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興奮の1989年

インファンテHC2年目の1989年は非常に面白いシーズンとなりました。開幕から2点差負け、1点差勝ち、3点差負け、2点差勝ちと接戦ばかりで、10勝6敗と7年ぶりのうれしい勝ち越しシーズンです。1点差ゲームがシーズン4回(NFL記録)、10勝のうち7勝が4点差以内だったため、"Cardiac Pack "(心臓に悪いパッカーズ)と言われたほど。ただワイルドカード争いで惜敗してプレーオフ進出を逃したことだけが残念でした。

スターターに定着したQBドン・マコウスキーが球団史上4位の4318ydsを投げまくり(パス599回・成功353回・4318ydsはすべてNFL1位)、WRスターリング・シャープもパスキャッチ90回(NFL1位)・1423yds(2位)の大活躍で初プロボウル。ディフェンスではLB ティム・ハリスが球団記録の19.5サック(2位)の大爆発。これにRBブレント・フルウッドを加えた4人がプロボウルに選ばれています。

数多い接戦の中でも、11月5日のベアーズ戦は"Instant Replay Game"として語り草となっています。6点リードされて試合残り32秒、QBマコウスキーはパスラッシュを逃れて右サイドライン際まで流れ、エンドゾーンのWRシャープに14ydsのTDパス。「スクリメージラインを超えて投げた」としていったんは反則の判定が下りますが、長いビデオ判定の末に取り消され、宿敵ベアーズ相手に見事逆転勝利。躍動感あふれるマコウスキーの活躍の中でも、もっともファンの印象に残っているプレーと言えるでしょう。

"Instant Replay Game"
ビデオ判定の結果 タッチダウンが認められた瞬間

再び下り坂へ

飛躍へのきっかけをつかんだかに見えたパッカーズでしたが、1990年シーズンは失望のシーズンとなってしまいます。もう恒例のようになっていますが、主力選手が契約問題でホールドアウトし、キャンプ初日の欠席者はなんと18人(ほとんどがスターター)に及びました。肝心のQBマコウスキーが開幕4日前までホールドアウトしていては、勝てるはずがありません。

また、練習不足のベテランOLたちを若手に入れ替えたのが裏目に出て、球団史上最悪のなんと被サック62回。RBブレント・フルウッドにいたっては、体調不良で試合後半を休んだその夜にナイトクラブで遊んでいるのが目撃され、3日後にトレードされてしまいました。

開幕第3週から復帰したQBマコウスキー率いるオフェンスが次第に調子を上げ、中盤の3連勝で6勝5敗としてプレーオフ争いに食い込みますが、そこでQBマコウスキーが肩を負傷。状態は当初思われていたより重く、回旋筋腱板の断裂でシーズンエンドとなりました。代わった若手QBたちは1勝も挙げることができず、泥沼の5連敗でシーズンを終えたのです。QBマコウスキーが実質1989年だけのワン・イヤー・ワンダーに終わったのは、この肩のケガが大きかったといわれています。

この1990年にランボーフィールドは、$8.2ミリオンをかけて36個のプライヴェート・ボックス席と1920のクラブシートを増設。キャパシティは2617席増えて収容人数は59,543名となっています。

LT Ken Ruettgers
左タックルとして90年代半ばまで活躍
LB Brian Noble
タフなラインバッカー

ロン・ウルフGM登場

1991年シーズンのパッカーズはさらに深みに落ち込んでいきます。QBマコウスキーがハムストリング負傷で7試合を欠場したため、プランB・フリーエージェント加入のQBマイク・トムザックが半分以上をプレーしました。つい2年前にはNFL6位だったオフェンスが24位へと急降下し、ランもパスも下位に低迷。12敗のうち8敗が10点差以内と比較的接戦に持ち込めたのは、主にディフェンス(トータルNFL10位)の頑張りのおかげでした。

FS Chuck Cecil
鼻梁からの出血がトレードマークのハードヒッター
QB Mike Tomczak
元ベアーズQBが1年だけGBでプレー

失敗続きのチーム運営を見たボブ・ハーラン社長はシーズン終了を待たず、ヴァイキングスに敗れて2勝9敗となった11月20日にトム・ブラーツGMを解任。後任に選んだのはジェッツの人事部長をしていたロン・ウルフ Ron Wolfでした。

ロン・ウルフはレイダーズのアル・デイヴィスの下でスカウティングのキャリアを始め、スーパーボウル制覇も経験します。1975年にはエキスパンション・チームのバッカニアーズの初代GMとして招かれましたが2年で解任され、古巣レイダーズの人事部長としてさらに2回の優勝に貢献したあとジェッツへ。1987年にもパッカーズから誘いがありましたが、その時は「ヘッドコーチ人事を含めた全権を与えられないなら」と断っています。バッカニアーズ時代、オーナーに全権を与えられず不振の責任だけを押し付けられた苦い経験から、GMに全権がなければよいチーム作りなどできない、と身に染みていたのです。

Ron Wolf
球団の歴史を変えた敏腕GM
S LeRoy Butler
プロ2年目から先発に定着

シーズン最終戦の翌日、ロン・ウルフ新GMは大方の予想どおりリンディ・インファンテHCの解任を言い渡します。就任から5週間かけて球団全体を精査した結果、これは避けられない結論でした。当時目撃した球団内外のぬるま湯体質を、ロン・ウルフは次のように痛烈に表現しています。「4勝12敗シーズンを終えたばかりだというのに、誰も心から心配しておらず、誰も危機感を持っていない。私が見たかったのは、怒れる人々、パッカーズが弱いことに愕然とした人々だったのに、実際に目にしたのは、NFL球団で働けることに満足した人々、フランチャイズがあることに満足した街だった」と。

To say I was astounded by what I saw is an understatement. My entire previous work experience had taught me that winning was the only thing that mattered, yet the Packers were finishing off a horrible 4-12 season and prevailing atmosphere was, inconceivably, as pleasant as could be. No one really seemed concerned, no one reflected a sense of urgency. Having spent most of my career with Raiders, I had learned anything less than winning was failure.

I wanted to see angry people. I wanted to see people upset with situation. I wanted to see people appalled that the Packers weren't more competitive.

Instead, I saw people who were content to be working for an NFL team, and a city content that it had a franchise, even if it wasn't among the league's elite.

リンディ・インファンテがブラウンズでOCとして好成績を収めたのは状況に恵まれたからであって、ヘッドコーチとしての能力には欠けていた、オフェンス構築の能力もどうやらホンモノではなかった、というのが地元メディアの大方の見方のようです。人柄はよかったのですが選手やアシスタントコーチたちに忠実でありすぎ、非情になれない弱さもありました。彼ばかりのせいではないとはいえ、ぬるま湯体質に一役買っていたのはたしかでしょう。

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