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Packers & Giants Notebook
グリーンベイ・パッカーズ ニュース
2008年1月16日
- パッカーズとジャイアンツの対戦は1928年に始まり、レギュラーシーズンが25勝21敗2分け。プレーオフもパッカーズの4勝1敗で、初対戦の1938年に敗れたあとは4連勝している。
- ヴィンス・ロンバルディHCにとってのNFL初制覇(1961年)と翌年の連覇はどちらもジャイアンツがNFL決勝の相手で、今回はそれ以来45年ぶりのプレーオフ対戦となる。
- そのロンバルディHCはニューヨークのブルックリンに生まれ育ち、大学もブロンクスにあるフォーダム大だった。その後ハドソン川を西に渡ったニュージャージー州イングルウッドの高校で教鞭を執りながらコーチのキャリアをスタートさせ、母校フォーダム大を経て、ハドソン川を北にさかのぼったウェストポイント(陸軍士官学校)のアシスタントコーチに。41歳で初めてNFL入りしてニューヨーク・ジャイアンツのオフェンシブコーディネーターとなり、ディフェンスのトム・ランドリー(のちダラスHC)とともにNFL制覇も経験した。1959年にパッカーズのヘッドコーチに就任してからも、1960年のNFL決勝でイーグルスに敗れた(彼のプレーオフ唯一の敗戦)直後、ジャイアンツからヘッドコーチのオファーがあったらしい。彼にとってのドリーム・ジョブだっただけに大いに迷ったがけっきょく断り、その後の7年間で5回のNFL制覇を果たすことになる。
- 2005年に死去したジャイアンツのオーナー、ウェリントン・マラはロンバルディとはフォーダム大で一緒で、2人は親しい友人だった。1970年のロンバルディの葬儀では、QBバート・スターらとともに名誉pallbearer(棺を担ぐ人)となっている。
- 今季シンデレラボーイとなったRBライアン・グラントはニューヨーク州ロックランド郡サファーン生まれで、彼の通ったニュージャージー州ノースアーリントンの高校はジャイアンツ・スタジアムのすぐ近くにある。ノートルダム大ではRBジュリアス・ジョーンズ(現DAL)の影に隠れ、2005年のドラフト外でジャイアンツ入り。1年目はプラクティス・スクワッド、2年目は手の大ケガでインジャリーリザーブ。プロ3年目の昨夏は、新先発RBブランドン・ジェイコブス、デリック・ウォード、トレード加入のルーベン・ドロウンズ、7巡ルーキーのアマド・ブラッドショウ(現在2番手)といった層の厚いRB陣から押し出され、開幕直前にトレードでパッカーズにやってきた。
- そのRBグラントのトレード交渉の際、パッカーズは交換要員としてKデイヴ・レイナーをオファーしたが、ジャイアンツは受け入れず、けっきょく6巡指名権で手を打つことになった。そのKレイナーはパッカーズ解雇のあとチーフスと契約したが、成績不振(成功率68.2%)のため11月末に解雇され、12月末にチャージャーズと契約。正キッカーのネイト・ケーディングがすねのケガで万全でないため、キックオフだけKレイナーが担当している。次はAFC決勝のペイトリオッツ戦。
- CBフランク・ウォーカーは2003年ジャイアンツの6巡指名選手で、昨年春パッカーズにFA移籍。Sチャーリー・ペプラーは2005年のドラフト5巡指名でジャイアンツに入団したが、一昨年の開幕前に解雇され、パッカーズがウェイバーで獲得した。2人とも、移籍して成功したとも言えないが。
- ジャイアンツの控え選手には、元パッカーズ(2003-2005)のOGグレイ・ルーガマーとDEデイヴ・トルフソンがいる。トルフソンは昨年パッカーズの7巡指名ながら、ドラフト外のDEジェイソン・ハンターに敗れて開幕ロースターに残れずプラクティス・スクワッド。昨季終了後にレイダーズと契約してNFLヨーロッパにも派遣されたがやはり開幕ロースターに残れずプラクティス・スクワッドにいたところ、10月の初めにジャイアンツに拾われている。
- WRグレッグ・ジェニングスは2006年ドラフト2巡20位だが、その前に指名されたWRは、ジャイアンツが2巡12位で指名したWRシノリス・モス。しかしケガにも苦しんで活躍できず、2年目の今季もパスキャッチ21回225yds、TDなし。背中のケガのため、ここまでプレーオフ2試合を欠場している。いっぽう1996年ドラフト2巡4位でジャイアンツに入団したWRアマニ・トゥーマーがいまだにスターターで活躍しているのに対し、同年2巡26位でパッカーズに入団したWRデリック・メイズは大失敗に終わっている。
- 火曜朝にはなんと今季5回目の公募雪かきが行われた。今回は朝10時集合、定員300人の早い者勝ち。15歳以上で時給$8ドル。