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けんちゃんの第32回スーパーボウル観戦記 (その2)

60年代からもう一気に98年のサンディエゴに飛ぶつもりでしたけれど、喋り出すと昔のPackersの事をもう少しご紹介したくなってきました。70年代、80年代のPackersをご存じの方はそれほど多くはないでしょうし、その辛い日々があったればこそ、Pack is Backも一層光り輝くのではないでしょうか。と、いう訳でもう少しだけ昔話にお付き合い下さい。

御承知のように60年代の黄金時代の後、Packersは長い低迷期に入ります。強い、ということがPackersのファンになった理由だとしたら、それはだんだん理由でなくなってきつつありました。でも、グリーンベイはアメリカのプロスポーツのフランチャイズの市としては全米一小さく、おまけにPackersはその市の文字通りの市民球団だ、と知ってからはPackersがますます好きになりました。

余談ですが、昨年、日本のプロ野球のヤクルトスワローズが優勝した時の若松監督のコメントが『ありがとうございます』でなく『(ファンの皆様)おめでとうございます』だったとして話題になりました。若松監督は間違えただけですが、その何年か前にちょうど似たような反対のことが起こりました。1975(昭和50)年、広島カープは球団創設26年目にして初優勝しましたが(ちなみに私はカープファンです)、その優勝パレードの際に当時の三塁手衣笠祥雄選手は沿道の年輩のファンから涙ながらに「『おめでとう』ではなく、『ありがとう』と言われて感動した、広島カープはあの人たちのものだと思った」と述べています。

良い話だと思います。でも、言わせてもらえれば、グリーンベイではそんなこと、当たり前のことです。Packersはグリーンベイの町の人、一人一人のものです。ファーブもグリーンも、いえ、レジー・ホワイトもバート・スターもPackersのために戦った選手達はみんな誰一人として俺様の、俺達のPackersなんて思っていやしません。彼等はただグリーンベイの町の代表に過ぎません。たまたま?忙しい?グリーンベイの人たちの代わりに闘っているに過ぎません。もし仮にグリーンベイの人が選手に『おめでとう』なんて言ったら彼等はきっと『えっ?!』なんて顔をするにちがいありません。グリーンベイの人たちが選手に言う言葉は『ありがとう』しかないのです。私は選手達と話をした事はありませんが、Packersの選手達はみんなそう思っているに違いないと確信しています。

故Mel Knoke氏
パッカーズファンの代表

閑話休題。
70年代そして80年代、あのPackersの受難の時代、正直に申し上げれば、その間、私は常に変わらず良いファンであったとは決して言えません。晴れの日も雨の日も声を嗄らして声援を送った、送り続けたと言えば些かカッコ良かったのですが、そうではなかったのです。Mel Knoke(ご存じですか、第1回Packersの『ファンの名誉の殿堂』に選ばれた人です。何でも何十年間かで、そのカミさんと一緒にグリーンベイでのPackersの試合を見逃したのはわずか数試合だけ、というおじいちゃんです。惜しくも先年亡くなってしまいましたが、Packersの蝶ネクタイをしてGAORAのコマーシャルに出てた人ですからご覧になられた方も多いでしょう。)の足下にも寄れません。

Packersは常に私の頭の片隅にありましたけれど、時々遠く離れた故里を思い出すように思い出しはしましたが、私もいつまでも大学生ではなかったし、目の前に覚えなければならない、しなければならない仕事は山ほどあったのです。1960年代のスポーティングニュースは丸善で年間購読したのですべてありましたけれど(その最初の年、ロジャー・マリスのシーズン61本のホームランが話題でした。) 就職してからはそれも止めてしまいました。そう言えば、日本のタッチダウン誌の創刊は何時頃でしたっけ。最初は毎月、いや、たしか季刊でした、毎号買っていましたけれど、Packersの記事は小さくなるばかりで、これも何時の間にか立ち読みになってしまいました。

弱かった頃のパッカーズ
HC時代のバート・スター

それでもPackersのこと、NFLのことはずっと心にかかっていました。遠く潮騒のようにパープルピープルイーターだとかスティールカーテンだとかが聞こえてきました。NFLのプレイヤー達がグリーンベイのことを『あんな寒いところはいやだ』と言っているとか聞いて淋しく思ったものです。ヘッドコーチもずいぶん変わりました。どうしても成績が上がらないバート・スターをなかなか解雇できませんでした。なんせ、彼はグリーンベイの英雄でしたからね。サンフランなんかがスーパーで5度も勝つのはもう少し後です(少し、憎々しげ)。

◆ ◆ ◆

こんな風に話していると日が暮れて明日が来てしまいますね。ともかく、失望と落胆の70年代、諦念と自失の80年代は終わりました。我が家にもやっとビデオがやって来て、GAORAなるテレビで動画のPackersが見れるようになりました。Packersがテレビで見れる!?「夢」のようでした。そして、インターネットです。Packersの情報なんて選り取りみどり、幾らでも手に入ります。「夢」のようでした。

NFC決勝でダラスに敗れるちょうど折よく、と言えば良いのか、軌を一にしてと言うのか、Packersも少しずつ、少しずつ強くなって来ていました。ロン・ウルフおじさんが来ました。徳川家康みたいなヘッドコーチも。やけに鼻っ柱が強いQBもアトランタからやって来ました(「もっと、言え、もっと言うたらんかい、30年分言うたれ、ふぁあ・」と思ってました。失礼、品の無い)。レジー・ホワイトも神のお告げで(いい神様やな〜)やってきました。でも、カウボーイズだけにはどうしても勝てませんでした。

「これはきっとアイスボウルのたたりに違いない。」 因果応報。禍福はあざなえる縄のごとし。「あんなにいじめるんじゃなかった」と、思ったものでした。でも、悔しいのは悔しかったけれど、本当は少しだけ幸せでした。だって、カウボーイズにしか負けないんだもの。昔のことを思えば贅沢言っちゃあ罰が当たる、ってなもんですよ。でも、ついに、とうとう・・。

これから後はもう皆さん良くご存じでしょ。思わず、昔話が長くなりすぎました。サンディエゴに急ぎましょう(実はよんどころない理由で前年のニューオリンズは間に合わなかったのです)。あ、でも、その前にチケットを手に入れないと・・・。

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updated : 2002/02/23