グリーンベイ・パッカーズ ニュース

2010年10月10日

チャーリー・ペプラー: 家族の旅路

SSチャーリー・ペプラーの母方の祖父、イグナティウス・アチャンポン将軍がガーナ共和国で非業の死を遂げたのは1979年のこと。1972年に無血クーデターで軍事政権を樹立して国家元首の座についたアチャンポンだったが、7年後の軍事クーデターで失脚し、処刑されたのだ。一家は祖国ガーナを離れてドイツに渡り、イングランドを経てテキサス州フォートワースにたどりついた。チャーリー・ペプラーが生まれたのは、合衆国に移住してからのことだ。

「母の生き方を見るたびに、なんて強い女性なんだろうと思う。父親が処刑され、僕の兄を連れて祖国を逃れ、何度も移住し、離婚してからは2つの仕事をかけもちして3人の子供を育てた。その強さが、僕ら子供たちにも伝えられたのだと思う。日々の困難を、広い視野で見ることができる。携帯をなくした、コンピューターがクラッシュした、車が盗まれた。そんなのはみな小さなことだと」

自分が生まれる前のこととはいえ、一家の歴史は自分にとって生々しいものだとペプラーは言う。「祖父とは会ったことがないのだから、気持ちの上でのつながりはあまりないと言える。それでも、母の経験してきたこと、これまで家族を養ってきた旅路を知っているから、僕にとってはとてもリアルなことだ。僕がなぜここに来たか、なぜこのように育てられたか、一家の歴史が影響を与えてきたのはたしかだ。僕ら家族はそうしたことをいつも話し合っている」

三兄弟はどれもフットボールが得意だった。兄リチャードはワイオミング大でプレー。チャーリーは名門アラバマ大に進み、2006年ドラフト5巡指名でジャイアンツへ。開幕前にカットされたところをパッカーズにウェイバーで拾われ、控えセーフティ兼スペシャルチーマーとしてチームに貢献してきた。弟のジョシュもテキサスの高校でディフェンシブバックとして活躍し、兄の近くで暮らすため、南部の名門ではなくウィスコンシン大を選んでいる。

◆ ◆ ◆

ガーナは1970年代と比べて安定したが、アフリカの悲しいニュースを聞くたびに、心が揺さぶられるとペプラーは言う。「ブルース・ウィリス主演の 『ティアーズ・オブ・ザ・サン』 を見て、やはり胸にこたえた。ナイジェリアが舞台で、ガーナとはとても近いしね。そして 『ホテル・ルワンダ』 。大虐殺、軍事クーデター、内戦、社会不安といったニュースを聞くと、どれも胸にこたえる。とても他人事とは思えないんだ。そして今の人生に感謝したくなる」

2009年2月、彼は一族の故郷ガーナを初めて訪れた。父や、多くの親族と会うことができた。「とても楽しかった。変だよね、僕はそこで生まれたわけじゃない。移民二世なのに、飛行機を降りた瞬間、故郷に戻った感覚があったんだ。とても素晴らしかった」

そして今年の夏は、サッカーのワールドカップでガーナが大活躍。決勝トーナメントではアメリカを破ってベスト8入りを果たした。「アメリカ戦も含めて、僕はずっとガーナの応援だったね。ガーナのジャージを着てさ、最初から最後までブラック・スターズ一筋だ」

昨年はヒザのケガのため解雇されてファルコンズに移ったペプラーだが、今春FAとなってグリーンベイと再契約。弟ジョシュの近くに戻ることができた。そして今週は、先発SSモーガン・バーネットの負傷のため、キャリア2回目の先発出場が待っている。「僕の能力を示すことができる素晴らしい機会だ。とても興奮している。良い意味でみんなを驚かすことができると思うよ」

カテゴリ : Player