グリーンベイ・パッカーズ ニュース

2005年5月 7日

マイク・シャーマンHCの現在

ロン・ウルフの引退以来、4年にわたってパッカーズのHC兼GMという重職を担ってきたマイク・シャーマン。全ての問題に対処し、全ての決断を下し、全ての質問に答えなければならない。そんな日常が知らず知らずのうちに彼のバランスを狂わせていたのは確かだ。本人の望んだことでないとはいえ、ハーラン社長がGM職を剥奪してテッド・トンプソンに与えたのは、ちょうど良いタイミングだったのかもしれない。

「ファーヴの父上の葬儀に出かけた。いとこをガンでなくした。ご近所で2人も心臓発作に見舞われた。ヘイトリー副社長の急死には打ちのめされた。ロスリーOCも、(心臓発作で)あやうく失うところだった。そしてレジー・ホワイト・・・」とシャーマンHCはこの1年ほどの事件を振り返っている。

特にマーク・ヘイトリー副社長を失ったのは痛手だった。「私たちは正反対の人間でありながら互いの長所を引き出していた。私は東部出身のヤンキーで彼は南部人。ときどき彼の話が理解できなかったし、向こうも私の言うことが理解できなかったりした。私は几帳面で、組織だったことを好む方だ。しかし彼の机ときたら・・・私が『選手のリポートはどこにある?』と聞くと彼が机の上をかきまぜるのが常だった」

「私は相手を緊張させ、彼はそれを緩めてやるという風に、2人は良いブレンドだった。付き合い始めはいろいろあったが、とてもよい友人になった。彼がいなくなったのは本当につらい。彼がシーズン直前に亡くなり、シーズンに入るとロスリーOCを心臓発作で失いそうになった。私は仕事上だけでなく、人生の上でも彼らに頼っていたから、とても大きな打撃だった」

「私は仕事に来るのが嫌だと感じたことはない。毎日、仕事に来てさまざまな問題を正すのが待ちきれないほどだ。しかし同時に、次第に燃え尽きてしまうということも起こりうる。いろいろな事件が起こり、仕事のことを見直したいと思っていた。私は50歳になった。葬儀場に座ったり、追悼ミサに出たりすれば、いろいろなことを考えるものだ。自分にとっては、『物事を見つめ直せ』という "wake-up call" のようなものだった。大事なのは、自分が接する人々との関係だ、ということがわかった。本当に大事なのは、それをより良くしていくことなのだ」

最初はショックも感じたが、シャーマンHCはGM職を手放したことを前向きに活かそうとしている。「GMとして練習を観察するとき、能力を見極めようという目で選手を見るものだ。コーチとしての練習では、自分のスキームにおけるその選手、スキームそのもの、自分のしたコール、そのプレーでその選手がどのように機能するか、ということを観察する。それにコミュニケーションが取りやすくなる傾向もある。GMだった時には、チームの能力やタレントのレベルを測ろうとしていた。少し引いた位置で、あまりのめり込み過ぎないようにしなければならなかった。今は個々の選手と積極的に関わっていくことができるし、プレーを教えることに没頭できる。だから、選手たちとのコミュニケーションが取りやすくなるのだ」

昨季が終了してからは食生活も改善し、朝はチームのトレーニングコーチについてワークアウトをしている。5人の子供たちと過ごす時間も増えた。ウォーパカ湖でアイスフィッシングをしている人に食事をおごられたりもした。人気取りをしようというのではなく、本当に自分やパッカーズを愛してくれる人たちと話すことで、自分を測り直したいのだと彼は言う。

「昨年いろいろなことがあり、自分自身の何かが理解できたような気がする。もし16歳の時の自分(パッカーズのヘッドコーチになるのが夢だった)に、キミは将来グリーンベイ・パッカーズのヘッドコーチになるのだ、と言ったら、きっとすごく驚くだろう。ハードワークを続けて、ついにここまで来た。ところが、ここにい続けるために燃え尽きそうになり、せっかくの仕事を楽しめていない。自分を見つけて気が付いたのは、一つはそういうことだ。今年はもっと自分の仕事を楽しもう、その先のことはそれからだ、と私は心に決めている」

カテゴリ : Coach/Front Office