グリーンベイ・パッカーズ 主力選手紹介

2010 Green Bay Packers Leading Players
Offense Defense

 

アーロン・ロジャース Aaron Rodgers | Quarterback | California | Stats |
背番号12 | 6-2 (188cm) | 220lbs (100kg) | 6年目 26歳 | 1983年12月2日生 |

パッカーズオフェンスの若きリーダー。3年間の長い準備期間とファーヴ引退/復帰/移籍騒動を経て2008年に先発に昇格。巨大なプレッシャーを跳ね返して見事な活躍を続け、先発2年目にして早くもリーグ屈指のQBといわれるまでに成長した。初プロボウルも経験し、周囲には優れたパスターゲットも揃ってきた。あとはチームを久しぶりのスーパーボウル制覇に導いてほしいところだ。 

ブレット・ファーヴの後継者候補として、カリフォルニア大から2005年のドラフト1巡指名で入団。2年目までは「これが1巡指名QBか?」と思うほどの頼りないプレーぶりだったが、3年目あたりでようやく一人前になった印象だった。そして4年目の2008年春、ファーヴの引退に伴ってついに先発に昇格。ファーヴは変心を繰り返した末、7月になって復帰を決意。ファンを二分する大騒動・大論争に発展した2008年夏だったが、気まぐれな英雄に愛想を尽かしたチームはロジャースを選び、ファーヴはジェッツにトレードされた。

こうしてスターターとなったロジャースの初先発シーズンは見事な内容だった。パス4038ydsと28TDはともにNFL4位、QBレーティングはNFL6位。ロングパスの精度はファーヴを上回り、40yds以上のパス成功16回はNFL首位タイだった。ファーヴ騒動で倍加したプレッシャーによく耐え、しっかりしたリーダーシップを発揮してチームメイトの信頼を勝ち取った。競り負けが多かったのはディフェンスやスペシャルチームのミスによるもの。オフェンスが逆転ドライブを演出してもキッカーがFGをミスしたり、ディフェンスが再逆転を喰らうことの多いシーズンだった。

先発2年目の2009年も順調に成長を続け、2年ぶりプレーオフ進出の原動力となった。球団史上2位のパス4434yds、30TD、レーティング103.2(いずれもNFL4位)の活躍でプロボウルにも初選出。パスプロテクション不振に苦しみながらも決して無理投げをせず、7インターセプトはNFL最少、3rdダウンでのQBレーティングはNFL1位と勝負強さも際立っていた。NFL最多タイの50サックを浴びながらフル出場したタフネスにも頭が下がる。

先発最初の2年連続で4000ydsパスを達成したのはNFL史上初。また、彼が先発に昇格してからパッカーズは2年連続で「4000ydsパサー、1200ydsラッシャー、1000ydsレシーバー2人」を達成し、これもNFL史上初の快挙だ。

前任者のような破天荒な魅力こそないものの、ミスが少なくウェストコーストオフェンスの基本に忠実なタイプで、すでにこれといった大きな欠点は見あたらない。判断がしっかりしていて、パスのコントロールやスパイラルも非常によい。地肩の強さで前任者に劣るとはいえ、全体的な身体能力は非常に高く、動きながらのパスも素晴らしい。キレのよい身のこなしでパスラッシュを逃れ、スクランブルで1stダウンをとる場面もしばしば。試合ごとの波も少なく、高いレベルで安定している。2009年はボールを持ち過ぎてサックを増やしたが、克服はさほど難しくないと見られている。

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カリフォルニア州北部のチコ市で生まれ育ち、子供の頃のヒーローは49ersのQBジョー・モンタナ。父エドはセミプロリーグでガードとして4年間プレーした。一部校からの奨学金オファーがなくジュニアカレッジに進んだロジャースは、そこで全米2位にランクされる活躍を見せ、わずか1年でカリフォルニア大に転入。直後の2003年シーズン途中からスターターに昇格すると、2年間でパス5,469yds、成功率63.8%、43TD、13INTの大活躍で、同大に久しぶりの2年連続勝ち越しをもたらした。

同大のジェフ・テッドフォードHCは、フレズノ州立大、オレゴン大、カリフォルニア大で、トレント・ディルファー、アキリ・スミス、ジョーイ・ハリントン、デヴィッド・カー、カイル・ボラーといったドラフト1巡指名QBを育ててきたが、どれもNFL入り後は目立った活躍ができていない。ロジャースが初めてフランチャイズQBに育ったのは、3年間の準備期間があったからかもしれない。

2005年ドラフトでは1位指名の有力候補だったが、憧れの49ersはQBアレックス・スミスを1位指名。どこからも指名されず、カメラの前で5時間も待ち続けるロジャースの姿は世間の同情を集めた(回顧記事へ)。雌伏の3年間ののち2008年シーズンにブレークすると、早くもそのシーズン中に大型の契約延長にサイン。このまま順調に伸びてくれさえすればよく、QB難に悩む球団が多いなか、当分フランチャイズQB確保の心配をしなくて済むパッカーズは恵まれている。

今のところ独身貴族だが、オフシーズンにはカントリー系の美人歌手とデートする姿も目撃されている。ゴルフはスクラッチの腕前で、チャリティ・ゴルフトーナメントへの出席も多い。

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グレッグ・ジェニングス Greg Jennings | Wide Receiver | Western Michigan | Stats |
背番号85 | 5-11 (180cm) | 198lbs (90kg) | 5年目 26歳 | 1983年9月21日生 |

QBロジャースとホットラインを形成する、パッカーズオフェンス随一のプレーメーカー。ウェスタン・ミシガン大から2006年の2巡指名で入団し、すぐにスターターの座を確保。1年目はレシービング632yds、2年目は920yds・12TDと着実に成績を伸ばした。3年目の2008年には1292yds(NFL6位)を挙げてプロボウル一歩手前に迫り、ドナルド・ドライバーに代わるエースレシーバーとなった。4年目の2009年はやや集中力を欠くプレーが目立って1113ydsに留まったが、プレーオフではビッグプレーを連発して130ydsの活躍を見せた。

プレースタイルはまさにシルキー・スムーズで、ややゴツゴツした動きをするWRドライバーとは対照的。見た目のダイナミックさはないものの、ごく自然な動きで加速して相手カバレッジを引き離し、スピードを落とさずにキャッチし、ランアフターキャッチでタックルをかわしてロングゲイン。こうしたプレーをやすやすとやってのける、フットボールセンスの塊のようなプレーヤーだ。フットボール頭がよく、優れた嗅覚の持ち主。2009年6月には大型の契約延長にサインした。今やトップクラスのワイドレシーバーとして相手CBたちに恐れられる存在となり、QBロジャースの頼れるメインターゲットとして、長く活躍してくれそうだ。

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ミシガン州西部にあるカラマズーで生まれ育ち、ヤンキースのデレク・ジーターと同じ高校に通った。そのカラマズーにあるウェスタン・ミシガン大に進むと、2年目から3年間スターターを務め、通算パスキャッチ238回、3539yds、39TDなど多くの同大記録を塗り替えた。3年連続1000ydsレセプションを挙げたWRはディビジョンI-A史上11人目。素晴らしい実績のわりに、地味なカンファレンスのため目立たない存在だったが、プロのスカウトの間では評価が高かった。

小学校から友達だったニコールと2005年に結婚し、2007年に長女アミヤ、2008年に次女アレアが生まれている。父グレッグSr.は教会の牧師で、本人も引退後は教会の活動に関わりたい、と語っている。ブロンコスのLBイアン・ゴールド(2007年かぎりで引退)は従弟。(2人の母どうしが姉妹)

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ドナルド・ドライバー Donald Driver | Wide Receiver | Alcorn State | Stats |
背番号80 | 6-0 (186cm) | 190lbs (86kg) | 12年目 35歳 | 1975年2月2日生 |

常に全力でプレーするひたむきな姿勢と明るい笑顔でファンの心をつかんで離さない、究極のナイスガイ。サイズもスピードもトップWRとしては平凡だが、走り高跳びでオリンピック級だったように、総合的なアスレチック能力は高い。たゆまぬ努力でプレーの精度を高め、ファーヴの信頼厚いエースレシーバーへと成長した。2008年にはジェニングスにエースの座を譲ったものの、35歳となった今でも高いレベルで活躍を続けている。

ディビジョンI-AAのアルコーン州立大(ミシシッピ州)から、1999年のドラフト7巡指名でパッカーズに入団。最初の3年間は主にスペシャルチーマーとしてロースターに食らいつき、プロ4年目の2002年にブレークした。ケガがちなテリー・グレンを尻目に、QBファーヴのメインターゲットとして大活躍。70回1064ydsを記録して、補欠ながら初のプロボウル出場を果たした。

2003年はケガの影響で数字が落ち込んだが、その後は3年連続で1200ydsを記録。2006年には2回目、2007年には3回目のプロボウルに選ばれた。WRジェニングスにエースの座を奪われた2008年も1012yds、2009年も1061ydsを稼ぎ、6年連続7回目(球団史上1位)の1000ydsを記録している。球団のさまざまな通算レシービング記録ですでに上位に入り、通算パスキャッチ647回は球団史上1位、9050ydsは球団史上2位。

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アルコーン州立大時代には陸上の跳躍種目で活躍したアスリート。特に走り高跳びでは、2m30cmというワールドクラスの記録を出し、パッカーズ入団後の2000年にもシドニー五輪への挑戦を望んだことがある(ロン・ウルフGMが許さなかった)。レシーバーとしてもその跳躍力とボディバランスは大きな武器で、アクロバティックなジャンピングキャッチを見せてくれる。スピードもサイズもトップクラスのものはないが、正確で鋭いルート取りと、集中力の高さ、密集でのハードヒットを恐れない勇気は素晴らしいものがある。

ケガを押してプレーするタフネスも相当なもの。ハードヒットを喰らって「脳震盪か」と心配されるようなときでも、すぐにフィールドに飛び出していく。前エースのWRアントニオ・フリーマンは27歳あたりがピークで、慢心のせいか急速に衰えていったが、ドライバーは34歳になっても1000ydsを記録しているのだから立派だ。一年を通じて体調管理が完璧なのは、陸上競技での経験が生きているのかもしれない。

テキサス州ヒューストン出身。彼の貧しい生い立ちについては2002年10月に掲載した「ドライバー物語」 を参照のこと。極めて困難な少年時代を経験したドライバーだが、WRにありがちなアクの強さや自己顕示欲はかけらもない、チーム最高のナイスガイといっていい。孤立しがちな問題児にも進んで手を差し伸べる、まさに気配りの人だ。常にポジティブな態度はチームメイトに良い影響を与え、チームリーダーの一人としてコメントする機会も多い。

ひたむきな努力家、素晴らしいビッグスマイル、不幸な過去、抜群のナイスガイときては、ファンに絶大な人気があるのも当然のこと。これまでのハードワークが実を結んで、2002年11月に初めて大型契約を手に入れた際には、「これでようやく家族を楽にしてやれる」と語った涙の記者会見がこれまた感動を呼んだ。(その後何度も契約を延長)

講演や慰問やチャリティなど、地域社会へ顔を出した回数は入団以来なんと500回を超え、チーム内でも群を抜いている。2002年に受賞した"Walter Payton NFL Man of the Year"をはじめとして、地域貢献やチャリティ関連の受賞多数。大学で知り合ったベティーナと2000年に結婚し、2004年に長男クリスチャン、2005年に長女クリスティーナが誕生している。ウィスコンシンにあるシボレー/ビュイックの自動車ディーラーの共同オーナーでもある。

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ライアン・グラント Ryan Grant | Running Back | Notre Dame | Stats |
背番号25 | 6-1 (185cm) | 226lbs (103kg) | 4年目 27歳 | 1982年12月9日生 |

RBアーマン・グリーンの後継者の座をつかんだエースランニングバック。無名のドラフト外入団選手ながら、パッカーズ移籍後は目覚ましい活躍でシンデレラボーイとなった。低い姿勢から一瞬の加速でホールを抜け、鋭いカットバックでタックラーをかわしてロングゲインにつなげる。ゾーンブロッキングのスキームにもぴったり合ったプレーヤーだ。少々のケガを押してプレーできるタフネスがあり、RBにしては性格的に地味で自己主張が少ない。

ニューヨーク市の北30kmほど、ハドソン川のほとりにあるナイアクという小さい街の出身。(州境を越えたところにある)ニュージャージーの高校では州最優秀選手にも選ばれている。ノートルダム大2年目にいったんは先発RBとなるが、その後はジュリアス・ジョーンズ(1巡でDALへ)の影にかくれ、目立つ活躍はできなかった。2005年のドラフト外でジャイアンツに入団するが、1年目はプラクティス・スクワッド、2年目は私生活で手を大ケガしてしまいインジャリーリザーブ。

粒ぞろいのRB陣に埋没しかけていた3年目のグラントに目をつけたのがパッカーズだった。トンプソンGMはプロ入り時から彼に注目し、さらに毎年プレシーズンゲーム等でのプレーを精査し、パッカーズのスキームに向いていると判断。出場経験ゼロの選手に(条件なしの)6巡指名権を出すのは破格だが、結果を見れば安い買い物だった。こうして2007年開幕直前のトレードでパッカーズに移ると、ちょうど先発RBブランドン・ジャクソンが大不振。代わったグラントは第8週ブロンコス戦で104ydsの活躍を見せ、先発RBの座をがっちりつかんだ。先発7試合で956yds(平均5.1)、8TDの大活躍でラン攻撃の救世主となり、チームの躍進に大きく貢献した。

翌2008年は大型契約を求めてホールドアウトを敢行。8月に新契約を手に入れたものの、準備不足がたたってハムストリングを痛め、それがシーズン後半まで響いて不本意なシーズンだった。タフに全試合出場(NFL5位の312キャリー)したため1203yds(NFL9位)を稼いだが、ケガの影響で本来の鋭いカットバックが影をひそめ、ラン1回平均は2007年の5.1ydsから3.9ydsへと大幅にダウン。しかし、移籍3年目の2009年はケガのないシーズンを過ごし、1253yds(平均4.4yds)の活躍でプロボウル繰り上げ出場の一歩手前だった。

ランニングスタイルはかつてのエースRBドーシー・レヴェンズによく似ているが、パスキャッチやブロッキングといった部分の完成度ではまだレヴェンズに及ばない。技術をさらに向上させ、もう一段上のエヴリダウンバックに成長してほしいところだ。

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ジャーマイケル・フィンリー Jermichael Finley | Tight End | Texas | Stats |
背番号88 | 6-5 (196cm) | 247lbs (112kg) | 3年目 23歳 | 1987年3月26日生 |

スピードと高さを兼ね備えた優れたレシービング・タイトエンド。2008年ドラフト3巡指名でパッカーズに入団し、2年目に早くも大器が花開いた。ほぼ4試合を休みながら、プレーオフを含めてパスキャッチ61回 835yds・5TDを稼ぎ出し、QBロジャースのフェイバリット・ターゲットに。負傷欠場中にオフェンスが手詰まりになったことも彼の存在の大きさを示している。「次代の有力TE」との評価を確立し、あとは初プロボウルを目指すだけだ。

難しいパスをいとも簡単に競り勝ち、イージーな落球も非常に少ない。まだ改善の余地があるとはいえ、ルート取りもよいセンスをしている。LBをつければスピードで置いていかれ、DBをつければ高さで勝負にならないので、相手コーディネーターにとってはマッチアップに頭が痛い。実質WRにセットする起用法が目立つフィンリーだが、ブロッキングも努力を重ねてかなり向上してきている。2年間で一度も反則を犯していないのも立派。

将来的にやや不安が残るのは精神面だろう。プロ1年目の2008年第9週タイタンズ戦直後の生意気発言はちょっとした注目を集めた。その試合でNFL初キャッチを決めたばかりの新人がQBのパスの精度やプレーコールを批判したため、チーム内外で不興を買い、コーチたちからこっぴどく叱られて神妙に謝罪コメント。いまでもその鼻っ柱の強さは残っているが、2010年春には過去の未熟な行いを改める発言を自ら進んでして好感度アップ。(記事へ

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テキサス州東部、人口5400人のダイボール出身。高校では同校記録の通算2217yds、30TDレセプションを記録。TEだけでなくWRやDEやSやKやP(平均37.9yds)もプレーし、なんと1試合平均101スナップも出場(つまりほとんど出ずっぱり)していた。地区の最優秀オフェンス選手に選ばれたほか、バスケットボールでも平均24点20リバウンドの大活躍で、地区のMVPに選ばれている。アリゾナ大からは両スポーツで奨学金をオファーされたが、結局地元の名門テキサス大でフットボールに専念することに。

テキサス大ではレッドシャツ後の1年目(2006年)、TEデヴィッド・トーマス(3巡指名でNE)が抜けると全試合出場(4試合先発)して31キャッチ372yds・3TD。2年目の2007年は初めて全試合に先発して45キャッチ575ydsを挙げた(同大のTE史上3位)。出場資格はまだ2年も残っていたがNFLドラフトへのアーリー・エントリーを選び、21歳になったばかりでパッカーズからの3巡指名を受けた。

妻コートニーとの間には長男ケイデン(2008年)が生まれ、他の女性との間に長女ジェイラ(2005年)もいる。テキサスA&Mで活躍したRBジョヴォスキー・レーンは腹違いの兄で、生まれが2ヶ月弱しか違わない。フィンリーは珍しいことに、大学でもパッカーズでも両親の名前をプロフィールに載せておらず、祖母の名前だけ。彼とRBレーンは同じテキサス東部の5マイルほど離れた街で、それぞれの母方の祖母に育てられた。子供の頃から毎日のように一緒に遊び、大学ではライバル校同士で、「1年間いばる権利」を賭けて毎年対戦した。

NFL入り後もバスケには熱心で、下記FSコリンズらとともにバスケットボールチーム"Green Machine"を組み(記事へ)、オフシーズンになるとウィスコンシン各地を転戦してチャリティーゲームを行っている。

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チャド・クリフトン Chad Clifton | Offensive Tackle | Tennessee |
背番号76 | 6-5 (195cm) | 320lbs (145kg) | 11年目 34歳 | 1976年6月26日生 |

クォーターバックの背後を守る左タックル。素晴らしいサイズとアスレチック能力に恵まれ、特にパスプロテクションの技術は際立っている。オーランド・ペース(STL)やウォルター・ジョーンズ(SEA)ら殿堂級LTがいたためにプロボウル補欠のシーズンが多かったが、2007年にはついにプロボウル初選出。長らく一流左タックルとして活躍してきたが、最近はヒザや肩などケガが多く、チームにとっては後継者の育成が重要課題となっている。

優れたパスプロテクション能力と比べると、立会い一発で押し込むような爆発的なランブロック能力はなく、そのあたりがプロボウルに1回しか出られていない理由だろう。性格は比較的地味でおとなしく、OL陣最年長ながら、RTタウシャーやCウェルズと比べてメディアに積極的に発言することが少ない。骨盤の大ケガ(下記参照)の影響は残っていないが、両ヒザ腱炎の痛みをこらえながらのプレーが続く。

2009年シーズンは足首の捻挫に苦しんで途中退場4試合、欠場4試合。おかげでチームはあやうくシーズンが台無しになるほどのパスプロ崩壊に苦しみ、ついに2010年ドラフト1巡でLTブライアン・ブラガを指名。クリフトン自身も3年総額$20ミリオン弱で契約延長し、スターター続行の見込みだが、昨年のようなシーズンが続いたら契約満了までプレーできる保証はない。

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テネシー大では4年間通してスターター。1年目だけ右タックルで、2年目は左タックルとしてQBペイトン・マニングの背後を守った。その年は全米王座を逃したものの、マニングが抜けた1998年シーズンにはフィエスタボウルでフロリダ州立大を倒し、13勝0敗で全米チャンプに。同大は彼のいた4年間に43勝7敗と素晴らしい成績を残した。

2000年当時パッカーズは左タックル補強は不要と見られていて、ロン・ウルフGM(当時)が彼をドラフト2巡指名したことに疑問を呈する声も少なくなかった。しかしシーズンが始まると新先発LTマイク・ウォールが大苦戦。第6週@デトロイト戦でついにパスプロが崩壊し、新人クリフトンが試合途中から出場することになった。翌週からスターターとなると、以後はマイク・ウォールもロス・ヴァーバも彼から先発LTの座を奪うことはできず、同期入団のRTマーク・タウシャーとともに10年にわたってスターターを務めてきた。

順調に成長したクリフトンだが、2002年シーズンに大きな危機が訪れた。第12週@タンパベイでDTウォーレン・サップから(合法だが汚い)ブラインド・ヒットを受け、左右の骨盤を結ぶ腱を断裂するという珍しい大ケガを負ったのだ。試合後にはマイク・シャーマンHC(当時)がDTサップに詰め寄り、カメラの前で怒鳴り合う事態に発展した(記事へ)。クリフトンはしばらく病室で寝たきりとなり(記事へ)、シーズンエンドどころか現役続行も危ぶまれるほどだったが、苦しいリハビリを同期のタウシャーとともに乗り越えて翌年ぶじに復帰。因縁のバッカニアーズ戦でも相手パスラッシュを完封し、見事にリベンジを果たした。その後のルール改正により、問題のプレーはアンネセサリー・ラフネスの反則となっている。

出身地は人口1万人ほどのテネシー州マーティン市で、2007年1巡指名のDTジャスティン・ハレルは同郷のうえに大学の後輩でもある。妻キャンディとの間には2005年に長男コービン、2007年には次男クルーズが生まれている。キャンディは2003年にウィスコンシンで司法試験に合格していて、さまざまなチャリティ活動も夫婦で参加することが多い。

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マーク・タウシャー Mark Tauscher | Offensive Tackle | Wisconsin |
背番号65 | 6-3 (191cm) | 316lbs (143kg) | 11年目 33歳 | 1977年6月17日生 |

同期のLTクリフトンとともにプロ1年目からスターターを続ける右タックル。地元ウィスコンシン州出身なので、OLの中では最も人気がある。決して大きくはなくパワーで圧倒するブロッカーではないが、タフでフィジカルで粘り強い。テクニックに優れ、プレー内容が非常に安定していてミスが少ない。(左タックルばかりが選ばれる)プロボウルには縁がないが、玄人受けのする選手。二度目の前十字靭帯断裂から復活を果たしたが、今後はT.J.ラングなど若手選手の追い上げを退けていかなければならない。

入団1年目から先発で活躍してきたタウシャーだが、契約最終年の2008年12月にヒザの前十字靭帯断裂(キャリア2回目)の大ケガを負った。そのためチーム側は再契約を見送ってRTアレン・バーバーを後任RTに据えたが、これが大失敗。未契約のままリハビリを続けていたタウシャーに好機が訪れた。10月半ばにパッカーズと再契約すると約1ヶ月かけてリハビリの仕上げを行い、第9週バッカニアーズ戦から先発復帰してパスプロ向上に貢献した。今春は総額$8.7ミリオンの2年契約を結んだものの、(クリフトンとおなじく)今後は毎年が若手との勝負だろう。

腕や脚が短くモコモコした体形なので、一見すると今どきの一流OTには見えないが、総合的なアスレチック能力は決して低くない。特にアジリティやボディバランスが非常によく、相手DLに崩されることが滅多にない。一般に巨漢タイプの多い右タックルとしてはパワー型ではないものの、巧みな技術で不思議と相手をまるめこんでしまい、プロ最初の7年間で許したサックはわずか12回。少しばかり後手を踏んでも粘り強く頑張って、決して相手の好きなようにはさせない。

地元ウィスコンシン大から2000年のドラフト7巡指名で入団すると、すぐに右タックルの2番手となり、OTアール・ドットソンの負傷で序盤からスターターに。翌年ドットソンが復帰しても先発の座を手放すことはなく、毎年着実に進歩を続けていった。3年目の2002年にはヒザの前十字靭帯断裂の大ケガを負うが、同期のLTクリフトンとともに苦しいリハビリを乗り越え、練習フィールドに復帰したのもクリフトンと同じ日だった。

2006年シーズンには新しいゾーンブロッキングへの対応にやや苦しんだが、当初苦手としていたカットブロックもシーズン終了時にはOL陣で最も上手くなっていた。ヴァーサタイルで、左タックルやガードもこなす力がある。反則が少ないのも彼の素晴らしいところ。

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故郷オーバーンデールはウィスコンシン州中央部にある人口700人ほどの小さな町。父デニスは農場で子供たちを育てるかたわら、Marshfield News-Herald紙のスポーツライター(最近はパートタイムでパッカーズ取材も)をしていた。タウシャーは「ウォークオン」つまり奨学金なしで地元ウィスコンシン大に進み、奨学金を貰えるまでに認められたのは入学2年目のこと。

アーロン・ギブソンクリス・マッキントッシュ(どちらも1巡でNFLへ)の控えを務めつつ、4年目シーズンを前に歴史学の学位を取得。そのためいったんは他所の大学院に進もうとしたが、気持ちを変えてフットボール部に残り、初めて先発右タックルとなった。すると目覚ましい成長を見せてローズボウル勝利とRBロン・デインのハイズマン賞に大きく貢献し、先発昇格からわずか1年でパッカーズからドラフト7巡指名。さらにRTアール・ドットソンの負傷により、NFL1年目でスターターになってしまった。大学ではかなりの遅咲きだったが、プロとしては早熟というべきか。

学業優秀だった彼はプロ入り後も母校のウィスコンシン大の大学院で勉強を続け、2003年には "educational administration" の修士号を取得。その後は博士課程に進み、2005年オフにはイギリスに5週間滞在して国会議員の選挙活動を調査研究をしたこともある。チャリティでは識字教育・読書教育に力を注いでおり、彼の設立した"TRIFECTA"財団はさまざまな活動を通して地域社会に貢献している。2009年7月にサラと結婚し、独身生活にピリオドを打った。

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ライアン・ピケット Ryan Pickett | Nose Tackle | Ohio State | Stats |
背番号79 | 6-2 (188cm) | 330lbs (150kg) | 10年目 30歳 | 1979年10月8日生 |

重心が低く横幅の広い体格で、ディフェンシブラインの中央を支える大型ノーズタックル。2001年の1巡指名でラムズに入団し、5年かけて順調に成長したところでパッカーズにFA移籍。派手さはないがタフで安定感のあるプレーを続けている。2009年に3-4ディフェンスが導入されると、先発ノーズタックルとして期待以上の活躍を見せ、ラン守備NFL1位への躍進に貢献。2010年春には総額$24.925ミリオンの4年契約にサインした。

タフでフィジカルなランスタッファーで、ポイントオブアタックでダブルチームをがっちり受け止める。そうして、後ろのLBバーネットやLBホークを自由に動けるようにするのが彼の役目。320ポンド級にしてはフットワークが軽く、身軽にパスートする。前任者のDTグレイディ・ジャクソンと比べると一発ハマった時の迫力はないものの、ケガが少なくプレー内容が安定していて信頼できるプレーヤーだ。

俊敏な動きで相手ラインを抜き去るようなパスラッシュ力はなく、プロ9年間で合計8.5サックしか挙げていない。しかし2006年はパスを叩き落したのが5回あり、ダントツのチーム1位だった。2009年から3-4ディフェンスになったため、数字はさらに地味になりそう。今後は後輩B.J.ラジとの兼ね合いが注目される。

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フロリダ州西部のゼファーヒルズ出身。高校のコーチは、すでに300ポンドあったピケットをミドルLBで起用する奇策を打ち出し、彼は(おそらく)全米最重量のLBとして同高校記録の142タックルを挙げる活躍で応えた。オールアメリカンにも選ばれ、名門オハイオ州立大に進学。レッドシャツを経ずいきなり1年目から先発DTとなり、3年間活躍を続けると、1年早くプロ入りする道を選んだ。大学でのチームメイトにはLBナイル・ディッグス(GB→CAR)もいたが、パッカーズではちょうどすれ違いとなった。

2001年のドラフト1巡29位でラムズに入団。1年目は不本意な内容だったが、ビル・コーラーDLコーチの厳しい指導もあって2年目は急成長、先発に昇格してDL陣最多(チーム2位)の107タックルを挙げた。3年目・4年目はケガにも悩まされたが、5年目にはNFLのDL中最多の115タックルを挙げる活躍を見せた。翌2006年春にフリーエージェントとなり、総額$14ミリオンの4年契約でパッカーズにやってきた。当初パッカーズはさほど熱心でなかったが、FA市場で思ったほど人気がなかったので獲得に乗り出したらしい。

ジェニファー夫人との間には三女一男。2004年に長女ジル、2006年に次女アビゲイル、2007年に長男ライアンJr.、2008年に三女リディアが生まれている。ニックネームの"Big Grease"は父ルービン(同じような大男)のあだ名を引き継いだ。動きがスムーズ、という意味らしい。次兄ブッカーはマイアミ大でLBとしてプレーし、ルーキーFAとしてコルツに入団したこともある。長兄ルービンJr.もCFLやセミプロでプレーしていた。ゼファーヒルズでは有名なフットボール一家で、末っ子の彼は父や兄たちにしごかれながら育ったという。

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ニック・バーネット Nick Barnett | Inside Linebacker | Oregon State | Stats |
背番号56 | 6-1 (185cm) | 236lbs (108kg) | 8年目 29歳 | 1981年5月27日生 |

ディフェンスのリーダーを務める先発インサイドラインバッカー。伝統的なミドルLBと比べるとやや軽量でスリムだが、スピードとクイックネスに優れ、サイドラインからサイドラインまで走り回る。毎年100タックル以上を挙げる安定したプレー内容で、プロボウルの補欠には2003年、2004年、2006年、2007年とすでに4回も選ばれている。2009年には3-4ディフェンス初挑戦と前十字靭帯(ACL)断裂からの復活という2つの難題を見事に乗り越えた。

派手なハードヒットはないが、しっかりバインドして確実に倒すタイプのタックラー。ディフェンスのプレーコーラーで、読みや嗅覚に優れて、反応が速い。守備範囲が非常に広く、パスカバレッジ能力は高い。ダイム隊形(1LB・6DB)でも彼は必ずフィールドに残るため、ディフェンスの全スナップに出場するのがいつものパターン。

こんどこそプロボウルを期待された2008年だったが、第10週ヴァイキングス戦でヒザのACLを断裂。2009年シーズンはヒザのリハビリとともに、3-4ディフェンスのインサイドLBという新しい役割を担うことになったが、期待以上の働きでディフェンス躍進に貢献した。4-3時代はインサイドからのブリッツがイマイチだったが、3-4となった2009年はA.J.ホークとのクロスブリッツが効果的で、キャリア最多の4サックを決めている。

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オレゴン州立大から2003年のドラフト1巡29位でパッカーズに入団。巷の評判では全LB中3番手あたりだったが、パッカーズは彼をLBのトップで指名して成功した。大学ではずっとアウトサイドLBだったものの、プロ入り直後のミニキャンプから、不動の先発ミドルLBとなっている。コンスタントな活躍を高く評価され、2007年4月には総額$35ミリオンの6年契約を結んでいる。

南カリフォルニアのフォンタナ出身。父が白人で母が黒人のため、肌の色はかなり白い。趣味は音楽で、DJとしてターンテーブルを回したり、ミキシングもする。LPレコードのコレクションだけで1000枚近いという。大学のオフシーズンには、キャンパスのラジオ局でヒップホップ系の番組を毎年やっていた。もはや趣味どころではなく、グリーンベイの自宅にはレコーディングスタジオもある。最近は "Clarity Records" という新レーベルを立ち上げ、"Traxx Squad" というプロダクションもスタートさせた。

いっぽうグリーンベイで2005年に開店させた"FiveSix"というジャズ&ブルース主体のナイトクラブ(店名は背番号からとった)の経営は、いろいろなトラブルがあって結局うまく行かなかった。しかし彼の率直かつ親しみやすい個性はTwitterでも人気で、パッカーズ選手としてはダントツ1位のフォロワー数を誇る(2010年6月時点で35万人)。2008年に結婚したアマンダとの間には、長男ケイデンと次男クルーズが生まれ、Twitterでも子育てネタが多い。

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クレイ・マシューズ Clay Matthews | Outside Linebacker | Southern California | Stats |
背番号52 | 6-3 (191cm) | 250lbs (113kg) | 2年目 24歳 | 1986年5月14日生 |

パスラッシュの主役を担う右アウトサイドラインバッカー。2009年ドラフト1巡指名でパッカーズに入団すると、キャンプではケガで出遅れたものの、初先発の第4週ヴァイキングス戦でファンブルリターンTDを挙げたのを皮切りに、シーズン10サック、45.5プレッシャー、35ノックダウン(すべてチーム最多)の大活躍。新人王投票では3位、新人ながらプロボウル(繰り上げ)出場を果たした。マシューズ一族としては計19回目のプロボウルだ。

止まることのないモーター、スピードとトルクを落とさずに曲がることができるパスラッシュが最大の魅力。ラン守備はポイントオブアタックで力強く、パスカバレッジの動きもスムーズで、3-4のアウトサイドLBをプレーするために生まれてきたような選手だ。精神的にもしっかりしたハードワーカーなので、これから長く活躍してくれそう。ケヴィン・グリーンOLBコーチにとっては夢のような初弟子だろう。

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ロサンゼルスに近いカリフォルニア州アゴーラ・ヒルズ出身。NFLでは有名なフットボール一家に生まれた。後述のように「クレイ」の名前は3代目で、正式には「クレイ・マシューズIII世」となる。高校ではLBとTEをプレーし、父クレイJr.がディフェンシブコーディネーターだった。

父たちの母校USCにウォークオンで入学し(奨学金は入学3年目から)、最初はやせっぽちのセーフティだった。タレントひしめく同大LB陣の中ではスターターになれず、スペシャルチームで活躍しながら体作りに励んだ。大学4年目にようやくスターターの座をつかむと大活躍を見せ、一躍ドラフト上位指名候補となった。国際関係学(副専攻は商法)の学位を取ってドラフト前の12月に卒業。ワンダーリックテスト27点もLBの水準をかなり上回る。

パッカーズでは新しく導入する3-4ディフェンスの人材が不足していたため、2009年ドラフトではトンプソンGMが珍しいトレードアップを敢行(キャリア2回目)。2巡9位に3巡9位と3巡19位を足して1巡26位にトレードアップするのは、指名権バリューチャートからすればかなりの損(1巡18位か19位に相当)だが、結果的には大成功となった。大学では遅咲きだったがプロでは早熟、という点でRTタウシャーと似ている。

なお、この年のUSCのLB陣は1巡15位ブライアン・クッシング(HOU、新人王)、1巡26位マシューズ、2巡6位レイ・マウアルーガ(CIN)、4巡4位カルーカ・マイアヴァ(CLE)の4人がドラフト指名される空前の豊作だった。

華麗なマシューズ一族は以下のとおり。

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チャールズ・ウッドソン Charles Woodson | Cornerback | Michigan | Stats |
背番号21 | 6-1 (185cm) | 202lbs (92kg) | 13年目 33歳 | 1976年10月7日生 |

現代NFLを代表する名コーナーバック。経歴は華麗そのもので、ミシガン大ではディフェンス選手として史上初のハイズマン賞に選ばれ、レイダーズ入団後もディフェンス新人王から4年連続プロボウル選出。5年目以降はケガに苦しんでプレー内容が下降したが、2006年にグリーンベイに移籍してCBアル・ハリスとコンビを組むと、かつての輝きがもどってきた。移籍後4年間で計28インターセプトを挙げ、2009年には33歳にしてNFL最優秀ディフェンス選手賞に輝いた。

サイズとアスレチック能力、そして何よりフットボールセンスに恵まれた万能選手で、特に素晴らしいのはボールスキル。レシーバーの寸前でボールを叩き落したり、レシーバーの前に体を滑り込ませてボールを奪い取る技術は素晴らしい。タックルは確実でランサポートがよく、ブリッツァーとしても効果的なプレーをする。32歳となってもプレーぶりに衰えは見られず、彼らしいプレーを続けている。

逆サイドにCBアル・ハリスがいるため、レイダーズ時代よりも自分サイドにパスが来やすくなり、それがインターセプトの量産につながった。プレスカバレッジ能力の高いCBハリスを相手エースWRにぴったり張り付け、CBウッドソンはニッケルの位置からブリッツにも入ったり比較的自由にボールを狙う、といったように、パッカーズは2人の適性を活かした起用法をしている。2009年のドム・ケイパースDCは彼をさまざまなポジションに入れてオールラウンドな能力を活用し、それが最優秀ディフェンス選手賞につながった。

NFL最優秀ディフェンス選手賞(1971年に制定)に選ばれたのは、パッカーズでは1998年のDEレジー・ホワイト以来2人目。コーナーバックの受賞は比較的少なく、1994年のCBディオン・サンダース以来、15年ぶり5人目。2009年のウッドソンは他にもNFCディフェンス部門の月間MVPを3回受賞(NFL史上3人目)するなど、まさに完璧なシーズンだった。ディフェンス選手によるタッチダウン通算8回(INT7回・ファンブルリカバー1回)はすでに球団史上最多記録。

レイダーズ時代にはパーティ三昧の奔放な私生活をおくり、ビル・キャラハンHCの指導力を公に批判したことも。しかしパッカーズ移籍後はずいぶん大人になり、グリーンベイでの暮らしを楽しむようになっている(回顧記事へ)。レイダーズ時代後期はケガに苦しんでタフネスが疑問視されたが、移籍後はさまざまなケガを抱えながらもプレーを続け、4年間で2試合しか欠場していない。

移籍直後はミニキャンプを欠席するなど一匹狼的な雰囲気を醸し出していたが、最近ではディフェンシブバック陣のリーダー役を積極的に務め、豊富な経験と知識を若手たちに進んで分け与えている。FSニック・コリンズがプロボウラーに成長したのも、ウッドソンの指導が大きかったようだ。移籍後2年間はパントリターナーを務め、2008年からその役目をCBウィル・ブラックモンに譲っている。

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ミシガン州境に近いオハイオ州フリーモントの出身。高校ではRB兼DBとして大活躍し、通算3,861ydsラッシング466得点を記録して州の最優秀選手Mr.フットボールに選出された。同賞はRBロバート・スミス(MIN)、RBトニー・フィッシャー(GBなど)、RBモーリス・クラレットも受賞している。名門ミシガン大に進むと(レッドシャツを経ず)1年目の第3戦から先発CBとなり、3年いっぱいまで連続出場。パントリターナーを兼任し、WRもプレーした。1997年シーズンには無敗の全米王座に加え全米最優秀選手ハイズマン賞(ディフェンス選手としては史上初)を受賞し、1年早くプロ入りする道を選んだ。

1998年のドラフト1巡4位でレイダーズに入団すると、1年目はディフェンス新人王に選ばれ、プロボウルは4年連続、オールプロは2年目から3年連続で選ばれている。しかし2002年に肩を負傷して8試合欠場すると、それ以後はケガがちでプレー内容も悪くなった。スーパーボウルはケガを押してインターセプトを挙げる活躍をしたものの、翌年からシーズン4勝、5勝、4勝とチーム不振が続くと個人成績も悪化。

レイダーズは2004年・2005年と連続フランチャイズ指名で引き留めたが、2005年10月に脚を骨折してシーズンを終えると、2006年春は再契約をせず初めてフリーエージェントとなってパッカーズと$39ミリオンの7年契約を結んだ(記事へ)。契約ボーナスが少なめでロースターボーナスとインセンティブが非常に多く、「1試合出るごとに$56,000」とケガのリスクにに配慮した内容。その後の活躍からすれば、非常にリーズナブルな値段だった。

ミシガン大はこれまでに3人のハイズマン受賞者を輩出しているが、1997年のウッドソンの前に受賞したのが1991年のWRデズモンド・ハワード。ハワードはプロ入り後レシーバーとしては大成しなかったが、リターナーとしては成功し、1996年パッカーズのスーパーボウル制覇に大きく貢献したのがキャリアのピークだった。優勝直後にレイダーズにFA移籍し、1年だけウッドソンのチームメイトだった。

いまだに独身だが、長男チャールズJr.が2009年に生まれている。オフシーズンはフロリダ州オーランドとジョージア州アトランタで生活する。華麗な経歴のいっぽうで、私生活を明らかにすることは少ない。北カリフォルニアのナパ・ヴァレーでブドウ園を手に入れ、2008年からワイン・ビジネスに乗り出している。

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アル・ハリス Al Harris | Cornerback | Texas A&M-Kingsville | Stats |
背番号31 | 6-1 (185cm) | 190lbs (86kg) | 13年目 35歳 | 1974年12月7日生 |

ドレッド・ヘアをなびかせて疾走する個性的なベテラン・コーナーバック。2007年には33歳で初プロボウルに選ばれ、翌2008年も上記ウッドソンの辞退で2年連続プロボウル出場を果たした。6巡指名入団から時間をかけて超一流CBへと上りつめたのは、早熟なタイプの多いこのポジションでは珍しい。オフシーズンの体作りも完璧でケガの少ない、真のプロフェッショナル。2009年11月にヒザのACLを断裂したが、もし35歳で復活に成功すれば、鉄人伝説に新たな一頁が加わることになる。

スターCBとしては直線スピードが遅いが、アジリティに優れる。長い腕を活かしたフィジカルなプレスカバレッジは職人芸といってよく、相手エースWRにもぴったり張りつき、QBにパスを投げさせない。細い体に秘めたパワーはかなりのもので、スクリメージでの嫌らしいジャムでレシーバーのルート取りを乱してしまうので、時には相手WRがやる気を失ってしまうほど。パスを投げさせないので自然とインターセプトは少なく、そのせいでプロボウル初選出が遅れた面もある。キャッチ能力そのものはウッドソンに劣り、インターセプトのチャンスに捕り損なうことが時おりある。

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フロリダ州ポンパノ・ビーチ出身。高校の成績が足りなかったのか、短大で2年間プレーしてからテキサスA&Mキングズヴィル校に移った。現在はディビジョンIIに所属する同校だが、1989年にテキサスA&Mに統合される前はテキサスA&Iの名前で、OGジーン・アップショーCBダレル・グリーンDTジョン・ランドルといった名選手を輩出している。同大での2年間で計9INTと活躍したハリスは、1997年のドラフト6巡指名でバッカニアーズに入団した。

バッカニアーズでのNFL1年目はプラクティス・スクワッドで過ごし、2年目の開幕前に解雇されてイーグルスへ。トロイ・ヴィンセントボビー・テイラーという豪華なプロボウルCBの下で、時おり代役スターターを務めながら、ニッケルバックおよび3番手CBとして少しずつ頭角を現した。やがて「NFL最高の3番手CB」と評されるようになると、先発の座を望んだ彼はトレードを求め、ドラフト2巡指名権と交換で2003年にパッカーズにやってきた。

CBマッケンジーがいた移籍1年目シーズンは右サイドに固定だったが、その後はほとんど常に相手のエースWRを担当。2005年と2006年は、わずか1TDずつしか許していない。自己管理能力が極めて高く、NFL初出場の1998年シーズン以来10年連続で全試合出場を果たした。11年目の2008年第3週カウボーイズ戦で脾臓損傷の大ケガを負ったものの、わずか4試合欠場しただけで復帰している。

2007年にシャイラ夫人と結婚。(別の女性との間に)13歳の長男アルシナードJr.、4歳の次男ギャビンがいる。ゴルフが趣味で、オールドタイプのニッカーボッカーを好む。さまざまなゴルフ大会に顔を出し "NFL Golf Classic" ではトム・ワトソンとペアを組んだこともある。地元フロリダでは理容店、美容店、コンドミニアム形式のホテルを所有し(友人たちと共有)、土地開発や銀行業にも出資している。

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ニック・コリンズ Nick Collins | Free Safety | Bethune-Cookman | Stats |
背番号36 | 5-11 (180cm) | 207lbs (94kg) | 6年目 26歳 | 1983年8月16日生 |

フィールド最後方を守るフリーセーフティ。入団1年目からスターターを務め、2年目・3年目は伸び悩んだものの、4年目の2008年に7INT(うち3TD)を挙げて一躍プロボウラーとなった。翌2009年も6INTを記録してプロボウルに選ばれ、前年の活躍がフロックでなかったことを証明。CBチャールズ・ウッドソンとともにインターセプトを量産する"Ball Hawk"軍団を形成している。

特長はなんといっても身体能力で、40yds走4.37秒(プロ入り時)はCBとしてもかなり速い部類。セーフティとして経験を積むにつれ、恵まれたアスレチック能力をようやく活かせるようになってきた。とくによくなったのがボールスキル。ボールの来る寸前にパスコースに飛び込み、捕ってから敵陣深くまでリターンする能力も素晴らしいものがある。2010年3月には総額$26.7ミリオンの4年契約にサインした。

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フロリダ州西北部に位置するクロスシティ出身。高校ではQBとRBとDB、さらに陸上とバスケもプレー。父の母校でもあるベスーン・クックマン大(ディビジョンI-AA)に進むと、1年目は学業成績の問題で出場資格が得られなかったが、2年目シーズンの終盤からストロングセーフティとしてスターターに定着。2003年と2004年はフリーセーフティとして先発、合計12INTを決めて2年連続でオールMEACに選ばれた。同大の2年先輩にはCBラシーン・マシス(JAX)がいて、同じくドラフト2巡指名からプロボウラーとなっている。

マイナー校であるため知名度は低かったが、パッカーズはダレン・シャーパーの後継者として2005年のドラフト2巡でコリンズを指名(1巡はQBロジャース)。プロ1年目から不動のスターターを務めている。なお、パッカーズで2年連続プロボウルに選ばれたセーフティは90年代のリロイ・バトラー以来。

アンドレア夫人との間に一女二男。オフシーズンにはパッカーズのチームメイトともにバスケットボールチーム"Green Machine"を組み(記事へ)、ウィスコンシン各地でチャリティーゲームを行っている。

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updated : 2010/06/05