs |
23 | 昨春ベンガルズにドラフト外入団。解雇されてパッカーズのプラクティス・スクワッドへ |
ここ数年の若手WR陣育成に手腕を発揮したレイ・シャーマンWRコーチだが、家庭の事情により、グリーンベイを離れてフロリダで仕事をすることを希望している(1月8日の記事参照)。そのために本人は昨年契約延長をせず、もうじきパッカーズとの契約は切れる。その希望通り、ドルフィンズで組閣を進めるニック・セイバン新HCの側からパッカーズに、面接の許可を求める照会があった。
「よく調べて、自分にフィットするかどうか見てみないとね。話し合いをするからといって、決まったわけじゃない」とレイ・シャーマンWRコーチ。セイバン新HCとは、1988年から2年間、ヒューストン・オイラーズのアシスタントコーチとして同僚だったらしい。また、現ヴァイキングスのスコット・リネハンOCが、ドルフィンズの新オフェンシブ・コーディネーターの最有力候補と噂されている。
また、パッカーズのコーチ陣で最も高く評価されているラリー・ベクトルOLコーチは、来季も現役続行する意思を明らかにした。ベクトルはレイ・ローズHC時代からの生き残りで、今季がパッカーズ6年目の62歳。ヒザがかなり悪いため、もう長くは現役を続けないつもりで、ここ数年は1年契約を繰り返している。「来季も戻ってきたいし、自分ではそのつもりでいる」
通常はシーズン終了から3日ほどで行われるマイク・シャーマンHCのシーズン総括記者会見だが、今季はトンプソン新GMの招聘があったため、ようやくこの月曜日に行われた。出席した記者によると、シャーマンHCの表情はやや硬く、受け答えも普段よりピリピリした様子がうかがえ、「やはり今回のは降格人事であったのだ」という印象を受けた、とのこと。
GM職を奪われたことで、気持ちが傷ついたか? 「コンペティターであれば、自分が何かを失うのは嫌なものだ。受け入れるのが容易だった、と言ったら嘘になる」とシャーマンHCは認めた。ボブ・ハーラン社長の決断に合意したのか?と聞かれると、「私が合意するかしないかは問題ではない。私のボスが決定を下したのだ。私がアシスタントコーチ人事について、ベストだと思う決断を下すように。コーチたちは、合意しないこともあるだろう。しかし私がボスなのだ。私にとってのボスはボブであり、彼が決定を下した」
「私はどんな仕事を任されようと、自分の全てを注ぎ込んで最高の仕事をしようと努力する。今回のことで、その情熱が損なわれるようなことは決してない。私はボブ・ハーランの望むことを同じように望んでいる。それは、グリーンベイ・パッカーズが成功を続け、究極の成功を達成する、ということだ。私はグリーンベイ・パッカーズのヘッドコーチであることに誇りを持っている。私はパッカーズのヘッドコーチであることが非常に幸運なことだと思っている。これまで我々が成し遂げてきたことにも誇りを持っている」
「今回の人事は、私にとって障害ではなくチャンスなのだと考えている。人事面に関する仕事が減り、フットボール面により集中できる。それでも、人事面の決定プロセスには、私は今後も関わってはいくが」
「テッドは、私にはぴったりの人だと思う。彼も私のことをそう思ってくれていると思う。どちらにとっても、グリーンベイ・パッカーズのことが何よりも大事なのだ。以前にも言ったことだが、私が2001年にGMを任された時、もしロン・ウルフが残ってGMをやってくれるなら、私はそうしたかった。私とロンはパッカーズについて、同じビジョン、同じ情熱を共有していたからだ。今回、テッドと私が同じビジョン、同じ情熱を共有できないと私が思ったら、心配はしただろうけれど」
ディフェンスのコーチ陣の大幅な入れ替えが噂され、何らかの発表があるのでは、と注目されていたが、はっきりした発言はまだ何もなし。「私は今週も使って、コーチングスタッフの評価を続けていく」とシャーマンHC。 とはいえ、留任させるならそう明言するはずであり、昨季も同じく「評価中」との発言があった2日後にドナテルDCが解任されたので、今後に注目。「これに関しては、決まったスケジュールなどない。タフな決断をしなければならず、そのためには正しい情報を手に入れたい。何日の何時に決定を下す、などとは言えない」
なお、ジェトロ・フランクリンDLコーチがサザン・カリフォルニア大のDLコーチとなるため退団することも、シャーマンHCは公に認めた。
「『もし自分のプレー能力に基づいて決断を下すなら、(力は落ちていないのだから)現役を続けるべきだ。終ったばかりの、まずい試合によって弱気になることはない』と私は彼に言った」とシャーマンHC。プレーオフでヴァイキングスに敗れた直後に長い話し合いを行い、その後は全く話をしていない。FAが解禁される3月2日までには、決断を下してほしいと伝えてある、とのこと。
10月17日のライオンズ戦以来、シャーマンHCがロスリーOCに代わってオフェンスのプレーコールを担当してきた。しかし来季についてはまだ決めていない、とのこと。
プロ入りと同時にミドルLBにコンバートされたLBバーネットだが、2年目の今季はかなり伸び悩んだ。シャーマンHCは、彼を来季はウィークサイドに移すことも検討する、と語っている。また、ディフェンスのスキームそのものを完全に変更することも視野に入れているとのこと。
一度も本番でパントを蹴らないまま、ロースターに残り続けたPサンダー。NFLヨーロッパに派遣して経験を積ませる予定、とシャーマンHCは説明している。インジャリーリザーブでシーズンを終えた3巡指名DTドネル・ワシントンについては、「彼はウェイトルームでトレーニングを続けており、今はチームで最強の選手のひとりだ。ウェイトルームの鬼だ」とのこと。Cウェルズについては、「NFLでスターターとしてやっていけるはずだ」
シーズンを通じて不甲斐ないプレーを続けたDTハントについては、厳しいコメント。「クリディアスについては、満足していない。もちろん、彼にもそのことは伝えた。私が期待したレベルではプレーしていない。それは誰の目にも明らかだったと思う」
ヴァイキングス戦ですねを痛めたWRウォーカーは、もし勝っていたとしても、次の試合には出られなかっただろう、とのこと。逆にWRファーガソンは、1ヶ月ぶりに復帰できていたはず。LBネイヴィーズ(肩)、DTグレイディ・ジャクソン(ヒザ)、DEトゥルーラック(肩)は近いうちに手術を受ける予定。LBジョシュー(ヒザ)はすでに手術を受けた。LTクリフトンは足首とヒザの手術が必要になるかもしれないが、プロボウルに繰り上げ出場できる可能性が残っているので、それが終るまでは待つ予定。
苦戦の続く試合をランボーフィールドのスタンドで観戦していた少年クリストファーは、隣の母にしきりと話しかけた。「ねえ、下に(フィールドに)行かなきゃ。ブレットと話さなきゃ・・・」。 母クリスティーンは、「ついさっき、サイドラインでファーヴと会って、抱きしめて貰ったばかりなのに、なぜそんなことを」と怪訝な顔をした。「僕と話をすれば、もっとうまくいくはずなんだ」とクリストファーは説明した。彼はそんな子だった。重い病と闘いながら、自分の境遇に文句を言うこともなく、笑顔で、いつも他人を心配している。
テキサス北部、ダラス近くのウェザフォードに住む8歳の少年クリストファー・フォピアノは、重い脳腫瘍に冒されている。5回の手術の甲斐もなく、残された命は6ヶ月、長くて1年、との宣告がこの12月に下されたばかりだ。クリストファーが大好きなブレット・ファーヴのプレーを見るためには、残された時間はあまりにも少ない。たぶんクリストファーに来シーズンは来ないのだ・・・・。母クリスティーンは、藁にもすがる気持ちで、ブレット・ファーヴ公式サイトの掲示板にメッセージを書き込んだ。(実物)
熱心なパッカーズファンでシーズンチケット・ホルダーでもあるトリップ・ハーディンがこのメッセージを見かけたのは、すでに数日経った1月4日のこと。ファーヴ本人もその掲示板を時々チェックしていて、返信を書き込んでくれることもあるが、大事なプレーオフの時期に、そこまでは期待できない。そう思ったハーディンはパッカーズの地域活動部門に連絡を取り、ついにブレット・ファーヴへと希望の糸がつながった。パッカーズは"Make a Wish"プロジェクトに賛同し、これまでも体の不自由な子供の希望をたくさん叶えてきたが(12月の記事参照)、今回はファーヴ本人のリクエストによる特別な招待だ。試合のチケットは、ハーディンが自分のものをプレゼントした。飛行機については、ハーディンの父が貯めた"マイル"を寄付してくれた。
フィナンシャル・アドバイザーとして銀行で働く45歳のトリップ・ハーディンは、ようやく様々な手配を終え、クリストファーの母クリスティーンに連絡を取った。「彼女は電話のむこうで泣き出してしまい、もちろん私も同じようになってしまった。"泣いちゃいけない、銀行のオフィスで泣くもんじゃない"と自分に言い聞かせたよ」。 こうしてクリストファーとクリスティーンの母子は、金曜日にウィスコンシンへと飛んだ。夢のような週末の始まりだった。
土曜日の朝、2人はパッカーズの練習を見学した。ファーヴたちパッカーズ選手数人との昼食。1時間近く、ファーヴと話をすることができた。午後はランボーフィールドのツアー。最後には"サプライズ"が待っていた。ファーヴの隣に自分のロッカーが用意され、"FOPPIANO"の名前の本物のジャージーがかかっているのを見て、クリストファーがどれほど驚いたことか。
日曜日はさらに驚きの連続だった。試合前、母子はサイドラインに招待された。選手たちが次から次へとそばを通りかかり、クリストファーと話をしていく。いろいろなプレゼントももらった。そしてブレット・ファーヴがフィールドに現れた。彼はクリストファーの隣にヒザをつき、何分もの間、親しく話をしていた。試合が始まる前に、ファーヴはクリストファーを強く抱きしめた。
第3クォーターまで観戦したところで、体に障りがあるために観戦を切り上げ、母子2人はランボーフィールドを後にした。ハーディンが運転して、2人をホテルまで送り届けた。試合は残念な結果になったけれど、少年クリストファー・フォピアノにとって、生涯で最高の週末だった。
新GMに就任したテッド・トンプソンが記者会見を行い、抱負を語った。
「ここを離れた時、戻ってくることはないと思っていたから、本当に嬉しい驚きだ。2日前、私はシーホークスのためにサンフランシスコでスカウティングをしていた。驚いたことに、2日後にはここに立っている。私にとって、いわば夢が実現したような仕事だ。8年か10年前、『これはNFLで最高の仕事だ』とロン(ウルフGM)が言っていたのを、今でもよく覚えている。本当に名誉なことだ。ここに立てることを私がどれほど喜んでいるか、うまく言えない」
シャーマンHCについて。 「彼は今シーズン、素晴らしい仕事をした。1勝4敗スタートから挽回して、地区優勝を果たした。非常によい結果だ。彼は卓越したコーチだと私は思っている。彼の成績が全てを物語っている。たいていのチームには衰退期があるものだが、ここにはそういったものがあまりない。スーパーボウルを勝ったか? ノーだ。しかし今どき、スーパーボウルを勝つというのは非常に大変なことなのだ」
「ハーラン社長が昨日言ったように、今回の人事は組織の構造を変えるのが目的だ。(シャーマンHCなどの)個人についてのものではない。テッド・トンプソンではなく、マイク・シャーマンでもない。ボブ・ハーランでもない。現在の、そして将来のパッカーズにとって最善の道、ということが全てなのだ。大事なのは構造を変えることであり、これはパッカーズのためになる、とボブが考えた構造だ。ロン・ウルフとマイク・ホルムグレン、ロン・ウルフとマイク・シャーマンの時のように」
ある選手についてシャーマンHCと食い違いが生じた場合、絶対権力者として押し付けるのではなく、柔軟に対応し話し合いで合意に持っていく方法をとるつもりだ、とトンプソンは語る。「うまくやっていけるはずだ。決して問題にはならないだろう。ずっと以前に学んだことだが、コーチの望まない選手を押し付けても、決してうまくはいかない」。 ロン・ウルフGMも、そのようにしてホルムグレンHCとやっていた、と多くの関係者が証言している。
コーチ陣の編成については、シャーマンHCが最終決定権を持つ、と明言。もちろん、全く口を出さないとまでは言っていない。
FAよりもドラフトを重視する自分の考え方について、「フリーエージェンシーに関しては、非常に注意深くなければならない、というのが私の哲学だ。隣の芝は青く見える、ということが往々としてあるからね。他所の選手を過大評価して、自分の選手を過小評価するということが時々あるから、注意しなければならない」
スカウトとしてのキャリアを始めた1992年、ロン・ウルフGMの元で経験したエピソードを、トンプソンは披露している。「ロンがこちらにやってきて、ファルコンズのプレーシーズンゲーム3試合分のテープをよこして、『このクォーターバックを見てほしい。背番号は4。たぶん後半に出てくるよ。どう思うか、聞かせてくれ』と言うんだ。私はそれまで数年間フットボールを離れていたから、ブレット・ファーヴの名前は知っていたが、ドラフト2巡での何位で指名されたということまでは知らなかった。ただ彼のテープを見た。ブレットはブレットだった。彼は走り回り、素晴らしいパスを投げ、それを叩き落とされて自分でキャッチし、また走り回っていた」
「テープを見終えてロンのところに戻ると、『どう思う?』と聞かれたので、『少し荒削りだが、ものすごい肩と素晴らしいアスレティック能力と情熱、そういったものを全て備えている』と私は答えた。『さて、1巡指名権と交換で彼を獲ろうと思うのだが、いい考えだと思うかね?』と聞かれたので、『非常にいい考えだと、あなたは思うのですか?』と私が聞くと、ロンは『そう思っている』というので、『じゃあ私もそう思いますよ』と私は言った」。 なにしろアシスタントになってわずか10日だったのだ。
QBファーヴの現役続行の問題について。「ブレットと話し合うつもりだ。これからマイク・シャーマンと話し合いをすれば、彼はすでにブレットと将来について話し合っているから、感触はつかめると思うが」
シーホークス内部の権力闘争において、ホルムグレンHCが勝利しつつあったこの木曜から金曜にかけて、もしパッカーズ側の動きが少しでも遅ければ、トンプソン獲得はできなかったかもしれない。もしパッカーズの動きが遅かったら、今頃はシーホークスのGMに就任していたのでは?と聞かれたトンプソンは、「そうだったかもしれない。奇妙な状況だった」
言うまでもなく、彼の最初の仕事はパッカーズの選手たちを詳しく検証すること。シャーマンHCはじめコーチ陣や人事部門のスタッフと、土曜日の午後から仕事を始める予定だ。
ボブ・ハーラン社長は、現シーホークスのテッド・トンプソンを新しいジェネラル・マネージャーに指名する、と発表した。「この改編は、2つの点でパッカーズのためになると考えている。実績のある"talent evaluator"であり、有能な管理者であり、NFLで13年の実績を持つ尊敬されるベテランを、わがスタッフに迎えることができた。これが第一だ。そして第二に、マイク(シャーマンHC)の負担を軽減し、彼がより多くの時間をコーチングに打ち込めるようになる、ということだ」
「毎オフシーズンにロースターが入れ替わってしまうような、サラリーキャップ時代の現代プロフットボールにおいては、GMの仕事も、ヘッドコーチの仕事も、非常に多くの時間と努力を要求される。非常に高く評価されている2人の人物をチーム組織のトップに抱えながら、パッカーズが将来に向かって進んでいくことに、私は大きな満足を感じている」とハーラン社長。
「私は、テッド(トンプソン)はパッカーズにとって、完璧にフィットすると思っている。彼はウチの人事スタッフを知っているし、ここのフットボール部門の運営方法にも馴染んでいる。彼はパッカーズの栄光ある伝統を大事にし、グリーンベイに戻ってくるこのチャンスを非常に喜んでくれている」
ハーラン社長の記者会見の映像 (56k | 300k) / 地元ニュース映像(冒頭CMあり)
テッド・トンプソンはサザン・メソジスト大出身の52歳。1975年から1984年までオイラーズでLBとしてプレーし、引退後はいったん投資ビジネスの世界へ。1992年にロン・ウルフGMの誘いでプロ人事副部長としてパッカーズのフロントに加わった。早くも翌年にはプロ人事部長に昇進、1997年には"director of player personnel"となり、ウルフGMの右腕として経験を積んだ。2000年にホルムグレンHCの招きでシアトルに移り、ドラフト戦略を中心に、ホルムグレンHC/GMを支えてきた。
トンプソンの親しい友人であり、パッカーズとシーホークスの両方のフロントで働いた経験のあるマイク・ラインフェルトは、トンプソンにとってパッカーズのGM職は、"dream job"なのだと証言する。「彼は今、フットボール界で最高の仕事を手に入れた、と感じているよ。彼には本当にぴったりの仕事だ」 「彼とシャーマンHCはよく似たタイプだと言える。どちらも非常なハードワーカーで、細部まできめ細かく、完全主義者と言えるほど注意深い。それに、どちらも物静かで、あまり外向的ではない。たがいにとても尊敬しあっている。どちらも、エゴが強い人間ではない。どちらも、自分の手柄などにこだわらない。高く評価されたらそれを分かち合い、それよりも仕事をやり遂げる方を心配する」
ヘッドコーチとGMを分離させようとハーラン社長が決心したのは、今季第4週のジャイアンツ戦の直前だったらしい。CBマッケンジーのトレード問題が抜き差しならぬところまで来ていた10月のはじめ、大事なジャイアンツ戦への準備に集中できず、マッケンジー問題に苦心するシャーマンHCの姿を見て、やはり彼にGMの仕事まで負わせるべきでない、と結論した。後任GMには、トンプソンの名前が最初からハーラン社長のリストのトップにあり、ロン・ウルフ元GMも彼を強く推薦、さらに多くのNFL関係者がその評価を裏付けたようだ。10月半ばには、「シャーマンHCをGM兼任から解き、トンプソンを第一候補としたい」と、チームの執行委員会に報告をした。
この水曜日にニューヨーク出張から帰ったハーラン社長は、その午後にシャーマンHCと話し合いを行い、新たなGMを迎えることを告げた。「基本的に、今あなたたちに話しているのと同じことをマイクに説明した。この人事はフランチャイズの将来にとって最善の道であり、しかも彼をGMの重責から解放してコーチングにより集中できるようにする、ということだ。テッド・トンプソンのことを話すと、『テッドは非常にいいと思う。彼となら仕事をしていける』とマイクは言ってくれた。これには非常に勇気付けられた」
水曜日の午後、パッカーズ側からシーホークスにトンプソンの面接の許可を求めた。カレッジのオールスターゲームのひとつ、"East-West Shrine Game" のスカウティングのためサンフランシスコに出張していたトンプソンにハーラン社長が連絡を取り、GM職をオファー。木曜日いっぱいかけて契約についての交渉を行った。いっぽうシーホークスは金曜の朝にボブ・ウィットシット球団社長を解任し、トンプソンを引き留めようと最後のオファーをしたが、トンプソンはグリーンベイ入りを決め、朝7時50分にオファーの受諾を電話で連絡してきた。
この記者会見で質問が集中したのが、トンプソンにどれだけの権限を与えるのか、という点だ。ハーラン社長は慎重に言葉を選びながらも、「トンプソンにフットボール関連の全権を与え、シャーマンHCの任免も彼の考えしだいだ」ということを説明している。ただし、トンプソンがただちにシャーマンHCを解任することはない、と確信している様子からすると、すでにその点については合意ができているのかもしれない。しかし、来季以降のシャーマンHCの契約延長に関しては、ハーラン社長は新GMに一任するつもりのようだ。
トンプソンの正式な肩書きは "Executive Vice President/General Manager/Director of Football Operations" という長いもの。契約は5年で、年俸は$1.2ミリオンほどと見られている。GM職を失ったシャーマンHCだが、"Executive Vice President" の肩書きはそのまま。またサラリーも、これまで通り$3ミリオン弱のままのようだ。
トンプソンを迎えるため、パッカーズの執行委員会のメンバーが自家用機でサンフランシスコに飛んでおり、土曜日の11時に改めて就任記者会見が開かれることになっている。また、金曜日午後に予定されていた、シャーマンHCによるシーズン総括の記者会見は、月曜日に延期された。おそらく、トンプソン新GMとシャーマンHCが今後のことを話し合い、注目されるディフェンスのコーチ陣の処遇も含め、今後の方針を決めてから記者会見を開く、ということだろう。
新たにGMを外部から招く場合、現シーホークスのテッド・トンプソン(Vice President/Football Operations)をトップ候補とボブ・ハーラン社長は考えている、と複数の地元メディアが報じている。どの記事も「複数の情報筋が語った」としており、情報の確度は高そうな雰囲気だ。
テッド・トンプソンはもうじき52歳。アトランタに生まれ、サザン・メソジスト大を卒業。1975年から84年までオイラーズでLBとしてプレーし、引退後はいったん投資ビジネスの世界へ。ロン・ウルフGM/ホルムグレンHC体制が発足した1992年に、プロ人事副部長としてパッカーズのフロントに加わった。早くも翌93年にはプロ人事部長に昇進し、1997年には"director of player personnel"に。1999年にホルムグレンとともにシアトルに移り(シャーマンもこの時OCとしてシアトルへ)、それ以来、副GM格で仕事をしている。ホルムグレンHCが最終決定権は保持しているが、ドラフト戦略はトンプソンが主に担当しているらしい。
この経歴が示すとおり、トンプソンは現パッカーズ首脳と強いつながりがあり、シャーマンHCらと協調していくのに問題はあまりなさそうだ。Journal Sentinel紙によると、FAよりもドラフト重視のチーム作りを好む、とのこと。シーホークスとの契約は今年の6月まで残っているが、全権GMとしてのオファー(つまり現職から見て昇進となる)であれば、シーホークス側は移籍を妨げることはできない。(そういうものらしい)
シャーマンHCをGMのまま留任させ、亡きマーク・ヘイトリー副社長の後釜をこのトンプソンとする、という可能性もなくはない。
毎年、マイク・シャーマンHCのシーズン終了記者会見は水曜日あたりに行われるのが通例だったが、今回は金曜日の午後3時半(現地)に行う、と発表があった。昨日の記事にあったように、ハーラン社長がニューヨーク出張中のため、話し合いが水曜日以降にずれ込んでしまうのが、金曜日に記者会見がずれ込む理由だと推測されている。
昨年のシャーマンHCは水曜日にシーズン総括記者会見を行い、その時はコーチ人事については明言を避け、金曜日にエド・ドナテルDCの解任が発表された。今年の場合、まず自分のGM職が問題になっているため、そちらの結論を先に出してから、ということだろう。もちろん、スロウィックDCの去就にも注目が集まっている。
なお、ロン・ウルフ元GMは電話インタビューに答えて、「自分ならシャーマンHCにGM兼任を続けさせるだろう」とリップサービス気味の発言をしている。ハーラン社長とはたびたび連絡を取り合っていて、最近もレジー・ホワイトの葬儀で話す機会があったが、シャーマンHC/GMについての相談は受けなかった、とのこと。
1勝4敗から地区優勝を果たしたことで、マイク・シャーマンHCのクビはほぼ安泰となった(確定ではない)。しかしGM職についてはそうではない。シーズン中からボブ・ハーラン社長は、「シーズンが終ったところで決断を下す」と繰り返してきた。毎年のことだが、シーズン終了後にハーラン社長とシャーマンHCは長い話し合いを行って、今後の方針を決めることにしている。
この月曜か火曜に話し合いを行う予定だったのだが、ハーラン社長はニューヨークでのNFLの緊急オーナー会議に呼ばれたため、今週の後半にずれ込むことになった。月曜日の電話インタビューで今後の方針について聞かれたハーラン社長は、「私には考えがある」とだけ答えた。もちろんプレーオフでの敗戦については大きな失望を感じているが、今後の方針については、(敗戦のショックによる)条件反射で決めるようなことは決してしない、と明言している。「絶対にない。それは保証する。これまでにずっと考えてきたことがあるのだ」
なんらかの変革を彼が考えているとして、それは何か。ヘッドコーチとしてシャーマンが留任すると仮定した場合、
1. GM職を他の人物に任せる。この場合、下記の3人の誰かが内部昇格するのではなく、他から招聘する可能性が高いとJournal Sentinel紙は予想している。シャーマンHCはもともとエゴが少なく、もともと自分がなりたくてなったGMではないので、GMの座を譲ること自体に問題はない、と周囲の誰もが見ている。
2. マーク・ヘイトリーの急死で空席となっている副社長(実質副GM)の席を埋め、シャーマンHC/GMの負担を減らす。この場合、現行フロントの有力な3人のうち誰かが内部昇格する可能性が高い。3人ともロン・ウルフ元GMの門下生。
ジョン・シュナイダー(33歳!)は現在 "Personnel Analyst to General Manager" という肩書きで、シャーマンHC/GMのアドバイザー的立場。パッカーズでの経験のほかに、チーフス・シーホークス・レッドスキンズで副GMやGM補佐のようなポストを経験している。プロ人事部長のレジー・マッケンジー(41歳)は、NFLでLBとして数年間プレーした経験があり、1994年からパッカーズのフロントに。1997年から現職。なお、元OLローリー・マッケンジーは双子の兄弟。カレッジ・スカウト部長のジョン・ドーシー(44歳)は、こちらもLBとしてパッカーズでもプレー経験あり。いったんはホルムグレンHCについてシアトルに移ったが、1年半ほどで出戻り。
ハーラン社長は、「強力なGMに全権を委ね、ヘッドコーチの任免も自由にさせる」というロン・ウルフGM時代のやり方を理想としており、「本当はGMとHCを分けるのが望ましい」と以前から繰り返し語っている。
シャーマンHCは試合終了直後、QBファーヴと長い話し合いを行った。ファーヴに言い聞かせたのは、「一時的な興奮の中で、将来についての決断を下すことのないように」ということだった。過去2年のプレーオフ敗退時にはファーヴは記者会見を行わず、すぐに「現役続行かを熟考」する体勢に入ったが、今回は普通に記者会見に応じている。シャーマンHCとの話し合いで落ち着いたのかもしれない。
QBブレット・ファーヴ。「試合が終ってフィールドから出たとたんに、『もうたくさんだ』と言うのは簡単だ。でも僕は自分に対するのと同じように、チームに対してもできるだけフェアであろうと努力している。この一試合だけで判断するようなことはしない。僕は決断をしなければならないし、それについて僕はマイク(シャーマンHC)と長い話し合いをした。大変かもしれないが、この試合だけで判断するようなことはするな、と言ってくれた。彼は正しいよ。将来については、これから何週間かかけて考えるつもりだ」
考えるとは言ったものの、本人はかなりポジティブな様子。今季のプレーを通して、まだまだトップクラスのQBとして活躍できることを示したのも確かだ。「僕はフットボールをするのが大好きだし、もう自分には力がなくなったなどとは思わない。パッカーズが僕に戻ってきてほしがっているのは分かっている」とファーヴ。数日のうちにミシシッピの自宅に帰り、家族と話し合って結論を出すことにしている。もちろんチーム側は早いうちに、3月にFA期間が始まるまでには答えがほしい。「僕が『4月のドラフトまででいい?』と言ったんだけど、コーチはもっと早くなきゃ、と言っていたよ」
もちろん現役を続けるには、優勝を狙える手ごたえのあるチーム、というのが重要な要件になる。「ここに帰ってくるためには、正しい理由が僕は欲しい。それはチームをスーパーボウルに導く、というものだ。外側からではそうは見えないかもしれないが、僕は本当に、このチームが勝つためにできる限りの努力をするだろう」
昨年から家族の不幸が続いたファーヴ家だが、今は妻ディアナが乳がんと闘っている。「もう僕ひとりのことじゃない。妻は困難な時を過ごしているし、今後もそれは続く。このことは僕の(引退についての)決断にも関わってくる」
1Q | 2Q | 3Q | 4Q | Total | |
---|---|---|---|---|---|
Vikings | 17 | 7 | 0 | 7 | 31 |
Packers | 3 | 7 | 0 | 7 | 17 |
天気は曇り。気温は-3℃。わずか3プレーで先制TDを挙げたヴァイキングスは、次の攻撃でもWRモスにTDパスを通し、さらにQBファーヴのインターセプトからFGを追加してあっという間に17得点。その後10点を返したパッカーズだったが、相手FGをブロックした直後にファーヴが2つ目のインターセプトを喰らい、前半最後のオフェンスもFG失敗に終って14点差でハーフタイム。後半に入ってパッカーズディフェンスが頑張りを見せ、3回続けてパントに抑えるが、その間にオフェンス陣はINT、パント、INTで追い上げのチャンスを逃す。第4Qに入ったところでようやくRBダヴェンポートのTDランで7点差とするが、WRモスに2つ目のTDパスキャッチを許してしまう。最後はヴァイキングスが8分近いドライブで時間をほぼ使い切り、試合終了。
第1Q、RBウィリアムズが短いパスキャッチから、FSシャーパーのミスタックルで68ydsを走り切って先制のTD。パッカーズは3rdダウンでファーヴがサックを喰らって自陣深くからパント。MIN陣45でのチャンスにヴァイキングスは、TEウィギンズへのパスなどでレッドゾーンに進み、最後はWRモスへのTDパス成功。パッカーズはWRドライバーへのパスをCBウィンフィールドにINTされ、35ydsのFGで17点目。パッカーズはWRウォーカーへの21ydsパスなどでようやく3点を返す。
第2Q、 パッカーズは細かいパスとランを組み合わせ、最後はTEフランクスにTDパスを通して7点差に。ヴァイキングスはQBカルペッパーのスクランブルなどでGB陣ゴール前に迫るが、最後はFGブロックで追加点ならず。しかしQBファーヴは最初のパスをインターセプトされてしまい、ヴァイキングスはわずか2プレーでWRバールソンにTDパスを通し、再び14点差。前半最後のドライブで、パッカーズはTEフランクスへの28ydsパスや、相手反則にも助けられてMIN陣ゴール前に進むがTDならず。28ydsのFGも失敗に終わり、14点差のままハーフタイムへ。
第3Q、最初のドライブでQBファーヴはこの日3つ目のインターセプト。両者パントを繰り返したあと、QBファーヴはまたもやそのドライブの最初のパスをインターセプトされ、追い上げができないまま第4Qへ。
第4Qに入ったところでパッカーズはRBダヴェンポートが1ydsのTDランを決め、ようやく7点差に。しかしヴァイキングスは、CBキャロルの2回の反則を活かしてGB陣に進み、最後はWRモスが34ydsのTDパスをキャッチして突き放す。パッカーズは連続でパスを通してMIN陣に入るが、3rdダウンでサックされて結局パント。残り8分21秒からのヴァイキングスは、ラン主体に7分58秒も使ってボールを進め、パッカーズがボールを取り戻した時には、23秒しか残されていなかった。1つだけパスを通したところで試合終了。
Packers Injury Report | ||||
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Player | Pos. | Injury | Status | Notes |
Robert Ferguson | WR | Head/ Neck | Questionable | まだ無理かも |
Najeh Davenport | RB | Shoulder | Probable | 出場予定 |
Bubba Franks | TE | Knee | Probable | 出場予定 |
Vonta Leach | FB | Shin/ Ankle |
Probable | 出場予定 |
Grady Jackson | DT | Knee | Probable | 出場予定 |
Paris Lenon | LB | Elbow | Probable | 出場予定 |
Michael Hawthorne | S/CB | Hamstring | Probable | 出場予定 |
Vikings Injury Report | |||
---|---|---|---|
Player | Pos. | Injury | Status |
Corey Chavous | S | Elbow | Out |
Kelly Campbell | WR | Shoulder | Questionable |
Terrance Shaw | CB | Ribs | Probable |
Probable Questionable Doubtful Out |
: 出場の可能性75% : 出場の可能性50% : 出場の可能性25% : 欠場 |
レイ・シャーマンWRコーチは、マイク・シャーマン政権が発足した2000年からWRコーチを務めているが、昨年契約延長を拒んだため、今季終了とともに契約が切れ、いわばフリーエージェントとなる。2003年夏に自宅での不幸な事故で14歳の息子を失ってから、一家はつらい思い出のあるグリーンベイを離れてフロリダに移り住んでいる。単身赴任の形になっているため、できれば家族に近い場所で仕事をしたい、というのがレイ・シャーマンの希望なのだ。
「まだ様子を見てみないことにはわからない。パッカーズは素晴らしいチーム組織だが、家族から離れているのは私にはつらいことだ。私がここを去ると完全に決まったわけではないが、家族の近くにいられるよう、頑張ってみるつもりだ」
今の若いWR陣はみなレイ・シャーマンの元で一人前に育ってきた。それだけでなく、彼を父親のように慕っている。「彼の代わりになる人なんていないよ。僕らにとって、ただのコーチというよりもずっと大きな存在なんだ」とWRファーガソン。WRドライバーは、夫人のイベットは母親のような存在であり、その娘たちも家族同然だと言う。「正直言うと、この話はしたくないんだ。彼は僕らにとって特別な人だ。確かなことが1つある。もし彼がここを去ったら、僕らにとっては大きな痛手だ」
レギュラーシーズンの順位が決まったことにより、来季の対戦相手が確定した。来季のNFC North各チームは、NFC SouthおよびAFC Northの全チームと対戦する順番。また、NFC North1位のパッカーズは、その他のNFC地区1位であるフィラデルフィア、シアトルと対戦する。具体的な試合日程は、毎年3月下旬から4月半ばまでの間に発表されることが多い。全球団の対戦相手はこちら。
2002年に現行の地区編成になってから、AFCとの対戦はこれで一巡することになる。NFCとの対戦は二巡目がスタート。前回の2002年のNFC Southとの対戦では、アトランタとカロライナをホームに迎え、アウェーはニューオーリンズとタンパベイだったので、2005年はそれが引っくり返ることになる。
Packers 2005 Regular Season Opponents | ||
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Home | Away | |
New Orleans Saints | Atlanta Falcons | |
Tampa Bay Buccaneers | Carolina Panthers | |
Seattle Seahawks | Philadelphia Eagles | |
Cleveland Browns | Baltimore Ravens | |
Pittsburgh Steelers | Cincinnati Bengals | |
Chicago Bears | Chicago Bears | |
Detroit Lions | Detroit Lions | |
Minnesota Vikings | Minnesota Vikings |
1Q | 2Q | 3Q | 4Q | Total | |
---|---|---|---|---|---|
Packers (10-6) | 7 | 21 | 3 | 0 | 31 |
Bears (5-11) | 7 | 0 | 7 | 0 | 14 |
霧のソルジャーフィールド。気温は7℃。国歌の前に、レジー・ホワイトのために黙祷が行われた。最初のドライブでベアーズにあっさりTDを許したパッカーズだったが、TEフランクスへのTDパスで追いつくと、第2Qはパッカーズの圧倒的なペース。FBヘンダーソンへのTDパスの直後、FSシャーパーがINTリターンTDを決めて14点差とすると、パッカーズはQBファーヴとRBグリーンを下げ、QBノールが登場。そのノールもWRウォーカーへTDパスを決め、前半でほぼ勝負あり。ディフェンス陣は合計9サックを挙げて反撃を7点に抑え、すんなりと逃げ切った。
他の試合の結果により、ヴァイキングスが第6シードと決定。プレーオフでは、今季3回目の対戦をランボーフィールドで行うことになった。
第1Q、ベアーズはQBハッチンソンからWRテレルへ63ydsのパスが通り、次のプレーでRBトーマス・ジョーンズが2ydsTDラン。パッカーズは、CHI陣42での4thダウン1でギャンブル失敗。ベアーズは1stダウンが奪えずパント。パッカーズはリバース失敗で大幅ロスするが、RBグリーンへのスクリーンパスで1stダウンを更新し、最後はTEフランクスへの17ydsTDパスが通って同点。両者パントのあと、ベアーズはナイスリターンでGB陣に入って第1Q終了。
第2Q、ベアーズの攻撃はDEバジャ=ビアミラのサックが効いてパントどまり。GB陣14からのパッカーズは、WRドライバーへの48ydsパス、FBヘンダーソンへの38ydsで、わずか2プレーで勝ち越しのタッチダウン。次のベアーズ攻撃では、3rdダウン2でFSシャーパーがインターセプトし、そのままエンドゾーンに飛び込んでタッチダウン。次のベアーズの攻撃でもSSローマンのサックが出てパント。第2Q半ばでパッカーズはQBファーヴとRBグリーンを下げ、QBノール登場。フランクスに12yds、TEスティールに27yds、最後はWRウォーカーに25ydsTDパスが成功。両軍パント続きで前半終了。
第3Q、パッカーズが3&アウトの後、ベアーズはパントの際にパッカーズ反則(12メン)で1stダウン更新。GB陣に入って4thダウン3のギャンブルを成功させ、最後はRBジョーンズが1ydsのTDラン。パッカーズはQBノールからWRウォーカーへの43ydsパスで敵陣深くに進み、FGで3点追加。
第4Q、ベアーズはCHI陣35での4thダウン10、フェイクパントからパス失敗に終るが、パッカーズのパスインターフェアとの判定で1stダウン。しかし16プレーのドライブも実らず、最後は4thダウン13でのギャンブルでDEバジャ=ビアミラがサック。パッカーズがパントに終わった後、次のベアーズの攻撃も、同じように最後はDEトゥルーラックのサックでギャンブル失敗。パッカーズはQBオサリバンがニーダウンして試合終了。
Packers Injury Report | ||||
---|---|---|---|---|
Player | Pos. | Injury | Status | Notes |
Robert Ferguson | WR | Head/ Neck | Out | 欠場 |
Najeh Davenport | RB | Shoulder | Questionable | 微妙 |
Kevin Barry | OT | Quadricep | Probable | 出場予定 |
Grady Jackson | DT | Knee | Probable | 出場予定 |
Mark Roman | S | Ankle | Probable | 出場予定 |
Bears Injury Report | |||
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Player | Pos. | Injury | Status |
Bryan Johnson | RB | Foot | Out |
Adewale Ogunleye | DE | Leg | Out |
Hunter Hillenmeyer | LB | Ankle | Questionable |
Alfonso Boone | DT | Shoulder | Probable |
Tommie Harris | DT | Ankle | Probable |
Charles Tillman | CB | Shoulder | Probable |
Probable Questionable Doubtful Out |
: 出場の可能性75% : 出場の可能性50% : 出場の可能性25% : 欠場 |
負傷以来初めて記者会見に応じたWRロバート・ファーガソン。「今でも、この日曜日のベアーズ戦から復帰できると思っている」と真顔で語ったが、さすがにチーム側はそのつもりはなく、すでに欠場が発表されている。「今はまだ限られた運動しかできていない。軽い運動をしながら、全てが回復してくるのを待っているところだ。(脳震盪の後遺症による)頭痛を除けば、日に日に良くなってきているのが判る。もう腕立て伏せもできるところまで来た。間違いなく、良くなってきてるよ」
ストレッチャーに乗せられてフィールドを後にする時、彼は右手を上げて親指を立てて見せた。しかしその時はまだ下半身の感覚がなかった。「足が動かないわけだから当然のことだけど、僕のキャリアは終った、と思った。今のが自分の最後のプレーだったのだと。でも病院に向かう途中で感覚が戻り始め、自分のフットボール人生にはまだ未来がある、と自信が持てた。脚が折れたりしていないことは分かっていたから、復帰してプレーできると思った」
あのとき親指を立てて見せたのは、実は、テレビを見ている娘に無事を知らせるためだったのだ、とファーガソンは言う。「上の娘はいま4歳だ。だから、何が起きているかは理解できる。本当に僕の頭にあったのは、家族のことだ」
次のヴァイキングス戦では、ファーガソンが同行できないにも関わらず、チームは彼のロッカーを準備。また試合後には彼の名前を書いたボードを掲げ、ファーガソンに勝利を捧げる、と選手たちは口々にコメントした。「ほんとに感動した。テレビで試合を見るだけでもつらかったからね。チームメイトがそんなふうに思ってくれていると知るのは幸せなことだ」
プレーオフを諦めてインジャリー・リザーブ入りする可能性について聞かれると、「このシーズンのために、たくさんの準備を積み重ね、ハードワークを続けてきた。その結果がどうなるかを見届けたいし、ポストシーズンはまた新たなシーズンでもある。フィールドに出て、自分の能力を、レシーバーとしてどれだけオフェンスに貢献できるかを示すチャンスだ。そのことに今は集中している」