グリーンベイ・パッカーズ ニュース
2008年4月15日
NFLの審判団は主審(Referee)はじめ7人で構成されるチームで、計17チームがそれぞれ平均15試合を担当する。彼らNFL審判はフルタイムではなく、普段は別の職業を持っていて、中には興味深い職業も少なくない。2007年の主審17人について、ウィキペディア等で判明していることを以下に紹介する。
試合数が少ないため、四大プロスポーツの中ではサラリーが格段に安い。昨年10月のUSA Todayの記事によると、NFL審判(主審に限らない)のサラリーは年$44,000ドルから130,000ドル。彼らはこの副業のために、移動時間など全て含めて週に25時間から35時間を費やしているとのこと。
なお、NFL審判団はイースト10チームとウェスト7チームで構成され(2006年の編成)、審判の居住地によって東西どちらかに所属が分かれるようだ。下のリストのうち、ロン・ウィンターまでがイースト、マイク・ケアリーから下がウェスト。
- ウォルト・アンダーソン Walt Anderson 1952年生まれ。スーパーボウルの主審1回。長く歯科医をしていたが、2003年に主審に昇格する際に引退した。2006年からは大学のビッグ12カンファレンスの審判コーディネーターも務めている。
- ジェラルド・オースティン Gerald Austin 1941年生まれの最年長で、名審判の1人として尊敬を集めている。このほどNFL審判から引退することが発表されたばかり。スーパーボウルの主審を2回務め、パッカーズの勝った第31回スーパーボウルも彼だった。ノースカロライナ大の博士号を持ち、公立学校の運営に30年間たずさわっていた(今は引退)。アンダーソンと同じく、大学界ではカンファレンスUSAの審判コーディネーターを務めている。
- ジェローム・ボーガー Jerome Boger 1955年生まれ。2006年にNFL史上3人目の黒人の主審に昇格したばかり。ディビジョンIIのモアハウス大で4年間先発QBを務め、現在は大手保険会社に勤めている。息子のSトレイ・ボーガーはテュレーン大から2006年ドラフト外でパッカーズに入団したが開幕ロースターに残れず、その後はどことも契約していないようだ。なおNFLの規定により、審判は家族がプレーしている球団の試合を担当できない。
- ビル・キャローロ Bill Carollo 1951年生まれ。スーパーボウルの主審1回。2001年の労使紛争の際には、審判組合の役員として交渉の中心の1人となった。ウィスコンシン州ショアウッド在住で、IBMで30年働いたあと、現在はミルウォーキーにある大手人材派遣会社の重役をしている。ウィスコンシン大ミルウォーキー校で先発QBとして活躍。
- ウォルト・コールマン Walt Coleman 2002年1月19日、OAK@NEのAFCディビジョナル・プレーオフで、QBブレイディのファンブルに見えたプレーにタック・ルールを適用したことでも有名。アーカンソー州リトルロックで5世代も続く大きな酪農の同族会社Coleman Dairy社を経営し、アーカンソー州酪農協会の会長を務めたこともある。現在も地元のさまざまな団体で役員を務める。
- スコット・グリーン Scott Green 2004年に主審昇格。首都ワシントンで対政府関係の法律事務所のパートナー(共同経営者)。
- テリー・マコーレー Terry McAulay 2001年に主審昇格し、スーパーボウルの主審1回。国防総省でグローバル・ネットワーク・アナリストとして働いている。
- ジーン・ステラトーレ Gene Steratore NFL歴わずか3年で2006年に主審昇格。大学バスケットボールの審判を兼ね、NCAAトーナメントでも笛を吹いている。弟のトニーは同じNFL審判チームでバック・ジャッジ。父のジーンSr.は大学でフットボールやバスケットボールの審判をしていた審判一家。
- ジェフ・トリプレット Jeff Triplette 主審昇格1年目の1999年に、ブラウンズのOTオーランド・ブラウンの目にフラッグを投げ込んでしまう事件を起こした。2007年1月から住宅ローン関連会社の社長兼COOに就任し、その前はエネルギー関連大手のデューク・エナジー社の重役だった。ファニーな顔立ちに似合わず元陸軍予備役大佐であり、1991年の湾岸戦争ではノースカロライナ州軍として出征し、青銅星章を受勲している。
- ロン・ウィンター Ron Winter 1998年に主審昇格。WRグレッグ・ジェニングスの母校ウェスタン・ミシガン大の教授。
- マイク・ケアリー Mike Carey 1995年に主審昇格。今年のスーパーボウルで黒人として初めて主審を務めた。サンタクララ大でRBとして4年間プレーしたが、キャリア終了の原因となった足首のケガの後遺症が今も残り、走るのは審判を務める日だけとのこと。ウィンタースポーツ関連製品製造の Serius Innovation社を夫婦で経営し、さまざまな製品を考案・発明している。2007年9月には SnowSports Industries America の会長に就任している。
- トニー・コレント Tony Corrente 1952年生まれ。1998年に主審昇格し、昨年スーパーボウル主審を初めて務めた。カリフォルニア州ラミラダ市の公立高校で社会科を教えている。
- エド・ホーキュリ Ed Hochuli 1950年生まれ。1992年に主審昇格し、スーパーボウル主審も2回。テキサス大エルパソ校ではLBをプレーした。2001年の労使紛争の際には審判組合の会長として交渉の先頭に立った。法律事務所を共同経営する優秀な法廷弁護士で、製造物責任をはじめとするさまざまな民事訴訟が専門。かつてはマラソン(13回)が趣味だったが、NFL審判となってからは時間がかかりすぎるため長距離走は断念し、ウェイトトレーニングの方にシフトしたとのこと。今ではマッスル自慢の名物審判となり、フィールドで選手たちと筋肉を競うジョークを飛ばすことも。二度の結婚で6人の子供をもうけたが、現在は独身。
- ビル・リーヴィー Bill Leavy 2001年に主審昇格し、スーパーボウル主審1回。PIT対SEAの第40回スーパーボウルでは、スティーラーズ有利の判定が続いて大きな批判を浴びた。大学のマウンテン・ウェスト・カンファレンスの審判コーディネーターも務めている。かつてサンノゼ市で27年にわたって警察官と消防士として働いていた。
- ピート・モレリ Pete Morelli 1952年生まれ。2003年に主審昇格。父や叔父たちの影響で、19歳のころから審判をするようになった。カリフォルニア州ストックトン市でカトリック系私立高校の校長を務めている。
- ラリー・ネマーズ Larry Nemmers 1991年から主審を務めてきたベテランで、このほど審判を引退してリプレー・ディレクターに就任することが発表されたばかり。かつてはイリノイ州エルジン市で公立高校の校長を12年務めた。教職を引退してからは全米各地で講演活動も行っている。
- ジョン・パリー John Parry 健康問題で主審を続けられなくなったビル・ヴィノヴィッチに代わって2007年に主審昇格。オハイオ州アクロン市でフィナンシャル・プランナーをしている。父デイヴもまた元NFL審判で、現在NCAAフットボール審判の全国コーディネーターという重職にあり、ビッグテン・カンファレンスの審判コーディネーターでもある。
- 主審を退くジェラルド・オースティンとラリー・ネマーズに代わって、カール・シェファーズとアル・リヴェロンの主審昇格が発表されている。リヴェロンはNFL初のヒスパニック系の主審とのこと。
- フットボールの審判構成の解説はこちら。
- 過去のスーパーボウル審判リストはこちら。
カテゴリ : NFL