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チャーリーさんの@カロライナ観戦記 1

第4Q 残り2分30秒、自陣16ヤードからの1stダウン&10、アーロン・ロジャースの手から放たれた矢のようなボールは、30ヤード地点でスラント・インしてきたWRジョデイ・ネルソンの手にすっぽりおさまり、カバーしていたコーナーバックを振りきるや、いっきにエンドゾーンへ。これで29-16、パッカーズの勝利が決まった瞬間でした。

2011年9月18日、私は友人のkobaさんとふたりでノースカロライナ州シャーロットへパッカーズの試合を観戦しに行きました。その観戦記を書く前に、私がなぜパッカーズ・ファンになったか、そのいきさつから始めたいと思います。

■ NFLファンになったきっかけ

1986年、大学を卒業して3年目だった私は、四国のとある町で医師としての修練を積んでいました。とはいえその頃の研修医は自由な時間も多く、週末にはテニスに明け暮れ、時々ゴルフもしていました。その年の冬、たまたま見たNHKのスポーツ番組で、京都大学のアメリカン・フットボール部が関西リーグを制したことの特集を放送していました。

スポーツ選抜のない国立大学で、しかも高校時代にフットボール経験のない選手ばかり集まったチームなのになぜ優勝できるんだろう、アメリカン・フットボールとはいったいどんな競技なんだろう、と興味を持ったのがきっかけでした。その年京大ギャングスターズが甲子園ボウルで日大フェニックスを破り、年が明けてライスボウルでレナウン・ローバーズを退け日本一になるのを、ルールもよくわからないままに見続けていました。しかしそのころはNFLの存在すら知りませんでした。

それから2年後の1988年秋、大学病院にもどった私は診療と学位論文の研究に追い回され、フットボールのことなどきれいに忘れ去っていました。いつも12時を回って家に帰り、風呂から出てテレビをつけると、ある日突然NHK-BSが映るようになっていました。住んでいたマンションの理事会が、ソウル・オリンピックに合わせてBS共同アンテナを立てたようでした。そしてそこに映し出されていたのがNFLの世界でした。(当時は週2〜3回、午後7時からと再放送が夜中の1時からありました)

見ているうちに、日本の学生リーグとは比べ物にならない迫力と華麗さ、そして多彩な戦術に魅せられ、すっかりはまってしまいました。そのころは49ersの黄金時代で、スマートなQBジョー・モンタナは日本でも大人気でした。そのシーズンのスーパーボウルはモンタナ・マジックが冴えわたり、最後の2ミニッツで逆転のTDドライブを完結させ、49ersがベンガルズを破ったと記憶しています。

■ パッカーズとの出会い

スーパーボウルも終わり、この数カ月見続けたNFLを振り返ってふと思いました。「確かに見ててこんなに面白いスポーツは他にない。しかし日本のプロ野球を見てる時のように熱くなれないのはなぜだろう」そこでわかったことは、「応援するチームがないから熱くなれないんだ」という事実でした(ちなみに私は小さい時から大洋ホエールズ、今年から横浜DeNAベイスターズの熱いファンです)。 そこで来るべき1989年シーズンには心底応援できるチームを見つけることを誓いました。

心底応援できるチームの条件として考えていたことは、まず弱いことでした。弱いことが条件だなんてアホじゃないかと思われるかもしれませんが、最初から強いところを応援して何が面白い!と言いたい。そんなのは私の美学からして受け入れられない。今は弱いけれども何か光るものを感じられるチームを探してファンになり、強くなっていく過程を見守り続けたいと考えていました。

待ちに待った1989年9月、NHK-BSが放映したシーズン初戦はグリーンベイ・パッカーズvsニューオリンズ・セインツでした。NHKがその年の最初の放映になぜこのカードを選んだのか今もってわかりません。なぜならどちらも前年の成績は決して良くなく、有名なスーパースターもほとんどいませんでした。(唯一のスーパースターはWRのスターリング・シャープぐらいか)その試合は初めからセインツの一方的なペースで、前半終了時点で21-0でした。ところが後半パッカーズQBのドン・マコウスキーのパスが冴えわたり、連続パス成功のチーム記録を塗り替える(確か12か13だったと思います)パフォーマンスを見せ、あれよあれよという間に大逆転勝利を収めました。この時決めました、私の応援するチームはグリーンベイ・パッカーズだと。

その時点ではパッカーズに関する知識は何もなく、ファンになることを決めた後に第1回、第2回スーパーボウルチャンピオンだった名門チームであることを知りました。

さて、それからの数年間、ファンになったのはいいけれど、スカパーもネットもない時代で唯一の放送はNHK-BSのみ、パッカーズの試合はめったに見られませんでした。たまに放映があるのは49ersやカウボーイズといった当時強くて人気のあるチームの対戦相手としてでしたが、ことごとく惨敗でした。チームの成績も一向に上向かず、プレイオフはおろか勝ち越したシーズンもありませんでした。

そんな時、バッファローに留学していた先輩が大学へ戻ってきました。酒の席では当然フットボール、すなわちビルズの話をよく教えてくれました。そのうち私もビルズのことが気になり始め、その当時K-ガンと呼ばれたQBジム・ケリー率いるビルズのノーハドル・オフェンスに引き込まれていました。そのころのビルズはスーパーボウルに4年続けて出たことからもわかるように本当に強くて、パッカーズによって満たされない心の傷を、ビルズによって癒してもらっていたのでした。そうです、そのころの私はパッカーズファンというよりもビルズのファンだったことを白状いたします。

◆ ◆ ◆

そんな折、パッカーズにも変化がありました。いつのまにかプロゴルファーのクレイグ・スタドラーによく似たおっさん(マイク・ホルムグレンのことです)がヘッドコーチになり、いつのまにかQBがえらく元気のいい若造(ブレット・ファーブのことです)に変わり、いつのまにか神に仕えているとはとても思えない強面のおっさん(レジー・ホワイトのことです)が、丸太棒のような腕を振り回しながら相手QBに襲いかかるシーンをテレビで見るようになりました。そして我が家もスカパーを購入し、勝ちゲームをこの目で見られることも決して珍しくなくなってきました。しかし当時twin peaksと言われていた49ersとカウボーイズの牙城はどうしても崩せませんでした。

そして1996年シーズン、それまで常に前述の2チームによって争われてきたNFCの勢力図がついに崩れ、我がパッカーズがパンサーズを破ってスーパーボウルに進出し、ペイトリオッツを一蹴してビンス・ロンバルディ・トロフィーを勝ち取りました。その頃の選手は今でも目に焼き付いています。

シーズン中インターセプトを量産したハンサムな黒人セーフティのユージン・ロビンソン、シーズン中左腕を骨折し、曲げた状態のまま石膏で固めて試合に出てきて信じられないパスを受け続けたエースレシーバーのアントニオ・フリーマン、リターナーとしてスリリングなビッグリターンを連発し、スーパーボウルでもキックオフ・リターンタッチダウンを決めてMVPに輝いたデスモンド・ハワードなど、思い出すたびに今でも涙が出てきます。中でもDTのギルバート・ブラウン、圧倒的な存在感でラン・ディフェンスの核となり、ロスタックルを決めた時の、ユーモラスな「どっこいしょパフォーマンス」が忘れられません。

1989年にパッカーズ・ファンになろうと決め、(一時ビルズに浮気したのは大目に見ていただくとして)ずっとファンであり続けてほんとうによかったと思えた瞬間でした。

パッカーズ・ファンになったいきさつを書き始めたら、次から次へとシーンがよみがえってきて、前置きがとんでもなく長くなってしまいました。そろそろ本題であるパッカーズ観戦記を始めたいと思います。

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updated : 2012/01/06