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ウィスコンシンの思い出 7

8月22日。水曜日。Wisconsin最初の朝。知らない世界と接した「疲れ」からか、緊張感もなく、よく寝た。起きて、ダイニングに行く、オフクロにGood Morninng!と挨拶。「よく寝られたか?」と聞いたと思うが、まだ、英語力が・・・。だが、ムードだけは分かる。Yes!と答えて、顔を洗い、食卓につく。

オヤジは、もう仕事に出ていた。オヤジの仕事は、FAIRCHILDにある小学校と中学校の用務員サン。昨夜見たバスは、スクールバスだった。

食卓に付くと、コーンフレークなどのシリアルの小さな箱5種類各1箱が、ビニールで包まれてワンセットになっているセットとミルクが、置かれていた。そのビニールを破って、日本でも馴染みのあったモノを開け、ミルクをかけて食べた。キッチンにパーコレーターのコーヒーメーカーがあった。初めて、パーコレーターなるコーヒーメーカーを見た。そのコーヒーも頂く。

その食事中に、オフクロから、「今日のスケジュール」説明があった。まず、高校が、次の日の23日から始まるので、今日の午前中に、一緒に学校へ行く。午後、村で一番の好青年を呼んであるので、同級生でもあるから、キャッチボールでもして遊びなさい!」とのこと。23日が始業?9月1日ではないのか!ちょっと呆然とした。1週間は、ユックリ出来ると思っていただけに・・・本当に、参った!

◆ ◆ ◆

朝食も終わり、オフクロの運転で、高校に向かった。やっと、昨夜通った道の全貌が明らかになった。まず、森と思ったのは、確かに森だった。これは正しかった。この森で、その後、たびたび、野生のシカを見ることになるのだが、その時は、知らなかった。その他は、ほとんど、牧場だったり、牧草地だったり。ドーリで、真っ暗なわけだ。牧場には、牛や羊がいる。その牧場主の家が、ポツリポツリと点在していた。

前日、夕食を取ったファミレスを通り越して、ハイウエイをまたぎ、Osseoに入る。しばらくすると、左にスーパーマーケットがあり、すぐに右折すると、右手に学校が見えてきた。駐車場に車を止めて、校長室に向かう。禿で陽気な校長だった。ニコニコと対応してくれる。「いろいろとお世話になります!」という気持ちはあるのだが、なかなか言葉にならない。仕方なく寡黙な日本人を装う。あるいは、時差で参っている哀れな留学生を演じる。

まずは、カウンセラーの先生の所に行って、説明を受けるようにとのことで、カウンセラーの部屋に向かう。カウンセラーの先生が、最初に「この高校では、ともかく、留学生は卒業出来ることになっている」と切りだした。成績がどうであれ、卒業出来るというのだ。日本のオリエンテーションでは、「成績が悪いと卒業出来ない」と説明されていたので、カウンセラーの先生がエンジェルに見えた。背中に羽根と頭の上のリングが、確かにあの時は見えた!

つまり、つまりはである、勉強しなくても良いということではないか!嬉しかった。勉強が嫌いな上に、英語が出来ない訳で、結構、勉強に関しては、どーしようか? と悩んでいただけに、この一言は、まさしく「天使の一言」だった。ボクからのリクエストは、「フットボールがしたい」だった。カウンセラーの先生も了解した。「無条件の卒業のかわりに、英語と歴史の授業は取って貰う」と、エンジェルは続けた。卒業させて貰えるなら、何だってOK!了解!ラジャー!てなもんだった。

で、気が大きくなったボクは、前期では、次のような授業を選択した。1時限め「ドイツ語」、2時限め「化学」、3時限目「体育」、4時限目「歴史」、5時限目「英語」、6時限目「スタディーホール」、7時限目「数学」。このキャリクラムが毎日続くとのことだった。体育だけは、隔日で「スタディーホール」となるとの説明だった。「初級ドイツ語」は、やってみたかっただけである。「化学」という英語を知っていただけだったが、カウウセラーの先生は、ニヤっと笑って、「それはイイ」と言う。その理由は、そのうちに分かった。「体育」はカウンセラーの先生の勧めで選択。「歴史」と「英語」は留学生の必須科目でしょーがなく選択。「スタディーホール」は、何のことが分からず、カウンセラーもオフクロも、ニヤニヤしながら勧めたので選択。「数学」は、「アメリカの高校の数学は、とにかく楽だ」と聞いたので選択した。

それから、ボク専用のロッカーの場所を教えてもらう。よく、金庫破りなどの映画などで出てくる「回転式のカギ」で、そのコンビネーションを貰った。やってみるが、なかなか、これが難しい。

映画「アメリカン・グラフィテイー」でリチャード・ドレイファスが、卒業直後の高校でこのロッカーを開けようとして、開かない場面がある。すでに、回転式のカギのコンビネーションが変更されいて、開かないのだが、「高校卒業」を見事に表現している。

4時限目と5時限目の間にある給食は、留学生は全て無料なので、毎週月曜日に、学校の事務所でチケットを貰うようにと言われた。そして最後に、地元の新聞社が取材があるので、とも言われた。

◆ ◆ ◆

Fairchildに戻った。戻る途中に、小さな木が整列した形で植えられているところがあった。その中に、銀色の星が木のテッペンに付けてある。ありゃー何だろ?とオフクロに尋ねると、クリスマスツリー畑だという。星は、今年のクリスマスに出荷するツリーだとか。いろいろとあるもんだ!と感心した。

午後になって、村一番の好青年がボクを尋ねてきた。グローブを2つとボールを持って。彼の名前は、グレッグ・アイズバーナー。同級生でもあった。自宅から少しウラに登ったところに、小学校と中学校があって、そこの駐車場でキャッチボールをした。Wisc.で最初の友人が、グレッグで、本当に良かったと、今も思う。思慮深い奴で、しかもユーモアもあった。彼が村一番の好青年だということは、卒業式で、彼は「名誉学生」として選ばれたことでも分かる。オフクロの目は確かだった。言うまでもなく、Wisconsinでの親友の一人となった。

キャッチボールしながら、彼が「この日曜日に、ドンキー・ベースボールがあるけど、一緒にやろう」と持ちかけた。ドンキー・ベースボール? 訳も分からず、かといって、拒否する理由もなく、OKする。

自宅に戻り、今度は3歳のジョンのお相手をした。子供は、昔から好きな方だったので、あまり抵抗なく遊んだ。土台、彼の英語力のボクのそれも、それほど変らないし・・・。

夕食後、日本からのお土産を、オヤジ、オフクロ、ジョンに渡した。ジョンには、当時、日本の某お菓子メーカーの景品となったゴリラ(俺、ゴリラというキャッチコピーだったが)の「ぬいぐるみ」がお土産。すぐさま、彼は、そのゴリラに「ハッピー」という名前を付けた。ともかく、何が何だか分からないことだらけながらWisconsinの一日目が終わった。

グレッグは、卒業後、大学に進学・卒業して、Wisconsinの少し大きい都市の警察官になった。数年前、彼が脳腫瘍の手術を受けたとも聞いたが、術後の経過は知らない。弟のジョンは、この10月に来日するとメールがあった。当初9月来日だったのが変更したとの連絡だった。今から楽しみだ。彼も、もう33歳か!

updated : 2003/8/2


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