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Notebook: 名物実況アナが死去
グリーンベイ・パッカーズ ニュース
2012年1月24日
- かつて30年間にわたって「パッカーズの声」としてラジオ中継で親しまれた元アナウンサーのジム・アーウィンが、腎臓がんのため77歳で死去した。
- 1964年にスポーツ・ディレクターとしてグリーンベイのWLUK-TVに入社した彼は、ライオネル・オルドリッジ、マックス・マギー(20年間)といった元パッカーズ選手たちと組んだ実況コンビで活躍。NBAミルウォーキー・バックスを16年、ウィスコンシン大フットボールも22年間担当した。
- 90年代のパッカーズ再生を見届けたあと、解説マックス・マギーとともに1998年シーズンを最後に引退した(現在のラリヴィー&マッカレンのコンビはそれ以来13年)。2003年にはパッカーズ・ホール・オブ・フェイム入りも果たしている。
- 相棒の元WRマックス・マギーは2007年秋に屋根からの転落事故で死去している。(記事へ)
- 「父と(あるいは祖父と)一緒に応援した記憶はいつも彼の声とともにある」と懐かしい思い出を語るウィスコンシンのスポーツファンのいかに多いことか。
- ボブ・ハーラン名誉会長。 「彼とマックスは本当に温かい放送チームだった。マックスは庶民的な語り口で、ジムはパッカーズへの愛情にあふれていた。彼はつらい時代も放送を続けた。70年代と80年代の20年間で勝ち越し4回、プレーオフ進出2回。そんなチームをエキサイティングに聞かせるのは容易ではなかったが、彼はやってくれた」
- 化学療法が始まっていた昨年春のインタビュー映像はこちら。相変わらずシャープな口調で、「スーパーボウル・リングよりもパッカーズ・ホール・オブ・フェイムのリングの方を誇りに思っている」というコメントも印象深い。
- 46年間にわたってペン州立大ヘッドコーチを務めたジョー・パターノが先日死去した。彼は1971年にパッカーズのHC最終候補であったことが、関係者の証言で最近明らかになっている。当時のパッカーズはHCがGMを兼任していたため、HC選考を行うのは理事7人で構成される執行委員会。そのうち、殿堂入りRBトニー・カナデオを含めた2人がパターノを推したものの、他の5人がミズーリ大のダン・デヴァインHCを推したため、第7代HCの座はデヴァインに(歴史ページへ)。カナデオは怒りのあまり自宅ガレージのドアを車で突き破った、というエピソードも残っている。
- アシスタントコーチたちの去就がまだ固まらない。ただレイダーズもバッカニアーズも最終候補
- ウィンストン・モスILBコーチ(兼アシスタントHC)はすでにレイダーズとの面談を済ませていたことが判明。報道によるとパッカーズのディビジョナル・プレーオフ前日のことで、それが本当ならばNFLの反タンパリング規則に違反したことになる。(プレーオフに勝ち残っているチームのコーチとはバイウィークにしか面談できない)
- ドム・ケイパースDCもレイダーズとの面談を(おそらく先週)おこなった模様。
- レイダーズのレジー・マッケンジー新GMは数多くの新HC候補と面談しているが、パッカーズの上記2人は必ずしも有力ではないようだ。ブロンコスのデニス・アレンDCが2回目の面談を予定しており、イーグルスのマーティ・モーニンウェグOCも有力と報道されている。
- いっぽうバッカニアーズでは、オレゴン大(先日ローズボウルでウィスコンシン大を破った)のチップ・ケリーHCが契約直前で気持ちを変えたため、ヘッドコーチ選考を続行することに。マイク・シャーマンと2回目の面談を行うことになっている。トム・クレメンツQBコーチの目も消えたわけではないが、最終候補グループに入っているかどうかはわからない。
- クレメンツQBコーチのパッカーズ残留が決まれば、オフェンシブ・コーディネーター昇格はほぼ確実と見られている。厳しいQB指導の手腕こそがクレメンツの良さであり、コーチズ・ボックスに置いては価値が下がってしまう、と懸念する声もある。それはともかく、後任QBコーチは元QBリッチ・ギャノン(KC時代からマッカーシーと親しい)もあるのでは、という憶測も一部には出ている。