乳がん闘病を終えたディアナ・ファーヴが「乳がん認知月間」に合わせて本を出版し、1999年ごろ夫ブレットが深刻なアルコール問題を抱え、離婚寸前まで行ったことを明らかにした。これまでファーヴといえば1996年夏の鎮痛剤(Vicodin)依存克服が有名だったが、アルコール依存がそこまで深刻だったとは、と話題になっている。
1999年、兄弟の結婚式で痛飲したブレットが帰宅したとき、私は夫の所持品をバッグに詰め込んで、このハティスバーグの家から出て行ってほしいと頼んだ。「もし飲酒をやめないなら、出てってくれていい。もう同じ道のり(3年前の鎮痛剤依存)をたどるのはまっぴら。私はもう終わり。弁護士にも連絡したし」
「すまない。もう二度とやらないから」
「そんなことどうでもいい。『すまない』なんて私にメソメソ言わないで。私はあなたを助けようとした。でもできなかった。もうあなた自身が何とかするしかないのよ」
そこへちょうど弁護士から折り返しの電話がかかってきて、本気で離婚申し立てをする気であることがブレットにもわかった。「私の家から出て行かないなら警察を呼ぶ」と私は言い、彼の代理人(バス・クック)に電話をかけた。クックが迎えに来ると、直接空港に送ってくれとブレットは頼んだ。もう一度リハビリ施設に入るから、と。
妻や子供たちと一緒に暮らすためには二度と飲んではならないのだ、と彼はようやく理解した。あのとき以来、夫は一滴も酒を口にしていない。
でもこの時点で、正直言って私はブレット・ファーヴと一緒にやっていく気はもうなかった。その後、カウンセラーから夫婦でカウンセリング・セッションを行う必要がある、とカウンセラーから言われたときも、やり直す覚悟はまだ定まっていなかった。心の傷が治りきらずまだ痛んでいたからだ。でも結局は言われたとおりにした。
なぜ今になってこの話を?と聞かれたディアナ。「今でもこのことを思い出すだけで心が痛むし、書くのはとてもつらかったけど、ブレットが書くようにと後押しをしてくれた。私たちには同じように依存症に悩む友人がいるし、どん底で苦しむ人たちに、依存症を克服して家族一緒でいられることが不可能ではないと知ってほしい」