グリーンベイ・パッカーズ ニュース

2011年7月26日

パッカーズ・ホール・オブ・フェイム式典

今年度のパッカーズ・ホール・オブ・フェイム式典がランボーフィールドのアトリウムで盛大に開催された。今年殿堂入りしたのは元FBウィリアム・ヘンダーソン(在籍1995-2007)、元RGマルコ・リヴェラ(在籍1996-2006)、そして会計担当フランク・ジョネット(1951年死去)の3人。ヘンダーソンもリヴェラも最後は涙ながらのスピーチとなり、豪華招待客の顔ぶれとあいまって、かつてないほどの盛況となった。

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グリーンベイ市の出納係も務めたフランク・ジョネットは、球団設立直後からパッカーズの経営に関わり(Indian Packing Companyで働いていた縁らしい)、球団存続の危機を何度も救った。1920年には最初のフィールド Hagemeister Park の周囲にフェンスをめぐらして料金を徴収する決定に参画した。(それまでは見物人に帽子を回して寄付金を募るだけ)

大恐慌まっただなかの1933年、ファン転落事故の賠償支払いを命じられて球団は危機を迎えた。判事から管財人に指名(球団監査役を管財人に選んだ温情判決)されたジョネットは債権者を説得し、史上二度目の株式発行で資金を集めるなど、球団を解散・清算することなく数年がかりで立て直しに成功した。その後正式に球団の会計担当に。1950年にはカーリー・ランボー元HCの放漫経営で球団はまたもピンチに追い込まれるが、ジョネット主導による株式発行で破産の危機を逃れている。

式典でプレゼンターを務めたボブ・ハーラン名誉会長は次のようにジョネットの功績を称えている。「彼のことがあまり知られていないのは残念だ。返済できないのなら解散を、と裁判所は強い圧力をかけていた。管財人だったあの4年間の彼の指導がなければ、この球団はきっと解散していただろう。球団史において最も興味深いことの1つは、コミュニティを愛するグリーンベイの地元実業家たちがさまざまな状況において球団を救ってきた、ということだ。ありがたいことに、その努力は常に成功を収めた。フランク・ジョネットもそうした献身的な市民の1人だった」

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FBウィリアム・ヘンダーソンもRGマルコ・リヴェラも、並外れたタフネスで長きにわたりチームを支え、キャリアの終わり近くなって初プロボウルに選ばれた努力家、という点が共通している。両選手は今回の式典に、10年前ごろのパッカーズ(とくにオフェンス)選手を数多く招待。RBアーマン・グリーンとWRドナルド・ドライバーが同じテーブルにつき、元WRアントニオ・フリーマンや元TEマーク・チュムラも顔を揃えている。また、殿堂入りの2人をドラフト指名したロン・ウルフ元GMへのスタンディング・オベーションは長く熱烈なものだった。

元FBウィリアム・ヘンダーソンはノースカロライナ大から1995年ドラフト3巡でパッカーズに入団。2年目から先発フルバックに定着し、スーパーボウル制覇にも貢献した。パワフルな本格ランブロッカーとして、またレシーバーとしても頼れるセーフティ・バルブだった。タックルに来たラインバッカーをハードルのように飛び越える姿はまだ記憶に新しい。現役12年間でわずか欠場4試合。2007年3月に解雇されて引退の道を選んでいる。

元RBエドガー・ベネット(現WRコーチ)とRBアーマン・グリーンに対し、「ありがとう。君たちのおかげで僕が優秀に見えた」と笑わせたヘンダーソン。チームに食らいつくことだけが目標だった自分がこうしてパッカーズの殿堂入りできた感激を語っている。「グリーンベイ・パッカーズを・・・・・そしてパッカーズ・ホール・オブ・フェイムを代表することができるのは素晴らしいことだ。自分がこんなことを言える日が来るなんて今でも信じられない。過去何十年にもわたって努力を積み上げてきた先輩たちに自分が加われるなんて」

「グリーンベイに、ウィスコンシンに戻ってくるたび、素晴らしい経験ができる。子供のころから、パーティなどさまざまな楽しみを犠牲にして打ち込んできたことが、こうして報われている気がする。暑い日の練習、コーチからの叱責、母のしつけ、父の仕事熱心さ。そうしたことすべてが、素晴らしい結果になって返ってきた」

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元RGマルコ・リヴェラはペン州立大から1996年ドラフト6巡指名でパッカーズに入団。2年間の修業ののち1998年に先発右ガードに昇格し、2005年にFA移籍するまで1試合しか欠場しなかった。安定感があり粘り強いプレースタイルで、2002年から3年連続プロボウルにも選ばれている。移籍先のダラスでは背中のケガに苦しみ、わずか2年で引退を強いられた。MCL断裂のままプレーを続行するなど現役時代の無理がたたり、いまも体じゅうの問題に苦しんでいるという。

今回は家族や友人を150人も招待し、2000年代前半のOL全員(LTクリフトン、LGウォール、Cフラナガン、本人、RTタウシャー)も、愛すべきマルコを祝福するために集まった。このOL陣は2003年にRBアーマン・グリーンを1883yds走らせ、2004年はシーズン被サックわずか12回。抜群のケミストリーを誇り、球団史上屈指の強力OL陣といってい。

リヴェラが今回プレゼンターに選んだのは、自分をプロボウラーに育ててくれたラリー・ベクトル元OLコーチ(在任1999-2005/ベイトルとは読まないので注意)。 「彼が素晴らしい選手になれたのは、彼のハート、内側に持っているもののおかげだ。その点で彼ほどの人物はいない。心からそう思う」と愛弟子を称賛している。リヴェラはその恩師にむかって、「優しい言葉をありがとう。でもなぜ練習フィールドで言ってくれなかった?」と呼びかけ、満場の爆笑を誘った。(ベクトルは罵詈雑言の鬼コーチとして鳴らした)

彼が先発に昇格できたのは、親友のOGアダム・ティンマーマンがラムズに移籍したおかげでもある。「アダムをセントルイスに移籍させ、僕を残してくれてありがとう」とロン・ウルフ元GMに語りかけてまたもや爆笑。

ランボーフィールドで記念写真

フランク・ジョネット(1950年撮影)

カテゴリ : History, Team/Organization