グリーンベイ・パッカーズ ニュース

2007年12月13日

CウィンタースとDTブラウンがパッカーズHOF入り

元DTギルバート・ブラウン、元Cフランク・ウィンタース、元ビデオ・ディレクターのアル・トレムルの3人が、来年パッカーズの殿堂入りすることが発表された。殿堂入り式典は来年7月19日にランボーフィールドのアトリウムで行われる。1967年に設立されたGreen Bay Packers Hall of Fame, Inc.はグリーンベイ・パッカーズからは独立した非営利団体で、先日ウェブサイトも独立したばかり。

DTギルバート・ブラウンは巨漢ランストッパーとして2003年まで10年間パッカーズでプレーし、ファンからは "Gravedigger" の愛称で親しまれた人気者。DEレジー・ホワイト、DEショーン・ジョーンズ、DTサンタナ・ドットソンと共に強力ディフェンシブラインの一翼を担い、スーパーボウル制覇に貢献した。その後は体重過多に苦しんでいったんはフットボールを離れるが、ダイエットして2001年に復帰し、3年間プレーした。(引退時のことは2004年3月の記事参照)

もともと車マニアの彼は、引退後は名門サーキットミルウォーキー・マイルの共同オーナーを務め、またコンティネンタル・インドア・フットボール・リーグに発足するミルウォーキー・ボーンクラッシャーズの初代ヘッドコーチ就任も決定している。

Cフランク・ウィンタースは3球団でプレーしたあと1992年にパッカーズにFA移籍し、引退まで11年間プレーした。1993年にCジェームズ・キャンペン(現OLコーチ)の負傷により先発昇格すると、2000年まで8年間スターターを務め、ファーヴの女房役としてスーパーボウル制覇にも貢献。その年にはプロボウル出場も果たした。2001年からはCマイク・フラナガンの控えを2年間務めて引退している。

元ビデオ・ディレクターのアル・トレムルは地元グリーンベイ出身。新聞社のスチールカメラマンだった彼は、ロンバルディ時代の1964年にパートタイムでパッカーズのフィルム撮影に関わるようになった。1967年から2001年までビデオ・ディレクターとしてチームのビデオ分析に貢献、フィルム→テープ→デジタル(ノンリニア・デジタル編集はNFL初)への変革も彼の主導によるものだった。彼の功績は同業者からも高く評価され、1986年にはNFLビデオ・ディレクター委員会の初代委員長にも選ばれている。

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