グリーンベイ・パッカーズ ニュース

2008年5月17日

女性スタッフとパッカーズの36年

キャロル・エドウィンは36シーズンにわたってパッカーズで働き、このたび引退することになった。年齢不詳だが、もうじき結婚46周年で19歳の孫がいるというから、おそらく60代の後半というところだろう。1967年にいったん辞職したが、育児が一段落した1975年にパッカーズに復帰し、1980年代後半にチケット・オフィスに移ると、1995年からチケット・オフィスのスーパーバイザーという要職にあった。

彼女がヴィンス・ロンバルディHC(兼GM)の受付係に採用されたのは1965年のこと。家がランボーフィールドのすぐ近くのため、夫のフレッドに説得されて新聞広告の募集に申し込んだのだが、すでに二度のNFL制覇を成し遂げていたロンバルディとの面接は胃の痛くなるような経験だった。

「ヴィンスが私を気に入っているのか嫌っているのか、私にはわからなかった。とにかく彼は人の名前が覚えられず、全くひどいものでした。でも私の名前はすぐに覚えて、間違うことはなかったですね。それがいいことなのか、悪い理由によるものか、わからなかったけれど」

「なにしろ家が近いものだから早く出勤できるのが私の取り柄で、たいていヴィンスより前に着くことができました。彼のそばにいるとどうしても失敗が怖いけれど、隠し立てをせず失敗を認めることが大事でした。たとえ自分のせいではないと内心思ったときでも」

「彼は本当に優しい人でした」というエドウィンだが、やはり独裁者の機嫌を見極めることは重要な仕事だったようだ。「当時のチーム・オフィスは旧ビルディングの2階にあったのですが、彼が階段を上がる足音で機嫌の良し悪しはわかりました。彼にはリアル・スマイルとフェイク・スマイルの2種類があって、もし出勤時に彼がフェイク・スマイルを浮かべていたら、その日は大変な1日になると覚悟しました。あちこちにカミナリが落ちたものです」

彼女が出産・育児のために最初の「引退」を決意したのは1967年シーズン終了後のことだった。まだ誰も自分の妊娠に気づいていないだろうと思っていたが、ロンバルディに辞職を申し出ると、「彼はすぐに私を祝福してくれたんです。やはり妊娠だと思っていた、とリアル・スマイルでね。最後の日には、私の幸運を祈ってハグまでしてくれた。だから、ひょっとしたら私を気に入ってくれていたのかも」

1967年1月の第1回スーパーボウル(当時はその名前さえなかった)は、30年後の第31回スーパーボウルと比べて、はるかに地味なイベントだったと彼女は振り返る。「第1回のときは、8人の職員と一緒にミルウォーキーまで列車で行き、そこからロサンゼルスに飛んだのです。当時は今のような大騒ぎではなかった。30年後のスーパーボウルでは、仕事もたいへんな長時間だったし、ろくに観光もできなかった。とても比較にはなりません。でもニューオーリンズではたくさんの経験をした上にゲームに勝つことができて、ほんとうに素晴らしかった」

「引退が楽しみなのは、一介のファンに戻れること。これまでゲームデイはいつも仕事をしていたけれど、これからはスタンドに座って1人のファンとして応援することができる。(部下だった)障害者支援のスタッフにスタンドの席から挨拶できるなんて、とても嬉しい」

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