90年代パッカーズ再生の原動力となったロン・ウルフ元GMがついに殿堂入りを果たした(全リスト)。1991年末から2001年までパッカーズのGMとして、マイク・ホルムグレンHC、QBブレット・ファーヴ、DEレジー・ホワイトを獲得するなど、こんにちまでつながる黄金期の礎を築いた人物だ。システマティックなスカウティング手法をチームに根付かせただけなく、スタッフの育成でも並外れた功績を残した。彼の下から数多くのGMが育ったことも選出を後押ししたことだろう。殿堂入りセレモニーは8月8日。彼がプレゼンター役に誰を選ぶのかも興味深いところだ。
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ロン・ウルフ Ron Wolf はペンシルヴェニア州ニューフリーダム出身の76歳。高校を出ると3年間陸軍情報部で働いたあとメリーヴィル・カレッジ(テネシー州)で野球をプレー。アル・デイヴィスの誘いで1963年からレイダーズに入り、人事部長を務めた。彼の獲得した名選手たちが後に3回のスーパーボウル制覇を成し遂げている。そうした手腕が認められ、1975年には37歳の若さで新設バッカニアーズの初代GMに就任。在任3年間でわずか7勝しかできなかったものの、退任翌年にチームはカンファレンス決勝まで進んだ。その後ふたたびレイダーズ、そしてジェッツで人事部長の要職を務めた。
1991年12月、ボブ・ハーラン社長の招きでパッカーズのGMに就任。シーズン終了とともにリンディ・インファンテHCを解任すると、49ersのOCだったマイク・ホルムグレンをHCとして招へいし、さらに1巡指名権とのトレードでQBブレット・ファーヴを獲得した。彼がジェッツいた頃からファーヴに執着していたことはよく知られている。(ホルムグレンは必ずしも熱心でなかった)
長年の負け犬チームに勝者のメンタリティを植え付け、就任1年目で勝ち越しを果たすと、翌1993年には超大物FAのDEレジー・ホワイトを口説き落とすことに成功。「NFLのシベリア」としてFA選手に嫌われていた球団が、このときからポピュラーな移籍先へと変化していった。そして11年ぶりのプレーオフ進出。矢継ぎ早の積極補強とともにチームは階段を上り、1996年には29年ぶりのスーパーボウル制覇を成し遂げた。彼もやがてNFL最高給GMとなり、2001年春に引退。在任10年間に負け越しシーズンは一度もなかった。
2005年にはボブ・ハーラン社長の相談役としてテッド・トンプソンをパッカーズの新GMに推薦。最近はレイダーズ、チャージャーズ、そして先日はジェッツでオーナーの臨時コンサルタントとなり、新GM選考に協力している。彼の部下からGMになったのは、テッド・トンプソン、マイク・ラインフェルト(元TEN)、ジョン・シュナイダー(SEA)、ジョン・ドーシー(KC)、レジー・マッケンジー(OAK)、そして先日就任したスコット・マクルーイン(WAS)のなんと6人。 「ゼネラルマネージャー界のビル・ウォルシュ」という声も聞かれるまでになっている。
1992年1月11日 マイク・ホルムグレンHCの就任会見
ブレット・ファーヴのロッカールーム前にて
1997年1月26日 スーパーボウル表彰式での3首脳
引退後も毎年キャンプを訪れる 左は息子のエリオット・ウルフ人事部長
2011年2月6日 スーパーボウル勝利後のロッカールームにて ボブ・ハーラン名誉会長と
NFL Honors の中で紹介された2015年殿堂入りメンバー(ウルフは左から5番目)
殿堂入り発表後の会見にて