パッカーズのボブ・ハーラン社長兼CEOは来年5月に会長兼CEOとなり、ジョン・ジョーンズ上級副社長兼COO(Chief Operating Officer)が社長兼COOに昇格することになった。市民球団のグリーンベイ・パッカーズには特定のオーナーがいないため、社長が実質オーナーの役割を果たしている。就任から16年、素晴らしい実績を積み重ねてきたハーラン社長だが、70歳の定年が2007年に迫っている。早くからジョン・ジョーンズを後継者として育ててきた彼が、政権移譲をスムーズに進めるため、再来年いきなり引退するのではなく、ワンクッションを置くことにしたようだ。
ボブ・ハーラン社長は1989年の就任以来、プレイオフ常連チームへの復活、ランボーフィールド大改装、財政の安定など、非の打ち所のない実績を残してきた。明るく率直な個性で市民球団の顔として親しまれる一方、NFLオーナー会でも最重要の委員会 "Management Council Executive Committee" の一員として重きをなしてきた。つらい決断だった1994年のミルウォーキー撤退も、正しい選択であったと支持されている。
彼ほどの実績に裏付けられた権威があれば、70歳定年制の例外を作ることも難しくはなさそうだが、本人にはその気は全くないようだ。その代わり、2007年に退く彼には名誉会長(Chairman Emeritus)の肩書きが残ることになっている。
ジョン・ジョーンズ上級副社長は1952年生まれの53歳。ニューオーリンズ出身で、ロヨラ大卒業の後、ウィスコンシン大大学院でジャーナリズムを学んだ。1974年にはいったん学業を中断し、"Ray Nitschke's Packer Report" 編集に携わったのがパッカーズとの最初の縁だった。1976年に母校ロヨラ大に戻って2年間講師を務めた後、New Orleans Times-Picayune紙でスポーツライターとなり、9年間のキャリアの間にさまざまな賞を受賞している。
1987にはNFLのManagement Council に移り、広報部長としてNFLのスポークスマンに。1989年にはDirector of Operationsに就任し、1993年のサラリーキャップ制導入にも力を尽くした。1994年には新球団ジャクソンヴィル・ジャガーズの取締役に転出したが、1996年には再びNFLに戻って Director of Administration and Information を務めている。
ハーラン社長の招きで、ジョーンズがパッカーズの上級副社長に就任したのは1999年のこと。当初から彼を後継者に据える意図だった。ジョーンズはランボーフィールド大改装の計画段階から責任者となり、自治体との折衝や住民投票など、球団側の先頭に立ってプロジェクトを成功に導いた。多くの地元企業と提携し、ランボーフィールドを活用することによって多様な収益の道を確保、ファンや地元共同体とのさまざまな交流イベントの企画・運営にも力を発揮している。
なお、シンディ夫人はウィスコンシン州シダーバーグの出身で、息子も娘もウィスコンシン大を卒業している。