グリーンベイ・パッカーズ ニュース

2008年12月19日

レヴェンズとフリーマンがパッカーズHOFに

90年代の黄金期に活躍した元WRアントニオ・フリーマンおよび元RBドーシー・レヴェンズが、来年パッカーズ・ホール・オブ・フェイム入りすることになった。1996年の優勝メンバーからは、RBエドガー・ベネット(2005)、故DEレジー・ホワイト(2006)、Sリロイ・バトラー(2007)、WRロバート・ブルックス(2007)、Cフランク・ウィンタース(2008)、DTギルバート・ブラウン(2008)の6人がすでに殿堂入りを果たしている。式典は来年の7月18日にランボーフィールドのアトリウムで行われる。

パッカーズ・ホール・オブ・フェイムは1966年に設立され、プロフットボールチーム単独の殿堂としては最古のもの。最初はランボーフィールド東側のブラウン・カウンティ・アリーナに展示されていたのが、1976年には独立の建物が新築され、2002年12月から新ランボーフィールド内に併設されて今に至っている。美しい展示と充実したコレクションは、オハイオ州カントンにあるプロフットボール殿堂よりも上、という声もあるほどだ。

元RBドーシー・レヴェンズは1970年5月21日生まれ。最初ノートルダム大ではリッキー・ワタースやジェローム・ベティスの陰に隠れていたが、ジョージア工科大に移ってから先発RBとして花開いた。1994年のドラフト5巡指名でパッカーズに入団し、2年目まではフルバックとして起用されていたが、1996年からRBとなってエドガー・ベネット(現RBコーチ)と強力タンデムを形成し、スーパーボウル制覇に貢献。翌1997年にベネットがアキレス腱を断裂すると、単独のエースRBとして1435ydsラッシングを記録、プロボウルにも選出された。

ハードなランニングスタイルや酷使がたたってか1998年にはヒザを壊し、2000年以後はRBアーマン・グリーンの控えに甘んじた。ジャイアンツやイーグルスでプレーした後、2006年6月に古巣と1日契約を結び、パッカーズ選手としてNFLを引退。NFL通算4955ydsラッシング・36TDに加え、パスキャッチの巧かった彼はレシービングでも304回2334yds・17TDを記録している。(Press-Gazette紙の写真集

元WRアントニオ・フリーマンは1972年5月27日生まれ。ヴァージニア工科大から1995年のドラフト3巡指名でパッカーズへ。リターン・スペシャリストを経て2年目から先発WRとなり、骨折で4試合欠場しながらも933yds・9TDを挙げてスーパーボウル制覇に貢献した。以後3年連続1000ydsレセプションを記録し、プロボウルにも選出。二度のスーパーボウルで計231yds・3TDを挙げるなど、集中力と勝負強さが売り物だった。イーグルスでの1年間を含め、現役通算パスキャッチ477回7251yds、61TD。レヴェンズと同様、昨年6月にパッカーズと1日契約を結んで引退している。

フリーマンの最も有名なプレーは、2000年11月6日マンデーナイトのヴァイキングス戦でのこと。20-20の同点で迎えた雨中のオーバータイム、QBファーヴは右サイドライン沿いにパスを浮かせたが、相手CBクリス・ディッシュマンが内側をぴったりカバーしてディフレクト。パス失敗と思った瞬間、前のめりに倒れ込んでいたフリーマンの左肩甲骨あたりにボールが跳ね、巧みに右腕でボールを引き寄せた彼は、喜ぶCBディッシュマンを尻目に悠々とエンドゾーンへ(Youtube動画)。球団史上、またマンデーナイト史上屈指のビッグプレーとして今でも語り草となっている。(Press-Gazette紙の写真集

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