グリーンベイ・パッカーズ ニュース

2002年5月11日

元ヘッドコーチのダン・デヴァインが死去

1971年から74までパッカーズのヘッドコーチ兼GMを務めたダン・デヴァイン氏が、アリゾナ州テンピの自宅で死去。77歳だった。グリーンベイでの通算成績は25勝27敗4分けと、成功とは言い難かったが、栄光の60年代を担った主力選手たちが高齢化する中、1972年には10勝4敗で地区優勝を果たしている。また、現在のパッカーズ社長ボブ・ハーランをグリーンベイに招いてフロントに加えたのもデヴァイン氏だ。

偉大なヴィンス・ロンバルディの記憶がまだ生々しい時期、ロンバルディに心酔する選手も地元ファンも、低迷するチームを立て直そうと悪戦苦闘する彼を見る目は厳しかった。中でも、1974年シーズン途中に彼が行ったトレード(34歳のベテランQBハドルを獲得するために5つものドラフト上位指名権を失った)は大失敗に終わり、辞任の引き金になってしまった。いまだにこれを「史上最悪のトレード」と苦々しく思っているファンは多い。

彼自身、グリーンベイでのつらい4年間を振り返り「低俗で、悪意に満ち、醜いものだった」と語っている。成績不振に腹を立てたパッカーズファンが彼の愛犬を撃ち殺した、という話はいまだに語り草(撃ち殺されたのは本当のようだが、実際はパッカーズの成績とは関係ないトラブルだったらしい)。 彼が72年に地区優勝した後、次にパッカーズが地区優勝を果たすのは四半世紀近くたったホルムグレン時代のことである。

彼はグリーンベイよりも、むしろカレッジの名ヘッドコーチとして素晴らしい実績と名声を残した。1955年、まだ弱かったアリゾナ州立大のヘッドコーチに31歳で就任して強豪校に育て上げ、3年間で27勝3敗1分け。その後ミズーリ大に移り、13年間で93勝37敗7分け。その実績を買われてパッカーズに招かれた。

グリーンベイを去ってからは名門ノートルダム大のヘッドコーチに就任し、5年間で53勝16敗1分けと、黄金時代の一翼を担った。1977年にはジョー・モンタナを擁して全米王座に輝いている。3大学で22年間の通算成績は172勝57敗9分け、勝率.742という素晴らしいもの。"College Hall of Fame"にも選出されている。1980年にヘッドコーチ職を退いた後も、古巣のアリゾナ州立大やミズーリ大の要職を歴任し、1994年から引退生活に入っていた。

カテゴリ : History