グリーンベイ・パッカーズ ニュース

2011年8月12日

RBアーマン・グリーンが引退会見

先日ネット上で引退表明をしたRBアーマン・グリーンが、ランボーフィールドで正式な引退会見を行った。チームと1日契約を結んでパッカーズ選手として引退し、会見の様子はパッカーズ公式サイトでライブストリーミング放送された。

テッド・トンプソンGMの紹介に続いてポディウムに立ったグリーン。「すべてのコーチ、チームメイト、ファンに感謝したい。僕の(本当の意味での)キャリアが始まったここグリーンベイで、フットボールからの引退を発表する。大した意味はないと思われるかもしれないが、僕にとっては大事なことだし、ふさわしい方法で行いたかった。自分の力を証明する機会を与えられたことに感謝している」

「2007年にここを去ったけれど、僕の心の大部分はここに残ったままだった。最大の後悔は、ここを去ってヒューストンに移籍したことだ。それを否定するつもりはない。(自分に対して)心底ムカついてしまった。今に至るまで、なぜそんな決断をしたのかわからない。しかし僕も男として、自分の失敗を受け入れるしかない」

しかし2009年10月にパッカーズと再契約し、ケガ人続出のRB陣を助けてプレーオフ進出にも貢献した。 「ここに戻ってこられる素晴らしいチャンスを与えられ、ジム・テイラーの持つ球団ラッシング記録を破ることもできた(ランキング)。おかげで、拙い決断による心の重荷を少し軽くすることができた」

◆ ◆ ◆

RBアーマン・グリーンは名門ネブラスカ大でさまざまな記録を打ち立て、1998年ドラフト3巡指名でシーホークスに入団。ファンブル癖をホルムグレンHCに嫌われ、2000年夏にグリーンベイにやってきた。CBフレッド・ヴィンソンとのトレードはパッカーズ史上最も成功したトレードの1つと言われている。ドーシー・レヴェンズの負傷でエースRBの座をつかみ、4年連続プロボウルの大活躍でマイク・シャーマンHC時代を支えた。DBをも振り切るスピードと、タックラーを吹っ飛ばすパワーを兼ね備え、カットバックをせず直線的にフィールドを切り裂く走りが印象的な選手だった。

最も彼が活躍したのは1883ydsを走った2003年シーズン。ジャマール・ルイス(BAL)が2000yds超を走ったのでリーディングラッシャーに届かなかった。 「普通の年ならばリーディングだったんだけどね。」

2007年テキサンズに高額FA移籍したものの、ヒザや足首などの度重なるケガで2年間わずか554yds(平均3.8)しか走れず、けっきょく解雇。前述のように2009年後半にパッカーズに戻って160yds走り、翌2010年は(故郷の)UFLオマハ・ナイトホークスでプレーしていた。

いまもグリーンベイ近郊に住む彼は、修士号取得に向けてウィスコンシン大グリーンベイ校で学んでいるという。また、カレッジのビッグ10ネットワークでサイドライン解説に加わることも最近発表されている。

カテゴリ : Contract/Personnel, Player