グリーンベイ・パッカーズ ニュース

2008年3月23日

母の語るブレット・ファーヴ

ブレット・ファーヴの母ボニータは、2003年に夫アーヴィンを失ったいまも、子供たちを育てたミシシッピ州キル(Kiln はキルと読む 地図へ)の家で暮らしている。次男ブレット夫妻の住む同州ハティスバーグは、ここから100kmほど内陸にある。ニューオーリンズから80km東にあるキルの家は2005年のハリケーン・カトリーナによって全壊に近い被害を受け、大規模な改修をしなければならなかった。ペンキで汚れた手で記者を出迎えた彼女は、いったん身なりを整えてから、息子の引退に関するインタビューに応じた。

高校のコーチと結婚したせいで、自分は数え切れないほどの試合を応援してきたとボニータは言う。3人の息子も娘も、みな運動が得意でいろいろなスポーツで活躍した。 「残念なのは、これまで観戦した全記録を取らなかったこと。だって子供が生まれる前から、夫はコーチをしていたから。それから子供たちのフットボール、ベースボール、バスケットボール、ゴルフ・・・。 『ひとつ聞くが、お前はその入場料ぜんぶ払ってるのか』 と父が聞くから、『パスがもらえるのよ』 と答えたら、『よかった。でなけりゃ破産しちまうぞ』 だって」

ボニータは4人の子供を育てながら特殊学級の教師を務め、ブレットのガールフレンドだったディアナ(いまは妻)は、高校時代にボニータの教室で手伝いをしていた。ブレットが大学で特殊教育を専攻したのも、おそらく母の影響だろう。「まわりにいつも障害児がいるのが普通の生活だった」とブレットも振り返り、慈善活動のルーツがそこにあることを認めている。

「昔からずっと優秀な選手だと思ってはいたけれど、息子がまさかあれほどの存在になるとは、なんといったらいいか・・・。試合や記者会見をたくさん見ているのに、あれが自分の息子だという実感が沸かないんです。私たちにとっては、彼はただのブレット。ついさっきも彼から電話があって、ここの庭について話し合ったばかり」

「アーヴィンがコーチ(フットボールと野球の両方)だったので、息子たちはみなクォーターバックやピッチャーをやって、どれも活躍できた。だから、適切なタイミングで適切な場所にいることが何よりも大事だと、私は強く信じるようになったんです。ブレットがもしフロリダ州立やノートルダムに進んでいたら? ベンチから出てこられなかったかもしれない。才能が発見されずじまいだったかもしれない」

「USM(サザンミシシッピ大)では、まるでおとぎ話のようでした。見る見るうちに、17歳の息子が先発クォーターバックになってしまった。17歳の坊主が、21歳や22歳の先輩たちを率いている。あの子には、常にリーダーシップの能力が備わっていました」

順風満帆だったUSM時代のブレットにとって、最大の危機は大学4年の夏に訪れた。ハイズマン賞候補とさえ言われていた1990年7月、自宅近くの田舎道で大きな自損事故を起こし、もう少しで命を落とすところだったのだ。「一緒に救急車に乗り込んだ私に、『ママ、オレまたフットボールできるのかな』 って何度も何度も聞くんです。『様子を見るしかないよ』 と言い続けるしかありませんでした」

小腸を30インチ(約76cm)も切り取る手術を受け、選手生命さえ危ぶまれたブレット。しかし事故からわずか6週間後の9月8日、名門アラバマ大戦でチームを逆転勝利に導き、息子は大きな伝説を作った。「ひどい状態を見てきただけに、彼がアラバマ戦でフィールドに出てきたのを見ただけで、私は卒倒しそうでした。ヒットされたときには、もう見ていられなかった。あれほどの事故から復活するのだから、やっぱり鉄人なのでしょうね」

生まれ持っての丈夫さに加え、もう1つの特徴は頑固さだと母ボニータは言う。「昔からずっと頑固でした。お前は○○ができない、なんて絶対言ってはだめ。必ずやって見せてしまうから。とにかく負けず嫌いで、娘たちとチェッカーをするときでさえ、彼は勝つためにプレーする」

ファーヴ家は何十年にもわたって子供たちのスポーツ中心に回ってきたので、ブレットが引退したといっても、まだ家族みな実感が沸かないという。「とにかく、あまりにも長いこと私たちの生活の一部だったので・・・。これから何をしたらいいの?」としばらく絶句してから、ボニータは孫たちのことを思い出した。とくに三男ジェフの息子ディランは昨秋、高校2年生ながらQBとして3092yds、36TDの活躍で南ミシシッピの記録を作り、地元ではちょっとした話題となったのだ。「私たちは高校スポーツを応援して、あとはUSMを見るでしょうね。そしてもちろんパッカーズも」

ファミリーが筋金入りのパッカーズファンであるのは、息子がパッカーズでプレーしたからだけでなく、グリーンベイのコミュニティ全体が彼らにとって大事な存在となったからだという。「こんな時代だというのに、キャリアを通して1つのチームでプレーできた・・・。グリーンベイはブレットにとってまさにパーフェクト・フィットでした。私たちはブレットに言っているの。まるでパズルみたいに、ファミリーと街とチーム、そういったもの全てが彼にフィットしていると」

「彼の最も立派な特質は、決して変わらないことです。常にブレット・ファーヴのまま、ルーツを見失うことがなかった。他の人たちがスーツにネクタイでも彼は気にしない。デンバーでのことだったか、コーチ・マッカーシーが、『ブレットがジーンズからカーペンター・パンツにドレスアップしたぞ』 と言ってみなで笑ったことがありましたっけ。それがブレットなんです」

1995年のファーヴ家
後列左から父アーヴィン、母ボニータ、前列左から長男スコット、次男ブレット、三男ジェフ、末娘ブランディ
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