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2015年2月13日

コーチ陣の改編を発表

マイク・マッカーシーHCは以下のとおりアシスタントコーチ陣を組み替えることを発表した。エドガー・ベネットWRコーチをオフェンシブ・コーディネーターとし、トム・クレメンツOCをオフェンス担当のアソシエイト・ヘッドコーチに。WRコーチはアレックス・ヴァンペルトQBコーチが兼ねる。スペシャルチームコーディネーターには予想どおりロン・ズックがアシスタントから昇格。そのほか、2人の新入団コーチも発表された。

こうした肩書きよりも重要なのがオフェンスのプレーコーラー。マッカーシーHCが初めてプレーコールの権限を手放し、トム・クレメンツ・アソシエイトHCに任せることが発表された。得点NFL1位を達成したオフェンスにこうした変革が必要なのかわからないが、マッカーシーHCは、これまでのようなオフェンス一辺倒でなく、ディフェンスやスペシャルチームの采配にも自分が大きく関わっていくための権限移譲であることをあきらかにしている。昨年バイウィークに彼がディフェンス変革の音頭をとって成功を収めたこともきっかけになったかもしれない。

こちらのESPN記事によれば、ヘッドコーチがプレーコーラーを兼ねているのは現在10球団。(オフェンス8、ディフェンス2)

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トム・クレメンツはこれまでプレーコールをしないOCだったが、今年からはアソシエイト・ヘッドコーチの肩書でプレーコールを担当することに。「プレーコーラーとアーロン・ロジャースの関係はきわめて重要であり、それが今回の決断の大きな要素となった」とマッカーシーHCは語っている。実質共同OCのようなQBロジャースはマッカーシーHCとの議論がヒートアップしてしまうことも時々あるので、そうした状況を避けて一歩下がったところで全体像を見たい、というマッカーシーHCの考えが今回の権限移譲にはあったかもしれない。

トム・クレメンツ Tom Clementsはペンシルヴェニア州ピッツバーグ出身の61歳。名門ノートルダム大でQBとして活躍し、1973年には無敗の全米王座にも貢献。ハイズマン賞投票でも4位に入った。卒業後はCFL4球団で活躍をつづけ、新人王、MVP、グレーカップ優勝2回、オールスター選出7回。CFLの殿堂入りも果たしている。そのかたわらロースクールも卒業し、引退後は4年間弁護士として働いた。1992年に母校ノートルダム大のQBコーチとなり、その後セインツ(1997-99)、チーフス(2000)、スティーラーズ(2001-03)でもQBコーチを務めた。2004年からビルズでOCを務めたものの、マイク・ムラーキーHCとともに2年で解任。マッカーシーHC初年度からパッカーズのQBコーチとなった。

つねに冷静で、細部まで妥協を許さぬ指導はQBロジャース育成に大きく貢献し、マッカーシーHCとともにロジャース育成の立役者とみなされている。2012年にジョー・フィルビンが退団すると後任OCとなり、マッカーシーHC中心のオフェンス指導を助けてきた。

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エドガー・ベネットはRBコーチとWRコーチを経て、ついにオフェンシブ・コーディネーターへの昇格を果たした。前述のとおりゲームデイのプレイコールはトム・クレメンツ・アソシエイトHCが担当し、ベネットはこれまでのクレメンツと同じアドバイザー的な役回りとなる。実質OCでないとはいえ、元RBがオフェンシブ・コーディネーターまで出世するのは珍しいことではないか。

エドガー・ベネット Edgar Bennett はフロリダ州ジャクソンヴィル出身の45歳。フロリダ州立大から1992年4巡指名でパッカーズに入団し、1995年にはエースRBとして1000ydsラッシングも記録。レシービングも上手いウェストコーストオフェンス向きのRBだった。1996年のスーパーボウル制覇にも貢献したが、1997年プレシーズンにアキレス腱を断裂。2年間ベアーズでプレーしたあと引退となった。裏方として選手たちのアドバイザー役(2002年記事へ)を4年間務めたあと、2005年からRBコーチに。徹底したボールセキュリティ指導は評価が高かった。2011年にはWRコーチへ。スタッツ的に優秀なだけでなく、ボールセキュリティ強化、献身的なランブロッキングでも大きな成果を上げている。

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スペシャルチームコーディネーター(当サイトでは省略してSTコーチにしてしまっているが)にはロン・ズックが昇格。先日解任されたショーン・スローカムの後任となった。快活でエネルギッシュで誰からも好かれるモティベーターのタイプ。いっぽう戦術面の実績はあまり評価が高くない。アシスタントだったズックにも不振の責任があるのに昇格させるのは筋が通らない、という声があるのもたしか。

ロン・ズック Ron Zook はオハイオ州アシュランド出身の60歳。マイアミ大(オハイオ)でDBとして活躍し、卒業後は高校のアシスタントしてコーチ修業をスタート。1978年のマレー州立大を皮切りに、ディフェンスまたはスペシャルチームのコーチとしてキャリアを重ねてきた。1996年から3年間はスティーラーズのSTコーチを務め、その間のスペシャルチームランキングは23位、12位、23位だった。2000年から2年間セインツでDCを務め、そのときにマッカーシーHC(当時OC)と縁ができた。2002年から3年間フロリダ大でHCを務めたあと解任されたものの(23勝15敗)、彼のリクルートした選手たちが2006年の全米制覇を成し遂げた。イリノイ大のHCを7年間務めたが、通算57勝65敗の不振で解任されている。

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アシスタントOLコーチとしてマイク・ソラリ Mike Solari が入団。ジェッツに移ったスティーヴ・マーシャルの後任となる。ソラリはNFLで四半世紀以上の実績を持つ60歳のベテランで、過去5年は49ersで強力OL陣を指導していた。チーフスではハーマン・エドワーズHCの下で2年間OCを務めた経験もある。1997年から98年にチーフスでマッカーシーHC(当時QBコーチ)と同僚だった縁で誘われたものと見られている。実績からいってアシスタントOLコーチでは役不足の感が否めないが、本人としては浪人するよりマシといった感じか。

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"Defensive Front Assistant"としてジェリー・モンゴメリー Jerry Montgomery が加わることになった。フロント7の担当としてDLコーチとLBコーチの両方をアシストする。アイオワ大出身の35歳。大学で4年間DTをプレー(アーロン・キャンプマンのチームメイト)したあと、ドラフト外でセインツに入るがロースターに残れず、高校のアシスタントコーチを務めながらアリーナリーグでプレーした。その後本格的にコーチの道へ進み、ノーザンアイオワ、ワイオミング、オクラホマでDLコーチ。その実績が認められて共同コーディネーターへと先日昇格したばかりだった。

ウィスコンシン大のデイヴ・アランダDCも先日パッカーズと面談を行い、その結果としてモンゴメリーが選ばれたようだ。おもにドム・ケイパースDCのそばでアシストするのが役目、とマッカーシーHCは説明しているので、ポジションコーチよりも実質DC補佐の役目が大きいのかもしれない。

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ジェイソン・シモンズ Jason Simmons がアシスタントSTコーチに昇格した。アリゾナ州立大出身の38歳。1998年ドラフト5巡でスティーラーズに入団し、2002年からはテキサンズでプレー。NFL10年間のうちほとんどはスペシャルチーマーで、先発は12試合のみ。2011年にパッカーズにくわわってcoaching administrator を3年間務め、昨季はディフェンスとスペシャルチーム両方のアシスタントだった。

2015年2月 5日

NTガイオンがマリファナ大量所持で逮捕

NTルトロイ・ガイオンが故郷フロリダ州スタークにて、マリファナと拳銃の所持で逮捕された。同州では20グラム以上のマリファナ所持で重罪(felony)となる規定(個人使用でなく販売目的とみなされるため)。火曜夜11時過ぎに彼の車が停止を命じられたとき、357グラムものマリファナと拳銃(9mm口径セミオートマチック)、それに$19万ドル以上の現金が発見されている(写真)。拳銃は登録済みのものだったようだが、「重罪を犯す際に銃を携帯していると重罪」となるらしい。すでに保釈金を収めて釈放されているが、$10万ドルに設定された保釈金が重い罪状を示している。

NTガイオンは昨春ヴァイキングスから1年契約でFA加入し、B.J.ラジの代役として期待以上の働きを見せた。このところパッカーズと契約延長交渉を進めていたが、それもご破算になりそうだ。放っておけばFA退団なので解雇の必要はないが、こうした不祥事の場合、FA解禁を待たずに解雇してしまう例が最近いくつか出てきている。

パッカーズ選手の逮捕は2011年11月25日のOLBエリック・ウォルデン(同棲相手への暴力)以来、約3年2か月ぶり。

2015年2月 1日

ロン・ウルフ元GMが殿堂入り

90年代パッカーズ再生の原動力となったロン・ウルフ元GMがついに殿堂入りを果たした(全リスト)。1991年末から2001年までパッカーズのGMとして、マイク・ホルムグレンHC、QBブレット・ファーヴ、DEレジー・ホワイトを獲得するなど、こんにちまでつながる黄金期の礎を築いた人物だ。システマティックなスカウティング手法をチームに根付かせただけなく、スタッフの育成でも並外れた功績を残した。彼の下から数多くのGMが育ったことも選出を後押ししたことだろう。殿堂入りセレモニーは8月8日。彼がプレゼンター役に誰を選ぶのかも興味深いところだ。

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ロン・ウルフ Ron Wolf はペンシルヴェニア州ニューフリーダム出身の76歳。高校を出ると3年間陸軍情報部で働いたあとメリーヴィル・カレッジ(テネシー州)で野球をプレー。アル・デイヴィスの誘いで1963年からレイダーズに入り、人事部長を務めた。彼の獲得した名選手たちが後に3回のスーパーボウル制覇を成し遂げている。そうした手腕が認められ、1975年には37歳の若さで新設バッカニアーズの初代GMに就任。在任3年間でわずか7勝しかできなかったものの、退任翌年にチームはカンファレンス決勝まで進んだ。その後ふたたびレイダーズ、そしてジェッツで人事部長の要職を務めた。

1991年12月、ボブ・ハーラン社長の招きでパッカーズのGMに就任。シーズン終了とともにリンディ・インファンテHCを解任すると、49ersのOCだったマイク・ホルムグレンをHCとして招へいし、さらに1巡指名権とのトレードでQBブレット・ファーヴを獲得した。彼がジェッツいた頃からファーヴに執着していたことはよく知られている。(ホルムグレンは必ずしも熱心でなかった)

長年の負け犬チームに勝者のメンタリティを植え付け、就任1年目で勝ち越しを果たすと、翌1993年には超大物FAのDEレジー・ホワイトを口説き落とすことに成功。「NFLのシベリア」としてFA選手に嫌われていた球団が、このときからポピュラーな移籍先へと変化していった。そして11年ぶりのプレーオフ進出。矢継ぎ早の積極補強とともにチームは階段を上り、1996年には29年ぶりのスーパーボウル制覇を成し遂げた。彼もやがてNFL最高給GMとなり、2001年春に引退。在任10年間に負け越しシーズンは一度もなかった。

2005年にはボブ・ハーラン社長の相談役としてテッド・トンプソンをパッカーズの新GMに推薦。最近はレイダーズ、チャージャーズ、そして先日はジェッツでオーナーの臨時コンサルタントとなり、新GM選考に協力している。彼の部下からGMになったのは、テッド・トンプソン、マイク・ラインフェルト(元TEN)、ジョン・シュナイダー(SEA)、ジョン・ドーシー(KC)、レジー・マッケンジー(OAK)、そして先日就任したスコット・マクルーイン(WAS)のなんと6人。 「ゼネラルマネージャー界のビル・ウォルシュ」という声も聞かれるまでになっている。

1992年1月11日 マイク・ホルムグレンHCの就任会見

ブレット・ファーヴのロッカールーム前にて

1997年1月26日 スーパーボウル表彰式での3首脳

引退後も毎年キャンプを訪れる 左は息子のエリオット・ウルフ人事部長

2011年2月6日 スーパーボウル勝利後のロッカールームにて ボブ・ハーラン名誉会長と

NFL Honors の中で紹介された2015年殿堂入りメンバー(ウルフは左から5番目)

殿堂入り発表後の会見にて

アーロン・ロジャースが二度目のMVPに

QBアーロン・ロジャースが2014年シーズンNFLの Most Valuable Player に選出された。2011年に次いでキャリア2回目。今季のロジャースはパス4381yds、成功率65.6%、38TD、5INT(NFL最少、球団新)、レーティング112.2を記録し、とくにホーム(全勝)ではインターセプトゼロの大活躍だった。50票のうち彼が31票(前回は48票だったが)を獲得し、次がJ.J.ワットの13票。あとは2票以下だった。

パッカーズ選手の受賞は、RBポール・ホーナング(1961)、FBジム・テイラー(1962)、QBバート・スター(1966)、QBブレット・ファーヴ(1995・96・97)に次いで球団史上5人目、8回目となった。現役選手でMVPを獲っているのはQBペイトン・マニング(5)、QBトム・ブレイディ(2)、RBエイドリアン・ピーターソン(1)とQBロジャースの4人しかいない。

授賞式のビデオはこちら。MVPシーズンのまとめビデオはこちら。その他にもQBロジャースは、"Air NFL Player of the Year" をファン投票により受賞している(写真)。また彼は "Walter Payton NFL Man of the Year Award" の最終候補3人に入っていたが、そちらはLBトーマス・デイヴィス(CAR)が受賞した。MACC Fundで小児がんの子供たちを支援する彼の活動の紹介ビデオはこちら

レッドカーペットにて 交際中の女優 オリヴィア・マン

表彰式の壇上にて