グリーンベイ・パッカーズ ニュース

2011年2月21日

Chico: Super Bowl MVP's hometown

カリフォルニア州チコの街で、スーパーボウルを控えたある日のこと。市民リーダーの集まった政治集会の席で、商工会議所会頭であるジョリーン・フランシスが声を挙げた。「話し合いを始める前にすこし時間をいただいて、我々全員の団結を確かめたいと思います」 みなポカンと顔を見合わせた。彼女は祈りの言葉でも唱えるのだろうか。ところがフランシスは叫び始めた。"Go Pack Go!" 集会にいた全員が声を合わせた。

ここカリフォルニア州チコ地図)はサンフランシスコの北200kmほどに位置する人口8万人の街だ。QBアーロン・ロジャースはここで生まれ育ち、高校時代を過ごし、コミュニティ・カレッジに通った。そこから名門カリフォルニア大、そしてNFLへと巣立っていったのだ。今でもアーロンの両親、エドとダーラがここに住み、通称"Green Bay West"として街ぐるみでアーロンの応援団になっている。

しかも今回はスーパーボウル応援とあって、グリーン&ゴールドが街にあふれている。あるスポーツ用品店では、胸に"Go Pack Go!"、背中に彼の母校の名を書いたTシャツが1000枚も売れた。品切れとなったTシャツの追加発売はいつから始まるか地元TV局が伝え、追加分も7分で売り切れた。フォルクスワーゲンのディーラーは"Go Aaron"のプラカードをつけた黄色いビートルを飾り、馬具店では馬の像にパッカーズのジャージを着せ、チーズヘッドをかぶらせている。「ウィスコンシンのど真ん中に来たかと思うだろ?」と住民は笑う。

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かつて幼稚園でアーロンを見守ったベティ・ロウラー先生は思い出し笑いをこらえながら言う。「あのころ、お母さんのダーラに言ったんです。アーロンは誰にでも優しくて、お行儀もいい。ただお伝えしておかなきゃいけないのは、彼が○×でフットボールのプレーを図に書いている時間がすごく多いということなんです、ってね」

「街全体がすごい盛り上がりだ。素晴らしいことだよ」と語るのは、80年代に49ersで活躍した元DLジェフ・ストーヴァー。彼はチコでスポーツ・クラブを所有し、彼の娘は高校時代にアーロンと一緒にプロムに行ったことがある。

高校卒業時にディビジョンI校から誘いのなかったアーロンだが、大学側の見る目のなさばかりを責めるわけにはいかない。彼は高校4年でも身長178㎝、体重75kgだったのだ。プレザント・ヴァレー高校で校長を務めるジョン・シェパードは、かつてバスケットボールチームでアーロンを指導した。身長157cm、体重59kgで足ばかり大きな、高校1年のアーロン少年の写真が飾られている。「やせっぽちだったが、とてもよく話を聞き、足の速い子だった」

アーロンを高校で教えた教師たちは、彼の身体能力よりも、心優しく熱心な学生であったことを今の生徒たちに言い聞かせている。「ありきたりに聞こえるだろうけれど、ウチの学校の子供たちが、アーロンと同じような性格や特質を備えるようになってほしいと願うばかりだ」とシェパード校長。

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かつてビュート・カレッジでヘッドコーチを務め、現在は同大の体育局長を務めるクレイグ・リグズビーは、いまも頻繁にアーロンと連絡を取り合っている。NFC決勝で勝利したあと、アーロンはビュート・カレッジのTシャツを着て記者会見に出た。その晩本人から、「あれを見た? あれはあなたのためだよ」とメールが届いた。もちろんリグズビーは見ていた。それどころか、以前そのTシャツを着たアーロンの写真がSports Illustrated誌に掲載されたのを、額に入れて飾っているほどなのだから。

「ウチの大学に来たときには200ポンド(91kg)ぐらいに増えていた。練習初日、決定的瞬間があったのをよく覚えている。彼は右に走って踏ん張り、左の狭いところに50ydsぐらいのパスを投げたんだ。私は思わずオフェンシブ・コーディネーターの顔を見たよ。ワオ、今のはどっから来たんだ?とね」

アーロンは同大を10勝1敗の好成績に導いた。唯一の敗戦だったフレズノ・シティ・カレッジ戦でも468ydsを投げまくっている。「アーロン・ロジャースが1年で辞めたと聞いて、正直とてもホッとしたよ」と語るのはフレズノ・シティ・カレッジのヘッドコーチだ。

カリフォルニア大のジェフ・テッドフォードHCが、ビュート・カレッジのTEギャレット・クロス(2005年にパッカーズのドラフト外)のフィルムを見ているときにアーロンを見つけたのは、今では有名なエピソードだ。クイックリリース、しっかりした体格、信じられないほどの落ち着き。惚れ込んだテッドフォードは車に乗り込み、州道99号を北に走ってビュート・カレッジの練習にやってきた。

QB指導の実績で知られるテッドフォードHCが視察に来たときのことを、リグズビー元HCはよく覚えている。「月曜にやってきて、アーロンが投げるのを25分ほど見ていた。そして私を振り返って言った。『私がこれまで見たジュニア・カレッジのQBの中で最高の選手だ。彼はいつかNFL選手になれる』 とね。 『そう思うかい?』 と私が聞き返すと、『いや、"思う"のではなくそう"わかって"いるんだ』 という答えだった」

アーロンは高校卒業時にGPA(平均成績点)3.6点、SAT1310点(当時1600点満点)の成績があったため、カリフォルニア大への編入はすぐに認められた(コミュニティ・カレッジからは2年が普通)。その後の活躍はよく知られているとおりだ。

「今ではどれだけ多くの有力大のリクルーターが、『あのときロジャースを逃したから、今度はチコにも行っておかないと、今度見落としたらクビになりかねん』 と言いながらここへやってきてくれることか」

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こうして迎えたスーパーボウル当日。チコの街じゅうでパッカーズ応援の観戦パーティが開かれている。クレイグ・リグズビー元HCの家にも40人以上の応援団が集まった。プレザント・ヴァレー高校のスターリング・ジャクソンHC、アーロンの個人トレーナーを長く務めたスティーヴ・ヘンダーソンも顔を揃えた。1プレーごとに大きな歓声やため息が漏れる。

そして最高のエンディング。ニーダウンの際には"M-V-P! M-V-P! M-V-P! M-V-P!"のコールが沸き起こった。われらがチコ出身、プレザント・ヴァレー高校出身、ビュート・カレッジ出身のアーロン・ロジャースがスーパーボウルのMVPに選ばれたのだ。地元高校のQBとして活躍するネルソン・フィッシュバックは言う。「鳥肌が立った・・・。まるで僕らがスーパーボウルを、チコがスーパーボウルを勝ったみたい。僕もいますぐトレーニングを始めなきゃっていう気持ちになった」

「彼が積み重ねてきたハードワークの成果さ。彼はどこからともなく現れたわけじゃない」とリグズビー元HCは強調する。高校ヘッドコーチのスターリング・ジャクソンには友人から、「ヘイ、あんたはスーパーボウルMVPを指導したんだ! どんな気分だい?」と声がかかる。「オレもディズニーランドに行かなきゃならんかもな」と誇らしげにジョークを飛ばすジャクソン。「今日は素晴らしかったが、まだ彼は始まったばかりだ。これからだよ」

賑やかなパーティが散会する前に、リグズビー元HCがグラスを掲げて乾杯の音頭をとった。
「アーロンに。そして、関わったすべての人々に」

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