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けんちゃんの第32回スーパーボウル観戦記 (その4)

1998年1月23日、眼をさますと、窓の外には雪が降り積もっていました。『あちゃあ、大丈夫かいな』と思う間もなく、雪は小止みに。「ああ、良かった。」 仕事熱心な私は出発のその日まで出勤、お仕事。実はこれから10日以上も留守にするので、ギリギリまで忙しかった、というだけのことですが。お昼過ぎには会社を後にして、予定通り13時37分、広島発の「のぞみ18号」で大阪に向かいました。

ところが、実はここでもう大失敗をしていたのであります。私はこれまで海外旅行の経験は何度かありましたが、自慢じゃないがハワイ以外では車を運転したことはありません。しかし、今回はメインランド、それもロスアンゼルスからサンディエゴ、ユマ(ヤクルトスワローズのキャンプ地ね)を経てルート66(知ってるかなあ。マザーロード、アメリカ人の心のふるさとの道であります)経由ラスベガスまで行く予定です。延々何千キロあるのか、何千マイルの旅なのか知らないけれど、ともかくドライブ三昧になることは間違いない。そこで、今回アメリカ行きに際して国際免許証を取得しました。ハワイでは日本の免許証だけでオーケーだったので。

ところが、今回の旅行の同行者Mさんが、虫の知らせか
「日本の免許証はもって来てるでしょうな?勿論」
という電話を会社に入れていた時にはもう私は駅で電話している当のMさんに「今日は」をしているところだったのです。
「日本の免許証?そんなものは持っとらんぞな、もし。だって、国際免許証、持っとるけんね、ワシ」
「国際免許証は翻訳物、つまり日本語に弱いアメリカのお巡りさんに日本のモノホンの免許証の内容を説明するための物で、それだけでは役に立ちまへん」
なんてことをMさんから聞いた時はもう新幹線の車中でした。

あ、ここで今回の旅行の同行者、Mさんの紹介をしておきましょう。

大体、私は団体行動、ツアーという奴が苦手で、今まで私用の旅行も個人の手配旅行ばっかり。同行者もあんまり、いない。でも、今回は勝手のわからない初めてのアメリカで何千マイルも移動しなけりゃいけない。出来れば、同行者、運転の交代要員、望むべくは水先案内人のような人がほしい。そこで、私が白羽の矢を立てたのがMさんだったのです。Mさんは・・・。

初めてアメリカへ渡ったのが1975年。以来、ともかく100万円貯まったら矢もタテもたまらずアメリカに出かけてはアメリカ中をあてどなく放浪し、最後の10ドル札も無くなるとフラフラの態で帰国。その後、渡米、又帰国を繰り返す事、数十回、その頃にはもうすっかりアメリカ病が全身に蔓延していたようです。

その後、改心?して大学で電子工学を専攻し、一流商社に入社してモーレツに働く。何しろ、月の平均残業時間が約200時間、年収が超2,000万円というから普通じゃありません。でも、こんな生活してちゃあ大好きなアメリカに行けない、とまたまたドロップアウト。

そう、人生、金じゃあないぜ、ねえ、お歴々。

また、またアメリカへ。そう、病気は復活した。**は死ななきゃ直らない。どうにもアメリカまで辿り着けそうもない時は九州の宇佐(USA)で憂さを晴らしていた、という(本人は根も葉も無い噂である、と否定していますが)U.S.A.大好き人間。ある時はMacの伝道師兼サポーター、ある時はフリーのカメラマン、またある時はペンキ職人・・という変幻自在、神出鬼没、天衣無縫、自由闊達、融通無碍というまるで、多羅尾伴内(これはわからんか)か怪人二十面相(これはわかるね)みたいなおっさんが我が畏友Mさんなのです。私にとっては時として我が家の屋根のペンキ職人でもありますが、普段は私のコンピューターの先生なのであります。

クリックすると拡大します勿論、NFLのことは全くわからない。「あのー、ヘルメットに星んマークのついたチームがあるでしょう、あのチームがなかなかええんでないですか」 「サンフランには何か強いチームがあったような記憶が・・」なんて事を言って私をくさらせるのですが、それでも先のアメリカ旅行では、どこで見つけて来たのか、Packersのウイスキーグラスと哺乳瓶(何ちゅう取り合わせや)を買って来てくれる心優しき人なのであります。

何しろ、おっさんときたら「毎日が日曜日(これはわかる)」なのか、はたまた「月月火水木金金(これはわからんか)」なのか、何時が夜で、何時が昼なのか分からんような玄妙不思議、変幻自在(もう言ったか)な人ですが、ことアメリカに関しては経験豊富、知識万全、安全有利、元金保証という、いや、とにかく、今回の旅行の同行者にはまさにぴったり、うってつけの人物なのです。

東京にいた頃は家賃1万9千円のアパートに慎ましく暮らしていて、「その頃が人生の天であった」と言うMさんですが、親分無しの子分無し、ちがった、邪魔っけなカミさん無しの子供無しですから、私が今回のスーパーボウル観戦旅行の話を持ちかけると、Mさん二つ返事、いやみっつ、よっつ返事ぐらいで 「オッケー、オッケー」 「で、何時から行きますか?どれくらい?最低でも2年間くらいは・・」 なんて飛んでもないことを言い出す始末。

思わず私も賛成して、もう少しで日本に帰れなくなりそうでしたが、どうにか思いとどまって、とりあえず、せっかく行くのだから、せめて2週間くらい。で、私は好きな食べ物は一番最後に食べる、と言ういじましい性格なので、今回のメインイベント、スーパーボウル観戦を一番最後に持ってきたい、と言うと、Mさん、「あー、アメリカはどこで追い剥ぎに会うか、どこで風邪ひくか、訳わからんので、メインイベントはいっちゃん最初に済ませとくに限ります。後はてきとーにだらだらと2週間でも2年間でも・・」 と、ほっとくと、またまた2年間になりそうだったので慌てましたが、ともかく、おっしゃることはご無理ごもっともなので、ご忠告に従って、スーパーボウルの2日前の23日夕方に日本出発。

何故か、その日の朝にロスアンゼルス到着、その日のうちにサンディエゴまでレンタカーで移動、23、24日とNFLエクスペリエンスやサンディエゴの街を楽しみ、25日のスーパーボウルに雪崩れ込もう、とまあこういう段取りになったのです。

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updated : 2002/04/07