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チャーリーさんの@カロライナ観戦記 4

■ ゲーム当日

6時ごろに目が覚めた私は、まだ薄暗いシャーロットの街を30分ばかりジョギングしました。日本でも時々朝早く家の周りを走っていますが、ジョギングしている人どうしすれ違う時に「おはよう」と声をかけられることが度々あります。シャーロットでもジョギングしている数人に「グッドモーニング」とこちらから声をかけてみましたが、誰一人返してくれませんでした。これはかなり意外でした。アメリカ人は誰にもフレンドリーだというイメージでしたが、見知らぬ東洋人とは関わりたくないのかもしれません。

ホテルに戻ってシャワーを浴び、フロントの横にスターバックスがあったので、コーヒーと菓子パンで朝食を済ませました。私は日本では自分で豆を挽いてコーヒーを入れるので、スターバックスにはほとんど行ったことがありません。アメリカへ来て空港でもホテルでも何度もスターバックスを利用しましたが、ここのコーヒーは本当においしいと思いました。

kobaさんと連絡を取り、することもないのでちょっと早いけどスタジアム行きましょうということになり、10時前にホテルを出ました(試合開始は午後1時です)。シャーロットは暑いだろうと思っていたのでパッカーズのTシャツに短パン、それにパッカーズのキャップをかぶって出ましたが、意外に寒いのです(ウェアの類はグリーンベイに行ってから買うつもりで、初めからあまり持ってきていません)。そのうち暖かくなるだろうとそのまま歩いていると数分でスタジアムに着きました。

Bank of Amarica Stadium 外観

前の駐車場では例のテールゲートパーティーをやっています。パンサーズファンの方が当然多いのですが、パッカーズファンもかなりいます。私はパッカーズウェアに身を包んでテールゲートパーティーの現場に行けば「どこから来た?おお日本からはるばる来たのか、さあ食ってけ食ってけ」というようなことを密かに期待していたのですが、もの欲しそうな目をしてソーセージや肉を焼いている近くをわざわざ通っても、誰も声をかけてきませんでした。

スタジアムの前で数枚写真を撮った後、パンサーズのプロショップへ立ち寄りました。寒いので何か買おうと思ったのですが、どの服にもパンサーズのロゴが入っているので(当たり前です)どうしても買う気になりませんでした。

パンサー銅像の前で

お腹がすいたのでダウンタウンへ行って何か食べようということになり、しばらく歩いていると露天が開いており、そこはパッカーズのウェアばかり売っていました。黄色のヨットパーカーがあったかそうだったので「ハウマッチ」と聞くとたったの20ドルだというのです。高くても買うつもりだった私は喜んでパーカーとスーパーボウル制覇記念のキャップを15ドルで買いました。さっそくパーカーを着ると体は暖かくなりましたが、短パンだと足が寒いのでいったんホテルへ戻って普通のズボンにはきかえ、ダウンタウンへ向かって歩きました。

適当なレストランへ入り、クラブサンドとサラダのセット、それにフライドポテトを注文しました。「飲み物は何にいたしましょう、コーヒー、紅茶、ジンジャーエール色々ございます」と聞く店員に「ビールください」と答えたところ、なんという健全な街でしょう、「午前中はアルコールを出せないんです」と言うのです。時計を見るとまだ11時過ぎです。仕方がないのでアイスティーを注文しました。

出てきたフライドポテトはマクドナルドで見るような細長いスティック状のものではなく、ジャガイモを切ってそのまま揚げたものでした。それが実にうまくて、付いている塩味だけでもいけるし、ケチャップを付けてもうまくて、大量にありましたが二人であっという間に食べきりました。ああビールがあれば最高だったのに。

■ ゲーム

12時過ぎに再びスタジアムへ行きました。道中歩いているのは青のユニフォーム姿の圧倒的な人の群れ、昨夜は緑のしか見なかったのに、やはりここはアウェイなんだなと思いました。91000円払って手に入れたチケットは、フィールド中央50ヤード地点の中段よりやや前で、非常に見やすい良い席でした。(これでおかしな席だったら許さんぞ)スタンドを見渡すと、意外にパッカーズファンが多いことに驚きました。さすが全米で人気のわがパッカーズ、スタンドの2割ぐらいいるんじゃないかと思いました。我々の席はパッカーズサイドだったからかもしれませんが、まわりはパッカーズファンとパンサーズファンが拮抗していました。

国歌斉唱とお決まりのジェット戦闘機の飛来の後、午後1時、メイソン・クロスビーのキックオフで試合が始まりました。パンサーズの第1シリーズ、QBはドラフト全体1位で指名した新人のキャム・ニュートンです。前年度32チーム中最下位だったパンサーズは、オーバーン大を全米1位に導きハイズマントロフィーを獲得したニュートンを指名したのです。メンバー表を見るとベアーズにいたTEのグレッグ・オルセンや、ジャイアンツ、セインツで活躍した同じくTEのジェレミー・ショッキーまでいるではないか。

いよいよキックオフ

QBニュートンは最初のシリーズからショッキーやエースレシーバーのスティーブ・スミスへ次々とパスを通し、最後はあっさりWRブランドン・ラフェルへのTDパスで7点を先行しました。私はweek1のパンサーズの試合を自分のパソコンのGame Passで見ており、ニュートンがただものでないことを感じていたので、いきなりのTDパスにも驚きもせず、前年度最下位だと侮っているととんでもないことになるぞと気を引き締めました。

さあここから反撃と思った矢先、ランドール・コブのリターンがファンブルロストとなり、またパッカーズの反則などであっという間にゴール前へ。今度は何とかサードダウンを抑えて3点ですみました。次のパッカーズのシリーズもパントに終わり、パンサーズにまたフィールドゴールを決められ13-0となった時は正直ヤバイと思いました。

しかし第2Qに入りジョン・クーンのTDラン(場内ク~ン・コールが沸き起こりました)で7点を返し、第3Qに入るとグレッグ・ジェニングスへのTDパスで逆転し、チャールズ・ウッドソンの2つのインターセプトやクレイ・マシューズのサックなどで流れを引き寄せました。パッカーズがビッグプレイを決めるたびに、周りのパッカーズファンとハイタッチをしたことは言うまでもありません。

そして冒頭のネルソンへのTDパスのシーンとなります。目の前をネルソンが駆け抜けている時、私は立ち上がり大声で日本語で「行け~~~」と叫んでいました。最終スコアは30-23、何とか勝ったものの、ディフェンスの不安定さが課題として残り、同時にニュートンの将来性を強く印象付けた試合でした。

ショッキングだったことは、試合途中でFSのニック・コリンズが怪我をしたことです。首と体を固定され、担架で退場した時は、選手生命はおろか一生車椅子の生活になるのではと心配しました。翌日の新聞を読みましたが、コリンズの記事はどこにもなく、気が気ではありませんでした。NPBさんなら知っているはずとスマホでこのサイトを読みたかったのですが、海外でネットを使うと請求がいくらくるかわからないと脅されていたのであきらめ、グリーンベイに行った時、地元の新聞でコリンズの怪我がそれほどシリアスではないことを知り安心しました。

もう一つ感じたことは、スポーツ観戦をする時のアメリカ人の懐の広さです。思い思いのコスチュームやペイントを描いてやってくる彼らは楽しむために観戦に来ているのであって、いがみ合うために来ているのではないのです。私たちの真後ろの席は、ほっぺにパンサーのペイントを描いた5歳ぐらいのかわいい女の子とその母親で、その隣はパッカーズウェアの兄ちゃんでした。初めて会ったであろうその二人は試合の合い間合い間に談笑しているのです。「うちのニュートンすごいでしょ」 「イヤイヤ、ロジャースの足元にも及ばないさ」などと言っていたのかもしれません。ヨーロッパや南米ではサッカーのサポーターどうしが乱闘事件を起こしたというニュースを時々見ますが、アメリカ人はそういうことはほとんどないだろうと思います。

◆ ◆ ◆

その夜はkobaさんと再びダウンタウンへ繰り出しました。その日も目立つのはパッカーズのユニフォームを着た人達です。ステーキハウスでワインでも飲もうと思っていたのですが、目をつけていた店は満員で入れず、イタリアンにしようということになり店を探しながら歩いていると、目の前に警官がいたので、イタリアン・レストランはあるかと尋ねたところ、店まで案内してくれました。治安のよさそうな街なので、警官もヒマなのでしょうか。

その店はテイクアウトもできるカジュアルな店でしたが、安くて十分おいしかったです。88番のユニフォームを着た10歳ぐらいの男の子とそのお母さんと思われる綺麗な女性が私たちの隣でオーダーを待っており、パッカーズのウェアを着た私たちと目が合うと「今日はナイスゲームだったですね」と声を掛け合いました。日本ではお母さんとその子供という組み合わせでスポーツ観戦に来ることなどめったにないように思いますが、アメリカでは珍しくなく、スポーツ観戦を楽しむ文化が浸透していることを感じました。お店でもたっぷりビールと赤ワインを飲みましたが、帰りに昨日のスーパーで白ワインを買って帰り、ホテルで飲みながら勝利の余韻に浸っていました。

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updated : 2012/01/06