グリーンベイ・パッカーズ ニュース

2005年3月26日

最古のパッカーズファンが死去

パッカーズ最古のファンとして地元で長年親しまれてきたパルミーロ・マッゾレーニ氏が、グリーンベイ市内の福祉施設で亡くなった。91歳だった。彼は1973年には"George Calhoun Fan of the Year"を受賞し、2001年には"Packers Fan Hall of Fame"にも選ばれた。パッカーズの"Team Historian"であるリー・レメルは、「彼は生涯を通じて熱烈なパッカーズファンであり、彼ほど忠実なファンはこれまで見たことがない」と讃えている。

小学生だったマッゾレーニ氏がパッカーズを応援するようになったのは、球団が設立された初年度の1919年。近所に選手が住んでおり、「練習の時にウォーター・ボーイをやってくれないか」と頼まれたのがきっかけだった。彼がパッカーズ戦を見逃したのは、ウィスコンシン大に進学した'30年代半ばと、出征した第二次大戦の時期だけだという。1950年に球団史上三度目の株式発行がなされた際には、彼も購入して財政再建に貢献、'50年代半ばのランボー・フィールド建設の際には、建設資金のためのシーズンチケット販売促進にも活躍した。

1949年から1987年に引退するまでガソリンスタンドを経営し、多くの選手がここでガソリンを入れた。従業員をパッカーズ観戦に連れて行くのが習慣だった。「誰かがパッカーズのことを悪く言おうものなら、『出てってくれ』と彼は即座に言ったものだった。たとえお客であろうとね」とリー・レメルは懐かしそうに振り返る。実際に'50年代、'60年代には球団のほとんど全員と知り合いだったという。「父はヴィンス・ロンバルディとも友人だったし、特にLBレイ・ニチキとは親友でした。生涯を通じて、彼らパッカーズ関係者と付き合っていました」と息子のマークは語る。

1919年以来、毎年のパッカーズのことを知り尽くしていたマッゾレーニは、どんなに逆境にあるときでも、チームを信じ続けていた。つい最近も、今年のパッカーズがRGリヴェラ、LGウォール、FSシャーパーを失ったことを息子マークと話し合った。「父は全く焦っていないようで、『必ず代わりは見つかるさ。きっと上手くいく』と言っていましたね」

カテゴリ : History