グリーンベイ・パッカーズ ニュース

2011年4月21日

ドラフト下位指名の成功例トップ10

Press-Gazette紙がパッカーズのドラフト下位指名での成功例トップ10を選んでいるので紹介してみる。基準はドラフト全体150位以下、プロボウル出場経験があること。ドラフト外入団の選手は含まない。(なお過去のドラフト指名リストはDraftHistory.comが便利。パッカーズの年度順大学別のリストもここにある)

1位 QBバート・スター 1956年17巡7位(全体200位) アラバマ大

いわずと知れた'60年代を代表する名QBであり、ヴィンス・ロンバルディHCの愛弟子として5回のNFL制覇の立役者となった。当時アラバマ大は名将ベア・ブライアントが登場する直前の低迷時代。肩が弱いなど身体能力に劣るうえ、4年時は先発の座を後輩に奪われたりしたためNFLからの評価は低かった。パッカーズの名人事部長ジャック・ヴァイニシはこの時期にドラフト指名を次々と成功させ、そのタレントが後のロンバルディ時代(1959-1967)に花開くことになった。 

全体200位は現在の6巡にあたる。これまでにドラフト指名された殿堂入りQB22人のうち1巡指名が12人を占め、82位より後ろで指名された殿堂入りQBはジョニー・ユナイタス(102位)、ジョージ・ブランダ(119位)、ロジャー・ストーバック(129位)、そしてこのQBスターだけだ。

2位 WRドナルド・ドライバー 1999年7巡7位(全体213位) アルコーン州立大

ハードヒットを恐れぬタフなプレーと魅力的な人柄でファン・フェイヴァリットに。生い立ちについては2002年の「ドナルド・ドライバー物語」も参照のこと。通算パスキャッチ698回はすでに球団記録となり、レシービングydsもジェームズ・ロフトンの持つ9656ydsまであと41ydsに迫っている。1999年といえばWRランディ・モス対策もあって1巡から3巡までDBを連続指名した年で、4巡にはQBアーロン・ブルックス(セインツで活躍)とPジョシュ・ビドウェル(GB→TB→WAS)もいる。

3位 Cラリー・マッカレン 1973年12巡22位(全体308位) イリノイ大

下位指名入団から11年間スターターを務めた鉄人センター。1982年・83年と連続プロボウルに選ばれ、パッカーズの殿堂入りも果たしている。1988年から地元TV局WFRVのスポーツ・キャスターを務め、"Larry McCarren's Locker Room"というパッカーズ番組も持っている。1995年からはパッカーズ戦のラジオ解説を担当し、各種の球団公式イベントでも司会を務めることが多い。 

4位 OGマルコ・リヴェラ 1996年6巡41位(全体208位) ペン州立大

典型的な叩き上げの遅咲き型ガード。NFLヨーロッパ(当時はワールド・リーグ)派遣も経験し、プロ3年目でスターターに。2004年まで6年連続で全試合先発、3年連続プロボウルにも選ばれている。なんと両ヒザの内側側副靭帯(MCL)を断裂(片方は完全断裂、片方は部分断裂)しながら休まず全試合出場したシーズンもある。残念ながらカウボーイズ移籍後は首と腰のケガに苦しんで2年で引退。今年はパッカーズの殿堂入りに選ばれている。 

5位 QBマット・ハッセルベック 1998年6巡34位(全体184位) ボストン・カレッジ

ファーヴの陰で出番がなかったが、プレシーズンでの活躍が注目され2001年ドラフト前のトレードでシーホークスへ。シアトルには彼をよく知るマイク・ホルムグレンHCとテッド・トンプソン人事部長がいた。2年間は苦しんだもののホルムグレンHCの指導で移籍3年目に大きく花開き、プロボウル選出3回、2005年シーズンにはチームをスーパーボウル初出場に導いている。

QBハッセルベックのトレードでパッカーズは1巡17位から10位へとトレードアップし、3巡9位指名権も受け取った。しかし1巡10位で指名したDEジャマール・レイノルズは球団史上に残る大バストとなり、3巡9位指名のCBバウ・ジューも期待外れに終わっている。

6位 OGアダム・ティンマーマン 1995年7巡22位(全体230位) サウスダコタ州立大

OGリヴェラとよく似たタフガイ。先発昇格したプロ2年目にスーパーボウル制覇を経験、ラムズにFA移籍した1999年にもスーパーボウル制覇と、運にも恵まれている。むしろ実力的に花開いたのはラムズ移籍後で、1999年と2001年にはプロボウルにも選出。プロ12年間で172試合に先発し、欠場がわずか2試合しかない。

7位 OLB/DEブライス・ポウプ 1990年6巡22位(全体159位) ノーザン・アイオワ大

ロン・ウルフの前任者トム・ブラーツGMの最高の指名かもしれない。プロ3年目からスターターとなり、1994年には初プロボウルに。1995年にビルズにFA移籍すると、17.5サックを挙げてNFL最優秀ディフェンス選手に輝いた。4年連続プロボウルのあとジャガーズに移り、最後はヴァイキングスでキャリアを終えている。引退後はグリーンベイ地区に住んで高校フットボールのヘッドコーチをするかたわら、2006年からはパッカーズの理事も務めている。

8位 DEアーロン・キャンプマン 2002年5巡21位(全体156位) アイオワ大

こちらはマイク・シャーマンHC/GMの最高の指名といえる。最初の2年間はケガ人の代役スターター、3年目からフルタイムの先発左DEに。2006年には15.5サック、2007年には12サックで連続プロボウルに選ばれた。きわめて研究熱心な頭脳派かつハードワーカーで、ラン守備にも優れる。3-4ディフェンスに不向きのため昨年ジャガーズにFA移籍したが、去り際が見事でパッカーズファンから愛され続けている。2年連続でヒザの前十字靭帯を断裂してしまったのは気の毒。復活に期待したい。

9位 TEマーク・チュムラ 1992年6巡17位(全体157位)ボストン・カレッジ

プロ4年目にスターターとなり、QBファーヴのフェイバリット・ターゲットとして一気に飛躍。1995、1997、1998年とプロボウルに3回選ばれている。ところが1999年に首のケガで長期欠場すると、翌2000年春には子供のベビーシッターをしていた高校生相手の暴行疑惑で逮捕され、大スキャンダルとなった。裁判では証拠不十分のためかろうじて無罪になったものの、首のケガもあってけっきょくNFL復帰を断念している。

いまでもウィスコンシンに住んでラジオでパッカーズ戦のプリゲーム・ショーのホストを務めているが、不祥事のせいでファンからはやや冷ややかな目で見られている印象がある。 

10位 QBドン・マコウスキー 1987年10巡4位(全体255位) ヴァージニア大

プロ3年目の1989年にブレークして4318ydsを投げまくり、チームも10勝6敗と17年ぶりの二けた勝利(惜しくもプレーオフには進めず)。プロボウルにも選ばれたが、けっきょく彼が輝いたのはこの年だけだった。その後はケガばかりでシーズンの半分も出場できず、そして運命の1992年9月20日ベンガルズ戦、足首の大ケガで退場すると代役のブレット・ファーヴが活躍し、二度と先発の座は取り戻せなかった。その後はコルツで2年、ライオンズで2年控えQBを務めてキャリアを終えている。

カテゴリ : Draft