グリーンベイ・パッカーズ ニュース
2007年2月 3日
- スーパーボウルに出場する選手の中で、パッカーズに所属したことがあるのはベアーズのLBハンター・ヒレンマイヤーだけ。2003年のドラフト5巡指名でパッカーズに入団したが、シーズン開幕直後に(WR陣にケガ人が続出したため補強が必要となり)解雇されてしまった。パッカーズ側はプラクティス・スクワッドに入れるつもりだったが、ベアーズから誘いがあったためそちらのプラクティス・スクワッドに加わり、半月後にはロースター昇格。2年目からスターターに昇格し、強力LB陣の一翼を担っている。パッカーズからの解雇について、「大きな困難だったけど、今にして考えれば、NFLに入って最高の出来事だったかもしれない」と語っている。
- LBヒレンマイヤーのワンダーリックテストの点数は39点で、スーパーボウル出場選手の中で(記録の残っているのは106人中91人)最も高かった。
- コルツのトニー・ダンジーHCは1988年、スティーラーズでNFL最年少(32歳)のコーディネーターを務めていた。パッカーズのトム・ブラーツ副社長(当時)がフォレスト・グレッグHCの後任ヘッドコーチを探したとき、たくさんの候補の中にダンジーも入っていたらしい。しかしパッカーズはオフェンス側のコーチを求めていたこともあり、リンディ・インファンテが選ばれた。
- トニー・ダンジーHCは当時のアフリカ系への見えない障害について、「アフリカ系全てに向けられていたとは思わないが、ヘッドコーチがどのような見た目であるべきか、当時のフットボール界には一定の見方があったように思う。成功するチームにはヴィンス・ロンバルディのような見た目のヘッドコーチがいるものだと、多くの人が思っていた。中年の白人で、鋭く怒鳴りつける。それがNFLフィルムズで見る映像だし、とても絵になっていた。しかし、違ったタイプでも成功した人々がたくさんいることは、目に見えていなかった。私はバド・グラントの影響を受けたが、彼は全く違ったやり方で成功を収めていた」
- コルツのQBコーチ兼アシスタントHCのジム・コールドウェルはウィスコンシン州ベロイトの出身。両親はまだそちらに住んでいて、今回のスーパーボウルには招待するとのこと。
- コルツの控えQBジム・ソルジはかつてウィスコンシン大でエースQBとして活躍した選手。WRリー・エヴァンズ(現ビルズ)を擁した2003年シーズンには同大史上3位のレーティング148.1を記録し、2004年の6巡指名でコルツに入団した。QBペイトン・マニングがケガをしないので滅多に出番がない。
- コルツのディフェンス・アシスタントを務めるディロン・レイノルズは、パッカーズの2001年1巡指名で大失敗したDEジャマール・レイノルズの兄。「弟が失敗したのはパッカーズのスキームや起用法が悪い」とのこと。
- ベアーズの先発右ガード、ロベルト・ガーザは2005年春にFAとしてパッカーズを訪問したが、契約する直前で、ヒザの古傷のためメディカルスタッフからストップがかかった。「ラリー・ベクトルOLコーチの部屋で2時間もフィルムを観たんだ。(大学を出るときに)シニアボウルでコーチしてくれた人だったし、彼に教わるのを楽しみにしていた。それからチームドクターのところに行ってヒザを見せたら 『ノー』 と言われてしまった」
- FBヘンダーソン、RBノア・ヘロン、QBイングル・マーティン、QBバウマン、Kレイナーのパッカーズ選手5人は、土曜から日曜にかけて航空母艦ハリー・S・トルーマンを訪れることになっている。見学と慰問に加えて、海軍軍人たちと一緒にスーパーボウルを観るためだ。パッカーズの用具担当トム・バッケンが海軍の福利厚生部と話し合ってアレンジした企画で、土曜に東部の基地から大西洋上の航空母艦に飛び、広い艦内を見学して慰問を行い、士官たちと会食。日曜には巨大格納庫に設置された複数の大型TVで、にぎやかにスーパーボウルを観戦する予定。