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チーム設立のきっかけ

第一次大戦が終わって間もない1919年の夏。

若き日の Earl "Curly" Lambeau21歳の青年アール・カーリー・ランボー Earl "Curly" Lambeauはグリーンベイの街を歩いていました。"Curly"というのは、強い巻き毛からついたニックネーム。彼は Green Bay East高校でキャプテン兼コーチとして活躍したあと名門ノートルダム大に進み、一年生ながらレギュラーの座を獲得しました。しかし最初のシーズンを終えたところで重い扁桃腺炎を患い、1919年の春の学期を欠席して故郷グリーンベイで療養するハメに。そしてそのまま大学をあきらめ、Indian Packing Companyという地元の缶詰会社で発送係として働いていたのです。

月給250ドルと当時としては好待遇だったことにくわえ、後に結婚する女性がグリーンベイにいたことも、彼を故郷に引き留めた理由だったようです。

ちょうどその時、巻き毛のランボー青年と街角で出くわしたのが、地元紙Green Bay Press-Gazetteの編集者、ジョージ・カルフーン George W. Calhounでした。彼はスポーツ担当でしたから、ランボーの高校時代の活躍を見覚えていたのです。バーで話し合ううちに、カルフーンが「オレが手伝うから、グリーンベイでフットボールチームを立ち上げないか」と言い出し、ランボーはそのアイディアに飛びつきました。それほどまでに、フットボールへの情熱は絶ち難かったのでしょう。

グリーンベイ・パッカーズ結成

2人による選手集めがすぐに始まりました。カルフーンは新聞紙面を使って地元のアスリートたちに呼びかけます。グリーンベイという街にとって、けっしてパッカーズが最初のフットボールチームだったわけではありません。以前からグリーンベイではフットボールが大変な人気スポーツで、イースト/ウェスト両高校のライバル戦は大きな盛り上がりを見せ、名門大に優れた選手を多数送り込んでいました。中でもピカイチのプレーヤーが、投げてよし走ってよしのハーフバック、カーリー・ランボーだったのです。

そして1919年8月11日の夜。Green Bay Press-Gazette紙の薄汚い編集室に、二十数人のがっしりした男たちが、呼びかけに応じて集まりました。グリーンベイ・パッカーズの誕生です。

スポンサーは、カーリー・ランボーが働いていたIndian Packing Companyに頼むことになりました。缶詰会社ですから、戦時中に大きな利益を上げていたのです。この会社がジャージーなどの購入資金として500ドルを提供し、工場脇の練習フィールドも使わせてくれることになりました。その会社の宣伝のため、チーム名は"Packers"ということになりました。今でも親しまれているユニークなニックネームは、こうして名づけられたのです。皮肉なことにこの会社は、パッカーズの最初のシーズンが終わらないうちに、消えてしまうことになります。

カーリー・ランボーが、最初のヘッドコーチコーチ兼キャプテン。しかし最新の研究では「最初の年だけはウィリアム・ライアンという人物がヘッドコーチだった」という説が出てきて、どうやら確かな根拠があるようなので、いずれはチーム側も正式に認めるかもしれません。ともかく、ランボーは選手(HB)として1928年まで、そしてヘッドコーチは1949年まで30年にもわたって務めることになります。

共同設立者のジョージ・カルフーンが、マネジメントを担当。 資金集め、広報宣伝など、Press-Gazette紙の編集者という立場も活用しつつ、1947年までチームを影で支えました。その最初の仕事として、この結成集会のすぐ翌日、カルフーンはPress-Gazette紙に記事を載せています。つまり、グリーンベイ・パッカーズに関する最初の新聞記事です。

Curly Lambeau, former East High and Notre Dame football star, was elected captain of the Indian Packing Corporation's team at the meeting last night of city footballers at the Press-Gazette. G.W. Calhoun will again manage the eleven this season.

Close to 25 pigskin chasers attended the conference last evening and there was a good deal of enthusiasm displayed among the candidates. It was the unanimous opinion that, if Green Bay doesn't get away with state honors this year, she never will.

Practice will start September 3, the Wednesday following Labor Day, and from then on it will be held three times weekly - Mondays, Wednesdays, Fridays.

George Whitney Calhoun
George Whitney Calhoun 設立間もないパッカーズ

最初のシーズン

上のカルフーンの記事のとおり、1919年9月3日に最初の練習が行われました。練習は、月・水・金と週に3回。記念すべき最初の試合は9月14日のことでした。対戦相手は、"Menominee North End A.C."という長い名前のチーム。Menomineeという町がグリーンベイに近いアッパー・ミシガンにありますから、おそらくその町のチームでしょう。試合は、53-0でパッカーズの大勝に終わりました。

グリーンベイ・パッカーズ設立最初のシーズンは、10勝1敗。特定のリーグに所属せず、独立チームとしての活動です。対戦相手は、同じウィスコンシンや、アッパー・ミシガンのチームでした。どの試合も、スタンドがあるわけではなく、とても入場料などは取れません。カルフーンが、集まったファンたちの間で(逆さにした)帽子をまわし、まるで教会の寄付のように、なんとか運営資金を集めました。このようにして集めた資金を、シーズン後に選手に分配したところ、一人わずか16ドルずつでした。

1919年のシーズン中、最初のオーナーだった Indian Packing Company はAcme Packing Companyに買収され、チームもその会社のものになります。この時期は "Acme Packers" というロゴが胸に書かれているのが次頁の写真にも見えています。

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