グリーンベイ・パッカーズ ニュース

2006年5月18日

ジェリー・クレイマー: 指輪物語

黄金の60年代に活躍した名ガード、ジェリー・クレイマーの失われた第1回スーパーボウル・リングが四半世紀ぶりに彼の元に戻ってきた。25年前に飛行機の中で盗まれたリングが、シカゴのオークションハウスの厚意により、本来の持ち主に返還されたのだ。火曜日の朝、ランボーフィールドのヴィンス・ロンバルディ像の前で返還のセレモニーが行われ、70歳のジェリー・クレイマーは満面の笑みで本物のリングを迎えた。

「これは私にとって第1回スーパーボウルを記念する家宝とも言うべきもので、子供たちにも受け継がれるであろう重要な遺産のひとつだ。私のたくさんの経験やあのころ味わった喜怒哀楽の全てを象徴する品でもある」とクレーマーは語っている。

1958年のドラフト4巡指名(FBジム・テイラーやLBレイ・ニチキと同期)でパッカーズに入団したジェリー・クレイマーは、右ガードとして11年にわたって大活躍し5回のNFL制覇に貢献。強力オフェンシブラインの柱石として、有名なパッカー・スウィープの中心となってプルアウトする姿は、ロンバルディHCのオフェンスを象徴するシーンだった(写真の#64)。また彼は、あのアイスボウルの決勝TDの際に、スニークするQBバート・スターの道を切り開いた選手でもある。NFL史上最高のガードの1人と言われながら、惜しくも殿堂入りを逃し続けていることは、パッカーズファンにとって大きな不満の種だ。引退後も彼はさまざまな活動に熱心で、OBの集まりやチャリティイベントではおなじみの顔となっている。

その彼が大事なスーパーボウルリングをなくしたのは1981年、シカゴからニューヨークへの飛行機でのこと。トイレで外した指輪を忘れてきたことに気付いた彼はすぐに戻って探したが見つからなかった。わずか数分間のことだ。客室乗務員に頼んでアナウンスもしてもらったが誰も名乗り出ず、同乗の女性が「自分は霊能者だから」と名乗り出たが、その「力」を借りても結局見つからなかった。「着いた空港で、降りてくる人の顔をいちいち見ていたが、誰も何も言ってくれなかった。もうどこかにしまいこまれてしまったのだろうと、ついこの間まで思っていた」

ほとんど諦めていたリングの行方に急展開が起きたのは4月21日のこと。故レイ・ニチキの息子ジョンから電話がかかってきたのだ。「 『あなたのスーパーボウルI のリングがオークションに出されています。私の父なら決してリングを売るようなことはなかったと思うし、貴方もきっとそうでしょう』とジョンが教えてくれた。大好きだったレイの息子が言ってくれただけによけい嬉しかったね。こうしてようやくリングの手がかりをつかめた。私がどれほど喜んだことか」

シカゴ地区にある"Mastro Auctions"は世界最大級のスポーツ・オークション・ハウス。クレーマー本人が大慌てで連絡を取ると、同社はオークションからこの品を取り下げる措置を取った。$5,000ドルから始まったオークションはすでに$21,000ドルの値を付け、さらに高騰する勢いを見せていた。「文句なく最高の品だっただけにぜひ私どもで扱いたかったところですが、ご本人が売却したという事実がなく、盗まれたものであると判明した以上、我々としてはこうするのが正しい道だと思ったのです」とダグ・アレン社長は言う。

出品者(サンフランシスコの質屋で手に入れたらしい)はあまり協力的でなかったため、同社がこの人物から買い取ることにし、そのおかげでクレーマー本人は無償でリングを取り戻すことができた。「これはただのゴールドとダイヤモンドじゃない。たくさんの思い出が詰まっている」と本人は喜びを語る。

クレーマーはこれまで25年間使用してきたレプリカのリングを同社のオークションに出し、その売り上げは生活に苦しむ元NFL選手たちの年金基金に寄付することにしている。また、いずれは元NFLスターたちに呼びかけてメモラビリアを集めてオークションで売り、年金基金にしたいとのこと。現代のNFLとは違い、制度が整備される以前に引退した選手たちは、十分な年金の恩恵が受けられないでいる、というのが彼の年来の主張なのだ。「私の時代の者は、経済的に苦労している者が多いのでね」

カテゴリ : History