グリーンベイ・パッカーズ ニュース

2002年8月20日

ドラフト外ルーキー OTケヴィン・バリー

層の薄くなったオフェンシブラインの中で、ドラフト外ルーキーのOTケヴィン・バリーの評価が高く、開幕ロースター入りまであと一歩のところまで来ている。彼は地元ウィスコンシンのラシーン市出身。"gentle giant"と呼ばれた心優しい少年が、パッカーズの開幕ロースター入りできるかどうか、という話題で、ミルウォーキーの南にあるこの小さな街はもちきりなのだ。

彼は子供の頃から体が大きすぎて、"Pop Warner"リーグに参加することを許されなかった。だからフットボールを始めたのは高校に進んでからだ。ラシーン・パーク高校での彼のコーチ、チャック・エリスは「あいつが入ってきた時、すでに275ポンド(124kg)あったはずだ。まるで子供に歩き方を教えるようなものだったよ」と語る。バリーがオフェンシブラインを理解するまで、2年かかったと言う。「しかし一度覚えたことは、決して忘れなかった。彼は勉強熱心で、出来る限りのことを身に付けようとしていた。自分が他の子よりも遅れていることをわかっていたからね」

その苦労が実って、高校3年の時には彼の実力は知れ渡り、ウィスコンシン州の"Player of the Year"にも選出された。エリスコーチの息子で、バリーのOL仲間でもあったコーリー・エリスは、「彼は本当にいい奴で、トラブルなんか起こしたこと一度もない。でもフィールドに立つと全くの別人で、対戦相手のディフェンスラインマンが気の毒になるほどだったよ」回想する。ただ残念ながら4年制大学に進むには学業が芳しくなく、エリスコーチの尽力によって、カンザス州のジュニア・カレッジに進むことになった。

進学したHutchinson Community Collegeでの2年間、バリーはその素晴らしいパワーを活かして、フットボールだけでなく砲丸投げでも大活躍する。多くの大学から編入の誘いがあったが、コーチの勧めもあってアリゾナ大へ。アリゾナ大でも、勉強熱心さによってOLコーチに愛されたようだ。 しかし4年時にジョン・マコヴィックが新ヘッドコーチに就任すると、バリーの苦戦が始まる。物覚えが早いとは言えないバリーは、新コーチが導入したプロ・スタイルのスキームを把握するのに手間取り、シーズン途中で先発を降ろされてしまう(おそらくそのためにドラフトされなかったのだろう)。しかしその後、スターターの座を取り戻したバリーは、二度とそれを手放すことはなかった。

今年4月のドラフトの最中、結局バリーの電話が鳴ることはなかった。しかしドラフトが終わった瞬間、およそ20チームから電話が殺到した。「僕の携帯も家の電話も鳴りっぱなしで、3時間ぐらいそれにかかりっきりだったよ」とバリー。ロースター入りできる可能性などを考慮し、結局パッカーズを選んだ。もちろん故郷に帰りたい、という希望があったのは言うまでもない。そうすれば、病気をしている父親のロジャーを頻繁に見舞うこともできる。

バリーの高校・ジュニアカレッジ・カレッジでの友人みんながバリーを応援している。上記の旧友、コーリー・エリスは「みんな喜んでるんだ。あいつは本当にすごい奴だ。彼がここまで来ただけでも、僕は誇りに思ってるよ。彼が最初どんなだったか、僕は良く知ってるからね。どれだけ勝ち目の薄い戦いを彼が戦ってきたか」と胸を張る。

夢がかなってパッカーズのキャンプに参加しているケヴィン・バリー。ベクトルOLコーチががなりたてた言葉を、彼はあわててノートを取り出して必死にメモを取る。キャンプ中の合宿所となっている St. Norbert's College の部屋で、仲間がテレビを見たりゲームで遊んだりしているとき、彼はひとりノートを取り出して、走り書きをキレイに清書していくのだ。不器用な彼は、コーチの教えをそうやって何度も何度も繰り返して覚えるのだ。

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