グリーンベイ・パッカーズ ニュース

2010年2月 3日

CBチャールズ・ウッドソンとグリーンベイ

CBチャールズ・ウッドソンがグリーンベイに移籍した2006年シーズンのこと。彼が車でグリーンベイの街を走っていると、併走する車から必死で手を振る2人組がいる。信号で止まると彼らはウィンドウを下ろし、ウッドソンに言った。「アンタにはこれ以上何も望んじゃいない。ただ、アンタのプレーぶりをオレたちがどれだけリスペクトしてるか、知ってほしかったんだ」 それだけ言い終えると、彼らは去っていった。

当時チームは大きく負け越し、自分自身も負傷した肩をハーネスで守りながらなんとかフル出場を続け、パントリターナーまで兼任していた。傷ついた体とムシャクシャした心を抱えながら、「なぜオレはこんなところに来ちまったんだろう」とウィスコンシンの冬景色を眺めていたところだった。今あのときの2人組を思い出し、最高の笑顔でウッドソンは言う。「僕にとってあれこそがすべてだった」

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4年前の今ごろ、グリーンベイがウッドソンを獲得すると予想するNFL関係者は少なかった。ミシガン大とレイダーズで輝かしいキャリアを築いたウッドソンだが、当時彼の評価は地に墜ちていた。度重なるケガでかつてのようなシャットダウン・コーナーではなくなり、ワイルドな私生活の問題で、「若手に悪影響を与えかねない危険人物」と見なされるようになっていた。2年連続で彼をフランチャイズ指名したレイダーズも、3年目はついに引き留めなかった。

「噂はすべて本当のことだよ。間違いない。僕はパーティした。しまくったよ。僕はまだ若く、ポケットには使い切れないほどの金があった。夜通し遊び回って、一睡もせずに練習に来た。遅刻こそしなかったけどね。日曜になれば頼りになる選手であり続けたつもりだけれど、悪い噂はリーグ中に広まっていたはずだ。それがFA市場でアダになったのは間違いない。『彼には手を出すな』 ってね」

こうして、本来ならFA市場の目玉になるはずの選手が、買い手がつかないまま2ヶ月も棚ざらしとなった。「彼のパフォーマンスはトップクラスでなくなり、下り坂の選手と見なされていた。FAとなれば、フィールド外の要素も検討するものだ。その結果、自分のチームに欲しいような選手ではなかった。彼のフットボールに取り組む姿勢には問題があり、他にも問題があった。誰もが知っていたことだ」とあるAFC球団幹部は振り返る。

オークランドで3年間チームメイトだったCBナムディ・アソムワ。「(FAでの不人気は)見ていてつらかった。ウソを言うつもりはないよ。グリーンベイ移籍には首をひねらざるをえなかった。お金はたしかによかったんだろうけど・・・でもグリーンベイ? チャールズの個性に合わないよ。あそこで彼らしい生き方ができるのだろうか? でもいま、チャールズ本人に聞いてみるといい。あの移籍はこれまでで最高の出来事だった、と言うはずだ」

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まだまだ高いレベルでプレーできると判断したパッカーズは、ウッドソン側にオファーをしたまま、忍耐強く待ち続けた。匹敵するようなオファーが他球団から来ないことがわかり、ウッドソンは4月末になってようやく契約にサインした。他に選択肢がなかったからだ。1試合ごとのロースターボーナスとインセンティブを大きくした、チーム側にとっては低リスク志向の契約内容だった。そしてこれが、パッカーズにとってDEレジー・ホワイト以来最高のFA補強となった。

ウッドソンの悪評は当然パッカーズ側にも伝わっていた。「最初に訪問したときに、マイク(マッカーシーHC)と時間をかけて話し合った。『オークランドで君に何があった? なぜあんな評判が広まってる?』 と聞かれたよ」とウッドソン。じっさい入団後も、道のりはけっして平坦ではなかった。

マイク・マッカーシーHCも、あの契約はリスクがあったと認める。「私は心配した。最初はなかなかうまくいかなかったんだ。1年目はいろいろと軋轢があった。たくさんの話し合いが行われた。チャールズはことあるごとにチーム体制に楯突き、我々はそれを乗り越えなければならなかった」

ウッドソンは振り返る。「あの頃はまだ精神的にしっくり行っていなかった。僕はここに来たくなかったからだ。不幸な人間は他人の不幸を願う、ってやつだ。僕は惨めだった。グリーンベイ以外の球団が自分を誰も欲しがらなかったという事実に、まだとらわれていた。それに僕は、『自分はグリーンベイなんか行かないぜ』 っていう典型的なタイプだった。他の誰もが自分のように惨めになればいいと思った。マイクが求めることに、僕はことごとく反発した」

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やがてグリーンベイでCBアル・ハリスと組んでキャリアを再生したウッドソンは、インターセプトを量産してプロボウラーに返り咲き、今季ドム・ケイパースDCの新ディフェンスの中心的役割を担うようになった。たぐいまれなフットボールセンスをいかんなく発揮し、相手のエースWRからボールを奪い、スターTEをシャットアウトし、絶妙なブリッツで相手QBを疑心暗鬼に陥れた。

スターCBとして長く活躍してきた彼も、これほどディフェンスの中心として、相手オフェンシブコーディネーターの注目の的になることはなかった。「21番!」 「21番はどこだ!」と、スナップ前に相手選手たちの叫び声がフィールドに響き渡る。

こうして33歳にしてキャリアのピークを迎えたウッドソンは、今季のNFL最優秀ディフェンス選手に輝き、2000年代のAll-Decade Teamにも選出された。なぜあのとき自分たちもオファーをしなかったのかと、後悔しているGMは少なくない。

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今ではグリーンベイの落ち着いた暮らしにすっかり馴染み、昨年春には妻エイプリルとの間にチャールズJr.が誕生したばかり。慈善活動にも力を入れ、11月には母校ミシガン大付属小児病院に$2ミリオンもの寄付をして大きな称賛を集めた。

そうした彼が思い出すのは、やはり4年前のあの2人組のことだ。「ここグリーンベイにやってきて、人々は僕を温かく迎え入れてくれた。僕のプレーの仕方を彼らは心から尊敬してくれた。コミュニティ的にも、僕はこの地域に忠誠心を感じている。僕はここの人々から決して離れたくない。心からそう思う。彼らから離れたくない」

不承不承のグリーンベイ移籍から4年が経ち、ウッドソンはにっこり笑って言う。「誰もが僕をパッカーとしてだけ記憶することだろう」

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