グリーンベイ・パッカーズ ニュース

2012年5月16日

フットボール後の人生がなぜ険しいか

ジュニア・セアウ自殺が世間に衝撃を与えたこの機会に、NFL選手が引退後に迎える精神的な危機について、元パッカーズ交渉担当アンドリュー・ブラントがESPNに寄稿している。かつては代理人(QBハッセルベックなど)、そして球団側の選手サラリー担当としてたくさんの選手を間近で見てきた彼だけに、その証言は生々しく、切実なものがある。

 

ジュニア・セアウの悲劇がNFL選手の引退後の生活に光を当てた。結局のところフットボール人生よりも重要な、人生の一部分に。

- 音楽が止まる時 -

フットボール選手がNFLレベルでプレーするようになったときから、彼らの暮らしはフットボールに管理されたものとなる。チームミーティング、ポジションミーティング、練習、春の練習、ウェイトトレーニング、ランニング練習、チームでの食事、バス移動、飛行機での移動、チームでの祈りなどなど。彼らの仕事はそれらに出席し、役割を果たすこと。あとのことはチームが面倒を見てくれる。

パッカーズに在籍したころ私がいつも感心したのは、選手たちに提供されているリソースの豊富さだった。選手がランボーフィールドにやってくれば、彼らをコーチするスタッフ、手当をするスタッフ、食事を出すスタッフ、トレーニングするスタッフ、カウンセリングするスタッフなどがいる。そして選手のロッカーは、練習やワークアウトやゲームといったスケジュールに応じ、きわめてよく整えられている。

そうした球団内の豊富なリソースに加え、選手たちにはロッカールームでの仲間意識や友情、毎週やってくる具体的な結果のスリルがある。素晴らしい年月だ。

しかしいつかは、その音楽の止まる時がくる。たいていの選手は数年またはそれ以下でこの世界を去り、初めてフットボールのない世界へと放り出されるのだ。すでに実社会を歩み始めていた同期卒業の仲間たちに追いつかなければならなくなる。

セアウのようなスター選手には、大多数の選手よりも音楽は長く鳴り続ける。経済的な困難が少ないいっぽう、埋めるべき空虚感はより大きなものになる。情熱を傾ける対象が見つけられない、という声を私はよく元選手から聞かされたものだ。かつてフットボールがくれたような快感、アドレナリンの噴出する機会が一市民の暮しにはないのだと。

そういえば、「なぜ再出征を求めて再入隊する兵士が多いか」という似たような調査報告を読んだことがある。彼らは戦闘の興奮が忘れられず、それに代わる興奮を実生活において見つけられないのだという。

- 突然の変化 -

現役選手が元選手になるのはあっという間のことだ。NFLじゅうで1年に何千回も起こっている会話だが、チーム幹部がその選手に対し、「違う方向へ進むことになった」と告げる。その瞬間、在籍選手は元選手へと変わるのだ。

1時間もしないうちに、彼はプレーブックを返却し、ロッカールームの名札は取り外され、帰りのフライトが予約される。コーチやフロントオフィスの面々は、彼が建物から出もしないうちに、別のより重要な用件へと取りかかっている。

ルーキー・シンポジウム、予約担当のスタッフ、フィナンシャル・セミナー、オフシーズンのインターンシップにいたるまで、新入団選手や在籍選手には豊富なリソースが用意されているというのに、去っていく選手には同じようなサポートシステムは存在しない。それは代理人も似たようなものだ。給料を稼いでくれる(代理人にも歩合が入る)選手にはよく世話を焼く代理人たちも、元選手にはあまり注意を払ってくれなくなる。

最近私は元選手たちと話す機会があったが、彼らのフラストレーションと怒りの大きさに驚かされた。誰も与えてくれない解答を彼らは探し続けている。所属したチームも、かつての代理人たちも、NFL本部も、NFL選手会も、正解を教えてはくれない。彼らは実社会で漂い続け、誰も救命具を与えてくれない、という印象を私は持った。悲しいことだった。

- 変えるべき心構え -

フットボールが人生において良いスタートを与えてくれても、それが一生続くわけではない。フットボール選手であることはその人間の一部分であって全人格ではない。NFL生活は、その後の人生への良いスタートになる契約や経済的基盤を与えてくれる。しかしそれは、良いスタート地点であるにすぎない。ニックネームやソーシャルメディアや車のナンバープレートや背番号を通して世間に認知されてきた選手たちが、ジャージを脱ぐと同じようにはできなくなってしまう。

現役選手の多くは自分を無敵のように感じているものだ。NFL選手のキャリアがいかに脆いものか理屈ではわかっていても、現実には引退後のプランを立てている選手などほとんどいない。さらに言えば、選手たちの世界観はきわめて短期的なものだ。彼らが心配するのは次の練習、次のゲーム、次のシーズン、そしておそらく最も大事なのは、次の契約だ。第二のキャリアとか長期的な健康といった課題はまたこんど考える。それを変える必要があるのだ。「またの機会」を今このときにしなければ。

セアウの心の中にいた小さな悪魔について、自殺を現実的な選択肢としてしまった悪魔について、よく知らない私はコメントする資格がない。しかし、伝説的フットボール選手さえも逃れられない、抑鬱や存在意義の喪失といった過酷な現実を、私は理解している。華やかな名声や富の影で、多くの元選手たちが人知れず苦しんでいる。富も名声もファンからの敬愛もすべて持っているかに見えたセアウが、暗闇から逃れられずにいた。そしていま、彼の3人の子供たちは、毎朝目が覚めたときに父親がいないのだ。

どんなに困難に思えても、フットボール選手たちは音楽が止まったときに備えておく必要がある。セアウはできる限り長くプレーした。ブレット・ファーヴやマイケル・ジョーダンやロジャー・クレメンスなど多くの選手と同じように。彼らがみなよく知っているように、そのときが来たら完全に終わりであり、30年から60年にわたる引退生活が待っている。情熱の対象を見つけ、健康で充実した年月を過ごすことは、ときにフットボールをプレーすることよりも難しいものだ。

今回のセアウの悲劇が、引退のときのためにもっと精神的な準備をしておくよう、アスリートたちに促す結果になるかもしれない。NFL選手もいつかは必ず死ぬとはいえ、フットボールのキャリアが終わったあとも人生は続いていくのだから。セアウの悲劇が、いずれやってくる空虚感を埋められる情熱を見つけるよう現役選手や元選手に働きかけることになってほしいと願わずにはいられない。

カテゴリ : NFL, Player