グリーンベイ・パッカーズ ニュース

2005年3月30日

1950年代の名リターナーが死去

1950年代前半に素晴らしい活躍を見せたRB兼リターナーのビリー・グライムズが、オクラホマの自宅で肝不全のために亡くなった。77歳だった。オクラホマ州立大からAAFLを経て1950年にパッカーズ入りした彼は、1年目から85ydsのキックオフリターンTDなど大活躍。大ケガのため実働わずか3年間で引退を強いられたが、"The Comanche Kid"のニックネームで恐れられた彼は、素晴らしいスピードとクイックネスでファンに強烈な印象を残した。

1950年はパントリターンで平均19.1ydsを記録し、これは今でもパッカーズ記録として残っている。パントリターン555ydsは1996年にデズモンド・ハワードに破られるまで球団記録。キックオフリターン600yds、パントリターン555yds、ラッシング480yds、パスキャッチ261ydsの合計1,896ydsは1998年にKRロエル・プレストンに破られるまで球団記録(現在はRBアーマン・グリーンの2,250yds)だった。RBとしても、晩年のRBトニー・カナデオとのコンビで活躍した。

グライムズはわずか3年のキャリアで2回のプロボウル出場、オールプロにも選ばれている。当時のチームメイトのDEジョン・マーティンコヴィックは、「ものすごく速く、しかも恐ろしくすばしっこかった。だからあまりハードヒットをされなかった」と振り返っている。"Team Historian"のリー・レメルは、「パッカーズ史上最も捕まえにくいランニングバックだったのは間違いない。あれほどの能力を持ちながら、パッカーズの殿堂入りをしていないのは残念なことだ。3年間しかプレーできなかったのが響いていると思う。彼はまた、素晴らしいユーモアの持ち主で、明るく人懐こい性格は終生変わらなかった」

クリックすると拡大します球団OB会にはたいてい出席し、息子か孫を1人連れてくるのが常だった。そうした経験を持つ息子のマークは、「グリーンベイでは父が今でもあのように愛されていることがわかって、素晴らしい経験ができました。父はいつもグリーンベイの歴史を褒め称えていました。なかでも、ファンがいかに素晴らしいかという話でしたね」と語っている。(右写真は1997年にランボーフィールドでファンに挨拶するグライムズ)

「最後にグリーンベイを訪れたのは、2003年の12月、トニー・カナデオ(記事参照)の葬儀に参列した時のことです。トニーがいかに素晴らしいジェントルマンで、タフで不屈のフットボールプレーヤーだったか、父はいつも賞賛していました。後輩の自分を可愛がってくれたトニーを心から尊敬していました」

カテゴリ : History