グリーンベイ・パッカーズとは

■ Green Bay の街はどこに?

ある程度大きな地図でないと載っていないので、アメフトファンでない限り、ほとんどの方はグリーンベイの場所さえご存知ないでしょう。グリーンベイの街は、ウィンスコンシン州の東北部に位置します。地図を見ると(シカゴやミルウォーキーも面している)ミシガン湖の左上にグリーン湾があり、その奥まったところにあるのがグリーンベイ市。グリーン湾だからグリーンベイ、そのまんまですね。北緯44.5°は日本でいえば旭川よりも北にあたります。

ウィスコンシン州で最も人口の多い都市はミルウォーキー。2番目が、ウィスコンシン大学のある州都マディソンで、3番目がグリーンベイです。大まかな位置としては、イリノイ州シカゴから150kmほど北にミルウォーキーがあり、グリーンベイはそのさらに200kmほど北にあります。詳しい地図はこちら

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■ 最も小さなフランチャイズ

わずか人口10万人、アメリカプロスポーツ界で最も小さなフランチャイズであることは言うまでもありません。「パッカーズがなければ誰も知らない町」とまで言われることもあります。そのため、ニックネームはタイトルタウンUSA。「なにもないけどNFLタイトルならあるぞ」ということでしょう。現在では北米四大プロスポーツ唯一の「市民が所有するチーム」であり、小さな街の市民球団が大都市のお金持ちチームに立ち向かう姿が「ダヴィデとゴリアテの神話のように」支持されているとか。

熱狂的な地元ウィスコンシンはもちろん、古豪パッカーズは全米規模で根強い人気を誇り、視聴率でもグッズ売り上げでも常にトップを争います。本拠地ランボーフィールドは1960年以来48シーズン連続でチケットが売り切れ、シーズンチケットの順番待ちリストには81,000人以上が名前を連ねています(数十年待っても手に入らないでしょう)。どちらもNFLでは飛び抜けた最長記録です。

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■ 「パッカーズ」という名前の由来

1919年の設立当初、創立者カーリー・ランボーが勤めていた地元の缶詰会社 Indian Packing Company をスポンサーとして、チームは用具や練習場の提供を受けました。「パッカーズ」という名前は、その缶詰会社のためにつけられたニックネームです。何の缶詰かというと、肉類のようです。しかし、すぐにこの会社はスポンサーではなくなり、改名が検討されたこともありましたが、けっきょく今に至るまでこのユニークなチーム名が存続することになりました。

現存するNFLチームの中で、グリーンベイ・パッカーズという名称は最古のもの。ユニークなチーム名の多い米スポーツ界においても、このパッカーズという名前は特に異彩を放っていると言えるでしょう。

■ ファン所有のグリーンベイ・パッカーズ

1919年に結成されたグリーンベイ・パッカーズは、設立間もない National Football League に1921年に加盟。以後、リーグ最多13回の優勝を積み重ねています。スーパーボウルが始まったのはつい最近?の1967年のことであり、初代スーパーボウルチャンプであるパッカーズは、それ以前に9回もNFLのタイトルを獲得している古豪なのです。長い歴史の間に財政危機は何度もありましたが、その度に地元の人々の奮闘努力により、チームは存続されてきました。

11923年発行の株券パッカーズは1923年に非営利法人となり、理事会によって運営されています。理事会には、実務経験豊富な地元の財界人を中心に、元パッカーズ選手、判事、大学の学長など、さまざまな地元の人々が名前を連ねています。球団社長(実質オーナーの役を務めます)を除き、彼ら理事全員が無給です。

株式は1923年、1935年、1950年、1997年の4回にわたって合計4,748,909株が発行され、それを110,901人が所有しています。この株を売買することは禁止されており、配当金が出ることもありません。ただ「グリーンベイ・パッカーズの株主である」ことを人々は楽しむわけです。毎年夏にグリーンベイで開催される株主総会には多くの株主が集まり(2006年には2万人以上)、GMをはじめとする球団首脳が、株主たちに対して報告や質疑応答を行います。

■ 3度の黄金期とその間の低迷期

ブレット・ファーヴ大雑把に言って、パッカーズの歴史は3つの黄金期とその間の低迷期に分けられるといっていいでしょう。まずチーム設立者にして初代ヘッドコーチのカーリー・ランボーによって1930年代の黄金期が築かれます。1940年代後半から1950年代は低迷を経験しますが、1960年代にはヴィンス・ロンバルディという史上最高の名ヘッドコーチによって二度目の黄金期が訪れます。第1回と第2回のスーパーボウルを連覇したのがこのロンバルディ時代で、多くの中心選手たちがNFLの殿堂入りを果たしています。

1970年代と1980年代の長い眠りからチームを蘇らせたのがボブ・ハーラン社長(現名誉会長)、ロン・ウルフGM、マイク・ホルムグレンHC、そしてQBブレット・ファーヴです。1991年に就任したロン・ウルフGMはマイク・ホルムグレンをヘッドコーチに選び、そしてファルコンズでくすぶっていたプロ2年目のQBブレット・ファーヴをドラフト1巡指名権とのトレードで獲得。翌1993年には超大物FAのDEレジー・ホワイトを獲得して、負け犬チームをエリートチームに作り変えます。プレーオフでは何度も強豪の壁に跳ね返されますが、1996年シーズンにはついにスーパーボウル制覇、そして翌年も敗れはしたもののスーパーボウル出場を果たしました。

その後ホルムグレンHCは去り、2001年にはロン・ウルフGMも引退しましたが、パッカーズは1992年から2007年までの16シーズンで負け越しが1回だけ、という安定した好成績を保ちました。その立役者ブレット・ファーヴも、2008年にはすったもんだの末チームを去りました。若きエースQBアーロン・ロジャースの下で、新たなチーム作りが始まっています。

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