グリーンベイ・パッカーズ ニュース

2010年11月15日

なぜボウエンスをトレードした?

かつてパッカーズの交渉担当を務めたアンドリュー・ブラント元副社長が、2001年夏にデヴィッド・ボウエンスをトレードしたときのエピソードを紹介している。ボウエンスはパスラッシュDEや3-4のアウトサイドOLBとして細く長く働き、33歳となった今季第7週には2INTを挙げて週間MVPに選ばれた。

デヴィッド・ボウエンスが今もNFLにいて、ある程度の契約を手に入れてブラウンズで活躍していることは、私にとって嬉しい驚きと認めざるをえない。9年前に彼がパッカーズにいたころ、彼を北ウィスコンシンじゅう追いかけ回す借金取りたちに(管理人注: 事情は不明)、私が応対しなければならなかった。彼のグリーンベイ在籍は短かったが、彼のファイルは未払いの請求書などで分厚くふくれあがっていた。よい人間だがこのような軽率な行動をなくせるのだろうか、と私は疑ったものだが、彼はそれに成功したということだろう。

◆ ◆ ◆

忘れられないのは我々がボウエンスをトレードした日のことだ。(2001年8月上旬)ドラフト指名全員との契約を終えた私がグリーンベイ北方のビーチで休暇を過ごしていると、故マーク・ヘイトリー(選手人事担当)副社長から電話がかかってきた。練習でタイトエンドが2人倒れたから、タイトエンドを補強する必要が出てきたというのだ。借金まみれのDEボウエンス(前年3.5サック)と交換でTEボビー・コリンズを獲得することで、ビルズとはすでに仮合意ができていた。あとは私が書類を整えて、リーグに提出するだけとなっていた。

私がミシガン湖岸を歩きながら携帯でトレード書類の文言を話し合っていると、電話が通じなくなった。圏外。マークが一本も立たない。

水着をびっしょり濡らしたまま、4歳のサムを連れて州立公園の中を探し回ったが、公衆電話はひとつも見当たらない。あるのは公園保護官の管理小屋だけだ。サムを引きずってとぼとぼ歩いていくと、保護官らしき人がデスクに座っている。そこにある電話を使わせてくれと私は頼んだ。

彼は物も言わずに手振りで拒否した。しかし私はひるまず、「私はグリーンベイ・パッカーズの者で、トレードをまとめようとしている。携帯が死んでしまい、トレード成立のためには電話を使わせてもらう必要があるんだ」と言った。しかし公園保護官は水着姿の我々を軽蔑のまなざしで見て、「きっとそうだろうよ。そんなら俺はFBIだ!」と言って取り合おうとしない。

にっちもさっちも行かない。時間は刻々となくなってきている。選択の余地のなくなった私はデスクに頭を下げ、公園保護官の目をまっすぐに見つめて言った。「私はパッカーズで働いている。デヴィッド・ボウエンスをバッファロー・ビルズにトレードするところなんだが、私がいま電話を使えないとトレードが成立しないんだ!」

彼は私を見て、サムを見て、もう一度私を見た。チャンスが出てきたのがわかった。彼は言った。「ウチがボウエンスをトレードだって?」

「そう。それも電話を使わせてもらえればだ!」

「なぜウチがボウエンスをトレードするんだ?」

「電話を使わせてくれれば、その後で喜んで説明するさ!」

すると彼は、ボウエンスのトレードについてぶつぶつ言いながら、古ぼけたダイヤル式の電話を私の方に押し出した。

私はパッカーズに電話し、ビルズに電話し、NFLに電話してボウエンスのトレードを成立させた。公園保護官はトレードに関われたことに満足しきった様子で、その成り行きを見つめていた。(トレードの判断には明らかに反対の様子だったが)

◆ ◆ ◆

トレードが成立したことは、翌日の新聞に掲載された。私はその記事を見せようと公園保護官の小屋に立ち寄ったが、新聞はすでにデスクの上にあって、彼は同僚や海水浴客たちに前日の出来事を話しているところだった。自分は栄えあるパッカー・ネイションの一員であり、このトレードにも関わったのだと。まったくそのとおりだった。

デヴィッド・ボウエンスはたくさんの球団を渡り歩き(DEN、GB、BUF、WAS、MIA、NYJ、CLE)、先日は記念すべき週間MVPにも選ばれた。彼が成功しているのを見るのは嬉しいことだ。公園保護官がトレードに疑問を投げかけたのは、やはり正しかったのかもしれない。

(管理人注: TEボビー・コリンズはその年4試合出場しただけでNFLを去っている)

カテゴリ : Coach/Front Office, Team/Organization