グリーンベイ・パッカーズ ニュース

2011年5月19日

OTデレク・シェロッドと家族

1巡指名のOTデレク・シェロッドはカリフォルニア州チュラヴィスタで生まれ、ミシシッピ州コロンバスで育った。父ルイスは航空管制官など30年間勤め上げた海軍軍人、母ハリエットもかつては空軍基地で働いていた。デレクと兄デズモンドはフットボールの道に進んだが、妹はすでに軍隊に入っている。退役した父ルイスはトラック運送大手シュナイダー・ナショナル社のドライバーとして、本社のあるグリーンベイにときどき立ち寄ることもあるという。

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デレク少年がフットボールチームを辞めたのは10歳のときのこと。「なにを辞めたいって? と聞き返しましたよ。用具に$200ドルも支払ったばかりだもの。まあ、なにか失敗するたびに子供たちを走らせるようなコーチだったし、デレク自身もあのころは体が絞れていなかったし、フットボールのことなど何も知らなかった。コーチがデレクを二度か三度走らせたあとで、『ママ、僕もうプレーしたくないよ』 と言い出しちゃって」

「スポーツに関しては、本人のやりたくないことを無理強いすることはありませんでした。だから、高価な用具代が無駄になったのは受け入れるしかなかった」と母ハリエットは笑う。しかし学業についてはそうしたことは許されなかった、と兄デズモンド。「我が家で一番重視されたのは学校の成績と、学校で行儀よく振る舞うことだった」

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フットボールを辞めた後はサッカーやバスケや野球に熱中していたデレクだが、数年後に再びフットボールを見出した。4歳上の兄デズモンドの影響だった。「デズモンドの行くところに必ずデレクはついていった。デズモンドがすることは必ず真似をした。デズモンドのするスポーツは何でもやった。背番号まで一緒にしてたぐらい」と母ハリエット。

弟と同じミシシッピ州立大でタイトエンドとして活躍した兄デズモンドは、スティーラーズにドラフト外入団してプラクティス・スクワッドにいたほか、テキサンズに籍を置いたこともある。昨季はUFLでプレーしたものの、NFLでプレーする夢を捨てたわけではない。

カレドニア高校でシェロッド兄弟を教えたコーチのジャック・ハンキンズは言う。「彼ら兄弟はウェイトルームでも常に競争していた。デズが200ポンドを挙げたら、デレクは205ポンドを目指す。デレクが205ポンドを挙げたら、デズは210ポンドを挙げなきゃいけない。彼らがベンチプレスで300ポンドに到達したときのことは忘れられないよ。見ていた方が、『さあそこをどいて、オレにもできるかどうか見てみようじゃないか』 と言ったんだ」

兄デズモンドは高校時代を振り返る。「けっして強豪チームじゃなかったし、プロフットボールをプレーすることなんて、僕ら誰も考えもしなかった。あの高校でディビジョンI校からの奨学金をもらったのは僕が初めてで、2人目がデレク。今でもその2人だけなんだ。そんな環境だから、スポーツで奨学金を手にすることなんて誰も考えてもいなかった。僕がデレクのためにドアを開いてやったみたいだね。彼は僕よりもずっと優秀だったから、そのチャンスを最大限活かした」

大学でもデズモンドと同じように、デレクは優秀な成績(成績平均点3.5)で経営学の学位を取得し、すでに修士課程に進んでいる。いずれは修士号も取得するに違いない。なぜか? デズモンドがすでに取得しているからだ。

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彼らシェロッド兄弟をミシシッピ州立大で指導したのは、元パッカーズRBコーチのシルヴェスター・クルームHC(現ラムズRBコーチ)だった。「デレクに才能があるのはわかり切っていた。しかし一番強い印象を受けたのは、兄との競争のおかげか、彼は信じられないほどのハードワーカーだということだ。私が就任したときにはすでにデズモンドはチームにいて、こいつの弟ならばチームに欲しいと思ったよ。デレクは兄よりずっと能力があるのだから、もし兄と同じだけの熱心さがあればデレクは1巡指名選手になれる、と思ったものだ」

その期待に応え、デレクは強豪ひしめくSECの中でも優秀な左タックルとして活躍し、昨季は一度もサックを許さなかった。「彼はタックルに求められるものすべてを持っている。少なくとも私がヘッドコーチでいた間は欠場したことがない。非常に優秀な学生であり、人格の優れた人物であり、常に笑みを絶やさない。ちょっと控えめなところがあって、そのせいで世間は彼の優しさを弱さと勘違いしがちだ。しかし実際の彼はタフガイだよ。思いっきりアオテンを喰らわして、その後で助け起こしてやるような男だ。彼はそういう教育を受けているんだよ」

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