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最強チーム

1962年、攻守に充実したパッカーズは圧倒的な力を発揮し、開幕10連勝。第11週こそデトロイトで苦杯を喫しますが、終わってみれば13勝1敗で西地区3連覇を達成します。完封勝ちが3試合。1試合あたりの得点の平均が29.6、失点の平均が10.5。どちらもリーグトップでした。FBジム・テイラーが1474ydsラッシング、19TDを記録してNFLのラッシングリーダー。前年のRBホーナングに続いてMVPを受賞しました。

そして迎えたNFL決勝は、前年の雪辱に燃えるNYジャイアンツとの再戦。気温-11℃、しかも秒速18mの強風がヤンキースタジアムを吹き荒れます。ハードな地上戦のなか、ディフェンスではLBレイ・ニチキが2つのファンブルリカバリーを決める活躍、オフェンスではFBテイラーが31回ものラッシングで着実にボールコントロールします。厳しい消耗戦の果てに、パッカーズが16-9でジャイアンツを下し、連覇を達成しました。

FBテイラーは、この2週間前に伝染性肝炎を患い、さらに第1Qに受けたハードヒットで舌を切り、試合の最後まで自分の血を飲み込みながらのプレー。ハーフタイムにはヒジの切り傷を7針も縫っています。「テイラーは人間じゃない。今日のヤツほど、ひどいヒットを受けながら生きていられる人間なんかいない」とジャイアンツの名LBサム・ハフが振り返るほどの鬼気迫る走りでした。

多くの選手がキャリア最高の力を発揮していたこの1962年のチームは、パッカーズ史上最高と言われ、NFL史上でも最高のチームの1つとして取り上げられることが多いようです。

鬼神のごとき LBレイ・ニチキ "Packer Sweep" または "Lombardi Sweep"
#31 FBジム・テイラー
#64 Gジェリー・クレーマー #63 Gファジー・サーストン

一時的停滞

1963年、RBポール・ホーナングがフットボールの試合で賭けをしたことが発覚し、1年間の出場停止処分を受けてしまいます。それでもパッカーズは11勝2敗1分けの好成績を挙げますが、ベアーズは11勝1敗2分けでわずかに上回り、パッカーズのNFL3連覇はなりませんでした。また11月22日には、親しい間柄だったケネディ大統領が凶弾に倒れ、ロンバルディは大きなショックを受けます。("A Game Played in Silence"参照)

1964年、名センターのジム・リンゴはサラリーアップを求め、(当時はまだ珍しかった)代理人を引き連れてロンバルディのオフィスを訪れます。それを見て怒った独裁者は、5分ほど席を外してオフィスに戻ると、イーグルスへのトレード決定を通告。この件はGMとしてのロンバルディの苛烈さを表すエピソードとして有名ですが、実際は少し前からトレード話が進行中だったのだろうとも言われています。ともかくもフィラデルフィアに移ったリンゴは、そこでも3回プロボウルに出場し(パッカーズでは7回)、後に殿堂入りを果たしています。

おそらくロンバルディにとって最もフラストレーションのたまるシーズンだったであろうこの1964年、パッカーズは8勝5敗1分けで、2年連続して優勝を逃してしまいました。

1965年6月1日、チームの創立者カーリー・ランボーが、心不全のために67歳でこの世を去りました。1919年から30年にわたって、パッカーズそのものであったランボーの死に、まず地元の労働団体が、「シティ・スタジアムをランボー・スタジアムかランボー・フィールドに変えよう」と決議します。しかし当初はグリーンベイ市当局はあまり乗り気ではなく、ロンバルディもその案に強く反対。「個人名よりグリーンベイ市の名前が全国に宣伝されるべき」というのがロンバルディの意見でしたが、「将来、自分の名前が冠せられるのを期待しているのでは?」という憶測もあったようです。Green Bay Press-Gazette紙は、「彼の名前をスタジアムに冠することによって、功績を讃えるのがふさわしい」と社説で訴え、改名案の推進役となります。最終的には市当局もこの改名案を承認。開幕直前の9月11日、ランボーの功績を讃え、City Stadium は正式に Lambeau Field と改名されました。

また、この年には客席が8525人分増設され、収容人員は50,852人となっています。

OTフォレスト・グレッグ
のちにヘッドコーチも務める
ディフェンシブラインの中核を担った
DTヘンリー・ジョーダン と DEウィリー・デイヴィス

王座奪回

1965年シーズン、パッカーズは10勝3敗1分けで、ドン・シュラHC率いるボルチモア・コルツと同率首位でシーズンを終えました。NFL決勝に進むには、両者によるプレーオフを勝たなければなりません。12月26日、QBジョニー・ユナイタスをヒザのケガで欠くコルツをコルツをランボーフィールドに迎えたパッカーズは、第1QにファンブルリカバーTDを許した際に、タックルに行ったQBバート・スターがケガで退場。10点のリードを許して前半を折り返します。後半は代役のQBブラコウスキー活躍もあって、終了直前に10-10の同点に追いつき、勝負はオーバータイムへ。コルツにも48ydsのFGのチャンスがありましたが失敗に終わり、パッカーズが25ydsのFGを決めて試合終了。

後半終了間際にキッカーのドン・チャンドラーが蹴った22ydsの同点FGは、ゴールポストのはるか上を越えたため、本当に成功だったのか判断が難しく、のちのちまで議論の的になったといいます。このようなトラブルを避けるため、翌年からはゴールポストを高くするようにルール改正がなされました。

そしてクリーヴランド・ブラウンズを迎えてのNFL決勝。みぞれ混じりの雨が降り続きドロドロにぬかるんだランボーフィールドで、パッカーズ・ディフェンスは、このシーズンに1544ydsを走ってMVPを獲得したRBジム・ブラウンをわずか50ydsに抑え込みます。いっぽうオフェンスはRBホーナングが18回105yds、FBテイラーが27回96ydsを走る完璧な試合運び。前年の覇者ブラウンズを23-12で下し、3年ぶりの優勝を手にしました。

コルツ戦のオーバータイム ドン・チャンドラーが決勝のFGを決める
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