こうして、私はスタジアムの中に入りました。 こうなったら、もうこっちのもんです。これで、もう、もし万一半券を失くすようなことになっても、まさか追い出されるような事はないでしょう。たとえ何が起ころうと、どんな片隅でだって、試合を見る事
ぐらいはできるでしょう。
安心すると、どっと疲れが出て、思わずへなへなとその場に座り込みそうになりました。 しかし、ここで安心してはいられません。私の席はスタジアムのいっちゃんてっぺんでゴールラインの真後ろ辺り、恐らくブレットファーヴが豆粒ぐらいにしか見えないであろう席である事が概ね分かっています。幸い試合開始3時間前となれば、7万人を飲み込むはずのスタジアムもさすがにまだ人影はまばらです。
どうせ、試合が始まれば一番てっぺんまで上がっていかねばならない、今のうちに記念撮影をすませておこう、と私は考えました。そこで、スタジアムの中段辺りの一番良さそうな席の周辺でパチリ、パチリと例のMさんが貸してくれたカメラと私のバカチョンの両方で写真を撮りまくりました。そのうち、ファーヴ君も出て来てエンヤッコラとパスを投げ始めましたから、無論撮ってあげました。そのうち、エルウエイ君も出て来ましたが、フイルムが勿体無いので、無論被写体にはなっていません。そうこうするうちに、だんだん、だんだん人が集まって来ました。周辺がざわざわ、ザワザワしてきました。
名残惜しいけれど、仕方がない。もう、そろそろ私の席に行かねばなりません。そこで、場内の案内係とおぼしきおっさんに私のチケットを見せて、場所を尋ねました。そのいかにも眼の悪そうなおじさんはスタジアムのてっぺんの方を指差して『何だ、かんだ』と言うと思いきや、その指差した先はつい今し方まで私がパチパチとやっていたところからほんの5メートルほど向こうではありませんか。
「ンな馬鹿な」
で、そこまで行ってシートの背もたれを見ると、なるほど「セクション42のシート11」となっていて、私のチケットも「セクション42のシート11」となってはいます。しかし、そんな筈はありません。たしかに私のチケットのナンバーとその席のナンバーは同じですが、もっと別のセクション42があり、違うシート11があるに違いありません。だって、私の知識によればそこは少なくとも3000ドルは下らない、いや、4000ドルだったかも知れない(関係ないのでよくは覚えていない)席の筈なのです。「いい加減なことを言うものではない」、そう思いましたけれど、仕方がない。取りあえず、その「セクション42のシート11」に座ることにしました。
無論、まるで落ち着きません。お尻がむずむずする。周りにはどんどん人が集まってきています。コーラやポップコーンなどの物売りも右往左往し始めました。パンフレットも売っています。スタジアムには人いきれと熱気が充満してきました。向こうから何だかえらくきれいなお姉ちゃんがやってきました。誰かが言ってましたっけ、「いい女はスタジアムにいる」。でも、今はそれどころじゃない。
『あんた、そこは私の席よ、どいてちょうだい』 とでも言われるのではないかとドキドキしましたが、お姫様はしっかりと席を確認して、にっこり私に笑いかけると私の隣にチョコンと腰かけられました。
試合が始まる前にトイレに行っておくことにしました。その帰り、今度は眼の良さそうな、もう少し若い案内係にチケットを見せて、再度席を問うてみました。今度こそ、ちゃんと教えてくれるに違いありません。ところが、ああ、何たることか、この若い案内係も先程まで私が座っていたお姫様の隣の席を教えるではありませんか。何といい加減な奴等ばっかりなのであろう。とうとう試合開始1時間ぐらい前になりました。さすがに周りは満員、立錐の余地もありません。そろそろ、試合前のセレモニーも始まります。
ポップコーンを買った私は三度尋ねました。ポップコーン売りのしっかりしたお兄ちゃんははっきりと、しっかりと断言しました。 『間違いねえだ。そこがあんたの席だ』
ホンマかいな。しかし、これが間違いでなくてどうするのだ。こうなったら、どうしようもない。とりあえず私はこのブレットファーヴのヘルメットの下の顔色までわかるのではないか、と思えるような特等席に座ることにしました。途中で間違いと分かれば、その時席を移ればよろしい。
考えられることはたったひとつです。エージェントにはそれこそ世界中から色んな注文が殺到するでしょう。入金を確認したエージェントは注文に応じて各所にチケットを発送することになります。人間のすることです。なかには当然間違いもある・・という事ではないでしょうか。・・・という事は私の代わりに割を喰った人、大金を払ったにも関わらずPackersが豆粒のようにしか見えないスタジアムのてっぺんの席を割り当てられてしまったお金持ちがどこかにいるに違いない・・と、まあ、こういう事なのではありますまいか。でも、そんな事は私は知らない。私の責任じゃないし、仮に私の責任であっても、私にはどうしようもない。
もともと私はお金持ちにはあまり同情しない。エージェントに文句でも言って来年また特等席でご覧なさいな。おかげではるばる日本からやって来た貧乏な青年が30年目にして初めてのスーパーボウルを素晴らしい席で見ることができます。ありがとうございました。
と、ここまで考えて私は「ひょっとしたら、いや、まさか」と思いました。ひょっとしたら、これは例のNFL、Giantsの大ファンという日本の業者の方の御好意なのではないか、と。30年間、Packersを応援し続けた私に同情して・・。帰国して直ぐに私はそのことを確認してみよう、と思って・・・止めました。確認することで、かえって御迷惑がかかる事だって考えられるからです。そう考えた私は帰国後「スーパーボウル観戦はとても楽しかった」とだけお礼を言って、それ以外は何も言いませんでした。もしも、彼が意図してそうしてくれたのだったら、私が何も言わなくても分かっている筈だし、何より間違いだったなんて思うより、そう考えておいた方がずっと楽しいじゃないですか。
と言う訳で、居心地はあまり良くなかったけれど、座り心地良く座っていました。お尻の下に立派なクッションがあったからです。これはどの席でも共通のようでスタジアムの全ての席に置いてありました。スーパーボウルの入場者だけが手にするじゃなかった、尻にすることのできる、中に応援グッズやら無料のテレフォンカードやらが入った特製クッションです。無論、観戦後は記念に持ち帰ってもよろしい。私も勿論持って帰って、今他のスーパーボウル記念グッズと一緒に飾ってあります。
とうとう、試合前のセレモニーが始まりました。ちゃんと御紹介したいのですが、私はとてもそんな気になれなくて、全然覚えていません。もともと私は演歌しかわからないおっちゃんですから、どこのスーパースターが何歌ったって、何したって、なあんも分かりやしませんが、大事なスーパーボウルの前に一体どこの誰が歌やら踊りやらを真剣に観たり聴いたりするのでしょうか。何時の間にか、国歌斉唱も終わったようです。もう席の事なんかちっとも気になりません。隣のお姉ちゃんも眼に入りません(ホント、だって)。私は特等席に座って第32回スーパーボウルの試合開始を今や遅し、と待っていました。