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ウィスコンシンの思い出 2

私のオヤジは、昔、海外志向が強かったようで、小さいころは中国で馬族になりたかったらしい。学徒出陣組で、陸軍よりも海軍の方が、同じ海外でも出かける場所が違うと、海軍を志願しているぐらいだ。そのセガレが、米国留学するというんで、親類一同に電話しまくっている。その気持ちは、分からないでなかったが・・・。 こちらは、無条件合格でないので、心境穏やかではなかったが。

年が明けて1973年。1月半ばに、北は仙台から南は那覇までの高校生70名が、代々木の青少年オリンピックセンターに集合がかかった。第1回目のオリエンテーションだ。1泊2日の、このオリエンテーションでは、まずは、挨拶から始まり、主旨説明やら諸注意やら、これからのスケジュールやら・・・が続いた。しかし、最大の作業は、アプリケーション・フォームなる申請書に、英語で書き込む作業。このアプリケーション・フォームが、そのまま、アメリカに送られて、全米各地にばらまかれる。私の出したアプリケーション・フォームが、一枚上にあったら、ミシガンに留学していたかもしれないし、一枚下だったら、テキサスに留学していたかもしれない。そうなら、今ごろは、ライオンズファンかカウボーイズファンだったろう。

◆ ◆ ◆

そして、とうとう、例の「(仮)合格者」に宿題が出された。次回の5月に開催される第2回オリエンテーションに、再試があり、成績によっては、不合格となるとの説明。宿題は、NHKのライジオ英会話からの出題とのことだった。どうも、記憶によると、(仮)合格者以外にもテストするような話だったと思う。

5月の連休の真っ最中。その第2回のオリエンテーションが、西日本では千里の青少年の家で開催。やはり1泊2日だった。まず、予防接種させられた。そして、家族生活、学校生活、地域生活などの先輩たちの経験談などをベースとした講義を受ける。夜は、先輩たちのオモシロ話で盛り上がる。翌日は、朝から旅行業者が、パスポートの取得、ビザの取得に関わる説明があった。日曜日か祝日だったが、ともかく、休日返上で来た旅行業者さんは、男女各一名。その説明が終わり、休み時間に、同期の連中と先輩とで、タッチフットボールをしていたら、その旅行業者のお二人が、手をつないで帰っていったのが、何とも刺激的だった事を覚えている。説明やなしに、デートだったわけだ。

そして、再試。どう思いだしても、全員で受けたと思う。無条件合格のMが、試験後に、「あの問題は、こーやろ?」と解説した記憶があるので。で、解散となった。再試の結果に関しては、何も触れず、解散となった。再試の結果は届かず、6月のオリエンテーションで大阪のYMCAに集合となった。テーブルマナーの講習で、会食会。でも、再試に関して、誰も触れない、触れられない。そして、また解散。この段階で、ホストファミリーからの手紙が届いた連中がいたが、ボクには、まだ届いていなかった。

◆ ◆ ◆

このオリエンテーション直後に、一通のAir Mailが届いた。Fairchild Wisconsin,USAとある。これが、私が初めて、Wisconsinと接した瞬間だった。まず、地図帳を引っ張り出す。が、ドー発音するのか見当もつかない。英和辞書を引っ張り出す。初めて、「ウイスコンシン」と発音することを知り、改めて、地図帳を睨みつけた。やっと、ミルウォーキーのある州だと分かる。

その頃、テレビのCMで「ミュンヘン、サッポロ、ミルウォーキー」なるキャッチコピーがあり、このミルウォーキーは聞き覚えがあった。何でも、これら3都市は、ビールの産地で、北緯がほとんど一緒と、CMでは説明していた。

それから、数日後。東京のNサンから電話があった。留学の先輩で、4年前に同じところに留学されていたと聞いた。これには、助かった。Osseoという人口約2,700の「町」と、Fairchildと言う人口約600人の「村」が、Osseoに高校を持っていて、そこに留学する留学生は、学校ルールで、半年ずつFairchildとOsseoにホームステイすると聞いた。学校名は、そのままでOsseo Fairchild High School。何のヒネリもない学校名だが。ともかく、まずは、最初のホームステイ先から手紙が届いたという訳だ。向こうの生活の話も聞いたが、聞いても、見当もつかなかった。もう、こーなったら、「落下傘部隊」の気分で、向こうに行って、考えることにした。ただ、まだ、(仮)合格のままだというのが、心配のタネだった。

このNサンの留学で、現地では、日本人留学生の評価を上げたようで、「そろそろ、また、日本人を来年の留学生にします!」と決めたと、渡米してから聞いた。英語も相当出来たらしい。行ってみると、とにかく、「Nは元気か?」と誰もが聞いてきて、その愛され方は、普通じゃないな?と少し焦ったのを覚えている。

このNサンは、秀才肌で、とにかく、やることにソツがない。また、当時は格好良かった。20年ぶりに、この2月に彼と再会したんですが、まぁ~禿ちゃって・・・。当時の面影もなかった。内心、ショックだった。ある意味で、あこがれでしたから。ともかく、彼のお陰で、ボクが選ばれたわけで・・・感謝はしている。

updated : 2003/7/30


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