グリーンベイ・パッカーズ ニュース
2006年7月 4日
GM就任から1年半経つものの、テッド・トンプソンGMは表に出ることを好まず、たとえ喋ったとしても素っ気ないコメントばかりのため、謎の人物、またなんとなく冷淡な人柄と誤解されがちだ。チーム運営の手腕は数年経たなければわからないとして、彼の生まれ育ちや人柄について、親しい友人のコメントを交えて紹介する。
- 「私はある面ではむしろ外向的だと思っている。ただ、マイクロフォンを見つけるやいなや近づいて行って喋るようなことはしない。自分からメディアにしゃしゃり出たりはしない。だからといってハワード・ヒューズ(極端な秘密主義者)のような人間じゃないよ」
- 出身地はテキサス州アトランタ。ジョージア州都アトランタではなく、人口5700人あまりの小さな街。
- 見るテレビ番組は"シンプソンズ"。クルマはキャデラック・エスカレード。音楽はカントリー・ウェスタンを好み、政治的には保守。
- 独身で結婚歴なし。「家族はみな結婚して子供もいるのに、私だけ独身なんだ。2回ほど、良い付き合いだと思える女性がいたのだが、たぶん2回とも私の側がダメにしてしまったんだろうな。結婚して子供を持てたらよかったのにとは思う」と本人。
- これまでのキャリアや、恩師バム・フィリップスとの今も変わらぬ付き合いについては昨年2月の記事を参照。
- 牧場を営む両親は厳格で、(40年前のことでもあり)体罰も辞さない父親だった。
- 4歳下の弟のジムは現在故郷で弁護士をしている。「誰にでもそれぞれスポーツのヒーローがいる。私の場合、それは自分の家の中にいた(兄貴だった)」 「私が5歳か6歳のころ、野球のボールが見つからずにクロッケーのボールで野球をした。テッドは私の後頭部にぶつけて、今でもその傷が残っている。十分な償いはいまだにしてもらってない」
- トンプソン家のすぐ近くで育ったマックス・サンドリンJr.は下院議員を3期務めたが今は落選して浪人中。「テキサスでは14歳で免許が取れたんだが、テッドは最初は58年型シェビー、次にフォード・マーヴェリックだった。フォード史上最も醜いクルマのひとつだ」 「東テキサスでテッドほどのオールラウンドなアスリートは他にいなかった。高校では一緒にバスケをプレーしたよ。ウチのチームは身長は高くなかったけど、ゴール下を支配して、相手が入って来ようものならテッドか私がフロアに叩きつけた」
- 高校のクラスメートのビル・デュプリーは、フットボールチームでも一緒だった。「特に最終学年では強いチームだったよ。テッドはフルバックで、ウチのオフェンスの全てだった。トンプソンを左に、トンプソンを右に、トンプソンを中央に。ただ彼はスポットライトを浴びるのが嫌いで、つねに謙虚だった」
- 同じく高校のクラスメートのデビー・ヴォーン・ヘンセン。「いつだってすごくいいヤツだった。彼もそのカノジョも僕の親友だったんだ。彼女は1971年のミス・アトランタ(ただしテキサスの)になったな。テッドの兄貴のフランクは自信家タイプだったけど、テッドはいつも静かだった」
- 現役引退からパッカーズのロン・ウルフGMに誘われるまでフィナンシャルプランナーとして7年間働いたトンプソンは、株式仲買人になろうとしたこともあったがすぐに諦めたらしい。「見も知らぬ人たちに必要もない物を売りつけるなんてね。だから私は自分の最低限の仕事だけして、あとはゴルフをしたりチャリティをしたりしていた。あの6年か7年は人生をとても楽しんだよ」と本人。
- 親友は現在シーホークス副社長のマイク・ラインフェルト。かつてはオイラーズで共にプレーし、パッカーズやシーホークスのフロントで一緒に働いていた。昨年1月にはボブ・ウィットシット社長の解任、トンプソンの退団という混乱の中で、QBハッセルベックやLTウォルター・ジョーンズとの長期契約を手早くまとめたスーパーボウル進出の影の功労者でもある。
- そのラインフェルトはトンプソンについて、「彼は聡明で信頼でき、困った時はいつでもそばにいてくれる。友人として素晴らしい」 「ちょっとわかりづらいところもある。彼をよく知るには時間がかかる。我々がグリーンベイからシアトルに移ってすぐは、用具担当やトレーナーたちはテッドが何を考えているのかわからなかった。しかしテッドが去るときは、彼らは心底さみしそうだった」
- 主に控えLBだったオイラーズでのトンプソンについて、ラインフェルト。「私がレイダーズからオイラーズに移ったのはシーズンの半ばだった。するとバム・フィリップスHCがテッドに言ったんだ。『こいつをすぐ使えるように手伝え』とね。テッドがどれほど信頼されていたかわかるだろう」
- グリーンベイでの暮らしについて、トンプソン。「素晴らしい場所だよ。人々は私に気がついても、あまり邪魔をすることもない。レストランでは、思わず顔を見直されたりもする。誰もがチームの好成績を望んでいて、それはすなわち私の成功を望んでいるということでもあり、彼らは激励の言葉をかけてくれたり、時にはアドバイスをくれることもある。だから、時には私も球団の顔になるということだ」