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Notebook: リー・レメルが死去
グリーンベイ・パッカーズ ニュース
2015年4月25日
20日からオフシーズン・プログラムが始まった(シーズン終了からここまでは労使協定に定められた強制休養期間)。OTA前の「フェーズ1」の間はボールを使った練習はできず、体作りにかぎられる(写真集)。契約にワークアウト・ボーナスが含まれる選手は、オフシーズン・プログラムの80%とか90%に参加したら何十万ドル、という風になっている。今年のチーム総額は$4.92ミリオン、昨年も$4.3ミリオンでNFL最多だった。寒冷地で交通の便も悪いグリーンベイは選手たちの集まりが悪くなりがちのため、パッカーズは十数年前から積極的にワークアウト・ボーナス条項を盛り込むことにしている。
- QBマット・ブランチャードと契約した。ウィスコンシン大ホワイトウォーター校から2012年ドラフト外でベアーズに入団、ロースターには残れなかったもののプラクティス・スクワッド入り。2013年はパンサーズのプラクティス・スクワッド。昨年は脳震盪のためプレシーズン末にインジャリーリザーブに入り、回復した12月に解雇されていた。身長6-3(191cm)、体重223ポンド(101kg)。トルジーンに続いて州内の大学出身の控えQBとなった。
- ウィスコンシン大ホワイトウォーター校といえば、かつてパッカーズのOCを務めたジェフ・ジャゴジンスキーの母校。元パンターのマット・タークも。
- ドラフト下位またはドラフト外で新人QBを1人獲り、ブランチャードと新人のどちらかを解雇してトレーニングキャンプを迎えるのが順当では。
- 多くのドラフト指名候補をグリーンベイに呼んで面談しているが、例によって下位指名候補、ドラフト外候補ばかり。無名校の選手をよりくわしく知り、またチームをよく知ってもらうことで、ドラフト外入団のための勧誘ツールとして使うのがパッカーズのパターンだ。3巡か4巡あたりが予想されるQBブライス・ペティ(ベイラー大)を招いたことに地元記者たちが驚いたほど。
- QBアーロン・ロジャースが1巡指名されてからちょうど10年。
- 今年もドラフト会場での2巡指名アナウンスは各球団OBが行う。今年のパッカーズはドナルド・ドライバーが行うことになった。全球団リストはこちら。
- 契約最終年について聞かれたDEマイク・ダニエルズ。 「そうしたこと全ては、集中を乱すものでしかない。僕はフットボールをプレーするためにここにいる。向上するため、フィルムを見るため、ディフェンスを学ぶため、より大きく速く強くなるためにここにいる。契約関連のすべては、自分の足を引っ張るものでしかない。そうしたことに気をとられたとたん、プレーに悪影響が出始める。僕はそんなことをしてるヒマはないんだ」
- 第10回パッカーズ・テイルゲート・ツアーが今月14日から18日にわたって行われた。州内各地をバスでめぐるファン感謝イベントで、昼間はおもに学校や病院など施設の慰問。そして毎夕のパーティ(入場料わずか$5ドル)の収益は各地の慈善団体に寄付される。今年の参加選手は現役がTEクウォレス、CBヘイワード、CBハイド。OBがLBデイヴ・ロビンソン、OGジェリー・クレイマー、WRアントニオ・フリーマン、WRビル・シュレーダー、DTギルバート・ブラウンだった。
- 長年にわたってパッカーズの広報部長および”チーム・ヒストリアン”を務めたリー・レメルが死去。90歳だった。彼の功績と温かい人柄をしのび、球団の内外から数多くの追悼の言葉が寄せられている。
- 当サイトでも何度か彼のことを取り上げたのでそちらも参照を。2004年のヒストリアン就任の記事、2005年の記事、2007年の引退の記事。公式サイトの写真集。Press-Gazette紙の写真集。
- 1974年にパッカーズの広報部長に招かれ、2004年まで30年間にわたって同職を務めた。1996年にはパッカーズの殿堂入り。2003年にランボーフィールド改修が完成したとき、スタジアムのプレス席が "Lee Remmel Press Box" と命名されて今に至っている。(写真)
- 2004年の退任とともにパッカーズの"チーム・ヒストリアン"に就任。もちろん彼のために新設されたスポットだ。球団史に関するコラムやQ&Aを公式サイトで担当。体調不良のため、2007年いっぱいで引退となった。(6年の空白の後、昨年からクリフ・クリストルが新ヒストリアンに)
- 第1回から40回連続でスーパーボウルを現地で見守った。最初の8年は新聞記者として。次の22年間はNFLの臨時メディア・スタッフとして。96・97年は(出場したため)パッカーズのフロントの一員として。その後の8年はふたたびNFLの臨時スタッフとしてメディアをサポートした。スタッフに号令をかける彼の低く深いバリトンを懐かしむ記者は数多い。
- 1998年に設立された、ウィスコンシンの大学・高校の優秀アスリート表彰式は "Lee Remmel Sports Awards Banquet" と名付けられ、毎年の収益金が地元の学校へ寄付されている。
- 選手の中でもブレット・ファーヴとの仲の良さは有名で、2008年夏のファーヴ退団は大きな心の痛手だったという。