過去の記事 2002年5月 全文表示  (リスト表示はこちら

2002年5月31日

RBジェイソン・ブルッキンズと契約

ESPNのパスカレリ記者によると、元レイヴンズのRBジェイソン・ブルッキンズがパッカーズとの2年契約に合意した模様。ベースサラリーは今年が$300,000、来年が$375,000と格安。ブルッキンズは昨年、RBジャマール・ルイスの穴を埋めて551ydsの活躍を見せたが、今オフのミニキャンプでコンディショニング不足(体重オーバー)を指摘されてレイヴンズから解雇されている。

フリーマンとの話し合いは続く

WRアントニオ・フリーマンの代理人ジョエル・シーガルが水曜日に語ったところによると、彼とパッカーズ側の交渉担当アンドリュー・ブラントとの話し合いはまだ続いているようだ。「まだ話し合っている。常に連絡は取っているのだ」とシーガル。交渉担当のブラントもそれを認めている。しかしブラントは「話し合い」という言葉は使ったものの「交渉」とは言わなかった。

話し合いが続いているということは、(問題の6月1日が過ぎたとしても)すぐには解雇されないかもしれない、という見方も出てきている。「まあそれはパッカーズ側が決めることだ。今週中にも話し合いをする予定だから、その時にわかるかもしれない」とシーガル代理人。

一方、リロイ・バトラーのサラリーカットは順調に進みそうだ。今年のバトラーのベースサラリーは$2.25ミリオンだが、それを$1ミリオン以下に減らすことをパッカーズ側は希望している。本来ならもっと早く交渉が進むはずだったのだが、肩のケガの治り具合を確認するためにこの時期までずれこんだのだ。6月中には合意に至るものと見られている。

DEキース・マッケンジーがベアーズと契約

元パッカーズのDEキース・マッケンジーがベアーズと契約した。契約ボーナス$50万ドル含む総額$2.85ミリオンの2年契約。マッケンジーは1996年ドラフト7巡でグリーンベイ入りし、4年間で18.5サックを記録。2000年にFAでブラウンズに移り、2年間プレー。2001年にはシーズン中盤にケガで倒れるまで、4サックを記録している。

マッケンジーとの契約はパスラッシュの強化の意味ももちろんある。しかしそれだけではないらしい。ベアーズは先発DEのブライアン・ロビンソンが先日、自宅で両手首を骨折して手術。キャンプには間に合うものと見られているが、もし回復が思わしくなかった場合の保険として、マッケンジーと契約した、ということのようだ。

2002年5月29日

ルーキー紹介 その4 DT/DE アーロン・キャンプマン

ドラフト5巡156位,アイオワ大,193cm,130kg

経歴

高校時代はラインバッカーとしてオールアメリカン。アイオワ大に入っても2年間はインサイドLB。2年時は全試合に先発して103タックルを記録。3年時からディフェンシブ・エンドにコンバートされ、2000年は94タックル。2001年はエンドとタックルの両方をプレー。92タックル、9サックに加え、チーム最多17回のロスタックルを決めている。

セールスポイント

「骨格からしてあと15ポンドは楽に増やせる」という評価が多く、パッカーズではDEよりもDTとして育てるつもりらしい。努力を惜しまないハードワーカーで、常に全力を出し切るタイプ。非常に賢い。ディシプリンもしっかりしていて、システムをキチンと守る。低いブロックも手を使ってうまくかわし、最後までボールキャリアーを追う。DEとDTの両方をこなせる柔軟性も魅力。

弱点?

NFLでパスラッシャーとしてやっていくにはやや瞬発力不足のため、やはりウェイトトレーニングでバルクアップしてDTをやるべき。DTでの経験は少なく、バルクアップとともに技術も身に付ける必要がある。

指名のいきさつ

この5巡指名権は、WRウォーカーを指名するためにトレードアップした際に、2巡と引き換えにシアトルから受け取ったもの。また、キャンプマンを指名しようとしている時にビルズからトレードアップの申し出があったが、シャーマンHCは拒否。あとで聞くと、ビルズもキャンプマンを指名しようとしていたらしい。彼はスカウティング・コンバインには招待されなかったが、大学で行ったワークアウトが非常によく、スカウトの評価を上げたらしい。

メンタル面

学業は非常に優秀。小学校の時は4年間で5年生の分まで修了してしまった。もちろん大学での成績もよかった。フットボールでは、決して手を抜かない、タフなハードワーカーとして評価が高い。精神面での欠点はほとんど見当たらない。

田舎育ち

彼の育ったアイオワ州ケスリーは、人口80人。 銀行ひとつ、郵便局ひとつの町。「小さな、農業中心の町なんだ。お互いに全員の顔を知ってる。あまり動きがないけど、暮らすのには素晴らしいところだよ」とキャンプマン。しかし彼の通っていた高校からは、この6年間で4人のNFL選手を輩出している。

パッカーズにとって

バルクアップするまでは、主に"パワー・エンド"としてDEヴォニー・ホリデイの控え、また"エレファント・エンド"の控えをさせることになるだろう、というのがヘイトリー副GMの考え。そして次第にサイズが大きくなればDTへ。今年に関してはどのくらいやれるかは未知数だが、ホリデイの控えの座をビリー・ライオンと争う、といったところか。

2002年5月28日

NFLヨーロッパのパッカーズ選手近況

グリーンベイからNFLヨーロッパへ派遣されている選手たちの中で、最も注目されているのがRBハーバート・グッドマン。この土曜日もラン21回86ydsの活躍で、スコティッシュ・クレイモアズの3連勝に貢献した。7試合を終えて、541yds(平均4.1yds)はリーグ3位。ファンブルがやや多いのは気になる。グリーンベイではロースター入りのボーダーライン上にいるだけに、もっともっと活躍をアピールしたいところだろう。

同じチームに所属するのがCBハーレー・ターヴァー。昨年はなんと6回もパッカーズから解雇され、その度にまた契約(主にプラクティス・スクワッドだが)している。今年はNFLヨーロッパでなかなか良いプレーをしているようだ。フィジカル的には決して恵まれてはいないが、アグレッシブなプレーが評価されている。開幕ロースターの53人に残れる可能性も、わずかながら出てきた。

NFLヨーロッパ派遣選手のなかで、パッカーズが最も失望しているのが、OG兼ロングスナッパーのエド・カール。パッカーズはここ数年、ロブ・デイヴィスをロング・スナッパー専門として雇っているわけだが、ロースター構成上、他のポジションもこなせる選手の方が望ましい。というわけでエド・カールが控えOGとして使えるようになることを期待してヨーロッパに送ったのだ。しかし彼はライン・ファイアーでスターターになることができず、これでは経験の積みようがない。

2002年5月27日

RBブルッキンズも候補?

パッカーズの2番手RB候補に、レイヴンズから解雇されたばかりのジェイソン・ブルッキンズの名前が挙がっている。彼の代理人によると、水曜日には彼をグリーンベイに来て、ワークアウトを行うことになっているとのこと。グリーンベイが乗り気というよりも、代理人が熱心に売り込んでいる、という印象。

ブルッキンズは昨年、エースRBのジャマール・ルイスが大ケガで戦線離脱したあと、大ベテランのテリー・アレンとともにレイヴンズのラン攻撃を支え、551yds(平均3.6yds)を記録。今年もレイヴンズはRBが豊富とは言えないだけに、先日の突然の解雇はショッキングだった。解雇の理由としては「体重オーバー」が挙げられているが、他にも何か理由があるのかも、という憶測もある。

チャリティー・バスケットボールはベアーズに凱歌

17日のニュースでお伝えした、パッカーズとベアーズとのチャリティー・バスケ大会が19日に行われた。グリーンベイ関連メディアでの記事がなかったのでベアーズ公式サイト掲載のニュースから。試合は終始シカゴのペース。パッカーズは第3Qに11点差に追い上げたものの、最終スコアは83-66でベアーズの完勝。

シカゴ側の記事のためパッカーズ側のメンバーはよくわからないが、リロイ・バトラーやWRチャールズ・リーに加えてDTギルバート・ブラウン(!)も参加したらしい。 迎え撃つベアーズは、WRデヴィッド・テレルが最多の18得点。WRブッカーが15点、LBアーラカーが10点、CBマクウォーターズが10点。昨年はパッカーズにいたQBヘンリー・バリスも参加した模様。

オハイオ州立大で2年間控えポイントガードを務めたCBマクウォーターズは華麗なドリブルを披露し、集まった400人ほどのファンを沸かせた。高校時代にバスケで活躍したWRテレルは豪快なダンクを披露し、「ブルズから手紙が来るかも」とジョーク。

2002年5月26日

ひとりだけ選手を選ぶとしたら?

「もしあなたが新しくエクスパンション・チームを作るとして、NFL全体から選んでいいとしたら、最初に誰を選ぶか?」というCBS Sportslineの質問に、25人の現役ヘッドコーチが答えた。「自チームの選手にさしさわりがあるので、匿名でなら答えてもいい」というHCも多かったようだ。

1位 QBブレット・ファーヴ(7票)
2位 QBペイトン・マニング(6)
3位 QBカート・ワーナー(3)
4位 QBドノヴァン・マクナブ(2)
4位 RBマーシャル・フォーク(2)

そしてQBマクネア、RBエジャリン・ジェームス、RBディロン、LBレイ・ルイス、DEストレイハンが1票ずつ。25人のうち19人がQBを選び、ディフェンス選手を選んだのは2人だけ。GBのマイク・シャーマンHCとSEAのホルムグレンHCはどちらもファーヴを選んでいる。マクネアを選んだのはもちろん、フィッシャーHC。レイ・ルイスを選んだのはCARのフォックス新HC。ストレイハンを選んだのはARIのマッギニスHC。

2002年5月25日

LBロバート・ジョーンズと契約

パッカーズは、テキサンズをカットされたばかりのLBロバート・ジョーンズと契約した。3月末にも彼をグリーンベイに呼んでワークアウトを行い、パッカーズ側は獲得に乗り気だったのだが、彼は4月末にテキサンズと契約。しかし若手優先のチーム方針に失望した彼は「解雇してくれ」とテキサンズ側に頼んだらしい。契約内容は(10年以上選手の)最低年俸となる$750,000の1年契約。

32歳のジョーンズはイースト・カロライナ大出身。1992年にドラフト1巡でカウボーイズ入りし、ダラスでの4年間に3度の優勝を経験。その後ラムズで2年、ドルフィンズで3年プレーし、昨年はレッドスキンズで9試合に先発。キャリア通算150試合のうち、128試合に先発している。

大物FAとは言えないものの、経験豊富で、サラリーも安く、3つのLBのポジションを全てこなせるジョーンズの獲得はパッカーズにとって理想的。2年目のマーシャルをスターターに育てたい、というチーム首脳の意思は変わっていないが、ジョーンズはマーシャルがつまづいた場合の「保険」となる。また、アウトサイドLBのディッグスとウェインの控えもこなすことができる、というのもデプス的には大きなプラス。

2002年5月24日

復活を目指すDTスティーヴ・ウォーレン

2000年のドラフト3巡指名ルーキーだったDTスティーヴ・ウォーレンは、ラッセル・メリーランドの控えとしてノーズタックルをプレー。シーズンが深まるにつれてメリーランドを脅かすほどになっていた。しかし第14週の@シカゴ、彼はヒザ上の腱を断裂するという大ケガを負ってしまう。その前週にサンタナ・ドットソンも同じ場所を断裂していたが、ウォーレンの方が断裂のしかたが酷かった。

そして長い長いリハビリが始まった。2001年の夏にはサンタナ・ドットソンが先に復帰を果たしていたが、ウォーレンのケガの治りは遅かった。ようやく練習に復帰したのが11月の半ば。結局、試合で貢献できるほどには状態が戻らず、インジャリー・リザーブのままで2年目のシーズンを終えることになってしまった。

今年4月のミニキャンプ、彼はようやく「ほぼ元どおり」と言える状態でプレーできた。一昨年のケガから17ヶ月ぶりのことである。「今彼は競争のまっただ中だね。去年の彼は留年したようなもので、ようやく戻ってきた。動きは速いよ。僕が見る限り、ほぼ元どおりだ」とドナテルDC。DTのスターターは今のところギルバート・ブラウンとクリディアス・ハントだが、サンタナ・ドットソンとジム・フラニガンが抜けた今はチャンスだ。

実際、ヒザがどれくらい良くなっているか本当にわかるのは、フルコンタクト練習の始まる7月のトレーニングキャンプから。「コーチたちも、僕のヒザがどのくらい負担に耐えられるか、時間をかけて判断しようとしてるみたいだね。でも僕自身の感覚としては、昨シーズンが終わった時の感じとは比べものにならないよ。あとはひたすらトレーニングしてシーズンに備えるだけだ」

ネブラスカ大出身の彼はまだ24歳。ルーキーシーズンの途中で戦線離脱したとはいえ、ケガをする前に13試合も出場している。「彼は一年目にずいぶんたくさんプレーした。だから彼には経験がある。これは大きなファクターだよ」とフランクリンDLコーチ。しかし、今の彼にとってはフィールドに出られるだけで幸せだ。「どんなポジションであろうと、喜んでプレーするよ」

2002年5月23日

今年はファミリーナイトを断念

毎年、平均5万人のファンを集め(チケットは$6ドルと安い)、紅白戦のようなスクリメージ練習(テレビ解説まで付く)、ファンの前での選手たちのインタビュー、着たばかりのジャージをプレゼントするコーナーなど、盛りだくさんの内容でファンサービスをする"Packers Family Night"。(昨年の8月6日の記事参照) 最後は花火も上がる。

しかし、今年は開幕ぎりぎりまでランボーフィールドの工事を優先するため、"Packers Family Night"は中止せざるをえなくなった。 グリーンベイには5万人級のスタジアムは他になく、マディソン市のキャンプ・ランドール・スタジアム(ウィスコンシン大のホーム)も今年は工事中。ミルウォーキーのミラー・パークも遠くて不便であったりして、結局代替地は見つからず。新ランボーフィールドのこけら落し直前となる来年も、開催は見送られる方向とのこと。

将来コメンテーターをやるつもりはない

ESPNのインタビューで、引退後テレビコメンテーターをやる気はあるのか聞かれたQBブレット・ファーヴ。上手におだてるインタビュアーにも関わらず、彼は「そのつもりはない。だってみんな僕よりずっと喋りが上手いよ。今は家で、子供と一緒にいたり、ゴルフをしたり、トラクターに乗ったり、ってことを楽しんでる。コメンテーターの仕事をすると、それが難しくなるしね。だから引退したら、試合はテレビで見るだけさ」

2002年5月22日

ルーキー紹介 その3 FB ナジェ・ダヴェンポート

ドラフト4巡135位,マイアミ大,185cm,112kg

経歴

高校時代はフットボールの他に陸上のスプリンター。マイアミ大に入ってテイルバック。1年目から、先発こそしなかったものの55回387yds、6TDを挙げる活躍。2年目、開幕戦で81ydsの大活躍を見せるが、その試合中に前十字靭帯断裂の大ケガを負い、そこでシーズンエンド。そのケガから復帰した3年時からはフルバックに転向。パワーランナーとしてショートヤーデージではRBも務める、というパターンは4年時も同様。大学最後のオレンジボウルは足の骨折のために棒に振ったが、全米王座マイアミ大の一員として知名度は高い。

セールスポイント

非常にガッチリとした良い体格。フルバックのサイズでありながら、スピードやクイックネスもあって、テイルバックも十分やれる。パスキャッチが非常に上手く、難しいボールにも器用にアジャストできる。フルバックとしての経験は浅いが、4年時にはリードブロッカーとしてもかなり進歩した。重心が低い。今年のドラフトではFBの中で1番か2番に評価されていて、4巡の最後で彼を指名できたのはラッキーと言える。

弱点?

フルバックでの経験が浅いこと。「まだテイルバックに未練があるのでは?」という意見もあり、そのせいでリードブロックにアグレッシブさが足りない、との指摘も。2年時の前十字靭帯断裂に4年時の骨折と、ケガに弱いのかもしれない、という懸念もある。

足の骨折

4巡の一番最後まで売れ残った理由は、左足(第五中足骨)を骨折した後の状態が芳しくなく、「さらなる手術が必要なのでは?」という懸念が大きかった(その場合、開幕に間に合わない可能性が大きい)。それさえなければ、悪くても3巡での指名が予想されていた。しかし、ドラフト後の詳細な検査の結果、「とりあえず再手術は必要なし」という診断が下されて、ホッと一息。4月末のミニキャンプはほとんどを見学したが、うまくいけば6月のミニキャンプから練習に参加できる・・・はず。

メンタル面

マイアミ大では、最も尊敬されるリーダーの1人だった。何よりもチームの成功を優先する彼の自己犠牲の精神が認められ、チーム内で"Unsung Hero Award"に選ばれている。

パッカーズにとって

パスキャッチが上手いので、FBウィリアム・ヘンダーソンの後継者として理想的。昨年、ロースター上のRB/FBは5人だったが、FBはヘンダーソン1人で乗り切った。しかし本来これは好ましいことではない。ダヴェンポートなら両方の控えをこなせるので、ロースター構成の上でも理想的。フルバックとしては、ヘンダーソンの下で修行を積んでいく必要があるが、スペシャルチームでは即戦力として期待できるはず。

発音

ファーストネームのスペルは"Najeh"。「ナジェ」なのか、「ナジェー」なのか、「ネイジャ」なのか、イマイチよくわからない。とりあえず「ナジェ」で行きますが。

2002年5月21日

LBジェシー・タグルに興味?

昨年引退したファルコンズの名LB、ジェシー・タグルが現役復帰を目指しているという噂があるが、その候補としてパッカーズの名前が挙がっている。もちろん、パッカーズがベテランMLBを探している、というのがその理由。1年間現役を離れていたタグルだが、体はしっかり作っていて、トライアウトを受ける機会を待っているらしい。

ファルコンズ一筋だったタグルは、2000年秋に後十字靭帯の断裂という大ケガのためにシーズン後半を欠場。そして昨夏は復帰を目指したものの、トレーニングキャンプで親指を痛めたこともあって、開幕前にチームから戦力外通告。「他チームで現役を続けるよりも、ファルコンズのままでユニフォームを脱ぎたい」として引退の道を選んだ。しかしすでに昨年末あたりから「復帰する意思があるらしい」という噂が流れていた。

2002年5月20日

選手たちがヨガのレッスンを受講

週に一度、自主参加のヨガのレッスンに参加しているパッカーズの選手たち。OGリヴェラ、Cフラナガンら300ポンド級から、Sシャーパー、WRテリー・グレンらアスリートタイプまで、多くの選手が参加している。グリーンベイのYMCAから招いた女性講師の指示に従って、(多少は抵抗があるようだが)「何々のポーズ」といったユーモラスな動きに取り組んでいる。

講師のキーナ・ヒルズバーグは、「なによりも呼吸法が大事」と強調する。「彼らは時々、呼吸せずに体を動かそうとしますから、そのたびに注意するんです。体を動かす時に呼吸することで、より筋肉を伸ばすことができ、バランスもよくなります。全てがよくなるのです」

シャーパーは、「このレッスンを受けることで、少しでもいいプレーヤーになる助けになればと思ってる。筋肉が柔らかくなればなるほど、反応は速くなる。それに筋肉をストレッチすることで、ケガを減らすことができるし」と語っている。

今年からこのレッスンが開講されることになったきっかけは、 昨年OGマルコ・リヴェラがYMCAのヨガ教室に通い、成果があったこと。だから今年はチーム全体のプログラムに組み入れるよう、リヴェラがコーチに進言したのだ。「体幹部の強さを増すのに役に立ったのは間違いないよ。僕らみたいなビッグ・ガイたちのケガは、腹筋の弱さから来る腰痛が多いんだ。その点ではヨガは絶対役に立つ」

大男たちが懸命にヨガに取り組む姿は、多少奇妙な感じがしないでもないが、全ては ライバルに少しでも差をつけるため。名WRのリン・スワンはすでに20年前にバレエを取り入れている。テリー・グレンも「僕はこんなのは初めてだけど、効果があるって聞いたことはあった。僕はこれまでストレッチングにはそれほど熱心じゃなかったけど、厳しいシーズンに向けて、選手はできる限りの準備をしておかなければ。少しでも役に立つことなら、何だって取り入れるよ」と語っている。

2002年5月18日

RBグリーンが保護命令を言い渡される

Lenny McGill3月に自宅で大騒ぎを起こしたことに関連しての話。妻シャリリンの訴えにより、裁判所は「アーマンは妻の自宅と子供のいるデイケアセンターに近づいてはならん」という保護命令を言い渡した。また、妻シャリリンは夫アーマン・グリーンが身重の彼女を二度にわたって殴ったと訴えている。

今年は新ユニフォームなし

今年から「ホームゲーム8試合のうち1試合に限り、新しいユニフォーム、またはかつてのユニフォームを着用してもよい」ということがリーグ側から認められた。しかしパッカーズは今年に関しては第3のユニフォームを着用しない、とシャーマンHCが発表した。理由は、3月に決定がなされたばかりのため、準備期間があまりに短かったこと。というわけで、来年に関しては第3のユニフォームを採用する気は十分あるようだ。そしてパッカーズの場合、全く新しいデザインのものを考えるのではなく、かつてのユニフォームを復活させる、という方向が有力。

2002年5月17日

バスケでベアーズとの決戦へ

まだ5月というのに、来季の地区優勝を占うパッカーズとベアーズの一戦がイリノイで開催される。とはいってもチャリティー・バスケットボール大会の話。グリーンベイから乗り込むのはリロイ・バトラー、ダレン・シャーパー他。迎え撃つベアーズ側も、LBアーラカー、WRブッカー、DEロビンソン、WRテレル、RBトーマスという豪華メンバーだ。

会場はイリノイ州ナイルズのノートルダム高校。観戦チケットは$15ドル。選手と会えたりする特典つきのVIPチケットは$100ドル。収益金は"Athletes for Kids"およびリロイ・バトラー財団に寄付されることになっている。

2002年5月15日

あるスカウトの生活

Lenny McGill1996年夏、控えCBのレニー・マクギル Lenny McGill がアトランタにトレードされた時、グリーンベイでのキャリアは終わった、と当然彼は思った。しかし事務所で最後の小切手を受け取って帰ろうとした時に、彼は当時のホルムグレンHCと出くわした。意外なことにホルムグレンは彼に「引退したらポストを与える用意があるから連絡を取り続けるように」と告げたのだ。普段から、試合前にマクギルが相手WRについて書く詳細なレポートは、コーチたちに高く評価されていたからだ。

そしてホルムグレンはすでシアトルに去っていたものの、 98年いっぱいで引退したマクギルにやはりグリーンベイから声がかかった。99年には、40人の大学選手についてのレポートを書かされ、それが評価されて2000年2月からパッカーズのカレッジ・スカウトに正式採用されたのだ。

現在、彼が担当するのは中北部の10州 41大学。「大学に行って、選手たちを見て、彼らがパッカーズにどうフィットするかを考えるのは本当に楽しい仕事だよ。大きな大学に出かけて、有名選手が評判どおりかチェックするのもいいが、マイナーな大学で"茂みの中のダイヤモンド"を探すのも面白い」とマクギル。

シーズン中は基本的に、月曜から金曜は各大学を回って選手を見たり、それをビデオに収める。土曜日は当然、大学の試合を見る。そして、よほど運が良ければ、ウィスコンシンの自宅に帰って日曜日のパッカーズ戦が見られる。しかし数千人の大学選手をチェックする彼に、そんな余裕は滅多にない。

去年、マクギルがパッカーズ戦を生で観戦できたのはたった4回だという。それ以外は、ホテルの部屋で、スポーツバーで、叫び声を挙げながらの応援になる。「自分とこの選手のプレーも見られないっていうのはちょっと奇妙な感じはするけどね」

◆ ◆ ◆

マクギルはシーズンの間、およそ500人もの大学選手のレポートを書く。シーズンが終わるとグリーンベイに戻ってそのレポートを完成させ、副GMのマーク・ヘイトリーとカレッジ・スカウト部長のジョン・ドーシーに提出する。それが済むと2月末のスカウティング・コンバインまではオフとなる。

本番のドラフト会議自体は、スカウトにとっては決してクライマックスではない、とマクギルは言う。「我々にとってはドラフト指名は神経が参るようなことではないんだ。そこまでに全ての仕事は終わっていて、あとは自分のレポートを信じるだけだからね」

現在30歳のマクギルの望みは、やはりパッカーズ内で出世すること。「今後5年のうちに実績を挙げて、プレーヤーの評価に関して良い仕事をした、とこの世界で認められることだね。そしてどんなポストでもいいから人事部門でチャンスをつかむこと。でも今のところは、グリーンベイを優勝候補にする手助けができればいいと思う」

優勝候補・・・そう、現役時代のマクギルが96年夏にグリーンベイを去った時、パッカーズは紛れもなく優勝候補だった。ドラフト外ルーキーとして94年にパッカーズ入りした彼は、2年間ダイムバックとしてチームに貢献した。しかし97年1月、パッカーズがついにスーパーボウルを制覇した時、彼はファルコンズのユニフォームを着ていたのだ。

「気持ちは複雑だった。先発のチャンスがもらえるトレードだったから嬉しかったけど、古巣がついに優勝するのをただ見守るしかなかったんだから。前の年、NFC決勝でダラスに負けた時のロッカールームの雰囲気は、『来年、誰がプレーすることになろうと、俺たちは必ずスーパーボウルに行くぞ』というものだった。だからアトランタで見ていた僕も本当に嬉しかったよ。でも心の一部では『なんてこった。"特別なチーム"になるって事はわかってたのに』って思った」

だからこそ、今のマクギルの目標は、パッカーズが"特別なチーム"になる手助けをすることなのだ。今年のドラフトが成功に終われば、それも夢ではない。「前回、僕は選手としてのチャンスを逃した。だから今度はスカウトとしてスーパーボウル・リングを手に入れるんだ」

2002年5月14日

ルーキー紹介 その2 S マーカス・アンダーソン

ドラフト3巡92位,UCLA,180cm,97kg

経歴

高校時代はフットボールの他に陸上のスプリンターとしても活躍。UCLAに入って1年目からCBでスターターに。フレッシュマン・オールアメリカンに選ばれる。しかし3年目となるはずの1999年は、学内でのトラブルで1年間の出場停止処分。しかし翌年復帰してからは精神的にも大きく成長し、ディフェンスのリーダーに。3年時はSS、4年時はFSをプレー。ジム・ソープ賞の候補。

セールスポイント

パワーがあり、アグレッシブで非常にフィジカル。ハードヒットが売り物でランプレーに強い。身長はやや低いが、腕が非常に長く、手が大きい。ジャンプ力もある。2年生まではCBをやっていたように、CBとしての能力もそこそこある。 彼のヒットによってWRにパスを落球させたのが2001年には24回もあったという非公式記録も。DB全てをこなした経験もパッカーズからは高く評価された。スペシャルチーマーにもうってつけ。

弱点?

3巡まで下がった理由は、ややサイズが小さいこと。強烈なヒットを得意とするかわり、時折ミスタックルがある。バックペダルがやや硬く、WRとの1on1でビッグプレーを許すことがある。しかしそれは彼の責任と言うよりも「UCLAのディフェンス全体がそんな感じだった」という同情的な評価も。

メンタル面

''99年に、「障害者用の駐車スペースを勝手に使っていた」という件で、数人のチームメイトとともに大学から1年間の出場停止処分に。しかし「この経験で僕は成長した」と本人が語るように、復帰後の練習熱心さは高く評価されている。プロでも問題なさそう。

パッカーズにとって

もちろんチームの期待はリロイ・バトラーの後継者に、ということに尽きる。バトラーもエドワーズも大ケガからの復帰シーズンとなるため、彼らの体調次第では意外に早く出番が来るかも。また彼の獲得によって、2年目のバウ・ジューはCBに固定でき、これでDB陣の駒は十分揃ったと言える。

指名後最初のミニキャンプでの評価は上々。他チームから偵察に来たスカウトによると「パッカーズのルーキーの中では最も良かった。むしろベテランのように見えた。スターターになる日も近いのでは」との嬉しい評価。 ミニキャンプではCBとしてパスカバー能力のチェックも受け、まずまずの動きを見せたようだ。スペシャルチームでの貢献にも期待。

発音

ファーストネームのスペルは"Marques"だが発音は"Marcus"で良いとのこと。というわけで日本語表記は"マーカス"で行くことにします。

2002年5月12日

Notebook: ドラフト外ルーキーQBと契約

2002年5月11日

元ヘッドコーチのダン・デヴァインが死去

1971年から74までパッカーズのヘッドコーチ兼GMを務めたダン・デヴァイン氏が、アリゾナ州テンピの自宅で死去。77歳だった。グリーンベイでの通算成績は25勝27敗4分けと、成功とは言い難かったが、栄光の60年代を担った主力選手たちが高齢化する中、1972年には10勝4敗で地区優勝を果たしている。また、現在のパッカーズ社長ボブ・ハーランをグリーンベイに招いてフロントに加えたのもデヴァイン氏だ。

偉大なヴィンス・ロンバルディの記憶がまだ生々しい時期、ロンバルディに心酔する選手も地元ファンも、低迷するチームを立て直そうと悪戦苦闘する彼を見る目は厳しかった。中でも、1974年シーズン途中に彼が行ったトレード(34歳のベテランQBハドルを獲得するために5つものドラフト上位指名権を失った)は大失敗に終わり、辞任の引き金になってしまった。いまだにこれを「史上最悪のトレード」と苦々しく思っているファンは多い。

彼自身、グリーンベイでのつらい4年間を振り返り「低俗で、悪意に満ち、醜いものだった」と語っている。成績不振に腹を立てたパッカーズファンが彼の愛犬を撃ち殺した、という話はいまだに語り草(撃ち殺されたのは本当のようだが、実際はパッカーズの成績とは関係ないトラブルだったらしい)。 彼が72年に地区優勝した後、次にパッカーズが地区優勝を果たすのは四半世紀近くたったホルムグレン時代のことである。

彼はグリーンベイよりも、むしろカレッジの名ヘッドコーチとして素晴らしい実績と名声を残した。1955年、まだ弱かったアリゾナ州立大のヘッドコーチに31歳で就任して強豪校に育て上げ、3年間で27勝3敗1分け。その後ミズーリ大に移り、13年間で93勝37敗7分け。その実績を買われてパッカーズに招かれた。

グリーンベイを去ってからは名門ノートルダム大のヘッドコーチに就任し、5年間で53勝16敗1分けと、黄金時代の一翼を担った。1977年にはジョー・モンタナを擁して全米王座に輝いている。3大学で22年間の通算成績は172勝57敗9分け、勝率.742という素晴らしいもの。"College Hall of Fame"にも選出されている。1980年にヘッドコーチ職を退いた後も、古巣のアリゾナ州立大やミズーリ大の要職を歴任し、1994年から引退生活に入っていた。

2002年5月10日

ルーキー紹介 その1 WRジャヴォン・ウォーカー

ドラフト1巡20位,フロリダ州立大,190cm,95kg

経歴

高校時代は野球とフットボールの両方で活躍したマルチアスリート。マーリンズからドラフト8巡指名を受け、高校卒業後は2シーズンをマイナーリーグでプレー。しかしバッティングで芽が出ず、2Aどまり。そこでフットボールに戻る決心をしてジュニアカレッジで2年間過ごし、2000年にフロリダ州立大に編入。1年目から期待されたが、足首のケガなどで20キャッチ、311ydsにとどまる。そして翌2001年は、45回944yds、7TDと、平均20yds超の活躍。ヴァージニア工科大とのゲイター・ボウルではなんと195ydsの大活躍で、最後のシーズンを締めくくった。

セールスポイント

スピード(40ヤード走を4.4秒弱)とサイズの理想的なバランス。ストライドが大きいが、動きが柔らかい。ディープスレットとしてのビッグプレー能力にも事欠かない。手が大きく、腕が長く、パスキャッが上手い。サイドライン際の高く難しいボールも巧みにキャッチする。2001年になってから急成長したため、粗削りの反面、まだまだ伸びる余地を残している。

弱点?

1部校での経験が2シーズンしかなく、まだまだ粗削り。特にルート取りや、相手のカバーを読む能力などを磨く必要がある。難しいボールを捕るかわり、集中力を失って簡単なボールを落とすことがある。恵まれた体の活かしかたをまだわかっていない、との声も。

メンタル面

大学3年時に"Wonderlic Test"(知能・一般常識テスト)でわずか9点しか取れなかったことから、「頭が悪い」とか「注意力障害では?」という噂があった。そのためドラフト前にグリーンベイに呼んでみっちり面接。プレーブックを見せたり、ホワイトボードを使ったりなどして複雑なウェストコーストオフェンスを学習する能力があるかどうかをチェック。これなら大丈夫、との結論に至った。

野球のマイナーリーグで大人に混じって苦労した経験があるせいか、「人間として成熟している」とパッカーズ首脳は高く評価。マイナーリーグと契約した時の金をちゃんと投資してあるように、金銭面でも堅実。明るく人懐っこいタイプで、ヘイトリー副社長が「カリスマ性がある」と評するほど首脳陣は彼の性格に惚れ込んでいる。警察沙汰を起こしたことは一度もない。一人っ子で、父の顔は知らない。

指名の経緯

4年生時は頼りないQBのせいで、それほど際立った数字を残したわけではない。その後のスカウティング・コンバインや大学での公開ワークアウトで素晴らしい動きを見せ、大幅に評価を上げた。パッカーズは「スタルワースに次ぐ今ドラフト2番目のWR」と評価し、ブロンコスが19位でWRレリーを指名した時点で、シアトルのホルムグレンHCとトレードを敢行。2巡指名権を投げ出し(5巡をもらったが)てまでウォーカーを獲りに行った。「確かにいいWRだが、トレードアップしなくても28位で指名できたのでは?」と疑問視する声も多い。

パッカーズにとって

1988年のスターリング・シャープ以来、パッカーズがWRを1巡指名するのは初めて。「QBファーヴが全盛期のうちに、十分な武器を与える」という首脳陣の決意の表れだろう。しかし大豊作と言われた昨年のドラフト1巡WRたちが苦しんだように、WRが1年目から活躍するのは難しい。彼が即戦力になれるかどうかは、いかに早くウェストコーストオフェンスに習熟するかにかかっている。

現時点ではテリー・グレンがエースWRとなるのは確定的。4月末のミニキャンプでは、2年目のファーガソンが急成長を見せ、評価がうなぎ上りで今のところ2番手。ウォーカーは3番手をドナルド・ドライバーと争う、といったところか。もちろんフリーマンが減俸を承諾して残留すれば、フリーマンが2番手に入り、ファーガソンやウォーカーは順位が一つずつ下がることになる。また、ウォーカーはパントリターナーの候補でもある。

2002年5月 9日

Notebook: 2番手RB問題

2002年5月 8日

RGリヴェラがホワイトハウス訪問を果たす

5月4日にお伝えした通り、メキシコの祝日にあわせて、ヒスパニック系のNFL選手やコーチがホワイトハウスに招待された。ワシントンDCに行ったことのなかったOGマルコ・リヴェラは、普通の観光客と同じようにワシントンの観光名所を夫人とともに見て回ったあと、ホワイトハウスに入った。

もちろん、メインイベントは大統領との面会。 「大統領に思い切って聞いたんだ。『NFLの試合を見ていてプレッツェルを喉につまらせたのは本当ですか?』ってね。そしたら大統領は笑って『その通り。上の階で試合を見ていたんだが、ちょっと興奮しすぎた』と答えてくれた。彼のカリスマ性は、パッカーズのボブ・ハーラン社長とよく似ている」とリヴェラ。

「彼自身、僕らに会えたことを喜んでくれているようだった。僕のとなりにQBジェフ・ガルシア(SF)がいたんだが、大統領は彼に『ああ、グリーンベイでの敗戦はつらかったな』と言い、僕には『ラムズに負けたのはつらかっただろう』と言い、そのとなりのCフランク・ガルシア(STL)には、ペイトリオッツに負けたのはつらかったね』とそれぞれ声をかけるんだ。彼は本当にフットボールが好きで、チームや選手のことをよく知ってる。それは間違いない」

「これは今までで最高の経験の一つだった。スーパーボウルに行ったことと比べて、どちらがどうと言うことなんてできない。息子や孫に話して聞かせることができる経験だ。永遠に忘れないよ」

2002年5月 7日

期待のMLBトランス・マーシャル

このオフのLBトランス・マーシャルはとにかくハードワークを続けている。ほとんどグリーンベイから離れず、ミニキャンプ以外の時でも毎日通ってきてはコーチとミーティングを重ね、ビデオ学習、プレーブックの勉強。なんといってもスターターの座が目の前にぶら下がっているのだ。「まだ何ひとつ決まったわけじゃない。結果がどうなろうと、やるだけのことをやるんだ」

コーチたちも、ベテランLBの獲得を検討しつつ、マーシャルの成長を見守っている状態。「確かに、プレシーズンゲームで使ってみるまでは、評価のしようがない。だからこれは賭け、と言えるかもしれない。だが私が賭けようとしているのは、非常にフィジカルで、速く、強いアスリートなのだ」とシャーマンHCは期待を語る。

しかし、マーシャルがスターターになるにせよ控えに留まるにせよ、あと1人か2人はLB陣に加えなければ人数が足りない。その話題になる度に、「信じてほしい。LBの問題には必ず手を打つ」と答えるのがシャーマンHCの口癖のようになっている。

2002年5月 6日

スタジアムの命名権売却は進展なし

2000年11月の住民投票でランボーフィールドの大幅改装が可決された時、同時に承認されたのが、「予算の助けになるようにスタジアムの命名権を企業に売却する」ということだった。しかし折悪しく、その後のアメリカ経済は景気後退局面に。

もう一つ、関係者を慎重にさせているのが、レイヴンズのPSINet・スタジアムやMLBテキサス・レンジャーズのエンロン・フィールドが、どちらもスポンサー企業の経営破たんによって命名権売却が失敗に終わったこと。今年完成予定のシアトル・シーホークスのスタジアムも、今のところスポンサーが付かず、当面は「シーホークス・スタジアム」でオープンの予定だ。

新ランボーフィールド建設予算に充てるため、グリーンベイのあるブラウン郡では0.5%の売上税を住民に課している。とりあえず$120ミリオンの値をつけている命名権が売却できれば、その税の徴収を早く切り上げることができる。しかし、今のところ企業からの申し出はなく、問い合わせさえロクにない状態が続いている。「もうちょっと待てば景気が回復するから慌てなくてもよい」という意見と「安くてもいいからとにかく売っちまえ」という意見の両方があるようだ。

2002年5月 5日

「将来のサラリーキャップを犠牲にはしていない」

テリー・グレンをトレードで獲得し、高嶺の花と思われた大物DEジョー・ジョンソンとの契約にも成功。そうなると心配になるのが将来のサラリーキャップ。今年は良くても、2年後・3年後にキャップが破綻してチーム崩壊してしまうようなリスクを犯しているのではないか?  「確かに今年は『勝負に出てる』と言えるかもしれないけれど、やり過ぎてはいない」 と語るのは交渉担当/サラリーキャップ担当のアンドリュー・ブラント。

問題児のWRテリー・グレンを獲得し、DEジョー・ジョンソンに大枚をはたき、ドラフト2巡指名権を犠牲にしてWRジャヴォン・ウォーカーを指名したが、大きな投資はそこまで。テリー・グレンの契約ボーナスはわずか$1ミリオンだったし、LBトロッター獲得競争からは早めに退いた。

キャップ地獄を防ぐ方法の一つは、有望な若手がフリーエージェントになる前に長期契約を結ぶこと。昨夏にはRBアーマン・グリーンと5年契約、昨秋にはCBマッケンジーとも契約延長を済ませている。両選手とも、シーズン終了後まで待っていたら、大活躍したためにサラリーが大幅に高騰してしまうところだった。同じように、来春FAになる予定のDEヴォニー・ホリデイとの契約延長交渉もすでに始まっている。

2002年5月 4日

今年のルーキー分は安上がり

"Rookie Pool"とは、言わば各チームのルーキー分のサラリーキャップ。ルーキーとの契約にどれぐらい払っていいか、どの程度の指名権をどれだけ持っていたかによってリーグが金額を決めるのだ。ただし、あくまで合計$71.1ミリオンのサラリーキャップ総額の中には収めなくてはならない。

1位指名、そして13人もの指名をしたテキサンズは最高額の$6.35ミリオン。1巡指名権のなかったドルフィンズが最少額の$1.43ミリオン。 パッカーズは2巡指名権をトレードに出したため、下から4番目の$2.527ミリオンということになった。現在パッカーズのサラリーキャップの空きはわずか約50万ドル。そのためルーキーとの契約は、フリーマンの去就(減俸を承諾するにせよ解雇されるにせよ)が決まる6月1日以降に行われる見込みだ。

Notebook: DTフラニガンが退団へ

2002年5月 3日

変り種WR トラヴィス・ウィリアムズ

多くの選手が「早くミニキャンプ終わらないかな」と思っている中で、「この生活があと2、3週間続けばいいのに」と思っている選手がいた。長身の白人WR、トラヴィス・ウィリアムズだ。ミニキャンプが終わり次第、彼はサンディエゴにいる航空母艦に戻らなくてはならないからだ。海軍アカデミーでプレーした後、2000年にパッカーズのキャンプに参加した彼は、その後の2年間を海軍で過ごし、最近ではペルシャ湾、紅海、アラビア海が彼の職場だった。

航空母艦で電子関係の仕事をしながらも、トレーニングは続けてきたので体はしっかり出来ている。しかし朝7時から夕方6時までの軍務を終えてからのトレーニングはきつい。「そりゃあどちらか一つに集中できればいいな、とは思うよ。船の上でフットボールをキャッチする機会はそうないからね」というウィリアムズ。何とか仲間を見つけてはパスを投げてもらう日々だった。

今回のミニキャンプは彼にとって2年ぶりのフットボール。もちろん最初は不安だった。「2年間もゲームから遠ざかってたから全体的に動きが鈍くなってるんじゃないかと心配した。でも実際、かなり上手くプレーできたと思う。確かに少し勘は鈍ってたけど、ボールは問題なくキャッチできたし、そんなにつまづくこともなかったし。まだ先は長いけど、現時点では満足してる」

今回はサンディエゴの軍港に戻らなくてはならないウィリアムズだが、それも5月24日までで終り、いったんは予備役に退くことになる。軍と彼との契約により、「今後2年間はフットボールをやり、その間にNFLのロースターまたはプラクティス・スクワッドに残れなければ海軍に戻る」ということになったからだ。「ここに来てプレーしていることは、夢がかなったような感じがする。でもまだやらなきゃならないことがたくさんある。なんとかしてチームに残りたいね」

2002年5月 1日

RBレヴェンズがフィラデルフィアを訪問

RBバックホルターのケガのため、急遽RBを探すハメになってしまったイーグルスの要請に応え、RBドーシー・レヴェンズがフィラデルフィアを訪問した。言うまでもなく、アンディ・リードHCは、以前グリーンベイにいたからレヴェンズとは旧知の仲。「楽しい訪問だった。彼とスーパーボウルに勝った頃のことを話したりね。ごくリラックスした会話だった。まだ契約とか、深刻な話ではない」とレヴェンズ。

レヴェンズ本人はなかなか乗り気のようだが、イーグルスの側はまだレヴェンズ一人に的を絞ったわけではない。サラリーキャップにはまだかなりの余裕があるし、6/1以降に解雇される選手も視野に入れつつ、慌てずに待つつもりのようだ。パッカーズの方は、いまだに2番手RBとしてのレヴェンズとの再契約に望みを持っている。2月末に解雇したとはいえ、彼のロッカーはまだ以前のまま残してあるのだ。

TEマーティンがバルクアップ

 デヴィッド・マーティンは昨年のドラフト6巡指名、しかもWRからの転向であったにもかかわらず、キャンプではフランクスを上回るスピードやパスキャッチ能力を見せ、2番手TEとして開幕を迎えた。しかしシーズンが進むにつれて、疲労とともに壁にぶつかってしまい、ベテランのデイヴィスに2番手の座を譲ることになった。プレー全体がまだまだ不安定だし、特にブロックはまだ頼りない。

昨季終了時点での体重は250ポンド(113kg)だったが、現在は「全くスピードを犠牲にせずに」10ポンド増やして260ポンド(118kg)にまでバルクアップすることに成功した。ミニキャンプでもファーヴからの長いパスをいくつもキャッチしてビッグプレー能力をアピール。「非常にいいね。ルーキーシーズンは苦しむだろう、ということまで含めて、ここまで全く期待通りだ。タイトエンドとしてかなり成熟したよ」とジャゴジンスキーTEコーチ。まだ粗削りだが「パスレシービングTEとしての潜在能力はフランクスより上ではないか?」という見方が強くなりつつある。