グリーンベイ・パッカーズ ニュース

2012年2月16日

MVPクォーターバックの修業時代

スーパーボウルMVPとシーズンMVPを立て続けに受賞し、QBアーロン・ロジャースはいまやNFLを代表するスターの1人となった。「当時からすごかった」 「こうなると思っていた」的な回顧談ばかりがあふれているが、2008年までは決して高い評価ばかりではなく、これほどの成功を予見した者はむしろ少数派だった。「NFL1年目を終えたとき、彼がスターになるかバストになるかと聞かれたら、私はバストと答えたかもしれない。多くの人事担当者もそう答えただろう」と Journal Sentinel紙のボブ・マッギン記者は言う。

彼のややユニークな経歴や、2005年のドラフト指名が24位まで落ちたこと、そして2008年ファーヴ騒動の苦しみはよく知られているものの、NFL最初の3年間がどうだったか、どう評価されていたかを取り上げた記事は少ない。先発昇格までの彼について、他球団の人事担当者(GMや人事部長やカレッジスカウト部長など)から聞いたコメントをまじえ、マッギン記者が以下のように振り返っている。

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ロジャースがドラフト指名されたのは21歳4か月のときで、高校を出て3年しか経っていなかった。未熟なくせに自信がありすぎ、物腰も如才なさすぎると受け取られていた。シャーマンHCからミニキャンプ参加を免除されたファーヴについて、「怠けている」とまずい冗談を言ってしまったこともある。さらに悪いことに、プレー失敗のあとでレシーバーに対し、「お前のミスだ」とボディ・ランゲージで示しまう場面もよくあった。

ドラフト前のコンバインでの計測では身長6フィート2(188cm)、体重223ポンド(101kg)。ただその体重は「よくないウェイト」(ぜい肉でできている)と見る球団もあった。40yds走は4.73秒を記録したが、トップクラスのアスリートと見る球団はほとんどなく、厳しいNFLの世界では耐久性に問題ありと見る向きも多かった。

2005年秋には殿堂入りの名コーチ、ビル・ウォルシュが、「ロジャースは伸びシロがもうないのかもしれない」という見方を示した。 「見た通りの選手だ。彼には、いま示しているより大きなポテンシャルは隠れていない。彼はカレッジ界の素晴らしいコーチによるシステムの産物にすぎない」

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2005年、ルーキーシーズンのロジャースがプレーしたのは、ビルズとの合同スクリメージ、プレシーズン4試合、第15週BAL戦の第4Q(大敗でファーヴが早く退いた)の6回。どの出場機会でも、彼の出来は散々だった。プレシーズンで初めて得点できたのはようやく4試合目のテネシー戦、33ydsのパスインターフェアに助けられてのもの。合計20シリーズ目のことで、それまでの19シリーズはパント16回、インターセプト2回、ファンブルロスト1回という体たらくだった。

ドラフト指名順でなくキャンプやプレシーズンのパフォーマンスだけで決まるなら、2番手QBは楽々とクレイグ・ノール(2002年5巡指名)のものになっていただろう。ファーヴが第3Q途中で退いた第15週レイヴンズ戦では、ロジャースはインターセプト1回、ファンブル3回(ロスト2回)、被サック3回に終わった。

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2006年ドラフトの前、マッギン記者は18人のNFL人事担当者にアンケートを取り、ヴィンス・ヤング(3位でTEN)、マット・ライナート(10位でARI)、ジェイ・カトラー(11位でDEN)とロジャース(プロ2年目)をランク付けしてもらった。ロジャースの1位票はゼロ、2位が1票、3位も3票だけだった。11人が彼を4位とし、残る3人にいたってはブロディ・クロイル(3巡でKC)とチャーリー・ホワイトハースト(3巡でSD)よりもロジャースを下に評価していた。

ロジャースはドラフト前のインタビューで、「1巡5位でQB指名するという噂も聞いた」と語った。テッド・トンプソンGM自身もQB指名の可能性を否定しなかった。けっきょくドラフト本番ではA.J.ホークを指名したが、QB指名が話題になってもおかしくない状況だったのだ。

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プロ2年目の2006年、パッカーズではヘッドコーチがマイク・シャーマンからマイク・マッカーシーに交代。49ersのOCとしてアレックス・スミスの方を高く評価したマッカーシーだけに、ロジャースの立場がなおさら厳しくなってもおかしくない。彼はオフシーズンにマッカーシーHCとクレメンツQBコーチのいわゆる"Quarterback school"にフル参加したが、2年目のキャンプでも彼のパフォーマンスは不安定で、1年目よりわずかにマシになったにすぎなかった。

プレシーズン初戦のSD戦の内容がよかったため楽観論が出始めたものの、第2戦の出来は平凡で、第3戦、第4戦とどんどん悪くなっていった。レギュラーシーズン唯一の長い出番は第11週NE戦(第2Q半ばでファーヴが負傷退場)だったが、ここでもプレー内容はひどいものだった。3回サックされ、オープンのレシーバーに何度もパスを投げ損ね、パス成功は4/12のわずか32ydsでけっきょく完封負け。さらに左足を骨折してしまい、手術を受けてシーズンエンドとなった。

あるAFC球団の人事部長は、「彼は(新ヘッドコーチの)新しいシステムでプレーしているので、あまり厳しいことは言いたくない。しかし彼が成長するのは・・・もし成長すればだが・・・時間がかかりそうに見えるね」と語っていた。同じ人物が先日つぎのように振り返っている。 「彼が2年目のプレシーズンを終えたあとパッカーズから解雇されたとしても、誰もショックを受けなかったかもしれない。当時はあまりよい選手ではなく、よいプレーを決められなかった」

こうして迎えた2007年ドラフトの直前、トンプソンGMはまたもQB指名の可能性を否定しなかった。18人のNFL人事担当者のうち12人が、ブレイディ・クイン(22位でCLE)の方をロジャースよりも高く評価した。

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プロ入りから2年間、ロジャースはどちらかというと型にはまったクォーターバックだった。カリフォルニア大のジェフ・テッドフォードHCの教えにより、投げる前にボールを右耳のそばまで高く上げて構えていたのは有名だ。(写真右

こうすることでリリースがより速くなり、正確性もアップするとロジャースは主張していたが、プレッシャーに対して多様なリリースポイントで投げる能力が制限され、ダウンフィールドへ力強いパスを投げることもできにくかっただろう。マッカーシーHCたちはその構えを低く下げるようフォーム改造を続け、この3年目には問題でなくなっていた。

当時は多くのNFL人事担当者が、ロジャースはポケットでの感覚がよくないと指摘していた。早く逃げ出しすぎる、ボールを持ちすぎる、スクランブルが効果的でない、パスの正確性に失望させられた、などなど。3年間のプレシーズンでファンブル7回(ロスト4回)というボールセキュリティの悪さもあった。

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2007年、足の手術からの復帰途上のロジャースはカリフォルニアに帰った。ケガ人としてだけでなく、謙虚な男として故郷に帰った。スターターとして成功できるだけのものを自分が持っているかどうか、まだ疑問を持っていた、と本人は振り返る。同時に、3年目はもっとナチュラルにプレーしようと心を決めてもいた。

「試合に出られないことで、出ても良いプレーができなかったことで、僕は謙虚にならざるをえなかった。プロ入りしたとき僕はまだ21歳のうぶな若造で、なのに自分では何でも分かっているつもりでいた。新人のころと比べると、僕のボディ・ランゲージは練習を含めてかなり進歩したと思う」とロジャースはこの2007年夏に語っている。

体重と体脂肪率を落としつつ、筋肉量を増やして実戦でのヒットに耐えられる体を作った。よりタイトなスパイラルで投げられるようになった。衝動的なミスが減った。ポケットに長く留まるようになった。チームメイトのミスを責めたり自己弁護することをやめ、チームメイトに自分のポジティブな面を見せるようになった。

そうした努力の成果は目覚ましいものだった。プレシーズン第1週PIT戦では、75yds、71yds、57ydsの得点シリーズを成功させた。彼は大きな自信をつけ、リーグ中の人事担当者たちが彼の大きな変化に注目するようになった。

レギュラーシーズン第13週DAL戦、不振のファーヴが負傷退場すると、10-27の劣勢からロジャース率いる若いオフェンスがよく追い上げ、これがキャリアの大きな転機となった。カウボーイズのLBブレイディ・ジェームズは、「僕に言わせればブレット・ファーヴよりアーロン・ロジャースの方がずっとよいプレーをしたよ」と感想を漏らした。

シーズンが終わるまでには、トンプソンGMもマッカーシーHCもロジャースに惚れ込むようになっていた。翌2008年3月にファーヴが引退を表明すると、ロジャースは優れたリーダーシップをもってチームを率いた。ファーヴがエースQBへの復帰を求めても、球団はそろってノーと言った。

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そしていま、ロジャースの肩はかつてとは比べ物にならない強さがある。一朝一夕にできたことではない。彼は生体力学の専門家とスローイングの強化に取り組み、同時に肩まわりの小さな筋肉群の強化も熱心に続けてきた。

クレメンツQBコーチとマッカーシーHCの素晴らしい指導のもと練習を重ね、ポケットの外でのプレーは驚くべきレベルに達し、(フリーのレシーバーを探していく)プログレッションの能力も並外れたものになった。

ターンオーバーへの気配りは並々ならぬもので、インターセプトとファンブルの回数は最小限に留めている。唯一の欠点だった「ボールを持ちすぎること」も2010年あたりから減少し、対戦相手としては手の施しようがなくなってきた。あるNFC球団の人事担当者は言う。 「サックはできる、というのが唯一の救いだったが・・・それさえもあまりなくなってきた」

ここに至るまで、批判を覆してみせるという気概をロジャースは一度たりとも失ったことがない。

サイズや知性において彼とよく似たリッチ・ギャノンカート・ワーナーといった選手と同じように、NFLのMVPへと花開くまでには時間がかかった。高校や大学フットボールの様相が変わるにつれ、全般的にQBたちは即戦力に近くなってきたが、心身のタフネスで欠点を乗り越えていく遅咲きの選手はこれからもずっと出てくることだろう。

アーロン・ロジャースは間違いなくそのパターンに当てはまる。

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